ラストフリーダムファイター

ラスト・フリーダムファイター


 2月だった。
 点けっぱなしのテレビは台北のお祭り騒ぎを映している。爆竹の煙が凄かった。興奮した調子でレポーターが喋る。内容はお定まりだった。新年の挨拶。台北の馬鹿騒ぎぶり。初詣の参拝客の数。あとは初売りの日程が続く。鬱陶しいことこの上なかった。芸能レポーターに不満をぶつけても仕方がない。彼女も仕事でやっているのだ。普段からあんなにテンションは高くないだろう。無理をしているのが見え見えだった。しかし、彼女は金で雇われたプロだ。もう少し自然に笑えるように努力すべきだった。アレでは興ざめだ。祝い酒の酔いも醒めてしまう。呑んでいるわけではなかったが。
 台湾の正月は2月だ。旧暦の伝統によるものだった。
 正月休暇は1週間程度。2月の頭から1週間はお祭り騒ぎが続く。大都市では爆竹を撃ち鳴らし、派手な獅子舞と龍舞が街路を練り歩く。
 子供の頃は正月が酷く待ち遠しかった。詩に歌ったほどだ。

「もう幾つ寝るとお正月〜」

 口ずさんでみた。実に空しい気分だった。

「中尉。ちょっと気が早すぎますよ。まだ松の内ですよ」

 共に警急待機中の金少尉は微笑んだ。名前から分かるとおりの生粋の内省人だ。
 警急待機とは英訳すればスクランブル待機となる。しかし、やっていることは同じだ。防空識別圏に接近する国籍不明機を迎撃する。
 無線で警告を与え、迷子の民間機なら航路まで誘導する。問題は相手が招かれざる客の場合だ。大抵はこちらの警告を無視する。聞こえていないフリをする。警告に従わない場合は威嚇射撃を行う。許可が出れば撃墜する。
 もっとも、撃墜まで至ったケースはまれだ。今までたったの5回しかない。

「分かっている。言ってみただけだ」
「珍しいですね。中尉が歌を歌うなんて、初めて聴きましたよ」
「1年に一度くらいはそんなこともあるさ」
「だとすると物凄いスタートダッシュですよ」
 
 そう言われてみればそうだ。
 まだ一年は始まったばかりだった。去年よりもマシな一年になってほしい。心からそう思った。
 
「俺はハンガーにいる。何かあったら呼んでくれ」

 取り繕うように私は言った。
 柄にもないことをした。私はそう思った。おそらく正月の幸福過多な空気に酔っていたのだ。私はそう思うことにした。そうでなければ、顔面から火が出そうだった。まったくキャラじゃないことをした。
 瀬田秋雄空軍中尉は慌てない。うろたえない。動揺しない。常にクールだ。そうでなければならなかった。
 瀬田秋雄は自立した個人とは自分がこうありたいと望む姿を他者の前で演じとおせる者であると信じていた。世界は舞台。人は皆、役者。ならば演じ続けるしかないのだ。例え靴のヒールが擦り切れ、足が折れ、血を吐くことになっても。
 
「明けましておめでとう。今年もよろしく頼む」
「はい。こちらこそよろしくお願いします」
 
 ハンガーにいた整備員に声をかける。
 正月でも軍隊に休暇はない。しかし、休暇をもらって郷里に帰る者もいる。ここに残っているのは運のない人間だけだった。
 では、自分は不運なのか?
 必ずもそうと言えなかった。

「今日も海がきれいですね。泳ぐにはまだ早いですけど」
「そうだな。アレを見ていると金を払ってグアムやハワイにいく連中が気の毒になってくる」

 整備員の世話話に相槌を返す。
 大日本帝国空軍下地島基地の海の美しさは広く知られていた。エメラルドグリーンの海と美しい珊瑚礁。ビーチはまっさらな白。死んだ珊瑚が堆積してできたビーチは楽園に近い。海岸には椰子の木が揺れる。ハイビスカスの花が咲き乱れる。リゾート地に必要なロケーションは全て整っている。2月でも寒いと感じる日はない。少し気温が上がれば泳げそうだ。もう少し暖かくなると非番の兵士がビーチでバレーを興じる。クラブチームもある。アメリカ海軍との対抗試合は年中行事だ。
 下地島基地は天国に最も近い軍事基地と言えた。あらゆる意味で。

「今日は向こうも休みですかね」
「それを願ってしまうな」

 この場合、向こうを指す意味は1つしかない。
 大日本帝国空軍において日本的な家意識から身内を表現する場合は常に「うち」だった。そして、海の向こうにある弓状列島国家を指す場合は常に「向こう」だった。あまりにも迂遠な表現だった。しかし止む得ない事情がある。大日本帝国は公式に向こうを国と認めていないからだ。
 それは向こうも同じだったけれど。

「だが、向こうの正月は1月1日だからな。2月は平常運転だろう。困ったものだ」

 私は愛機を見上げて言った。
 F−20、タイガーシャーク。ノースロップが送り出した傑作軽戦闘機。
 大日本帝国空軍(IJAF)がタイガーシャークを採用したのは今から20年ほど前のことだ。80年代後半、性能が陳腐化したF−5Eの更新用に配備が始まった。F−5EもF−20も製造元は同じノースロップだ。大日本帝国空軍はノースロップの作る戦闘機の運動性ほれ込んでいた。特に操縦性が優れていた。F−20の原型になったF−5EにはT−38という練習機の姉妹機があることを考えれば操縦性が優れているのは当然といえた。また、中距離空対空誘導弾が搭載できることも大きな魅力だった。サイドワインダーしか搭載できないF−16の初期型はその点で全く劣っていた。格闘戦ならMig29やSu−27とも互角にやりあえる。そう考えられていた。
 大日本帝国でのライセンス生産は中島飛行機が請け負っている。IJAFはF−4Eの更新用にF/A−18Lを配備していたからIJAFの戦闘機は全てノースロップ社製ということになる。
 F/A−18Lは中島飛行機がF/A−18Cを改造、ライセンス生産したものだ。離着艦能力がオミットされている。結果、大幅な軽量化が達成された。艦上機は陸上基地で使うには不要なほど機体強度があるからだ。エンジンや燃料搭載量に変化はない。しかし、軽量化により加速性能と航続距離は劇的に改善された。
 帝国空軍はF−20とF/A−18Lを150機ずつ配備していた。
 向こうはその倍のMig29とSu−27の改造型を配備している。Mig31やSu−24、Tu−22Mのような強力な装備もある。戦力の不利は明らかだ。しかし、防戦に徹すればその限りではない。
 もっとも、向こうは空軍機のほかに海軍機も持っている。空母4隻分だ。およそ250機程度。これが殴りかかってきたら酷いことになる。
 下地島のような小さな基地はひとたまりもないだろう。
 しかし、時代は変わった。冷戦も終わった。両岸の関係も今は穏やかなものだ。
 だからといって、警戒と待機が全く不要になったというわけではないけれど。
 唐突にベルが鳴った。けたたましい音色。

「松の内から仕事熱心なことだ」

 ベルの音色は背筋を震わせるようだった。何度聴いても聴きなれない音色。まるでハーピィーの歌声のような。そんな風に聞こえる。
 スクランブル警報。




 大日本帝国という国家が未だ存在するか否かについては、半世紀前から議論が続いている。結論は未だ出ていない。
 否定的な立場をとってきたのはソビエト連邦を中心とする東側諸国だった。第二次世界解放戦争、或いは日ソ戦争において大日本帝国はソビエトに無条件降伏している。この時点を以って大日本帝国の滅亡とする意見は数多い。或いは東京講和条約により日本共和国として独立を果たした時を以って、正式な大日本帝国の消滅とする意見も多い。
 それに対してアメリカ合衆国を中心とする西側諸国は台湾に逃れた天皇家及び大日本帝国の政府要人からなる臨時政府を大日本帝国として承認していた。
 このことから台湾政権と東京政権の関係は極めて複雑だった。特に領土問題は輻輳を重ねている。なぜか?なぜならば東京講和条約は日本の領土を日清戦争以前の領土と規定していたからだ。帝国主義的侵略行為によって得た海外領土を日本共和国は全て返還している。
 その領土には当然、日清戦争によって得た台湾が含まれていた。よって、台湾の正当な領有権を持つのは東京講和条約に拠る限り北中国(中華人民共和国)となる。
 しかし、台湾政権はソビエトに対する無条件降伏を認めていない。東京講和条約も同様に認めていない。台湾政権において東京政権は帝国の領土を不法に占領する反政府組織として規定されている。また、台湾は下関講和条約によって得た正当な領土であり、また中華動乱時に占領した尖閣諸島、宮古島等については売国奴政権から解放された帝国の領土と認識されている。
 その逆もまた然りだった。東京政権において台湾政権は共和国の領土を不法に占拠する反政府組織として規定されている。中華動乱時に占領された尖閣諸島、および宮古島等は天皇ファシスト勢力が不法に占領した解放されるべき共和国の領土と認識されている。不法に占拠されている領土に台湾が含まれていないのは、東京講和条約により海外領土を放棄しているためだ。
 東シナ海で日本人同士の冷戦が続いていたのは以上の理由によるものだった。
 もっとも、それも過去のものとなりつつある。冷戦は終結し、ソビエトは崩壊した。沖縄からソビエト軍は撤退し、東シナ海の軍事的緊張は大幅に緩和されている。
 台湾では長く帝国陸海軍による軍政が続いていたが、80年代半ばには民政化が進み90年代には民主化を達成していた。李登輝という台湾出身者による初の内閣総理大臣も誕生している。
 民主化を達成したという点では日本共和国も同様だった。大日本帝国を強硬に否定してきた共産党の一党独裁体制は崩壊し、現在は連立政権となっている。
 李登輝総理の「特殊な国と国の関係」という言葉が今の両岸関係の全てと言えた。相互国家承認はまだ先の話だった。国交もない。しかし、非政府組織を使った事実上の国交は存在する。ビザなしの渡航も認められている。航空便、船便の直行便も数多い。一般市民にとって台湾とはビザなしでいける日本語が通じる観光地、電子製品の生産基地だった。
 日本から観光客を呼ぶための観光資源は豊富だった。退役した大和型戦艦を利用した水上博物館、大和ミュージアムなどはそのいい例だった。植民地時代の建物も観光的価値が高い。台湾がアレンジした大陸風文化も人気がある。経済においても高い教育水準と日本語を話せるという高水準のインフラから企業の進出が続いていた。歴史的な経緯から台湾にコネクションをもつ企業は数多い。
 いずれは時間が全てを解決するだろう。
 両岸問題はそうした種類の問題だと認識されていた。
 既に大日本帝国を知る世代は皆、高齢化している。大日本帝国という記憶そのものが風化しつつある。いずれは国号の変更を経て、相互国家承認に至ると考えられていた。もちろん、保守的な反対意見はどちらの側にも存在する。しかし、それらの意見を支持する勢力は多くの場合、高齢化が進んでいた。台湾侵攻、或いは東京侵攻はもはや一般的にはファイナティックな妄想か、フィクションとしか認識されていない。日本共和国があらゆるレベルにおいて領土的な野心をもっていないことが両岸の関係を穏やかなものとしていた。残っているのは感情的な問題だけだった。
 人々の意識から大日本帝国が消えるにはあと30年はかかる。しかし、半世紀はかからない。日系国家として、いずれは総合的な同盟関係さえ結ばれる。そう予測するアナリストは数多かった。
 しかし、それは相互の情報収集活動の停止を意味するものではない。
 例え同盟関係にあっても諜報活動が不要になることはありえない。日本共和国の国家保安省(NSD)が冷戦時代にKGB内部に2重スパイ網を築いていたのは有名な話だ。
 国家に真の友人はいない。古来の格言だ。
 故に、日本共和国の電子偵察機の定期便が途絶えることは今後もありそうになかった。

「ターゲット、インサイト」

 スクランブル発進。離陸から接敵まで7分弱。タイムは悪くない。
 航空時計から視線を外して、接近する国籍不明機に戻す。
 正面、同高度。空には雲ひとつない。まっさらな青空。酸素の青みをたたえた無限の空間。直視すると眼が痛くなる。照り返しばかりがきつかった。その中に一際強くと光を反射させて飛ぶ機影があった。
 相対速度マイク01。相対距離4万、120秒で交差する。
 30秒程度で、私は不明機の正体に気づいた。
 巨大な主翼に4つのプロペラ。そして、低視認性を無視した地金むき出しの機体。そんな大型機はそう多くない。

「Tu−95、ベアだ」

 私は接敵前に頭に叩き込んだTu−95のカタログデータを洗いなおした。
 Tu−95はソビエトが冷戦時代に大量生産した戦略爆撃機だ。クヅネツォフNK−12ターボプロップエンジン4基と高アスペクトル比の後退翼を組み合わせた、プロペラ機でありながら亜音速飛行を可能とした怪物だ。プロペラは2重反転式タンデム翼により8翅。プロペラ直径は5.6mに達する。
 現在でも、Tu−95がマークした933km/hの速度記録は破られていない。世界最速のプロペラ推進航空機だった。もっとも、そもそもプロペラ機で亜音速飛行をしようと考える人間は西側にいなかったといえる。B−52やB−47は普通のターボジェットエンジンを使った。ターボプロップにこだわる必要はなかった。ターボプロップとは初期型ターボジェットエンジンの燃費の悪さを補うためのデバイスだ。高バイパスターボファンエンジンがあれば、ターボプロップにこだわる必要はない。
 あれは西側の辞書に存在しない哲学に基づき開発された、ある種の技術的な奇跡に近い代物だった。性能は既に骨董品に近いが、ロシアと日本では現役だった。
 主兵装は巡航ミサイル。しかし、アレにはそれは搭載されていないと考えるべきだろう。
 でなければ、こんなところに来る理由がない。巡航ミサイルを発射するなら戦闘機の迎撃が届かない水平線の向こうで行っているはずだからだ。
 まもなく不明機と交差する。
 わずかだが高度優位にある。機体を左に傾ける。視界を確保するためだ。
 交差。そしてすれ違う。
 ジェラルミンむき出しの主翼にはオレンジの日の丸のマーキング。
 日本共和国空軍だった。赤い日本人の爆撃機。アレはそれを改造した電子偵察機だ。
 飛び過ぎる一瞬のうちに、私は機体上面の幾つかの突起物を認めていた。機体下面にも大型の整流ドームがある。アンテナを収めたフェアリングだ。同じ機体を前に見たことがある。その時は領空侵犯寸前までいった。
 機をバンクさせ、操縦桿をひく。左旋回。Tu−95の後方に回り込む。ベアの機体を後方から見下ろす。細く長い主翼は機速にたわんでいた。エンジンは4基。目で追えるほど低速回転のプロペラは、しかし機体を時速800km以上の速度で推進させていた。プロペラの推進効率は音速に近づくと極端に悪くなる。Tu−95は、巨大なプロペラを低速で回すことでその難関をクリアした。その巨大なプロペラの後方乱流で機体がわずかに揺れる。Tu−95は巨大な爆撃機だ。後方乱流も大きい。意外なところでベアの巨大さを感じさせられる。4条に伸びたベアの曳く飛行機雲は青空の彼方まで続いているように見えた。
 速度を維持するためにスロットルを押し出す。F404ターボファンの良好なレスポンス。F−20は速度を落とすことなく急旋回。翼端がコントレールを引く。チャック・イェーガーが絶賛した素晴らしい操縦性。全てがきびきびと動く。
 最小限のロスで、ベアの左に出る。併走する。
 私は通信機のスイッチがGCI系に切り替える。地上の防空指揮所に報告を入れる。

「イーグルネスト。こちらセッター。不明機を捕捉。不明機はTu−95、ベア。電子偵察用のアンテナが見える。高度24000。ヘディング190。速度450kt。来客は向こう側から来た」
「セッター。こちらイーグルネスト。そのまま監視を続けろ」

 地上の防空指揮所の指示は妥当なものだ。しかし、あまり時間はなかった。併走できる時間は極僅かだ。領空まであまり後がない。

「ゴールド。前に出ろ。援護する。今のうちに撮影しろ」
「了解」

 ウイングマンが前に出る。私はタイガーシャークを援護位置に占位させた。
 金少尉が片手でカメラを構えるのが見えた。カメラはデジタルの一眼レフ。改造なしで片手で保持できる軽量小型タイプ。皮肉なことに向こう側の輸出品だった。国産品をまわしてもらえるように頼んでいたが、予算が認められなかった。飛行隊の不満は大きい。しかし、向こう側のつくるカメラの性能はずば抜けていた。祖国のどんなメーカーもあれを超えるものを作ることができない。作ることはできても量産することができない。ましては廉価で販売することなど不可能な話だった。
 金少尉がシャッターを切る。機関砲のような連写機能であっという間にメモリーカードが一杯になる。メモリーカードを差し替えて、さらに撮る。
 ベアに視線を戻すとこちらに手を振っているのが見えた。
 ふざけた奴だ。私はそう思った。舐めたことをする。観光気分の不法侵入者。こちらが絶対に先に手を出せないことを知り尽くしている。

「セッター。こちらイーグルネスト。不明機に無線警告を実施せよ」

 もはやTu−95がどこの所属であるかは明らかだった。しかし、所属を名乗らない以上、それは不明機だった。

「了解。無線警告を実施する」

 領空まで10分程度。敵機の進路に変化なし。地上からの無線警告にも応答しない。ギアが1つ上がる。地上からの無線警告に応じない場合は迎撃機がそれを行う。それでも進路を変更しない場合は警告射撃を行う。それでも進路を変更しない場合は、こちらが強制的に進路を変更する。ミサイルを使って地上に進路を変更する。
 常時開けてあるガードチャンネルを使って私は言った。

「国籍不明機に告ぐ。こちらは大日本帝国空軍所属の第343戦闘飛行隊である。貴機は我が国の領空に接近しつつある。ただちに進路を変更せよ」
 
 応答なし。再度繰り返す。3度同じセリフを繰り返した。
 4度目でやっと応答があった。

「こちらは日本共和国人民空軍所属の第501偵察飛行隊だ。本機は現在、公海上を飛行中である。公海の自由通行権を行使させていただく。それとも貴国は公海の自由通行権を否定されるつもりか?」

 どこか妙な日本語だった。発音と呼吸の間合いが明らかにおかしい。同じ言語とは思えなかった。強いて例えるなら外人が意味を理解できないままに日本語を喋っているような。そんな違和感がある。しかし、意味は通じる。
 半世紀で多くのものが変わった。言葉もその一つだ。

「そうではない。しかし、このまま直進すれば貴機にとってよくないことが起きるので忠告しているのだ」
「君の忠告は受けない」
 
 向こうも一歩も譲らない。
 しかし、こちらの有利は動かない。相手は非武装の電子偵察機だからだ。例え絶対に先制攻撃をできないとしても武装の有無は大きい。
 防空識別圏内を飛ぶのは大きな重圧だ。好んで危険な橋を渡りたいと思う人間はいない。万が一の恐怖は消えない。この空はこちらのテリトリーだ。向こうの空ではない。
 しかし、本当に撃墜するわけにはいかなかった。戦争を望んでいる人間は一人もいない。彼我が等しくそれを認識していた。引き金を引く理由はない。
 であるならば、問題は引き金を引くポーズをどう見せるかだ。はったりとも言う。
 そうした演技には自信がある。得意分野だと言ってもいい。
 私は無線を隊内系に切り替えて僚機に指示を出す。

「ゴールド。少し脅かしてやれ」
「了解」

 僚機がエアブレーキで減速。ベアの後方に占位。
 同時にロックオン。FCSレーダーがベアを捕捉する。ミサイル発射に必要なパラメーターは自動的に入力される。AMRAAMとAIM−9Lは攻撃可能態勢。いつでも撃てる。一撃でベアを火の玉に変換できる。

「何のつもりだ」

 冷え冷えとした堅い声。しかし、焦りの色が見え透いていた。まさかロックオンされるとは思っていなかった。そんな感じだ。

「こちらは本気だということだ」
「冗談はよせ」
「冗談ではない」

 同時に私は相手の言葉の中に微かな電子音が紛れていることに気づいた。レーダー警戒受信機の警告音。ロックオン警報。いやな音だ。自分のものでなくても。背筋が冷える音。
 しかし、相手は強情だった。変進しない。

「こちらイーグルネスト。警告射撃を実施せよ」
「了解」

 また1つギアが上がった。私はマスターアームスイッチを入れる。タイガーシャークの全兵装が甦る。サイドワインダーが2発。アムラームが4発。ガンが350発。完全武装。
 操縦桿を軽く傾ける。タイガーシャークは機敏に応答した。機首を右に振る。私は同時にトリガーを引く。
 警告射撃。
 M39リヴォルバーカノンの連奏。約1秒の射撃。強固な機体構造が反動で震えた。ベアの鼻先に曳航弾が突き刺さる。眼では終えない徹甲弾、焼夷弾もある。そうした弾丸は空気に唸りを残して去る。
 怖いはずだ。目の前を弾丸が横切って平然としていられる人間はいない。かなり過激な警告射撃。限りなくアウトに近いストライクゾーン。そのすれすれに弾丸を叩き込む。
 射弾からベアのコクピットまで10m弱だ。気まぐれな一発が偶然命中しても不思議ではない距離。当てない確信はあった。しかし、事故とは常に不慮なものだ。言い訳の筋は通っている。たぶん。

「待て、止めろ!」

 ベアからの要請を無視。リアタック。機首を振る。トリガーを引く。もう一度同じ作業を繰り返す。今度は機首の振りが少し深かった。曳航弾はコクピットから5m程度の空間に突き刺さる。当てない確信はある。しかし、次は事故を起こしてしまいそうだった。

「ベアが変進した」

 ゴールドからの報告。それよりも早く私はベアの動きに気づいていた。巨大なベアがバンクをかける。機体上面を見せる。かなりきついバンク。機体の荷重限界に近いきついバンク。そして左旋回。こちらの進路をふさぐような機動。衝突の危険があった。私は操縦桿を引く。タイガーシャークを上昇させ、ベアの上に出た。ベアに併走する大きな左旋回。間合いをとる。
 ベアの上を飛んだ時、ベアの機体上面で動くものが見えた。

「セッター。こちらゴールド。機関砲で照準されている。注意せよ」

 僚機からの報告。目を凝らすと機体上面に銃座が見えた。平らなマンホールのようなものから2本の銃身が突き出している。その両方がこちらを指向していた。黒々とした銃口が見える。死の詰まった銃口。
 私は冷や汗を覚える。
 旧式な防御機銃だが、空中で機関砲弾を吐くものは全て一律に脅威といえた。あれに撃墜された例も過去にある。ベトナム戦争で2機のF−4Eがベアの防御機銃に撃墜されている。30年も昔の話だ。

「セッター。こちらイーグルネスト。高速で接近する目標を探知。速度720kt以上。まもなく防空識別圏に侵入する」

 地上の防空指揮所から通報が入る。
 管制官の声は緊張していた。北からマッハ1.2で何かが接近してくる。戦闘機だ。それ以外には考えられない。沖縄に配備された向こう側の戦闘機は3種類だ。Mig29とSu−27、そしてMig31。下地島の周りに出てくるのはSu−27か、Mig31だ。どちらもF−20よりも大型で、高性能。
 少しやりすぎたらしい。Tu−95が呼び寄せたに違いなかった。
 面倒なことになった。戦争をするわけではない。しかし、手を上げるわけにもいかなかった。なぜなら、ここはこちらの空だからだ。
 RWRが警報を発する。敵の捜索レーダー波。100km以上先からこちらのECMを飽和するように強力なパルスを叩きつけてくる。
 弱気の虫が胸で疼いた。帰りたくなってくる。

「イーグルネスト。こちらセッター。指示を求める。どうしたらいい」
「目標を目視で確認し、無線で警告を実施せよ。応援を向かわせている。5分持ちこたえろ」

 なんとも頼もしい話だった。
 空中戦で5分。それは永遠に等しい数字だ。
 
「ゴールド。ベアを見張れ。新手はこちらで引き受ける」
「応援は?」
「期待するな」

 タイガーシャークは機首を翻す。インメルマンターン。AB点火。予備加速に入る。速度エネルギーを溜め込む。
 青空にコントレールが現れた。二つ。左右に分かれる。円を描く。挟撃だった。
 私は腕の航空時計に目を落とした。午前11時21分。
 タイガーシャークは増槽を切り離す。


 
 続く?
2007年12月30日(日) 20:05:46 Modified by suzukitomio2001




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