Ready to War1

 軍神山本
 第三部『Ready to War』

 太平洋における強国。それは言わずと知れた、日本とアメリカの二つであろう。この二つの国家はそれぞれの成立は違えど、それぞれの国家の発展の活路を海洋に求めざるを得ない国家でもあった。
 とはいえ、温度差は当然として存在する。
 日本の場合、活路を海外に見出さざるを得なかったのは、国内における資源が、既に明治時代までに掘り尽くされてしまったことであった。江戸時代までの日本が、世界有数の鉱業生産高を誇っていたことを考えれば納得もゆくだろう。日本銀は、各国東インド会社の重要な取引品目にまでなっていたのだから。
 しかし、明治時代にはそれらも掘り尽くされてしまった。辛うじて残っているのは銅と石炭だけだが、石炭は含有炭素量の問題から近代工業には使えず、かといって主要生産品目が銅であるもの問題であった。そして、その銅すら明治時代の末には公害問題などの様々な問題から、生産高を下方修正していた。そう、日本国は必然的に鉱物資源を求めて海外進出をしなければならない情勢下にあったのだ、といえるだろう。
 さて、それに対してアメリカ合衆国はどうだっただろうか。
 いまさら述べるまでも無く、北米大陸をそのまま一国家としたような広大な国土を持つアメリカにとり、国内で産出しない資源など皆無だった。辛うじて様々な希少金属類を輸入に頼るだけで、他の大多数の鉱物資源を国内で自給できる体制にあったのである。
 何故そのような国が、海外進出をせねばならないのか。
 簡単だった。資本主義近代国家というものは、その発展のためには海外へ進出せざるを得ないのだった。海外との商取引によって生じる様々な財貨が世界を循環することによって資本主義社会は拡大・維持される。考えても欲しい。同じように鉱物資源だけであるならばアメリカにも引けを取ることは無い中国と旧ソヴィエトが、20世紀にはついにアメリカに追いつくことが出来なかったことを。そして、ソヴィエトは滅び、中国は建前はどうであれ資本主義を導入せざるを得なかった。そして、それでもアメリカに追いつくことはかなわなかった。

 その理由は簡単だった。共産主義が原因だった。一国内での商取引を前提とする共産主義では、海外との価格差によって生じる循環が行えないのだった。また、資本主義国家における生産拡大の大前提である、労働者の意欲向上にも問題があった。共産主義国では『みんな一緒に貧乏になろう』で資本主義国では『働いた人が裕福になれるんだよ』では話にならない。
 結果、アメリカは自国が余りにも巨大すぎるが故に、その生産力を吸収しきれる市場を探さねばならなくなったのだった。
 当時、アメリカの選択には二つの市場が存在した。
 一つは言うまでも無く中国だ。清王朝末期からの混乱はこの国への欧米列強の進出を容易いものとしていた。
 もう一つはインドだったが、ここは19世紀以来大英帝国の支配下におかれている。ヴィクトリア女王を初代皇帝と頂くインド帝國は、イギリスの官僚たちによって社会基盤のみは強固となっている。とてもではないが、進出に多大な労力を要することは間違いがなかった。
 結果、アメリカは中国を選ぶ。
 そして、中国に活路を見出していたのが、日本であった。
 そう、二十世紀中葉のこの時代において、アメリカと日本は中国という女性をめぐる三角関係にあった、といっても良い。面白いのは、どちらの国家も中国という女性からはそっぽを向かれていたことであったが。彼女に取り、日本もアメリカも、自分を食い物にしようとしていることは間違いが無いのだ。誰が好き好んでジゴロに身を任せる女性がいるだろうか?

 話が逸れた。

 さて、中国を巡る日本とアメリカの対立はこのように、それぞれの国家の生存における対立であった。考えても欲しい。アメリカが中国から撤退しても生き残れたのは、第二次世界大戦によって欧州各国が疲弊し、欧州各国がアメリカの生産力の受け皿となったからだ(勿論日本も、だが)。
 
 それでは、一九四〇年半ばにおける日本とアメリカの対立はどのようなものであったのか、それについてみてゆくことにしよう。




 一九四〇年 六月十二日
 大日本帝國 東京 市ヶ谷
 統合戦略指揮本部 本部長室


「おーおー、山本の旦那、勝ったらしいね」

 紙巻煙草『チェリー』を咥えながら馬渕大将は言った。執務机の上には弁当箱が置かれている。勿論彼には弁当を作ってくれ女性など存在しない。仕出弁当だった。
 馬渕は新聞を折りたたむと来客用のソファに投げ出した。弁当箱に入っていた品目を思い出し、すこしばかり苦笑する。弁当は焼肉弁当だった。
 聡い人ならば、この時代の日本で焼肉弁当が以下に高価なものであるかをご存知だろう。いや、こととなると、焼肉すら存在し無いかもしれない。しかし、この世界には存在する。
 簡単だった。言ってしまえば、これこそ戦本の指導がかなっていたことを示していた。
 焼肉、ひいてはそれに使用される牛・豚の肉を生産する酪農は、かなり余裕が無いとできるものではない。史実において、東北は米の生産が中心で、現在のように農業とともに酪農は行われていなかったからだ。
 では、何故行われているのか。
 簡単だった。朝鮮の開発に注ぎ込む予算を東北に注ぎ込んだからだった。これにより、仙台、大湊、そして日本海側のいくつかの都市では、純軍事・経済的に見るならば考えられないほどの発展をみている。全て、中華民国との最恵国待遇によるものであった(気位だけは高い朝鮮との提携はいまだ条約交渉中であった)。

 中華民国の総統である蒋介石が共産党と袂を分かち、内戦に入ったのは4年前。それとともに日本は中国(満州国ではない)に存在する全ての権益を中華民国に譲渡し、撤退した。
 結果として生じたのは中華民国からの多種多様にわたる兵器の注文だった。日本の権益撤退は、工場設備などの東北地方への移築を含んでいたからだった(勿論、中国に兵器を買わせるために)。
 日本ではこの頃の歩兵火器の中心は三十八式歩兵銃、九四式小銃だったが、戦本はこの全てを中華民国に供出している(設備移築の代償)。その代わりに半自動小銃の先駆けでもある、のちに一式小銃と名づけられる小銃の先行量産型を陸軍に装備させた。要は、退役した中古兵器の売却先として中国を扱ったのだった。
 また、これは中国にとっても都合が良かった。
 小火器の統一は、平均した火力を持つ軍隊を作るためには不可欠だからだ。この時代、中国はいまだ各国の小銃が混在する情勢にあり、弾薬・小銃・補修部品の補給に大問題を抱えていた。これを、日本陸軍が全廃した三八式歩兵銃、九四式小銃は解決してしまったのだ。考えても欲しい。陸軍の歩兵師団が戦本による軍縮を受ける前、中国、そして満州国、朝鮮半島に展開していた師団だけで十を越す。独立部隊を数え上げれば、その総数は20万以上になるだろう。そして、それらの歩兵が装備している小銃、その予備、そして補修用の部品……あげればきりが無い。
 同時にこれは日本製品に対する中華民国の信頼の元ともなった。日本陸軍が保有する全ての旧式火器が中国に輸出され、その代わりに日本陸軍は新型火器を定数装備する。そして、中国軍の数は日本陸軍よりも多い。となれば、日本陸軍の旧式兵器だけでは足りない。新たに生産せねばならない。
 結果、1937年度の日本の貿易収支は圧倒的な黒字と化した。それまで三十八式、九四式などを生産していた工場は引き続き輸出用のために操業を続け、東北に移築された工場は日本陸軍のための新型火器を生産する。まさに、単純ではあるがこれ以上はない妙手だった。しかし、この妙手はかつて使用されている。勿論この時代ではない。馬渕たちが生きていた歴史において、である。
 馬渕が参考にしたのは、インドネシアに対する戦時賠償を請け負った伊藤忠グループ、ひいてはその会長を務める旧陸軍参謀本部参謀、瀬島龍三のとった方法だった。彼は、戦時賠償としてインドネシアに日本製ジープを多数送りつけることにより、その補修部品の注文を勝ち取ったのである。
 そしてそれは勿論、海軍にも波及する。
 最初は陸戦隊からであった。陸戦隊が装備するのも陸軍と変わらぬ装備であったため、これも輸出の対象となった。また、各鎮守府に存在していた陸戦隊は戦本によって陸軍と同じ師団編成に改組され、第一連合陸戦師団として発足することとなった。強襲上陸用として、戦車まで装備している。

 さて、日本の対中国貿易収支は4年連続の黒字を迎えていた。最初は歩兵用小火器だけであったが、やがてそれが重砲になり、そして戦車になるのは時間がかからなかった。中国に対する兵器輸出が好調になった余波か、もう一つ輸出先も生じた。
 タイ王国である。
 タイ王国はこのとき、独立の危機に直面していた。いや、タイがそう感じていた、といってもいいだろう。
 ドイツ軍のフランス攻撃・占領とともに、フランス領インドシナは宙ぶらりんの情勢となった。結果、タイを干渉地域としてにらみ合っていたイギリス・フランスの東南アジア植民地における情勢は、一気にイギリス側に傾いたのである。
『東南アジア地域における安全の保障』
 これを名目に、ビルマ・マレー駐留のイギリス軍が、フランス領インドシナを保障占領する余波で、タイをもその矛先にするのではないか、とタイ王国政府が考えたとしても無理はない。もともと、難癖をつけ、いや、難癖をつけずに銃口を突きつけることで植民地を拡大してきたのだ、という意識が東南アジア諸国には強いし、そしてそれは事実でもあった(フランスがラオス王国を植民地とした時)。
 結果、タイは自存自衛のために早急に国軍の装備、陣容を整える必要を求められた。必要であるならば、フランス領インドシナに占領された形となっているもともとの領土(現在のカンボジア)をも取り戻す腹であった。
 しかし、それには兵器を売ってくれる国家を捜さねばならない。
 そして、その国家は一つしか存在しなかった。

 タイ王国からの兵器購入依頼、そして軍事顧問団派遣の要請は日本政府にとっても中国だけでは不安であった工業製品輸出先に新たな一国を付け加えるとして歓迎された。既に満州国での石油産出は順調であり、満州国・中華民国双方からの鉱物資源輸入も順調すぎるくらいであったからだった。
 タイ王国に第一期輸出品目として輸出されたのは歩兵師団を丸々一個編成できるほどの火器と戦車だった。特に戦車は中華民国にも輸出されるようになっていた九七式中戦車改であった(九七式は長砲身75mm砲を装備しているが、これはそれを九一式105mm榴弾砲に換装したもの。既に日本は後の一式中戦車を試験中であった)。
 こうなると収まらないのがイギリスとフランス領インドシナを支配するフランスインドシナ支庁であった。だが、ここで転機が訪れる。ドイツに降伏したヴィシー政府から新たな支長官が派遣され、日本との接近を命じたのであった。
 結局、タイ王国とフランス領インドシナは不可侵条約を締結。そしてそれは、日本とドイツの密約により、フランス領インドシナの『ヴェトナム王国』としての独立への第1歩となる。

 新しいパッケージを破り、変えの煙草を口にした馬渕の元に一人の参謀将校がやってきた。陸軍参謀本部から引き抜いてきた若手参謀(少佐)で、名を瀬島という。

「瀬島君、報告かね?」

「はい、満州国における戸籍整備計画がやっと発動しましたので、その報告書を」

 確かだった。満州国は史実において、その成立の主旨である『五族共和の大地』とは無縁の日本植民地だった。故に、国家ならば必要不可欠とされている戸籍が存在しない。一九四〇年当時、満州国には4000万を越える人口が住んでいたにもかかわらず、である。
 戦本によってなされるこの戸籍整備計画は様々な側面をはらんでいる。
 一つはこれにより継戦能力を高めることであった。戸籍が整備されたということは、例えば大連に何人の男性が住んでおり、そしてそのうちの何人が労働者として雇用可能であるか、そして、それらが雇用された場合の生産計画の立案にも深く関わってくる。
 これは満州国を、日本の植民地というよりは、独立国家の体裁を取った『経済植民地』とする方法であった。勿論、そんなことはおくびにも出さない。第一、この方法はアメリカが戦後取った方法で、一般的には『新植民地主義』と呼ばれる考え方である。この時代に存在している考え方ではない。

「それで、短期的には……そう、1年ほどでどれだけの生産計画が完成するのかね」

「それに関しても報告書のほうに記載されております。黒龍江油田の採掘状況も順調に進捗しているので、中華民国との国境付近の原油生産ともあわせると、充分に日本の必要とする石油需要を満たす生産高かと」

 馬渕は頷いた。これで南方への進出理由が減った訳だ。対外的には。となると、日本の南進は純粋に『アジア諸国独立を啓発するため』と解釈される。うん。言うこと無しだね。

「計画が順調なようで結構だ。引き続き細心の注意とともに計画を進めてくれたまえ」

「了解しました」

 ここで彼らの間に交わされている計画とはのちに『戦備計画一号』と呼ばれるものだ。意味する所は簡単で、要するに日本がアメリカとの戦争に『負けない』だけの国力を備えさせる計画のことである。この計画に定められた要諦を元に、現在日本軍の再軍備とも言える装備更新は進んでいる。

「……そうだ、タイ平原の状況はどうだね」

「同僚に聞いた話ではタイ軍の配備状況はマレー・ビルマ向けになっております。また、これと並行する形でニュージーランド、オーストラリアが海上護衛戦力をイギリスに提供する代償としての東洋艦隊の増派、更には極東英陸軍の増員も進んでいるらしいです。詳細については情報部の東郷少佐に聞かれては如何でしょうか?」

「うん、そうしよう。ご苦労でした」

「いえ、それでは」

 瀬島は一礼すると退室した。馬渕は早速報告書に目を通し始めていた。

「……極東ソ連軍が増員されている、か。やはり黒龍江油田の奪取計画でも考えているのかな」

 確かだった。現在、各国に秘匿されている黒龍江油田の存在だが、国境の関係からか、既にソ連には知られているようであった。とはいえ、戦本情報部が監視しているイギリス系諜報部員の動きには、それらしい動きが出ていない。察するにソ連をどう扱うものか迷っているのだろう。そのため、満州まで手が回らないといった所か。

 コンコン。

 ドアを叩く音がして誰何も気にせず入室した男がいた。横須賀を母港とする第一艦隊司令長官の藤田中将だった。

「本部長」

「なんだね」

 煙草を灰皿でもみ消しながら馬渕は言った。

「これを」

「うん?」

 藤田が持ってきたのはアメリカとイギリスの間で取り結ばれた第二次交換協定の内訳だった。

「流石にこれは、ヴィシー・フランスが怒るだろうねぇ」

「どうされます?」

 藤田が持ってきたのは米英第二次交換協定が、ヴィシー・フランスの権益を侵害する内容であったからだ。それを説明するには交換協定の内幕を話さねばなるまい。
 ここで言う交換協定とは、米英で交わされた基地・駆逐艦交換協定の事をさす。簡単に記すと、イギリスが大西洋における当初基地などを提供する代償として、アメリカは第一次世界大戦型の『平甲板』型駆逐艦50隻をイギリスに供与するというものだ。
 だが、『アルファベット』作戦の実質的敗北により駆逐艦が50隻では足らなくなってしまった。現在大西洋を遊弋しているUボートは大小300隻に登る(日・伊からの潜水艦・技術交換協定による。これについては後述)。とてもではないが、50隻程度の増派では足りるものではない。
 結果、イギリスの要請を受ける形で第二次交換協定が結ばれた。イギリスが提供するのは南太平洋に位置する島嶼。アメリカは前回よりも多い六十余隻の駆逐艦を提供。

 問題は、それがフランス領ニュー・カレドニアを含んでいることだった。確かにこれはフランスの(ヴィシー・ド=ゴール関係なく)。そしてそれは、必然的に日本軍の計画している対米戦争計画に影響を与えかねない。確かに第一艦隊司令長官が持ち込む内容だった。

「ド=ゴールは確か、イギリスに亡命中だな」

「はい。形式的には現地フランス軍がド=ゴール政権の承認の下、アメリカ軍の指揮下に入るとのことですが」

 ふむふむ、とばかりに馬渕は頭をひねった。机の上の電話を取ると交換台を呼ぶ。

「交換台、情報部につないでくれ」

「了解しました」

 少し待つと電話が鳴る。

「情報部、東郷少佐であります」

「少佐、南太平洋方面の担当を連れて本部長執務室へ。資料持ち込みだ。急げ」

「はっ」

 馬渕はソファに身を沈めた。藤田もそれに習った。前にここに来た際、遠慮は無用と馬渕が言ったからだった。

「東郷少佐であります。担当の江幡大尉をお連れしました」

「どうぞ」

 痩身の少佐と少し太った見掛けの大尉が入室した。

「それで、ニュー・カレドニア方面の情報を確認したいのだが」

 江幡という名の大尉は頷き、報告をはじめた。

 戦争という名の歯車の動きは素早かった。アドミラル・ハタカズ・ヤマモトの名が世界の海軍関係者に知れ渡る契機となった海戦からいまだ半月。既に戦争の余波は、ここ太平洋にも波及していたのだった。

 中国大陸を虎視眈々と狙うアメリカとの対立を激化させる原因として、ここでは東南アジアにおける連合国側と枢軸国側の対立を見てゆこうと思う。
 
 東南アジア地域において日本率いる枢軸側と、連合国の対立が深まったのは前話で記述した仏印の問題がある。イギリスとしては東南アジアにおける安全保障のためにタイ平原と仏領インドシナを欲していたからだ。
 しかし、タイ陸軍の整備計画発動(これには空軍力の強化も含まれる)、仏領インドシナのヴィシー・フランス傾斜によりこれにはとどめを指される形となる。とはいえ、少なくとも仏領インドシナのヴィシー政府への傾斜は、イギリスが行ったニュー・カレドニア諸島のアメリカへの委譲が原因になっているから、半ば逆恨みに近いものではあった。

 さて、日本、そして中華民国と満州国政府は、一九四〇年九月一日、『亜細亜連盟』構想を発表、現在で言う所のEU的経済・政治・軍事統合を目指して各国が協力してゆくことを発表した。これに伴い、日本企業の中華民国への再進出が始められる(韓国は参加せず)。
 内政干渉まがいの反応が起こったのは当然と見るべきなのか不当と見るべきなのかは置くとして、これに対して激烈な反応を起こしたのがアメリカとイギリスだった。アメリカは『ファシズムが亜細亜に蔓延』と非難、イギリスは『ナチズムの亜細亜展開』を示し、不快感をあらわにする。
 とはいえ、日本だけであるならばともかく、現在軍備の整備に余念が無い中華民国と満州国を相手に戦うことは出来ない。この3ヶ国を合わせれば、少なくとも欧州の各国家を連合させたぐらいの国力を発揮することには疑問が無いからだ。

 対立はすぐさま起こることとなる。
 対立の始まりは、ヴィシー政府から要請されたフランス領インドシナ進駐であった。これに関しては既に日本の戦争協力(空母建造・海上航空・潜水艦委譲)の代償としての仏領インドシナ独立が秘密条項として存在しており、これに関してはヴィシー政府も降伏文書調印の際に了承している(とはいえ、彼らには他に方法が無かったともいえるのだが)。
 この条項をドイツ政府から『依頼された』日本が受け、そしてそれを中華民国に要請することは問題がないもののとみられた。少なくとも、法的には。
 とはいえ、法的に問題が無いとはいえ、それが座視を許す問題かといえばそうではない。
 アメリカは1年後の日米通商航海条約破棄を明言(日本の延長外交による)。イギリスもそれに続くように日英通商航海条約を破棄した。ここにいたって、彼らは日本が守る極東市場を武力によって収奪することを明言した、といっても良いだろう。少なくとも、満州国、中華民国の国民はそう受け取り、何故かはわからないが韓国政府はこれを歓迎する意向を示した(これが後に問題となる)。

 とはいえ、これらの措置が日本に対して有効であったかどうかは疑わしい。
 既に日本の原油輸入は満州国へとその中心を移しており、更に鉄鉱石の輸入では中華民国に依存するようになっていたからだ。最大の鉄鋼生産地である雲南省がいまだイギリスの勢力圏にあるとはいえ、雲南省以外の地域に置いても鉄鉱石は生産される(尚、中華民国と共産党の交戦地域は現在で言えば新疆との境の部分になる。彼らは既にその勢力の大部分を蒙古へと移していた)。
 日本は中国、満州国から資源を輸入し、それを(主として兵器であるが)加工・輸出する。そういった加工貿易国家への明確な転換は、山本、馬渕率いる戦本が実質的最高権力を掌握した5・15と2・26以来明確に志向されているからだ。
 この頃の日本の輸出品目としては以下のようなものがあるだろう。どれも兵器に近いが、それは日本の1930年代までの国家体制を見る限り仕方ないのかもしれない。
 まず中国である。この国に対しては主に陸軍装備火器と商船があげられる。日本が『戦時標準船』という船舶の建造形式を持っていたことは有名だが、戦本は既に権力を握った瞬間から特定大型船舶(後に軽空母に改造できる型)を除き、この形式を徹底してきた。とはいえ、幅を持たせるために船体構造等に関して共通性を増やした、というぐらいになっている。この点から言っても史実よりも戦時標準船に関しては進んでいる、とも言えるだろう。

 以上の結果としてマレー半島を扼する形となったタイ平原における緊張が深まったのは当然といえるだろう。ビルマ駐留のイギリス軍は暫時増強されてゆくことが決定されたが、ここでイギリスにその陸上の努力を必要とされる局面が発生した。

 一九四〇年七月、独ソ不可侵条約の更新第一回が発表された。これによるとソ連は新たな領土として南ブコヴィナの線まで領土を拡大。その代償としてドイツへの各種資源の優先輸出協定が結ばれた。また、これに伴う秘密協定では現在も継続中の冬戦争(ドイツ=フィンランド戦争)において、フィンランド側を援助している日本とイタリアの援助をドイツが抑制することを取り決めた。
 ここで説明しておかねばならないのは、日本の輸出型兵器がフィンランドにも輸出されていたことだろう。史実において日本はフィンランドに対して主に陸軍が必要とする小火器の面で輸出を行っていたが、戦本はドイツとソ連の協定決裂が独ソ戦を誘発した可能性を考慮し、これを側面から援助するためにフィンランドに対する大々的な兵器援助に踏み切った。また、この兵器援助は必然的に北欧諸国、そしてアメリカ内部における共和党の力を強める結果となる。
 フィンランドに輸出されたのは九七式戦闘機『隼』、九九式直協機の二種類だった。このうち九九式直協機は完全な輸出モデルで、立川飛行機が製作したものだ。800馬力のエンジンに爆弾を合計500キログラム、または対戦車掃射機関砲を搭載可能。速度などカタログ・データに見るべき所は無いが、最も注目するべき所はその稼働率の高さだろう。フィンランドでは『ヤーパン・シュツーカ』と呼ばれ、マンネルヘイム線の攻防において、フィンランド軍がソ連軍を押し返す原動力となった。
 さて、それはともかくとしても、ドイツは南ブコヴィナの併合を認めたことにより、必然的にバルカン半島に関わらざるを得なくなった。ヒトラーはムッソリーニと会談。まだ参戦していない(史実ではフランス降伏間際になって参戦したが、この世界では参戦していない)イタリアが参戦するべき機会を狙っていた。そしてそれは必然的に北アフリカでの戦闘になるだろうと予測され、ドイツ各軍の将校のイタリア入が始まり、戦争準備が開始された。
2008年02月09日(土) 13:12:53 Modified by prussia




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