Ready to War4


 一九四一年 8月6日
 日本帝國 広島
 広島市内 某所


 窓から広島市内を流れる川が見渡せる、雑居ビルの2階に設えられた喫茶店、その窓際の席で馬渕はコーヒーを飲んでいた。流石に背広姿だ。平日の午前中のため、店内に人影は殆ど無い。グラスを拭いているマスターのみ。瀟洒な雰囲気とは裏腹に、店内にはモーツァルトのレクイエム第九章『イエス・キリスト』が掛けられていた。そのほかにはグラスを吹く時に時折出るキュッ、キュッという音だけが響く。

 カラン

 ドアの開く音と共に1人の背広姿の男が店内に入った。この男も背広姿だった。
「遅れて申し訳ありません」
 背広姿の男は頭を下げた。馬渕とは年が10は違うだろうか。
「ああ、別に構いません」
 馬渕は言った。何処をどう見ても商談のためにこの店を選んだとしか見えないように気を使っている。勿論背広姿の男はサラリーマンなどではない。
「それで、これが要求されたものです」
 男は商談の書類を差し出した。少なくとも外見上はそうだ。
「アメリカでは研究が盛んなんだってね」
 馬渕はコーヒーの追加を頼みながら言った。男は頷く。
「アムスの島の名前ですね、確か。そんな名前だったと思います」
「研究費が出るところは良いね。うちなんか、他にやる事が多すぎて手が回らないよ」
 クスリと笑いを漏らす。しかし、顔はすぐに引き締まる。笑い話ではない。
「博士はどうしている?元気かい?」
「ええ」
 男は頷いた。
「ドイツと日本じゃ空気が違いすぎますからね。けれど、やっとこちらにも慣れていただいたようです。夏が暑い暑いとおっしゃっていたので、わが社では率先してクーラーを入れる羽目になりました」
 馬渕は苦笑した。クーラーなどという冷房器具は、日本でもやっと一般庶民が買える価格のものが売り出されたばかりだ。それが証拠に、この喫茶店は窓を開け放ち、店内に扇風機を回している。どちらかといえばこのような店には冬が似合うだろう。そんな風に馬渕は思った。
「しかし」
 背広姿の男は言った。
「何でまた、こんな時期にこちらへ?」
「何、少しばかり用があったことだし、広島には来た事が無くてね」
 馬渕は言った。それに、ここはアレが落ちた場所だ。世界で初めて。これからおっぱじめようとするならば、来ておくべき場所だ。絶対に。
「しかし、あちらさんで始まったんだったら、私のところも気になるんだよ。何処まで進んでいるのかについては」
「実用はまだまだ先ですね。今の所は実験設備を作ることに集中していますし、費用の問題から言って始められるのは今期末からでしょう」
「九月ねぇ。……スケジュールとしては良いと思うよ」
「出来るだけ早めていきたい所です」
 馬渕はマスターがコーヒーを運んできたのを確認すると会話を止めた。コーヒーを楽しもうじゃないか。始めてきたんだけど、ここのコーヒーは逸品だよ。へぇ、そうなんですか。何処までも普通の会社員同士の話し合いだった。商談ですらないのかもしれない。

 しかし、語られている内容は他聞を憚るものでありすぎた。

 アムスとはアムステルダムの略語だ。だが、それが正確に指し示すのはニュー・アムステルダム。それはニュー・ヨークの古名だった。


 一九四一年 9月1日
 アメリカ合衆国 ワシントンDC
 国務省 大会議室


 先月から本格的に始まった日米交渉はまだ続いている。日本側としては善戦しているといっても良いだろう。とはいっても、この善戦は主に時間という側面から見たものだった。はっきり言って、通常の外交交渉としては不手際極まりないものだといえる。
 それを理解するためには外交交渉の何たるかを思い描かねばならない。それでは、一体全体外交交渉に必要なものは何か、と問われれば、交渉がスムーズに進む事を前提とした環境の構築が最初にあげられるだろう。つまり、双方が相手側の言い分に対し、それを検討し、それに対しての答えを迅速に出せる体制作りの事を言う。
 この場合、アメリカ側に問題は見出せない。なぜならば、会談を行っているのはアメリカの首都であるから。であるならば、アメリカ側が迅速な対応が出来なかったとすれば、それはアメリカ合衆国政府が恥を曝す事につながる。しかし、この場合において交渉に問題を発生させているのは勿論アメリカ側ではない。
 発生させているのは(勿論相手側に認識されない事を前提としている)日本側だった。
 日本側はこのとき、以下のような手法をとることをアメリカ側に了解させた。
 まず、アメリカ側が要求を提示した場合、まず使節団内部でそれを協議し、外務省に回す。外務省は外務大臣、内閣のもとにそれを協議し、日本としての見解を出す。そしてそれは使節団に送られ、使節団での再度の協議を経た後でアメリカ側に回答として提示される。
 必然的に無駄ともいえる時間が発生するのは当たり前だった。電信通話料金が嵩むが、元からアメリカ側は日本が受け入れられるようなものではない要求を提示し続けているし、日本側としても今アメリカと事を構えるのは避けたいからこそこのような構えを取る。双方の思惑が合致していなければこのような事態は起こらない。合致していなければ、アメリカ側は勿論抗議するだろうし、日本側としては使節団が子供のお使いと同義に見られることとなり、これもまた恥を曝す。
 アメリカ側としては、現在進めている不況対策・対日独戦の為の軍備拡充計画を出来うる限り参戦前に済ませておきたかったし、日本としても前々回まで見てきたとおり、軍備拡充の計画は様々な都合上遅れていた。つまり、双方の国家はどう見ても両国が戦争に突入するという基本認識のもとに、交渉という名の皮を被って益の無い論議に時間を費やしている、というわけだ。なんと言う喜劇的なことだろう。
 問題は、双方共に相手側がそう思っていること―――つまり、どう転んでも戦争を行うつもり―――であることを認識していなかった事だろう。アメリカ側は日本をどのようにしても暴発させ、それを契機に世界大戦に突入するつもりだった。
 日本側は(戦本を除けば)やるならばそれに越した事は無いが、交渉で妥結できるならば折り合おうと思っていた。
 その必然として交渉は長引くこととなった。双方の国家の議会でも、交渉の担当者(日本側は野村吉三郎、アメリカ側はコーデル・ハル国務長官)は何をやっているのだという声があがるほどだった。アメリカ側においてはその声は共和党で強く、日本側では各政党(今の内閣―――第三次近衛文麿内閣は挙国一致内閣のため、全政党となる)で声が強かった。
 この状況は戦本が予測したとおりでもあった。この状況が長引けば、アメリカにおいては共和党の支持が大きくなる。生まれついての民主党員でもない限り、つまり、浮動票が共和党に流れ、ルーズヴェルトの後継大統領が対日宥和(というよりも孤立主義)の共和党から出やすくなる。一方、日本においては明治憲法下の内閣というものの脆弱性が露になる。言い換えれば、この状況は明治憲法が規定する内閣、それが持つ権力基盤の脆弱性を露呈させる。それゆえに憲法改正―――改良へとつなげやすくなる効果を見込める。
 この点で、無能極まりない近衛文麿という人物は適任だった――――そういえるだろう。

 会議が今日も最初の議題でつまってからおよそ4時間、アメリカ側の代表が口を開いた。畳み掛けるような早口だ。日本側の通訳が困り果てている。
「我々としてはド=ゴール将軍の自由フランス亡命政府こそ、正統のフランス政府だと認識している」
 アメリカ側の代表は言った。交渉の今までの推移からすれば当然とも言える、強気な発言だった。
「しかし、現段階を見る限り、どの海外植民地においても、ヴィシー・フランス政府を正当だと認識しているようですな」
 日本側の代表の1人が言った。こちらも強気だった。ここで退けば、日本と深く関わるフランス利権―――ヴェトナムの問題で譲歩を迫られる。それは、既に日本政府が内々に旧ヴェトナム王国王室に対して約した独立に関する規約に抵触するからだ。
「それは現段階において、だ。少なくとも来年、1942年までには、各国共に認識を改めるだろうとこちら側では判断している」
「まだ1942年ではない。1941年だ。それも、あなた方の判断でそうなっているだけの話ではありませんか。未だ来てもいない未来よりも、今この時を見詰めた現実的な話をしませんか」
 遣り取りの応酬だ。今までの憤懣が両国の代表にたまっているのか、段々と会議は険悪な方向に流れようとしている。
 そんな中、アメリカ側の1人が口を開いた。
「議論は何時までも、全く持っての平行線をたどるばかり。埒があきませんな」
 コーデル・ハル国務長官だった。
「率直に行きましょう」
 そう前置きをする。椅子に座りなおし、疲れ果てた、とでも言うように顔を撫でた。
「日本全権団の皆さんに改めてお聞きしたい」
 ハルは言った。
「あなた方はド=ゴール将軍の何処が気に入らんのですか?」
「ほぅ、奇遇ですな。私も聞きたいのですよ、国務長官」
 溜息を吐きながら野村大使が言った。
「あなた方は、ド=ゴール将軍の何処がフランスの正統を意味していると認識しているのですか?」
 いつものやりあいだった。このような問答に答えなど出ない。価値観の相違、というよりは両国の現状認識と、両国が置かれた国際政治的立場の相違だった。
 アメリカとしては自国の政策、その都合上、ド=ゴールを正統と認めた方がやりやすく、且つ後々都合が良い。大戦に参戦すれば、イギリスと共同歩調を取り、ド=ゴール・フランスを援助する意味で欧州大陸への介入の口実が出来る。
 日本としてはド=ゴールを認めればヴェトナムだけではなく、同盟国ドイツへの信義に悖る。国際関係が所謂私法関係とほぼ同義である以上、相互信頼に基づいた行動が国際社会では至上命題となる。それを裏切れば、待っているのは外交的破綻の文字だけだ。また、ヴィシー・フランスからヴェトナム独立の内諾を取りつけた以上、否定することは外交的に不利な立場へと追い込まれる。ヴェトナムの独立を認めなければ、石原莞爾の唱える東亜連盟構想の下、日本との講和を取り付けた中華民国への政治的な失点ともなるだろう。
 またぞろ先ほどの遣り合いが復活しようとした時、何処からとも無く大きな溜息が漏れた。
「……折衷案で申し訳ないのだが」
 ハルは言った。アメリカ側が遂に折れた。
「この問題に関しては、この協議のあとの方へ持ち越しましょう。その方が他の議題についての議論も進むでしょう」
 つまるところ、問題の棚上げだった。
「その点に関しては協議の必要があると思います。この協議をあとの方へ持ち越すことは、この後に予定されている議題に影響があるかも知れません。日本側としては、この協議を後に持ち込むことを前提とした協議内容の変更を申し出たい。そして勿論、それに関しては本国の―――陛下への帷幄上奏の結果としての了承を取り付けねばなりません。そうする事を、我が国の憲法は規定しています。あなた方に合衆国憲章があるように、我々にも大日本帝國憲法があるもので。この点をご了解いただきたい」
 野村は答えた。
 ハルは苦々しげに頷いた。狸め、と思っている。彼には野村が如何してこのような口調で話すか理解できた。ここでこじれれば、全てがこじれるとわかっているからだ。たとえ最終的に日本がとても飲めないような案を突きつけるとしても、其処に至る過程が全く不自然であってはならない。合衆国側から会談をあからさまに破壊する事は許されない。そうであれば後々面倒な事になる。
「良いでしょう。それに関してはまた後日という事で、今日の協議はこれまでとしたい」
 ハルは言った。疲れきった表情だった。
「その点に関しては全く同意します。国務長官」
 野村は言った。疲れきった表情を演じていた。



 一九四一年 十月五日
 日本帝國 鹿児島県 鹿児島湾
 第一機動艦隊 旗艦『翔鶴』


 第一機動艦隊は年次特別演習(年次規定に無い特別の演習)をここ、鹿児島湾で行っていた。演習目的は浅深度港湾在伯艦艇への航空強襲攻撃ということになっている。
 第一機動艦隊は今年三月に編制が終了した艦隊で、第一から第三までの航空戦隊、つまり空母6隻からなる航空機動艦隊だ。第一航空戦隊に『翔鶴』『瑞鶴』、第二航空戦隊に『鳳凰』『鳳雛』、第三航空戦隊に『大鳳』『炎鳳』が配備されている。これに昭和14年度の補正予算で建造された秋月級第一シリーズ8隻、白露型駆逐艦10隻が編制としての第一機動艦隊となる。現在はこれに加え、連合艦隊から第十七戦隊(最上級航空巡洋艦4隻)が増派されている。第二、第三航空戦隊に配備されている空母『鳳凰』以下4隻はアングルト・デッキ装備の新鋭空母だった。
 その旗艦、『翔鶴』の艦橋で艦隊司令の小沢治三郎中将は鹿児島湾に設置された標的に向かっての航空攻撃を行う、その設定で演習を行っている。尚、旗艦が最も旧式な『翔鶴』に設置されたのは、乗員の完熟の度合いから判断されたものだった。とはいえ、設備に不備は無い。『翔鶴』級は改装の結果、電気系統が一新されている。電装に関しては『鳳凰』級と何ら変る所はない。
「いい具合だ」
 鹿児島湾に展開している演習統裁担当からの報告を聞き終えた小沢は言った。
「この具合なら、やれるな」
 自信を持って言う。
「まぁ、流石に三度目ですし。これ以上問題が出るようなら、国防省から文句がつけられますよ」
 航空甲参謀の源田実大佐は言った。源田サーカスと呼ばれた零戦装備航空隊司令からの転任だった。
「しかし、戦本の力はすごい」
 源田は感嘆するように言った。いや、実際感嘆しているのだろう。
「艦戦で560というのもそうですが、艦爆や艦攻ですら同じ速度を出せるなんて、考えもしませんでした」
 小沢は頷いた。
「山本閣下は特に艦爆、艦攻の脆弱性を悩んでおられたからな」
 この場合の山本とは五十六をさす。言葉を続けた。
「艦爆、艦攻が零戦と同じだけの……いや、それ以上のものであるからには、かなりやりやすくなったろう。流石に、これを見るとあの九六式艦爆や九七式艦攻でやりたくはなくなってくる」
 小沢の言葉に源田は頷いた。
「こちらもです。戦本には鼻っ柱を折られてばっかりですから。何しろ、私の退任の際には空軍の鍾馗との空戦で撃墜判定の文字ばかりが躍っているんですから」
 源田は苦笑しつつ言った。源田はあの零戦と鍾馗の空戦を最後にこの第一機動艦隊司令部に転任している。勿論、これは源田という鼻っ柱の強い人物が海軍全体に悪い影響を与えるのではないかと危惧した戦本が仕組んだことでもあった。何しろ、源田といえば爆撃機優位の時代には戦闘機無用論を唱えるし、零戦が登場した際にはこれ以上の戦闘機は存在しないと、格闘戦闘機の絶対優位を説いたのだ。幾ら航空作戦立案に長けているからといって、ここまであくの強い人材を戦本が問題視しない訳も無い。
「まぁ、そのための戦本だからな。実際、馬渕閣下に司令職に補任された際には俺も少し強張った」
 小沢は言った。
「まぁ、何しろ人事ががらりと変わりましたからねぇ。納得できる人事ですが、今までの年功序列とは違うので……主計科やらなにやらが蜂の巣をつついたような騒ぎでしたよ、戦本が出来たばかりの時は」
 源田は言った。彼もかつて、戦本の指導によって航空部隊育成の一責任者に補任されている。海軍のそれまでの人事常識だった年功序列・ハンモック・ナンバー制度を全て無視した人事によって。
「そして、戦力がすごい」
 源田は続けた。
「第一機動艦隊に存在する航空機は、艦載機だけでおよそ600以上、最上級などに搭載されている水上機も含めれば700を越えます。これだけの航空戦力があれば、何処と戦っても負けはしませんよ。ええ、何せ艦載機は世界最強、空母も全てここ十年以内の新造艦なんですから」
「気をつけたほうが良いぞ、航空参謀」
 黙って会話を聞いていた草鹿龍之介少将が言った。
「またぞろ睨まれる」
 司令部内が笑いに包まれた。この日、年次特別演習は港湾在伯艦艇の80%以上を撃沈破したとの結果を持って終わる。日本海軍の状況は、整いつつあった。

 一九四一年 十一月九日
 日本帝國 市ヶ谷 戦本
 第二会議室

「では、これより海軍軍令部、連合艦隊司令部、我が戦本から提出された作戦の検討会議を行いたいと思います」
 司会の役を担う海軍の草鹿任一少将の言葉と共に会議は始まった。場所は戦本の第二会議室。陸軍、海軍、空軍、そして戦本の各代表が参集している(陸軍と空軍の参加者がいる理由は後述)。
「まずは海軍軍令部案から」
 草鹿少将は海軍軍令部からの代表に目を向けた。代表が立ち上がる。
「軍令部代表の嶋田であります」
 嶋田繁太郎海軍大将だった。現在は米内光正海軍大将の国防大臣就任に伴い、海軍軍令部総長となっている。このあたり、まだまだ年功序列、ハンモック・ナンバーの呪縛から日本海軍は解き放たれていない。戦本も、能力が問われる実戦部隊の指揮官人事はともかくとしても、官僚組織である国防省、戦本指導下という、それまでに無い弱い立場におかれている軍令部などの人事に、平時から強く出るわけにも行かなかった。
「軍令部としてはマリアナ諸島域における迎撃作戦を取りたいと考えております。これは、帝國軍の初期作戦目標が東南アジア戦域の完全制圧を目指しているからであります」
 昔ながらの漸減邀撃作戦かよ、という呟きが連合艦隊の代表から漏れる。馬渕も原則的にその呟きには同意するが、組織的に手を加えられつつある軍令部がそのような判断を取った状況も頷けるものを感じている。
「我が日本帝國には、二正面作戦を執り行う戦力が存在しえない。軍令部はこの認識に基づいてこの作戦案を押します」
 嶋田は苦々しげに言った。おそらく、個人的に漸減邀撃作戦に同意していても、このような文章は読みたくも無いのだろう。しかし、島田も海軍という官僚組織の官僚、その1人である。であるからには、読みたくも無い文章を読まなくてはならない。実際、『戦力の不足云々』といった、このような結論に至っただけでも軍令部の現状認識の確かさが伺える。野放図に戦線を拡大してはならない。当たり前とも言える認識だが、それがあるからだ。
「特に、東南アジア作戦域に対する攻撃が豪州北西部、セイロンに対する攻撃もかねている。このような状況下、連合艦隊側から提出された作戦案は原則的に不可能であると判断しました」
 陸軍、空軍の将官たちも考え込んでいる。確かにそのように思える節があることは確かだった。
「連合艦隊側は」
 馬渕は口を開いた。対案という事になっている連合艦隊側の案を出さねばならない。
「は」
 立ち上がったのは連合艦隊司令長官、山本五十六海軍大将だった。
「連合艦隊としては開戦劈頭、敵の重要な根拠地であるハワイ、真珠湾への攻撃を模索しておりました。それに関しては本会議前からも戦本の方に作戦に関する基本計画を提出しあり、本会議開催にあたりまして各員に配られたので各位ご存知だと思います」
 出席者からの頷き、続けろという雰囲気。
「連合艦隊としては現在戦本が進めている各種戦力強化計画の概要を検討した結果、これを更に進めるべきだと判断しました。確かに、我々に二正面作戦を行う戦力が無い、とする軍令部の判断は、われわれ連合艦隊にとっても頷けるものであります」
 軍令部から出ている嶋田が面妖な、という表情になった。
「総合的な検討の結果、我々連合艦隊は開戦劈頭、ハワイを占領する事をここに具申いたします」
 会議室がざわついた。ハワイ占領?開戦直後に?莫迦な、そんなことが出来るはずが……
「連合艦隊では」
 騒ぎを沈めるかのように山本は続けた。
「開戦劈頭、ハワイの米海軍太平洋艦隊主力を撃滅し、ハワイを占領すれば、以後、セイロン侵攻以後まで太平洋における作戦行動は最小限度のものになるのではないか、と試算しました」
 連合艦隊の参謀たちが出席者に冊子を配布してゆく。赤文字で秘と朱書されたそれは、閲覧後の回収を示している。
「米海軍の太平洋における根拠地はサンディエゴ、サンフランシスコ、ロスアンジェルス、そしてハワイの4箇所です。このうちハワイ以外の3箇所はアメリカ大陸の西海岸です。つまり、ハワイが突出したようになっているのであります」
「そんなことは言われなくともわかっている」
 嶋田が口を挟んだ。山本は無視する。
「ハワイを占領してしまえば、あとはミッドウェイ、ウェークを占領し、ハワイへの海上交通線を開通させるだけでアメリカは太平洋を失うのです。勿論、この2箇所への攻撃・占領も開戦劈頭に行います」
「それに必要とされる戦力はどんなものだと連合艦隊では試算した?」
 馬渕が口を挟んだ。
「第一、第二機動艦隊、そして第一艦隊と連合艦隊直率部隊です。陸上兵力は連合陸戦師団。ハワイ占領後の部隊展開は陸軍と空軍にお願いし、連合陸戦師団は分割の後、ミッドウェイ、ウェーク占領に転用します。ハワイを占領し、これを早急に要塞化。陸軍と空軍、さらに艦隊戦力を常備させ、アメリカの海軍戦力をアメリカ西海岸、もしくは南太平洋ルートを使用した豪州へのルートに封じ込めます」
「東南アジア戦域の方はどうする」
 更に嶋田が口を挟む。
「東南アジアは空陸戦が主体となる、そのように認識しております」
 山本は言った。
「考えられるのは英東洋艦隊のシンガポールへの前進ですが、これに関しては第二艦隊とタイ王室海軍の連合部隊で可能だと判断しました。更に、空軍、陸軍もこの方面に主力を展開する予定となっているはずです。であるならば、英東洋艦隊は存在としては無視する訳には行きませんが、総合的に見た場合、早期に撤退するものと判断されます」
 会議室が静まる。誰もが山本の提示した作戦案に飲まれ始めている。
「ポート・ダーウィンの豪州艦隊とスラバヤのオランダ艦隊は」
 軍令部の参謀が口を挟んだ。
「両艦隊とも巡洋艦以下の艦艇によって編制されています。ならば、航空機、つまり空軍で可能だと判断できます。戦艦は沈まずとも、巡洋艦、駆逐艦は撃沈可能です。更に、これは英東洋艦隊にも言えることです。戦艦以外の戦力が払拭すれば、潜水艦の脅威もあります。撤退するでしょう」
「タイの参戦云々は軍人が議論する内容ではない。不確かなものを戦力として数え上げる訳にはいかん」
 二十一だった。
「その場合、臨時に本土防空の任務についている空軍部隊にも、戦力の供出をお願いいたします。並びに、海上護衛総隊からも」
 海上護衛総隊は戦本管轄下であるから、連合艦隊司令長官は海上護衛総隊の戦力を運用するために、戦本本部長の裁可を必要とする。
「魅力的な案であることは認める……が」
 馬渕は言った。軍令部側は何を、という表情で見つめている。しかし、続く馬渕の言葉に安堵した。
「果たして実現可能なのかね?」
「米海軍は」
 山本は言った。
「おそらく今年中にサンディエゴを基地としている太平洋艦隊をハワイ、真珠湾まで前進させるでしょう。これについては戦本からの情報でも明らかであります。もし、東南アジア作戦域の行動に全てをかけ、太平洋作戦域の行動をおろそかにすれば、おそらく米海軍は我々の襲撃を受けにくいルート……ハワイ、豪州沿岸、アラフラ海というルートを使っての東南アジア作戦域への援軍を送り、並びにマーシャル・マリアナ諸島への攻撃をもって我々に対抗するはずです。これでは、我々はジリ貧に追い込まれるしかありません」
「しかしだ」
 嶋田が口を挟んだ。
「豪州がそれを許すか?それに、彼らの作戦はマーシャル諸島への侵攻を第一に考えたものとなっているではないか」
「嶋田大将」
 山本は言った。
「もはや漸減邀撃は古いのです。彼らがマーシャルへ来る時は、我々に対する充分な防護策を取っているという認識を前提としなければなりません。それでは、例え勝てたにしろ、我々の戦力は次第に払拭します。それはそれで良いかもしれない。だが、それでアメリカが戦争を止めるという事態が本当に起こりうるのですか?アメリカの巨大な生産力は、マーシャルへ四、五回艦隊を送り、そして全滅されても、それを補うほどのものです。軍令部の作戦案は最初の一撃を殲滅するという認識で立案されています。それでは、二度目、三度目の攻撃にはどのように対処するのですか?」
「それは決まっている」
 嶋田は言った。
「投入可能な全戦力を投入して防ぐのだ」
「嶋田大将。その戦力を捻出するのは何処だと思っている」
 口を挟んだのは馬渕だった。
「軍令部の試案は結構だ。日本のおかれた状況を良く理解している。しかし一方で確かに、東南アジア作戦域で行動中、ハワイ占領を同時に行うというのは賭博もいいところのものだ。かといって漸減邀撃もどうかと思うが」
「勿論戦本も戦力を投入するのでしょう!?勝てぬはずがありません!」
 嶋田が叫ぶ。馬渕が顔をしかめるが、後を引き継いだのは山本(二十一)だった。
「莫迦か、貴様」
 直截に過ぎる表現だった。馬渕が顔の歪みを更に大きくし、煙草のパッケージに手を伸ばす。
「軍令部の基本案はわかる。その点では馬渕大将と私は見解が同じだと思う。だが、な」
 二十一は犬歯をむき出した。ここにいる全員が、この男が北海で英本国艦隊を打ち破ったのを知っている。それも、劣勢極まりないドイツ艦隊で。
「我々に湯水のような艦艇があるわけではない。貴様の趣味に従って、何故我々がマーシャルで水漬く屍を積み重ねねばならんのだ」
「山本閣下!」
 嶋田が叫ぶ。
「くどい」
 二十一は言った。
「軍令部の基本案、並びに連合艦隊から具申のあった真珠湾攻撃に関しては戦本で審議の後、来年早々に図上演習などの検討を必要とすると考える。馬渕大将、如何かな?」
 煙草を吸っていた馬渕は口を開いた。紫煙がたなびく。
「今回の議題は連合艦隊の作戦案、並びに軍令部の作戦案の比較検討が主題だった。しかし、連合艦隊から新たなる作戦案が提示された現在の状況を考えると、各関係者がそれぞれ検討を必要とすると私は考える。この点で私は山本元帥の認識と合致していると考えてもらってよい。であるならば、今元帥が言ったことは妥当以外のなにものでもない。関係者は各自、案を検討し、次回の検討会において更なる意見交換を行いたいと思う。勿論会議に至る過程で様々な状況の変化があれば、それに応じた対応を我々は取らなくてはならない。以上だ」
 会議はそれで閉幕となった。


 
 昭和一六年度海軍軍備整備計画―――通称、『16号計画』

 海軍軍備整備計画―――戦本が作成した軍備増強計画―――は昭和十六年12月1日を持って帝国議会を通過、国債を使用することで捻出された特別予算確保の道筋が整った事を受け、予算承認を受けた。 戦本がこの計画を開戦直前(戦本はそう認識している)に発動させたのは、この計画が実際動き出すのが戦争中のことだからだ。戦争中に作成された軍備拡張計画は予算承認が議会を通りやすいため、どうしても日本の現状からすると戦艦だの空母だのといった『見目麗しい』項目に行かざるを得ないと判断された(とはいっても平時だろうと戦時だろうと、日本人が好むのは戦艦と空母であって護衛駆逐艦ではないような気もするが)。ともかく、戦本はこの計画に従って補助戦力の戦争中の維持を図るつもりでいた。実際、この計画において主力艦は空母のみの建造が計られている。
 まず最初に増産の対象となるのは専用対潜護衛空母『大坂』級だった。既に8隻の建造が予定されているが、計画では三十二隻、戦局によっては四十八隻の大量建造があがっている。更に高速輸送艦・練習兼護衛船団旗艦用巡洋艦として『占守』級特務巡洋艦6隻の建造も内定された。これは海軍兵学校の教練要諦(つまりカリキュラム)変更に伴うもので、これまで海上護衛総隊は予備役将校に全てを任せるという1932年の方針(戦本による)を捨てたものだ。戦本がこの方針を捨てたのは、元々この方針が当時まだ海軍省、軍令部、連合艦隊に根強く残っていた艦隊決戦主義者の横槍をかわす為だ。戦本が指導力を充分に発揮できるようになった現在、この方針は無用のものとなった、そういうことだった。
 実際、海上護衛総隊は戦本指導下、30年代から護衛艦艇(海防艦『一号』型)の増産に力を入れていた。ロンドン条約では排水量2000t、速力20kt、15.5cm砲四門以下の艦艇は無制限に製造する事を認めている。このため、この制限をクリアしている『一号』型は既に百八十隻以上が竣工し、六〇隻近くが建造中である。戦本はこの制限を生かし、護衛艦艇の増産に勤めてきていたのだった。結果、あとはこれら護衛艦艇を指揮する旗艦配置につく艦艇、護衛船団に航空機の傘を提供する護衛空母の建造のみですむという事になっている。尚、勿論の事だが平時からこのように多数の艦艇に必要とされる人員を確保する事は無理である。故に、これら艦艇はモスボール状態で国防省管轄下の宮古湾艦艇保管所に保管されている。
 日本帝国が戦争へと進みつつある中、この報告を受けた山本と馬渕はほっと胸をなでおろしていた。


 一九四一年 十一月九日 夜半
 日本帝國 市ヶ谷 戦本
 戦本本部長執務室


「まさか、連合艦隊があれほど先走った案を出してくるとはな」
 戦本本部長執務室のソファに寄りかかった山本は煙草を口にくわえながら言った。火はつけない。
「実際の所、戦力を強化しすぎた嫌いがある」
 馬渕は言った。
「現状の日本軍の戦力は、潜水艦戦力を別にすれば太平洋艦隊を圧倒している。おそらく、彼らの案で作戦を行っても作戦上の問題は起こらんだろう」
 山本は頷いた。同時に馬渕が口にしなかった部分も推察する。作戦と兵站は別問題だが。
「米豪遮断作戦とはいっても、現実問題潜水艦が足らん。旧式は全て売り払ったからな。米海軍の戦力を大西洋に拘置する必要があったからだが、奈何せん他に手をとられすぎている」
「タイの申し出に最も難色を示したのはお前だものな」
 山本は言った。対面上難色を示す事は出来ないが、潜水艦戦力が手元にない今、下手に動きを見せる―――それこそ、開戦などもっての他だ―――事はできない。
「計画はどうなっているのだ?」
 山本は言った。
「現状で幾らかの戦力は手元にあるが、太平洋の広さを考えると十分とはいかん。豪州を脱落させるためにはサモア=フィジー・ルートにそれなりの数を手配らねばならんからな。今の戦力では遮断が精一杯だ」
「確かに」
 山本は頷いた。視線は書類に向けられている。現状の日本潜水艦隊戦力は前線展開戦力が合計で実働36隻。全て新型の伊201型と呂300型からなっているが、大部分が完熟訓練中だ。建造は現在、釜山、大連、旅順で進められているが(現在、この三港には中型船渠が据えつけられている)、実働可能なだけの戦力をそろえるにはまだまだ時間がかかる。実際問題、戦本が対米協議を遅らせているのは、資源供給保護のための戦力強化を進めるために、相手国の資源・兵力供給遮断のための兵力の整備を遅らせていたという事がある。
「最低でも伊号が30は欲しい。それだけあれば米豪遮断が可能になる。勿論、ハワイ近辺の哨戒も兼ねて、だ」
「インド洋にも欲しいな。セイロン上陸は予定に組まれているのだろう?陥落後なら、ほら、予定に組まれているドイツ海軍モンスーン戦隊に期待が出来るが」
 馬渕は頷いた。
「シンガポールを陥落させた後、可及的速やかに着手する。後背を突かれるだけの余裕はない。その点を言えば、ハワイ占領はそれだけの時間を稼ぎ出す手段になる。それに、モンスーン戦隊とはいっても、ドイツとの交渉次第だ」
 馬渕は頭を振った。問題はそれだけではないのだ。欧州の状況が深く絡む。欧州でもし、海軍戦力の要求が小さくなるような――――駆逐艦に可能な護衛作戦ではない――――事態が起これば、ハワイ海戦に引き続いて戦力が中部太平洋に拘束されるかもしれないからだ。大西洋の戦力が早期に太平洋に移動するなど悪夢に近い。エセックス級はいくらかドイツで受け持ってもらわねば。
「早急に欧州の情勢を踏まえた日独連絡会議を行う必要がある。まぁ、元々予定が組まれていたが、重要度は更に増した」
 馬渕は言った。あまりありがたくない事態だと認識している。特に、ドイツ側に存在しているであろう『未来既知者』の存在がネックだ。既に目星はついており、その人物が未だ独ソ開戦せずの状況下、おそらくこれが最後となるであろう直接軍事交渉でこちらにくる事も察していたが、味方であると決まった訳ではないからだ。
「明後日からか?今日の朝、浦塩を発ったと言う連絡はもらったが」
 山本が言った。馬渕は頷く。
「山本、人員を集めてくれるか。戦本、第一独立中心に。蒲生も呼ぶ」
「そこに連れ込むか」
「赤心をおして腹中になさしむ。通用するかどうかはわからないが」
 馬渕はそう言うと窓の外から市ヶ谷の景色を眺めた。既に紅葉が帝都を覆って久しい。
「冬は、嫌いだ」
 馬渕は言った。実際、今日の会議でも会議室には暖房が入っていた。彼らの『未来』での主任務が朝鮮半島・中国北東部警戒であったため、彼らにとって11月といえば雪が降っていてもおかしくない季節だ。そして雪は全ての軍事行動に深い影響を与えずには置かない。冬の日本海での空母機動部隊など、アジアの何処にも残っていないだろう対敵潜監視が主たる任務だ。そしてASWほど目に見えない戦闘は無い。タクティカルミサイルディフェンスなど、結果がモニターに表示されるだけマシだ。
「やるなら、夏が良い。その方が、やりやすいだろう。今の状況からすると」
 山本は頷き、仕事をするわ、と一言残し、この場を去った。苦労を味わった具合は、彼もまた同じだった。
2008年02月09日(土) 13:16:30 Modified by prussia




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