Ready to War6


 一九四一年 11月21日
 大日本帝國 東京 市ヶ谷
 戦本 本部長執務室


「御前会議の結果は」
 煙草をふかしながら冊子をめくっていた馬渕は入室した小沢少佐に顔を上げずに尋ねた。
「アメリカに対し、十一月二十六日をもって回答を提示。その回答に対する反応次第で開戦の是非を決定するという結果に決しました」
「他には」
 小沢は少し考えるように頬を掻き、言った。
「近衛総理が辞意を表明したいとの内意を。無論、このような時期では認められるわけもなく、少なくとも戦況が一定の落ち着きを見せた後、ということで先送りされましたが」
 馬渕は鼻を鳴らした。
「近衛の能力を考えれば考えられる事態だ。が、許されるはずもないな。戦争指導に関しては妙な横槍を入れられん事を祈るが。後継総理の人選に付いては」
「御前会議後のミーティングでは米内閣下に再び、という声があります。陸軍側には他に適当な方がいらっしゃらないようです」
「だろうな。東條では無理がある。永田閣下は離れられん。かといって宇垣閣下を出す訳にもいかん。石原などでは持っての他、というところか」
「はい。米内閣下の後継総理として永田閣下が最有力候補である、との枢密院の内意もあります」
 馬渕は眉を顰める。軍人総理、軍人総理。どうもこの国には政党政治は根付かんのでは無いかと邪推の一つもしたくなる結果だ。まぁ、いい。
「戦争はつまるところ外交。となれば外交官教育を一定の割合で受けている海軍の方がどうにかなる、か。東郷閣下は?」
「東郷外相は総理への意欲を示されませんでした」
 これだから。
「……ふん、まぁ、いいさ。で、軍への内示は?」
「十一月二十六日の回答次第では開戦もありうる状況であり、合衆国の提示からしてその可能性は濃厚と言わざるを得ない。柔軟な反応を期待すると」
「丸投げか」
 馬渕の刺すような言葉に困ったように小沢は言った。
「はぁ」
「ふん、近衛らしい。引き延ばしには最適だが、こうも決断を強いられる状況ではな。青々とした公家風情には荷が重いか。ああ、もっとも武家も大して変わらんがな。華族制は完全な失敗だったな。元々猿真似に過ぎん制度であるわけであるし」
「閣下、しかし醍醐閣下などは……」
「特例を敷延して語るわけにもいかん。貴族院に関して言えば、むしろ勅選議員の方に私は光明を感じている。ああ、勿論非公式見解、所謂愚痴という奴だ。他言無用に願いたいね」
「はっ」
「第一機動艦隊と第一艦隊の現在位置は」
「現在、北海道釧路沖を北上中。明日には択捉に到着します」
「択捉の状況は?」
「単冠湾には現在海上護衛総隊所属の第二護衛群が既に。タンカー四隻に重油を満載して待機しております」
「閣下」
 新たに入室する将校の影。本部長付き将校、瀬島少佐だった。
「作戦会議の準備が整いました。連合艦隊参謀長以下、参加者一堂既に会しております」
「了解した。五分で向かう」
「しかし、昨日作成したあの案では……」
 瀬島は懸念の表情を隠せない。無理もない。海軍の奴に言わせても、原案となった連合艦隊試案はかなり厳しい内容だ。
「博打には等しいな。真珠湾に三個艦隊、支援部隊あわせれば総計百五十隻を超える部隊を差し向ける。まぁ、根拠地の即時占拠という課題からすれば戦力的にはまだ不足しているが」
「同時に不安もあります。百五十隻もの艦隊を無寄港で直接投入など、前例がありません」
「前例に頼るのであれば日本の敗戦は戦争をやる前から判っていることになる。漸減邀撃は使い物になる作戦ではない。それはあの軍令部さえ認めたことだ」
「はっ……」
 馬渕は瞼を揉むと冊子を机に置く。続いていった。
「近衛軍の状況は?」
「既に陸上部隊は移動を開始しております。航空部隊は現在、富士駐屯地に集結中であります」
「会議が終わり次第向かう。まずは富士で訓示。後、陸上部隊には福岡で。作戦の開始時期は月末で調整が付きそうか」
「とりあえず、国鉄のダイヤが少し乱れる程度で何とかなりました。国鉄には多大な負担をかける事になりましたが」
 これには小沢が答えた。実際、国鉄との折衝を指揮したのは彼だ。
「独自採算で全国の軌条交換をやらなかった事の代償と受け取って欲しいね。関門、青函両海峡の防備はこれまでにも増して固めねばならん。まったく、半年と二ヶ月早くなるだけでこれだけの混乱がくるとはな」
「確かに」
「閣下、書類纏りました」
「判った。よし、行くぞ」
「はっ」


 馬渕の入室と共に居並ぶ将校連が一斉に敬礼を行う。
「本部長閣下に敬礼!」
 馬渕は手を振りながら席につくといった。
「これより会議における敬礼は省略する。今は一秒でも時間が惜しい」
「了解いたしました」
 少将の階級章をつけた海軍軍人が立ち上がり口を開く。
「連合艦隊参謀長、桑原少将であります。前任者宇垣少将は昨日の辞令を受け、現在、択捉で待機中であります」
「了解した。宇垣少将には第一戦隊司令官としての尽力を請う、とつたえてくれ」
「はっ」
 馬渕はうなづくと列席者を見回す。
「さて、諸君。今回の会合は戦争の開戦が叫ばれる中、出師準備発令に伴い、即戦計画案討議中の事態に伴い、全般的行動を先般連合艦隊から提出された試案通りに展開させている現状を鑑み、細部の討議を行うためのものである」
 手振りで配布されている冊子を開くように命じ、言葉を続けた。
「既に物資及び戦力の事前集積は開始されているが、試案をそのまま作戦に適用するには詳細の検討及び、その作戦の成否後の事態変動に関する対応手順の確認等の作業が必要となるであろう事は疑いが無い。また、連合艦隊司令部より提出のあった試案は細部の見当もほとんどすみ、単体の作戦としては完成している。今日の会議では特にその戦略面における影響、及び、作戦実行面での戦力的な不備の有無。そして迅速なる目標達成に資する内容としたい。よって、この作戦に関する内容についてはこの会議で即決し、もって対米第一段作戦の作戦骨子としたい。以上、宜しいか?」
 同意の頷き。
「宜しい。それでは、現在試案どおり、投入が予定されている第一機動及び艦隊は択捉に向けて航行中である、かつまた、作戦に伴い必要とされる陸上戦力の輸送も始まっている。問題は、これら戦力で本当に敵根拠地の占領をなせるか、という点にあることは各位ご承知であろう。よって、自由な発言を許し、細部まで詳細に検討課題としたい。各員に置かれては智恵を絞って欲しい。以上だ」
 まず最初に左側の席についていた将校が立ち上がった。
「軍令部第一課参謀、武長であります。試案で投入を予定されている正面戦力の第一艦隊、及び第一機動艦隊については作戦が奇襲を前提としたものであるため、戦力的な不備は否めません。これに関しては何らかの増強を必要とすると愚考いたします」
「実際に付いての懸念は?」
「はい。既に戦本側においてはハワイ強襲作戦において、海上での補給用に一個護衛群、諸島占領用に一個護衛群を確保している事は事前説明で了解いたしました。しかし、ハワイ方面の戦力、及び予備戦力を考えた場合、少なくとももう一個機動部隊が必要と考えます」
 内心で想う。なるほど、山本の艦隊は無いものと考えていると。まぁ、戦力詳細を渡していないからそう判断するのも無理は無いが、かなり思い切りが良いな。続いて海軍第3種軍装姿の将校が立ち上がった。この場にいる第二種軍装の中では良くも悪くも目立ってしまう。しかし、それには理由がある。
「海兵第一師団参謀長、田中であります。強襲作戦に投入を予定されている約二個師団、及び強襲特殊部隊の輸送と展開に大きな不安を感じます。輸送を可能としても、地球を六分の一周する行程の後に行われる上陸作戦に付いては、特にその護衛と上陸における部隊展開に不安が存在すると確信します。ハワイ諸島ついては事前情報で敵二個師団が展開し、かつまた大規模航空戦力の展開も考えられます。また堅固な要塞を保持し、更にホノルル市を始めとする市街地を持つために、この点が作戦の進行に多大な影響を与えると考えられます」
 海岸要塞は線を形成してこそ意味がある。が、局所的な不利を気にする、か。いや、連合艦隊の奴が言うならばともかく、海兵のいうことだ。やはり被害極限、という観点か。
「戦本兵站課、飯尾であります。現在作戦案に従い陸軍及び海兵陸上戦部隊の移動を開始しておりますが、先程軍令部の方と談義を行い検討したところ、集結、及び乗船、移動にかかる日数を考慮しますと、作戦開始時期と設定されている日時に択捉に集結できるかは問題と考えられます」
 作戦準備期間が1ヶ月もないのであれば仕方が無い。ここは飲んでもらうしかない、か。海上護衛総隊に燃料の優先供給、か。行程的にはかなりの無理を強いる……か。
「戦本諜報・防諜部、大磯であります。先程から達せられたる参謀方の意見も合わせて考えると、戦力のハワイ到達までの間に作戦が発覚する恐れもあります。また、開戦直後ではあるものの、大規模な兵力移動は開戦を決していると取られかねません。これを考えると、奇襲を前提としたこの作戦の根底は崩れます。また、奇襲を前提としないことでも作戦の実行は可能と考えますが―――これは心理的な要因にも端を発しますが―――奇襲に比し、作戦が難航する事は十分に考えられます」
 確かに。だが、どうせどちらもやる気だから開戦に関しては問題は無い。問題は彼らがその戦力が何処に向けられるものか、と認識する所にある。その点の欺瞞の必要アリ、というところか。
「陸軍工兵総監官房、妹尾であります。ハワイに構築されている敵要塞の強度及び位置を考えますと、これを撃破するためには艦砲をもってする他なく、これについては第一艦隊所属戦艦の残弾に不安を持ちます。太平洋艦隊に所属する諸戦艦との交戦後、これらを撃破するにたる砲弾を残しているか否かに付いては一考の余地ありと考えます」
「戦本技術研究部も同意いたします。現在第一機動艦隊搭載の艦爆彗星、及び艦攻天山に搭載可能な爆弾の内、それら要塞設備に対し有効な攻撃力をもつと考えられるのは天山に搭載可能な800Kg徹甲爆弾であると考えられます。彗星の基本装備である500Kg対艦爆弾では要塞の天蓋を貫通するにたる貫徹力を持たせられるかに付いては不足が生ずるのではないかと考えられます。以下、妹尾少佐の見解に準じます」
 確かに。実際の戦場で投下された訳では無いからこの点は仕方が無い。
 意見は出尽くしたようだ。馬渕は周囲を見回す。
「他に意見はないか」
 頷く参謀連。馬渕は一息つくと口を開いた。
「整理しよう。懸案として提出されたのは戦力の不足、部隊の展開、上陸、日数の調整、作戦の発覚、敵要塞の撃破の四点。以上でよいか」
「はい」
 馬渕は小沢に頷く。小沢は冊子を開くように命じ、口を開く。
「陸上戦力の輸送に必要な船舶は既に確保を始めております。配る冊子の3頁を開けてください。予定、既出、及び既着分を併記してあるかと。勿論各船舶が輸送する部隊も、です。出航日時までに到着、または準備が完了しない分に関しては一船団遅らせる手配を行う予定であります。輸送量に問題あると感じられますか」
 その質問を契機に討議が始まろうとした矢先、制服組ではない背広姿の男が通された。名詞を示し、外務大臣の使いであると示す。
「失礼します。閣下、東郷外相から、民国政府との交渉に参加願うとの達しありました」
 蒋介石の性格を考えれば軍人の同席は当然か。しかし、大陸派遣軍の岡村さんでも……いや、蒋介石も知ってはいる、ということか。
「……すまん、抜けるしかないようだ。詳細は……そうだな。おい、海軍兵学校長の真田少将の辞令は出たか」
 馬渕は言った。真田忠通少将。これまでの経歴は海上護衛総隊第3護衛群司令、大湊鎮守府司令など、どちらかといえばぱっとしない経歴の持ち主だが、その経歴は彼の癖のありすぎる性格のせいだともっぱらの噂だった。馬渕は彼を引き抜き、いくらか仕事を任せるつもりでいた。
「確か今日付けで配属明示の辞令が達しているはずです」
 小沢が言った。
「よし。詳細は真田に任せる。いまは……呉か?」
「辞令は旧海軍省人事課公布のはずですので東京にいるかと」
「すぐに呼んでくれ。早速仕事をしてもらう。従兵!出立の準備だ。警備課に正門前にハイヤーを。勿論護衛付きで、だ。会議は真田少将の到着まで中断。各自は配布された冊子の検討を。それから、真田を呼ばせに行くやつにこの冊子を。移動時間中に読めるだろう。以上だ」
「了解しました」
 馬渕はそう言うと部屋を出る。開戦予定日まであと20日余り。それまでにやる事はまだ多く残っていた。


 1941年11月22日 早朝
 大日本帝國 東北地方上空
 二式飛行艇 艇内


 馬渕は亜庭に向かう飛行艇――来年度採用が決定し、二式飛行艇となる――の中から眼下に広がる北海道の原野を眺めていた。脳裏には昨日外務省から齎された合衆国へのハル・ノートに対する合衆国の返事が浮かんでいた。
「すると、ハル・ノートを飲まない限り帝國との交渉には応じないと」
「はい、本部長。残念でありますが、これで開戦は決したという事になります。明日御前会議が招集されますが、会議はおそらく開戦で決定するでしょう。対外・対内政策上、ハル・ノートを飲む事は帝國のこれまでの政策を覆す事になります。それによって生じる事態は看過できるもんではありません」
「飲んでもおそらく次が来るでしょう。彼らはなんとしても帝國に宣戦させ、大戦に参入するつもりですから。実際、この大戦はあの国がついた方が決定的に有利になります」
 東郷外相は頷いた。
「ところで……本当にこの交渉の内幕を合衆国のマスコミに流せ、と?」
「効果はないでしょう。すぐには。おそらく全く効果が無いとも考えられます。彼らの人種差別感は根強く、決定的でさえある。マスコミは結局の所喜んで戦争に協力するでしょうし、戦争は真実を全て隠します。もっとも、国家そのものが幻想によって成り立っているのですから、これは仕方ない所でしょうが」
「交渉の公表は帝國の宣戦と受け取られるでしょうな」
「ですね。宣戦の布告は公表の直後になります。いや、国務長官同席の記者会見の場でそれをなしても良い。どちらにせよ、来月上旬には開戦です。無論、戦争と決したからには外務省の交渉も我々戦本の指導下に入ってもらうことになります」
「それは承知しております」
「お願いいたします」
 回想を頭から振った馬渕は手に持った冊子を眺める。丸秘と朱書され、『星一号作戦』と書かれたそれに皮肉気な視線を送る。全くもって馬鹿馬鹿しい。いや、どんな時にも遊び心を忘れないという奴か?いや、どちらにせよ狂っている事に間違いはない。戦争をするのだから。
「閣下、あと三十分で亜庭につきます」
「了解した」
 頷いた馬渕は座席の固定帯の調子を確かめた。



 同日
 大日本帝國 樺太 亜庭湾
 近衛機動艦隊


 近衛機動艦隊。日本軍第四の軍として先ごろ独立した近衛教導軍所属の艦隊である。現在、馬渕・山本らと共にタイムスリップした山本誠海上自衛隊一佐―――現在は日本帝国海軍中将山本誠に率いられる艦隊である(二十一との区別という便宜上、山本誠中将については以下誠と表記する)。近衛教導軍はタイムスリップした自衛隊部隊を基幹として近衛師団、陸海空各種の実験部隊、開発機関及び陸海空諸軍の訓練担当部隊(教導の名前はここから来、そして波及した)を糾合したもので、現在陸軍大将となっている自衛隊陸上部隊の長であった沢本荘一大将(タイムスリップ時は陸上自衛隊一佐)に率いられている。近衛は陸海空各軍が天皇の委任をうけた戦本によって考課表、所属部隊長の推薦、戦本による調査の段階を経て、配属にたると判断された精鋭が、演習の相手役及び儀杖任務につくためのものである。軍を代表して国家の表舞台(特にそれは外交の面で重要である)に立ち、かつまた戦本が独自に運用できる部隊でもあるため、即応性が最重要の要件としてある。また、階級が各軍呼称のままなのは、近衛が将校育成機関をもつ、完全に独立した軍隊ではないためでもある。
 その総戦力は海上においては一個艦隊+実験部隊、陸上においては一個師団及び教導諸部隊、空中においては一個航空師団及び教導・実験飛行団からなる四万五千名程の部隊であった。現在、近衛機動艦隊は太平洋方面艦隊群司令官となった山本直属となっている。
「閣下、お待ちしておりました」
 飛行艇のタラップを降りた馬渕は誠の出迎えを受けた。後ろには見慣れた自衛艦隊の参謀連の姿もある。
「何年かぶりになる。こちらの寒さにはなれたか?」
 久方ぶりに見知った顔にあえた馬渕も思わず顔がほころんだ
「とりあえずは。北方の荒天は練度を落とさぬのに絶好の環境ではあります。乗組員も交代で小樽経由で札幌に刳り出せますので結構こちらの生活を楽しんでおります。もっとも、それでもこの雪にはうんざりさせられますが」
「難儀ばかりさせてすまん。だが、我々が目に付く訳にもいかんのでな」
「いえ、山本閣下がお待ちです」
 誠はそう言うと馬渕をようやく日本軍全軍に行き渡りつつある九四式無蓋車両に案内する。この車両は言ってしまえばジープで、基本的には四人の乗員、改造により指揮車両にもなる。兵士を乗せる後部座席はかなりの余裕を見ており、連装12.7mm機銃を搭載した簡単な対空車両にもなりうる。
 馬渕を乗せたそれは素早く発進すると司令部のある大泊郊外の施設に向かう。滞在が多年にわたる事を考え、大泊にはこうした施設が多い。
「よぅ、来たな」
「山本元帥閣下に敬礼」
 馬渕は型通り、元帥に対する敬礼を行う。
「やめろ、馬鹿。で、やるんだな?」
 山本は手を振ると馬渕にソファを勧める。馬渕はそれをやんわりと断ると山本の執務机に持って来た冊子を置く。
「冗談のような作戦名だな。ああ、勿論冗談ではないんだろうが」
「ああ。冗談ではない。内容自体はあまり史実の真珠湾と変わらん。航路もだ。しかし、戦力規模がかなり違う」
「うちを入れて三個艦隊。それに加えて補給部隊と上陸部隊。無茶な作戦だな。余裕を見る必要がある」
「出発日時に関してはそちらに一任する。今大戦においては連合艦隊による一元指揮はかなり無理がある。連合艦隊の司令部能力が足らんのだ」
「それでお前が出てくる。で、実際はどうなる?」
「調整はつけるつもりだが、中々呉に足を向けさせてくれん。とりあえず、お前の太平洋方面群は俺の直轄指揮下になる。連合艦隊は南だな。おそらく南方作戦が一段落したあたりで一元化されることになる」
「面倒だな。一元化できんのか?」
「史実の作戦は言うなれば我々にとってはミサイル飽和攻撃に近い。勿論、柱島にアレだけ戦艦を温存していてもだ。実際、柱島の戦艦を出せば連合艦隊の指揮統制能力では追いつかなかっただろう。別に出せなかった訳ではない。出した艦隊がどうなるかわからなかった、そういうことだろう。まぁ、漸減邀撃は一本槍ですむからな」
 山本は納得したように頷く。
「確かに。南方作戦と平行してインド洋作戦があるからな。あの程度の指揮能力では分割せざるを得んか。了解した。指揮下に入るのは小沢と藤田だな?」
「そうだ。海上護衛総隊からは第一護衛群がでる。予備役の成沢大将……ああ、昇進させた。陸軍連は中将が師団長だからな。この作戦においてはお前の指揮下に入る」
「……約束は出来ん。失敗する可能性も考えておけ」
「判っている。全く、山本五十六はよくもまぁこんな賭けを平然と行えたものだと感心するよ」
「それでも二年だ。耐えられたのは」
 山本の言葉に馬渕は顔を顰める。
「わかっている。二年が四年に延びれば御の字。現状の要約はこの言葉さ。少なくとも四十五年までは戦っていられる」
「中国は参戦せんのだな」
「ああ。共産党には同時に攻撃を仕掛ける。しかし、対米英戦には参戦させん。中国カードは切り札になりうる。参戦で共産党とアメリカを近づけるわけにもいかない」
「判った。まかせてもらう……ん?」
 山本はコツコツと机を叩きながら口を開いた。
「そういえば、連合艦隊の人事はどうなっている?」
「宇垣少将が第一戦隊司令官に転任。先任参謀の黒島は国軍大の教官にもどった。後任参謀長に関しては桑原少将。先任参謀は未定だ。おそらく、もどったあたりで決定しているだろう」
「……よくもまぁ好き嫌いの激しい山本が許したな」
「奴も自分が辞職する程度ではどうにもならんことを知った、というところか。実際、今奴が辞意を表明すれば、近衛と違って臆病者と揶揄される。もっとも、司令長官の交代は人事の大変換でもあるし、下手に動かせばアメリカに気取られる。後任人事の発令は作戦の終了後だな」
「しかし、連合艦隊司令部は解体するのだろう?」
「だから、誰もが嫌がる。幕引きに参加するなど、といってな。桑原少将はそれでも幕引きこそが重要な職務であるとの態度を示してくれた。しかし、参謀連でそれがいるかは不明さ」
「軍令部長は嶋田だったな」
「ああ。南方作戦終了と同時に変えるつもりだ。後任は悩む。それに、嶋田に職務転換を円滑に進められるとは思わん。おそらく、戦本から誰かを出す事になる」
「そうなると……大改編だな」
「仕方が無い。海軍の指揮統制能力、及び他軍との連携には問題をいまだ多く抱えている。中央がそれを処理するのは容易いが、前線で齟齬が生じてしまう。それを如何にかしたいと思っていたが、時間が無い。ハワイでは苦労する事になる」
「了解した。中央省部のことは任せる。前線での齟齬は元帥と言う階級を上手く使わせてもらうさ」
「攻撃は、アレが来てからだ」
「判っているさ。第1段階でニイタカヤマノボレ、第2段階でフジサンフンカ。全ては手順どおりに」
「了解した。出さずにすめばよいがな」
「それはこちらも、さ。受けたくない、実際」
 二人は皮肉気な笑いを交すと別れた。



 同日 夜半
 大日本帝國 東京 市ヶ谷
 戦本廊下


「どういうことですか!?」
 東京にもどった馬渕を待っていたのは開戦準備の前倒しと共に職務の大転換を強いられている軍令部の代表、嶋田繁太郎海軍大将―――軍令部総長だった。
「簡単な話だ、嶋田大将」
 早速噛み付いてきたか。馬渕は頭を掻く。何とか言いくるめなければならん。そして、こんな馬鹿を言いくるめるには少しばかり期待を示したほうが良い。人事掌握の基本。ふん、これでは軍隊の業務と言うより商社のそれではないか。いや、どちらも組織だから同じになるのか。いやはや。
 馬渕は何かを思い出すような雰囲気を纏わせて言った。
「陸軍及び空軍は軍令に関しては参謀本部総長の下に一元化しているのに対し、海軍だけ軍政及び軍令が国防大臣、及び海軍軍令部長と連合艦隊司令長官に三分割されている。権限を明確にし、指揮を容易にするための措置だ」
「しかし!明治以来、海軍の軍政は軍令部に、軍令は連合艦隊司令長官にというのは決定であります!」
「ならば、海軍は国防大臣の軍政に従えぬと?戦本の裏打ちする戦争指導計画に参賀出来ぬ、そういうのだな、嶋田大将。これは軍内部における統帥権の濫用と考えられるが」
「しかし!」
 馬渕は嶋田を冷たくねめつける。一瞬、嶋田の背筋が凍るのを確認するとあくまで慇懃に聞こえるように言葉を続けた。
「しかししか言えんのかね。元々、海軍省・軍令部・連合艦隊という三元指揮に問題があったのだ。日露戦争において連合艦隊が創設されたのは、海軍の総力を結集してロシア海軍に当たる必要があった。そのため、軍令部の下に各艦隊が位置するのではなく、連合艦隊という統合指揮機関が必要になった。つまり、軍令に関して軍令部を通す必要が無くなり、大本営の意思の現場における実行機関、つまり、軍令機関として連合艦隊は登場した」
 そこで嶋田の理解が追いつくように言葉を切る。
「しかし、本大戦で海軍の役割は太平洋における作戦のみならず、インド洋など他の大洋におけるそれを含むことになった。つまり、軍令指揮において、太平洋における海軍の行動と他の大洋における海軍の行動には密接な関係が必要である。その事は理解できるだろう」
 嶋田が頷くのを確認してから言葉を続ける。
「この見解に立ち、戦本は連合艦隊を三分割し、太平洋、西方洋、本土の三艦隊群に再編を行った。問題は、この三艦隊群に誰が軍令指揮を行うかという点だ。しかし、連合艦隊司令部にそれは出来ない。連合艦隊司令部は軍令を統括する、海軍における参謀本部の役割を求められつつも、軍令・軍政に関しては本来海軍省の担当する軍政部分に重きをおいてしまった軍令部との関係があるからだ。それに対し、連合艦隊は軍令部分に重きを置いた。軍政が国防省によって一元化されたのであれば、軍令部の軍政に対する権限は縮小せざるを得ない。同時に、今大戦では連合艦隊などと言う軍令実行面での一元化はかえって障害となる。日露戦争のように迎撃専門でやっていれば良い状況ならば話は別だがね。故に、連合艦隊司令長官は星一号作戦終了をもって廃止し、軍令部がその任のうち、中央軍令に関する面を受け持つという、元の鞘に収まるだけの話だ。勿論、これに関しては現連合艦隊司令長官である山本大将にも認めさせた。以後、実戦部隊は太平洋、西方洋、及び本土群に三分割され、軍令部はそれを受け持つ。勿論、戦本の指揮下においてだ。実際の所、軍令部の諸権限のかなりの部分は今大戦においては戦本が指導・作成したものを実行してもらう事になるだろう」
「しかし、今までの業務とは一線を画します。これに関しては部内に混乱を齎すものと考えられます。また、軍令部と戦本の指揮権の間に齟齬を生じるとも」
 嶋田の言葉に馬渕は頷く。馬渕の言葉は軍令部を、いや、陸空軍参謀本部をも一緒くたにして軍事用語で言う所のロジティクス面に今大戦では置く、ということだ。国防省、及び陸空軍参謀本部及び軍令部がロジティクス面を軍政と軍令に分割した上で統轄し、フロント部分を完全に戦本が掌握すると言う次第に。いや、戦略面をも統轄した権限をもつともなれば、完全に戦本は旧来考えられてきた大本営の機能を、主権者(天皇)を迎えることによって発現するのではなく、法的主権者の人格という形而上の定義――つまり『天皇』法人、軍事面における『天皇機関』として統轄する事を意味している。
「そう。しかし、それは仕方の無い事であると同時に、いままでの混乱が噴出しただけの事だ。第一、軍令を受け持つから軍令部として編成されたのに、軍政を受け持っていた?これ以上馬鹿な話があるかね?それに、陛下が主権者として大本営を設置する形式、つまり日露の形式を取れば、敗戦も覚悟しなければならない今大戦においては、その責を陛下一身に背負わせる事になる。ここにおいて、法的人格としての主権移譲を受けた大本営―――戦本が指導を取ることで、陛下を畏れ多いながらも埒外に置き、御一身の安全を確保する、こういうことになる。現在の混乱はすべてこのための措置だ」
 馬渕は伝家の宝刀を抜いた。天皇のいない大本営を戦本と言う形に体現させることでの天皇の安全確保。主権が天皇にありきと定めた大日本帝国憲法を、法人という存在を導入する事によって円滑に機能させんとする天皇機関説を組み込んだ組織配置だった、とも言える。
「それとも、嶋田大将。君ではその任に耐えんのか?」
「いえ、そういうわけでは……」
 流石にこのような経緯を示されては、昭和初期、特に美濃部博士排斥に絡む天皇機関説批判を持ち出す事は出来ない。天皇の主権性を強調する事を政治の道具としたのが政友会でありそれまでの日本の軍隊であるとするならば、馬渕の言う内容は完全にその彼岸をいくものだった。そこまでならば相乗りで非難することは可能だが、皮肉にも現在、それが主権者の安全を確保するために有効に機能せんとしている。
「しかし、そう聞こえる内容だぞ、今の発言は。それに、軍令部及び連合艦隊は西方洋方面の艦隊指揮を現在進行中のはずでは無いのか?」
「は。それに関しましては第一段作戦においてマレー半島及びビルマ正面。第二段作戦においてスマトラ・ボルネオ両島を。第三段作戦においてフィリピン及びスマトラ以東という段取りで昨日戦本に作戦案を提出してあります」
「ならば、君の相手は英国東洋艦隊と言うことになる。ここで話している暇があるか?」
「はっ、了解いたしました」
「仕事を急に変えろ、という無理は承知している。しかし、この戦争自体が帝國にとって無理難題だといえる。各部署は、その無理難題をどうにか解決しようと奮闘している。軍令部にもそれを求めたい。君の指揮に期待する。勿論、戦本はこれを可能な限り支援する」
 馬渕は先程とは反対に語調を柔らかくして言った。可能な限りのところまで追い詰め、そして救いの一手を齎す。やっていることは心理学の初歩に近い。
「はっ、馬渕大将殿!」
 嶋田は納得が言ったらしく、また好意的な勘違いと共に馬渕に敬礼した。
「よろしく頼む」
 にこやかに馬渕は応じ、そして別れる。しかし、自分の顔が嶋田から見えなくなる(嶋田が廊下の角を曲がる)と同時に冷たい声で呟いた。
「……確かに。嶋田では無理な面もある、か。やはり、早すぎるか……」
 その後でくすりと馬渕は笑った。穴だらけの法論理。しかし、屁理屈としては役に立つ、といったところか。いや、天皇機関説論争こそが実際の所、戦前日本の行く末を分けた分水嶺だと考えていた彼にとっては当然のことといえるのかもしれない。しかも、この論理が負けた理由は極めて私的かつ政治的な理由であり、その説のもつ論理性ではないところが最高の皮肉だった。
 馬渕は暗い笑いを頬に張り付かせながら、その場を後にした。

 そう、天皇機関説は政友会の政治的遊戯の道具として玩弄され大激論が戦わされた挙句に廃されたが、その論争のもともとの始まりは、東大嫡流が外様の美濃部博士に法学講義をすべて奪われたことから狂い、馬鹿のような戯言を言い始め、それを軍に広めた事から始まったのだから。
2008年02月09日(土) 13:18:08 Modified by prussia




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