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大きなクリの木の下で! 2


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朝の通学路に吹きすさぶ春の突風は上空で雲をちぎるほど強く、その向かい風に
直面する168センチの長身を誇る高校一年生、奥菜里恵としてはかなりの抵抗を
感じるのではあるが、進む脚はその速度を緩めることはなかった。
 風は強いが陽は温かく、咲き乱れ、散り際を彩る桜の匂いが里恵の二つの肺に満
たされていく。
 里恵は向い風が好きだ。ベリーショートにしている髪を抜けていく空気の感覚。
大気を切り裂き、小麦色の肌を流れていくその感触、季節ごとに変わるその匂いが
なんともいえず心を揺さぶるのである。
 校門前にある緩い登り坂。チャリ通の生徒が力つきてえっちらおっちら押してい
く脇を里恵が抜き去ったその時、耳の後ろから、ゴーッと、大気を切り裂く音が迫
ってきたのだ。

「オッキーナー! おっはヨーグルト〜!」
 耳障りの良いその声に里恵は振り向くと、太陽のように眩しい笑顔に乗っかった、
くりくりとした大きな二つの瞳が視界に飛び込んできた。里恵は手を上げ、その溌
剌とした美少女に答える。
「おはよう、櫛枝。今日から練習だね。よろしくね」
「うんよろしくっ! 歩幅でっけえから追いつくの大変だったぜい! 練習久しぶ
 りだから私超〜楽しみだよ! そだオッキーナ、ちゃんとグローブ持ってきた?」
 捲し立てるように語りかけてくる元気印の彼女は、里恵が入部したソフトボール
部のチームメイト、同じく新入部員の櫛枝実乃梨だ。少しマイペースで調子っぱず
れなところがあるが、真っ直ぐで気持ちいいムードメーカーなんだろうなと里恵は
実乃梨を好評価しているのである。肩を並べて実乃梨に歩調を合わせながら、里恵
はスポーツバッグを実乃梨に掲げた。
「うん。グローブは持ってきたんだけど、私たちまだユニフォーム無いから今日は
 体育着じゃない? そこだけがちょっと残念かしらね……いつユニフォーム出来
 るのかしら」
 すると実乃梨は額にたて線が入ったような表情に一転、天然色の唇をワナワナさ
せ、手のひらを上に向け、ワキワキするのだった。
「そ、そうだった! ウチのクラス体育の授業、明日からだから、普通に体育着忘
 れちまったよ! やっべー! うおおっ、逆境……またもや私に襲い掛かる……」
 クルクル変わり続ける実乃梨のリアクションは、見ていて飽きない。里恵は風で
引き締まっていた自分の頬が自然に緩むのが分かった。

「櫛枝、それってあなたが忘れただけで、逆境というより自業自得っていうんじゃ
 ないかな。よかったら私のユニフォーム貸してあげる。念のため私、中学のとき
 のユニフォームも持ってきたのよ」
 そう言うと実乃梨はまた、眩しい笑顔に変わり、里恵はその豊かな表情を持つ彼
女に関心してしまう。
「マジでじま? オッキーナあんた気が利くねえ。いい女房になれるよ〜……で
 もさ、私がオッキーナのユニフォーム着たらサイズ合わなくてプレイ中に脱げち
 まうんじゃねえかな? おっしゃる通り、あっしは自業自得だし、この際観念し
 て制服のままでやるでよっ。おパンツ全開でやらせてもらうわ〜い!」
 そう言って実乃梨はバレリーナのように制服のプリーツスカートをくるりと回転
させる。チラつく純白の下着に里恵は一瞬目を奪われるが、その仕草は無垢で健康
的で、不思議といやらしさはなかった。しかし心と裏腹、
「よしなよ櫛枝、はしたない。もうお互い高校生なんだから自重しましょ。私の貸
 すから。大きいのはベルトきつく締めれば平気でしょ?」
 と、嗜めてみたのだった。えへへっと、舌を出す実乃梨。里恵はこんな調子の彼
女になにか惹かれるものがあった。もっと親しくなってそれがなにかを知りたくも
あった。そしてその輝く魅力を里恵は羨ましくもあったのだ。

 ふたりは昇降口へと近道するため、校庭を斜めに突っ切る。いつの間にか風は向
かい風から追い風になり、歩くペースがあがっていく。その背中を押す風の中で里
恵は、順風もいいものだよな。と、実乃梨を伴い、そう感じているのであった。



 昇降口の入り口で違うクラスの実乃梨と別れ、里恵が自分の下駄箱の扉を開ける
と、その足元にズサズサっと数枚の封筒が重なり落ちる。
「あっ……また」
 昨日も数枚入っていたので里恵には中身を見なくても何の封筒か理解できた。こ
の可愛いらしい封筒たちは、里恵へのラブレターであろう。そして昨日より枚数が
増えている。
「オッキーナ、どしたぁ?」
 不意な理恵の声を聞きつけ、反対側の下駄箱から実乃梨が顔を覗かせてきた。
「おおっ、すっげーなこりゃ! これ全部ラヴレラー? オッキーナモテモテじゃ
 んかよっ、隅に置けないねえ、憎いよ大将!」
「いや……これ多分、全部女子からなんだよ。うれしいけど、私、レズじゃないし
 ……困るんだよね……」
 里恵はしゃがんで、撒き散らされた封筒を一枚一枚丁寧に拾い上げるていると、
実乃梨は少し先にも撒いてしまった残りの封筒を集めてくれ、
「まあまあ、そんな事いいなさんなって。果たし状が入ってるよりイイんじゃん?
 私もあやかりてーくらいだよっ。 はいっ、どーぞ!」
 と、里恵に手渡すのだ。すると二人に被さる小さな影が現れ、か細いアニメ声が
聞こえてきた。

「そうなんですか? 櫛枝様……ラブレター欲しいん……です、か」
 背後には、同じくソフトボール部の新入部員、栗野ちはやが口を押さえて佇立し
ていた。彼女は実乃梨に叶わぬ想いを寄せているのがバレバレなポニーテールが似
合うメガネっ娘だ。さらに、

「朝っぱらから下駄箱に果たし状が入ってっと、マジムカつくんだぜ。ソースはあ
 たし。ラブレターなんざ超魅了じゃねえか。……おっと、駄洒落じゃねえからな。
 勘違いすんなよ」
 たった今微妙な駄洒落を垂れ流す、里恵と同じクラスの木ノ下達代も登校して来
た。やはりソフトボール部の新入部員の彼女は、自分の下駄箱の中から取り出した
封筒を、目の前でヒラヒラ揺らしていた。そんな木ノ下に実乃梨が一番に駆け寄る。

「おはようタッちゃん、果たし状とな? マジで? 誰からよ。おじさんに見せて
 みそ?」
 木ノ下が指で挟んでいた在り来たりの茶封筒を実乃梨は受け取り、封を開けると、
皆でそれを覗き込んでみた。そこには、

『お前の過去を知っている』
……と。

「ほーお……何これ珍百景。これ本当に果たし状なのかいな? 気にしなくていん
 じゃない? でももしタッちゃん。この櫛枝めの力添えが必要な時は、いつでも
 お申し付けくだされ。地の果てからでも駆けつけようぞっ!。では皆の衆! 放
 課後に会おーう! うわーはっはっはっはっはっはっはっはっ!!」
 ……はっはっは……と、実乃梨はこっちを向いたまま異常にうまいムーンウォー
クで滑らかにフェードアウト。誰かにぶつかって「ちょっとぉ」と怒られても、ケ
ツがロッカーにぶち当たっても実乃梨は月面後退歩きを止めることはなかった。

***

 午前の授業が終わり、その日の昼休み。
「A組の北村くんが? 私に?」
 里恵はめずらしく男子から呼び出しを受けて不思議そうに日焼け顔を教室の入り
口に向けると、度のきついメガネをかけた、某国民的有名漫画の糞真面目な優等生
キャラにそっくりな男子が気をつけ! でも命ぜられたかのようにビシッと突っ立っ
ていた。何故だか、まるお……というワードが頭の中でかけ巡りながらも、里恵は
北村の待つ教室の入り口へと向かった。



「やあ初めましてっ! 俺は男子ソフトボール部の新入部員の北村佑作。よろしく
 なっ! えっと、君は奥菜さんかな? それとも木ノ下さん?」
 ほぼ同じ背丈の北村。しかし奥菜の視線は北村の腹部に向けられていた。
「初めまして北村くん。私、奥菜里恵です。こちらこそよろしく……北村くん、あ
 なた真面目そうに見えるけど、わき腹どうしたの……ケンカでもしたの?」
 さっきから北村は、まるで右フックでも喰らったように、左わき腹をさすってい
たのだ。北村は里恵に指摘され、慌てて手を引っ込める。
「ああ、これか! いやあ、ズバリ恥ずかしいな。ちょっと昨日色々あったんだが、
 まだ痛んでな。決して病気でも暴力沙汰でもないから安心してくれ。それはそう
 と、奥菜さんも知っていると思うが、今日からソフト部の練習あるよな? 実は
 その後、男女混合で歓迎会兼、ミーティングがあるらしくて、その連絡にきた。
 あともう一人、木ノ下さんはどこにいるんだ?」
「木ノ下達代ですね。……彼女がそうなんですが……」

 窓際の一番後ろ。机にへばりつき、春眠を貪る木ノ下の姿があった。窓からそよ
ぐ風に、腰まで伸びる濃緑の長髪を揺らしている。
「ははっ! ずいぶん気持ちよさそうに寝ているじゃないか! 今年の女子新入部
 員は皆、個性的で粒ぞろいと聞いていたが、櫛枝さんや栗野さんもそうだったが、
 ズバリ頼もしい限りだな! 奥菜さん、ではすまんが木ノ下さんに伝えておいて
 くれ。しかと頼んだぞ! じゃあ放課後な!」
 そうして北村はスチャッと回れ右。そのまま里恵は教室の外で北村を見送ってい
ると、今度は違うクラスの女子に話しかけられるのだった。その後ろには、連れと
思われる男子と女子が二人を従えている。
「ねえ、木ノ下達代って娘いる? 呼んでもらっていい?」
「え? ああ、いいですけど……急用?」
 今朝の手紙のこともあり、その三人の険悪な雰囲気を感じ取った里恵は、反射的
に木ノ下を擁護しようとする。里恵の家庭は両親兄妹ともにスポーツ好きであり、
里恵も昔から不祥事には敏感だった。日頃からなるべくイザコザは避けるようにし
ているのだ。ところが木ノ下はいつの間にか席を立ち、理恵の後ろで腕組みしてい
た。
「あんだよ、あの手紙はてめえたちか? ……ここじゃなんだ。屋上行こうか」
 口の周りにヨダレの跡があるのだが、指摘する空気ではない。
「木ノ下、私も……」
 と、里恵が言う間に、木ノ下は横を通り過ぎ、廊下に出ていってしまう。そして
キレイな緑色の長い髪をひるがえして理恵に目線を合わせる。
「いいよ奥菜。あたしの客だ。心配してくれて……ありがとうな。さ、行くぞ」
 再び髪を振り払い、木ノ下は三人を引き連れ、廊下の少し先にある屋上への階段
を登っていく。どうしようかと悩む里恵だったが、それを追うかのように、なにや
らクシャミをしながら小さな物体が同じ階段を登るのが見えた。一年生と思われる
その女子は、華奢な体躯に灰色にけぶるような不思議な色合いの長い髪を纏ってい
た。
 ……彼女も屋上に行くのだろうか。あんなフランス人形みたいな娘が、面倒に巻
き込まれるのを見て見ぬ振りなどできない……たぶん、こういう時、櫛枝実乃梨だ
ったなら迷わないであろう。

 里恵は、握った拳に覚悟をこめ、屋上へと足を向けた。

***

「て……手乗りタイガーじゃん……あんたも達代の仲間なの?」

 里恵が屋上に辿り着くと、唐突に謎めく言葉が耳に飛び込んできた。手乗りタイ
ガー? 思わず扉の影に隠れる里恵。耳を澄まし、風に途切れる声を拾う。

「誰が手乗り……まあいいわ。私はただ、ランチタイムの邪魔だからどっか違うと
 こでやって欲しいってだけ。私は関係ない。関係ないんだけど……まあ、男子も
 含めた複数で一人の女子を責めるってのもなんかね……とは思うわよねぇ」

 ざわっ……その時、里恵に鳥肌が立つ。それは手乗りタイガーと呼ばれた少女か
ら炸裂した間違いなく「殺気」のせい。ただその気迫だけで、木ノ下を呼び出した
三人は屋上の真ん中に尻餅をついていた。するとへたり込んでいる三人の中の、見
た目だけ中途半端にイキがった男子が、二人の女子に耳打ちをする。
「な、なあお前らマズイって。手乗りタイガーって、因縁つけた男子を片っ端から
 ノックアウトしまくってる校内最高ランク危険生物だぜ……相手が悪すぎるっ」


 それを聞いた木ノ下を呼びにきた方の女子が腰を抜かしたまま後ずさりした。
「そうなの? ……ねえ達代! 今日のところは引き下がるけど、あたしたちから
 逃げられると思わないでよね! あんたの過去、学校中にバラして、ソフトボー
 ルなんか出来ないようにしてやる!」
 そんな捨てゼリフに、屋上の鉄柵にもたれ掛かっていた木ノ下の大きな瞳がギラ
リと光る。
「ったく面倒くせえな……もういい加減にしてくれ。あたしはあんた達とツルむ気
 なんか、さらさらねえし、中学時代の事、バラされても痛くも痒くもねえから、
 とっとと消えろ!」
 すると三人は情けなくも追い詰められたコックローチのようにカサカサと屋上か
ら校内へ逃げ帰っていき、慌てていて扉の影に隠れていた里恵にも気づかなかった
ようだった。
 里恵は扉の前に一歩踏み出して、そこから似たような前髪をぶら下げ、睨み合っ
ている二人を遠くからジッと見守る。まるで西部劇の決闘シーンに出てくる回転草
でもコロコロ転がりこんできそうなほど張りつめた空気が立ち込めている中、その
均衡を破ったのは小さい方で、……ねえあんた、と切り出した。

「……私が言うのもなんだけど、あんた女の子なんだからもっとお淑やかになれな
 いわけ? だいたいこんな事は中学卒業前にけじめつけときなさいよね」
 すると木ノ下は、手乗りタイガーとの距離を一歩詰める。
「背中に物騒なモン忍ばしてるあんたに言われたかねえけど……確かにあんたの言
 う通りだな。なんか、借り……作っちまったかな。あたしは木ノ下達代。あんた
 名前は?」
 ぶつかり合う視線がほんの少しだけ和らぎ、手乗りタイガーは柔らかそうな唇を
開いた。
「逢坂……大河。こいつは護身用なの。最近変な野郎たちから毎日のように声掛け
 られててね。念のためよ。念のため」
 ブンッ! と背中から木刀を抜いて一振りする大河。ふうん、と、値踏みするよ
うに大河を見入る木ノ下。そんな硬派な空気漂う二人に里恵はゆっくり近付いてい
った。屋上に吹く風は思ったより強く、つい里恵はしかめっ面になってしまい、大
河は突然現れた長身の里恵に驚いたように目を見開くが、敵意が無いと判ると、す
ぐに木刀を背中に収め、何事もなかったかのようにコンビニ袋からイチゴ牛乳を取
り出しストローを差し込み飲み出した。空っぽの胃の中にいきなり流し込まれたイ
チゴ牛乳は、ぐうぅぅぅぅ〜〜〜〜〜ぎゅるるるん……と、大河のお腹を鳴らして
しまい、大河を耳まで真っ赤にさせるのだが、里恵と木ノ下は申し合わせたかのよ
うに右から左へ見事に聞き流し、15センチくらいずつ違う目線を交差しあう。

「逢坂さん、食事の邪魔してゴメンなさいね。木ノ下、教室に戻ろ」
 木ノ下は里恵に何か言いたそうに唇を開いたが、一度息を
飲み込んで、改めて唇を開く。
「……そうだな、あたしもお腹すいたし、教室に戻ろう。じゃあな、逢坂大河」
 木ノ下は大河に軽く手を振り、色つやの良い顔にかかる長い髪を耳までかき上げ、
踵を返す。対する大河はただ一度だけ、ケホッと可愛い音を漏らしただけで、目を
瞑ったまま特に何も返事はしなかった。
 振り返ると木ノ下は、すでに屋上の入り口まで戻っていて、理恵もすぐに後を追
った。そして階段を降りる最中に、里恵は木ノ下に問いただしてみたのだった。
「ねえ、木ノ下。私、あなたの良くない噂聞いた事あるんだけど、どこまで本当な
 のかしら?」
 里恵は中学時代に聞いた事あった。日本代表に選ばれなかった木ノ下がグレて、
事件を起こしたとか……そんな噂を。階段の踊り場でターンをする時に、木ノ下が
一旦足を止める。垣間見えた木ノ下のM字バンクスの下の表情は消えていた。

「全部ウソ。ただ一回だけ仲間を助けようとして誤解されるような事をしたことは
 あるんだ……それで、噂が一人歩きしちまって。それからだよ。なんかある度に、
 あたしの名前出されたり、利用されたり……いい迷惑だよ。でも奥菜……ソフト
 部には絶対迷惑かけないから。あたしのせいで試合できなくなるとか、駄洒落に
 もなんねえからさ」

 そう告白し、再び階段を降り始めた木ノ下の背中に、里恵はそれ以上かける言葉
を見失ってしまうのである。

***



 放課後になり、グラウンドでの練習を終えた大橋高校女子ソフトボール部ナイン
は、ベンチの前に一列に集合し、部長が締める。
「はい、今日の練習は以上! この後一年はグラウンドの整備と備品の片付けをす
 るように。お疲れさまです!」
「あずぁーしたぁ!」
 礼を終え、部員が散り散りに分かれる中、里恵は一目散に実乃梨に駆け寄った。
「櫛枝、お疲れさま。私のユニフォーム大丈夫だった?」
 結局実乃梨に中学時代のユニフォームを借してあげた里恵。少しダブついたユニ
フォームを泳がせながら、実乃梨は、二カッと、白い歯を魅せる。
「サンキュー、オッキーナ! いやあ、マジ助かったよ〜。言われた通り、ベルト
 目一杯閉めたからダイジョーVだったぜ。ちゃんと洗濯して返すからね! あっ、
 クリリンも、おっつー!」
 小柄にしては、ボリュームがある胸を押え、息を整える栗野。特徴ある大きな眼
鏡の下は笑顔だった。
「はあ、はあ、櫛枝様お疲れさまです。私、運動部初めてだから緊張したけど……
 すっごく楽しかったです!」
 するとグローブを頭にかぶした木ノ下が近づいてきて、栗野のポニーテールをク
イッと引っ張る。
「つか栗野。メンバー九人ギリギリなんだからてめえもレギュラーなんだからな?
 試合んときは、さっきみたいにボーっとして暴投するんじゃねえぞ。おっと、勘
 違いすんなよ。駄洒落じゃねえからな」
 そう毒づく木ノ下だったが、やはり彼女も屈託のない笑みを浮かべ、そのまま栗
野に抱き付きじゃれるのだった。そんな無邪気な木ノ下を見て、変な噂はやはり誤
解で、彼女もよくいるごく普通の女の子でしかないのであろう……。そう里恵は認
識し、呼ばずとも仲良く集まる同輩たちに自然に口元が緩む。
「ふふっ、まあ木ノ下の冗談は置いといてさ、これから男子交えてミーティングだ
 し、早く片付け終わらせて着替えに行きましょ?」
「おおっ! そーだった、ミーティングミーティングっ! ちょーいそっ!」
 ちょーいそ……? ちょーいそぐってこと……? 木ノ下と栗野は首を捻りあっ
ていたのだが、すぐに、切り込み隊長の実乃梨に続けー! とばかりにバタバタと
片付けに奔走するのであった。

***

 制服に着替え、ミーティングルームに集結した男女ソフトボール部の部員たち。
全員が入室したのを確認してから男子の部長が部屋の中央で音頭を取る。
「では今年度一発目のミーティングを始めま〜す! 当面は、ゴールデンウィーク
 に開催される春季大会を視野に入れた練習が中心になるが……まあそこんところ
 は今日は置いといてだな。これから我がソフトボール部の新入部員たちの歓迎会
 だ! なけなしの部費でお菓子とジュースを用意してあるから、それぞれ歓談し
 て、親睦を深めるように! 以上!」
 すると、たちまち笑い声やおしゃべりの声が湧き上がり、ミーティングルームは
喧騒に包まれる。立食パーティーよろしく部屋の隅にテーブルを寄せ集め、そこに
ジュースやらスナック菓子をぶち撒け、それぞれ好きに摘んでもらうような仕組み
になっていた。
 北村をはじめ、男子新入部員たちは部屋の中央で自己紹介らしい何かをし始めて
いて騒いでいるのであるが、もう片方の主役であるのはずの里恵をはじめ女子新入
部員四人は、部屋の端っこの方で固まっていて、ややあって栗野がペットボトルが
置いてあるテーブルに向かい、トレイに紙コップを乗せ戻ってきた。

「みんなオレンジジュースでよかった? はい、どうぞ」
「ありがとう栗野。いただくね」
 差し出されたトレイから里恵は紙コップを拾い上げたのだが、隣にいる木ノ下は
窓に目を向けたまま心ここにあらず状態で無反応。それを見た栗野が、眼鏡の下の
瞳をオロオロと泳がせる。
「ど、どうしたの木ノ下さん? コーラとかの方がよかったかしら……」
 里恵がほらっと、肩を叩いてからやっと、ああ……と適当に生返事する木ノ下だ
ったが、栗野の憂えるような瞳に気づくと、申し訳なさそうに長い髪を掻きながら
小さく頭を下げ、栗野からオレンジジュースを受け取る。


「おう、ありがとな、栗野……あたし、こういう賑やかなの苦手でさ。端っこの方
 でコソコソしてるほうが性に合ってるんだよ」
 そう漏らすメランコリックな木ノ下に、里恵は昼休みの屋上でのことを思い出す。
恐らくあの連中との押し問答がまだ尾を引いているのであろう。どうやら問題は、
里恵が考えているより根深そうだ。想いに耽るその姿は、ただの容姿端麗な美少女
に過ぎず、受け取ったままジュースに口をつけない憂鬱そうな唇、伏せ見がちな瞳
を覆う長い睫毛、そんなアンニュイな木ノ下を眺めて、里恵は彼女のココロのスキ
マを垣間見た気がした……その時だった。

「ココロのスキマ、お埋めします」
「どわあっ! 実乃梨っ。驚かすなって!」
 柄にもなくおとなしくしていた実乃梨が起動。木ノ下の背中にかじり付き、至近
距離から喪黒ボイスでつばを飛ばす。
「ホーホッホッホ……。これしきの事で驚くなんてタッちゃん先が思いやられるね
 え。歓迎会なんだから私達が主役でしょ? 盛り上げて盛り上げて、ぶわあ──
 ──っと!!」
 ぶわあーっと、盛大に広げた実乃梨の両手が、後ろにいた男子の眼鏡を吹っ飛ば
して、サミング……目潰し攻撃をしてしまう。
「わあ、北村くん! ごめ──ん! うおお……今、完全に中指がつるっとしたと
 ころ触っちまったよ!」
「いやいや、いいんだ櫛枝さん! 不用意に接近した俺の方が悪い! ……で、一
 年女子だけで集まって何の話していたんだ?」
「本当にごめんねえ! ……ええとなんだっけ、そうそう、今タッちゃんがね?
 私がちょろっとモノマネしただけで驚いちまったもんだから、これから超〜怖え
 怪談話をして、タッちゃんのチキンハートの守備力をメタルキング級にアップさ
 せてやろうって提案していたところだったの」

 「えっ?違っ……」と、女子三人は、実乃梨の暴走しだしたトークに置いてきぼ
りにされてしまうのだが、途中から会話に加わった北村は、そんな周回遅れの里恵
たちを察する事無く、度が強そうな眼鏡を光らせ、首を縦に大きく振る。
「ほう櫛枝、そうだったのか! しかしそんな面白そうな話、ここだけで盛り上が
 るのもなんだ。自己紹介がわりに先輩たちに披露したらどうだろうか? うむ、
 それがいい! そうするべきだ!」

 実乃梨に続いて暴走しだした北村は、なにやらいい感じでお喋りしていた男子と
女子の部長に掛け合い、手をパンパン叩いて「皆さ〜ん!」仕切り出したのだ。そ
の唐突な展開に、栗野は気をもむのである。
「……櫛枝様大丈夫なんですか? ホラー全般、本当にダメなんだって。入学した
 ばっかりのときの自己紹介で言ってたじゃないですか」
 気遣う栗野がさっき持ってきてくれたオレンジジュースを
グイッと飲み干し、実乃梨は誰をも魅了する、太陽のような眩しい笑顔を放射した。
「クリリン、そりゃー、あんたあれだ。まんじゅう怖いメソッドですわ」
「ええと……え? なんですかそれ?」
「だからね、怖い怖い、って言っておくと、必ず誰かが『じゃあ驚かせてやろう』
 ってイタズラ心を出すわけよ。私はそれをきゃーきゃー騒いで大暴れするのが、
 たまんないわけ。まとめると、ホラー、スリル、オカルト、ゾンビ、この手のも
 のが大好物なわけ」
 そして、全部員の注目をかき集めてきた北村は、女子新入部員、四人の元に戻っ
てくる。
「皆さん! 彼女らが我がソフトボール部の女子新入部員たちです! こちらから
 奥菜さん、栗野さん、木ノ下さんに、櫛枝さん! 彼女らに最大限の拍手を!」
 そうやって、ミーティングルームに割れんばかりの拍手が鳴り響く。実はさっき
から話し掛けたげにチラチラこっちを見ていた男子部員たちも大手を振って喝采す
る。
「えー、只今ご紹介に与りました櫛枝実乃梨です。それでは女子新入部員を代表し
 て、小噺をひとつ……てか、怪談話なんですがね?」
 実乃梨は考え込むように眉間に皺を寄せジッと眼を凝らす。口調が変わり、口髭
のつもりなのだろうか、いつの間にか海苔せんべいの海苔を剥がし、ペットリと鼻
の下に貼り付けていた。


「……この話は私自身怖い。それに危ない。……できればお話したくはなかったん
 ですがね……」
 じゃあすんなよ。という野次を受け流し、実乃梨は静かに目を閉じ俯いた。部屋
に居合わせる全員の、若干戸惑いがちな視線が実乃梨に集まり、ざわめく部屋はピ
タリと静まり返る。そしてそれを見計らったかのように、実乃梨は顔を上げ、眈々
と語りだした……。

「人体模型。ありますよね。よく理科室とかにある。ええ、あれです。数年前の夏
 休みのことなんですが、春田君……という当時、中学生なんですがね。まだ陽の
 高い、午後一時頃でしたか。先生に呼び出されて、理科室にいたんです。一人で。
 すると、ふっ……と視線を感じたんです。誰かが自分を見てる。誰かに見られて
 いる。それで、さっ……と周りを見たんですがね。そんな人いない。でも確かに
 誰かが自分を見てる。間違いない。なんだろ〜、どこだろ〜っと、彼がすーっ、
 と視線をさらに巡らすと、人体模型があったんです。ポツ〜ンと。理科室の端の
 方。……この部屋だと丁度、部長がいる辺りでしょうか……」

 実乃梨に視線を向けられ、ギクリとする男子と女子部長。思わずその場所から移
動する。

「……うす気味悪いな〜と、思ったんですが、なかなか先生が来ないもんだからで
 すね。暇つぶしに彼は人体模型に近づいてみたんですねえ。それで気付いたんで
 す。あっれ〜? この模型、何かおかしい。何かが足らない……気付きました。
 なんと心臓が無かったんです。人体模型の。それで彼はピーンときた。ははあん、
 そうか。誰かがイタズラでもして隠したんだろうな〜。……そう思いました。何
 故ならこの中学校には七不思議ってのがあってですね。その一つに、心臓を抜き
 取られた人体模型が、心臓を狙って人間を襲ってくるってのがありましてですね
 え……。そのときはまあ、彼も深刻には考えてなかったのですが、そんな感じで
 一時間くらいでしょうか。時間を潰していた訳なんですが、待てど暮らせど先生
 が来ない。じゃあ昼寝でもしようかと。退屈だし。昨晩は遅くまでゲームしてい
 たし。とりあえず眠い。そんでもってすぐです。彼は実験台に寝そべって眠って
 しまった訳なんですが……トン、トン。トン、トン。という音で目を覚ました。
 なんだ先生やっと来たか〜と、あたりを見回したが、おや? ……誰もいない。
 あれ〜っと思いましたね。気がついたら日が暮れていて理科室は薄暗い。なんだ
 かカラダがズシーっと重い。みょーうにゾクゾクする、背筋がひや〜っとして、
 全身からイヤ〜な汗が噴き出てくる……。こりゃ、ヤバいな〜、出るかな〜。と
 思ったんです。そしてゆっくり……さっきの人体模型の方を向こうとしたんです
 がっ……! 一瞬息が止まった。いないっ! 模型がいない。あったはずの場所
 にいない。もう恐ろしくて動けなくなってですねっ。彼の喉が、空っからに渇い
 ちゃいまして。ええ。……思わず彼は水を飲もうと思って、実験台に設置されて
 いる蛇口をキュ〜っと捻ったんですけど、……水が出ない。おっや〜、どうした
 ことか……。さ〜困った。蛇口の元栓でも閉ってるんだろうか。……なんて思っ
 た彼はしゃがみ込み、蛇口の下、実験台の排水口の下の扉を開いたんです……が、
 その時っ!!」

「ぶっふおおおおぉぉぉぉっっっ!!!!」
 と、肝心なところで変な声を噴射したのは北村祐作。部屋中の視線は強制的に語
り部、実乃梨から引き剥がされ北村へと集中する。
「ちょっとちょっと北村くんよっ! クライマックスでっ……うおおっ! なんで
 君がそんなに水浸しなのさっ!?」
 まるで水芸のようにコーラを口からブッシュウウウッ! と吹き出し、周囲にい
た部員も数名犠牲にして制服をビシャビシャにしている北村。すると近くにいたあ
る先輩男子部員が北村に謝罪する。



「わ、悪りい北村っ! そんなに吹き出ると思わなかったんだ! 大丈夫か?」
 素早く里恵は、北村の手から覗く、メントスに注目する。きっと悪戯好きな先輩
達にコーラと一緒にメントスを飲めと言われたのだろう……。コーラとメントスを
一緒に飲むと、『メントス・ガイザー』という現象が起きて、急激にコーラの泡が
吹き飛ぶのだ。先輩に手伝ってもらって、女子がいるにも構わず、北村はビショ濡
れの制服をどんどん脱がされてしまう。すると、更なる災難が北村を襲うのだ。

「おわっ、すっげえな北村! これか〜! これが噂の手乗りタイガーに殴られた
 痣か〜! おーおー、痛そうだなっ! 可哀そうだな〜っ! ワッハッハ!」
 どれどれ〜と、部員が上半身を晒した北村の周囲に集まる。全く男子の裸体に興
味ない訳ではないのだが、手乗りタイガーという言葉に里恵は反応し、北村の腹部
に目をやる。すると里恵の傍らにいた木ノ下が、
「あの痣、逢坂大河の仕業なのか。すっげえな……。服の上からの的確なレバーブ
 ロウ。あいつ、やっぱ素人じゃねえな……」
 妙に納得し、コクコク頷く。実乃梨といえば、鼻の下の海苔をくっ付けたまま、
稲川淳二のモノマネもそのままに、
「ほーお? てーことはですよ? 手乗りタイガーって言う狼藉娘は、ウチのクラ
 スの逢坂さんっ、てことで間違いないってことなんですかねえ? ふむふむ……
 逢坂さんですか。なかなかそういう娘ってねえ。お目にかかれるもんじゃないと
 思うんですがねえ……ねえクリリンっ、あのさっ! 逢坂さんと話したことある?」
 話している最中に突然稲川淳二とのチャネリングを解く実乃梨に、栗野は柔軟に
対応する。
「逢坂さんって、一番前の席に座っているお人形さんみたいな感じの娘ですよね。
 よく遅刻してくるし、あまり教室にいないからお話ししたことありませんけど
 ……。儚げで、繊細そうで、……なんか近寄りづらい印象の女の子……」

 すると張り付けていた海苔をペロリと食し、実乃梨が唸る。
「う〜む。……美少女マニアの私とした事が全くノーチェックだったわ……。お人
 形さんみたいで、男勝りとな? もし、もしですよ? さらにドジっ娘、ツンデ
 レなら、萌え萌え指数MAXではないかーっ! 妄想だけで鼻血ブーレベルではな
 いかーっ!……今度じっくりみのりんチェックしてみますかねえ……」
 天井を見上げ、意識が異空間に旅立ってしまった実乃梨を心配そうに見つめる栗野。
聞きそびれた怪談話のオチを想像し、ブツブツ呟く木ノ下。そんなカオス状態に陥る
新入部員の元に、北村半裸騒動の中心から女部長が抜け出してきて、一人正気な里恵
に解説してくれたのだ。
「一年の北村くんさあ、手乗りタイガーに告白してわき腹殴られて……しかもその後、
 生徒会の狩野に強引に庶務にされたんだって。泣きっ面に蜂っというか、災難とい
 うか、ちょっと可哀そうよね……」

 里恵はもう一度、振られ虫、北村を見やる。みんなにいじられ、おもちゃにされ、
そんな可哀そうな北村に同情する里恵だったのだが、裸をいじられ、見られまくって
いる北村が眼鏡の下で、ウットリとした恍惚な表情を浮かべているのを発見し、密か
に彼の性癖を知ってしまう里恵なのであった。

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