帝国の竜神様閑話18

1942年 6月 東京 総力戦研究所

「絶望した!
 この国の国力に絶望した!!!」
 この叫び声がこの研究所の日常になった時、その声の主は大勢の女学生に囲まれてみたくない現実に直面していたのだった。
 総力戦研究所二期生の一人として帝大より出向して来た主席研究員、糸色望。
 地方の名家の出で帝大在籍、末は博士か大臣かと呼ばれるほどの秀才は、女性参政権のあおりと彼自身の玉の輿を狙う女学生達という秘書を引き連れてこの研究所にてこの国の現実と向き合ってきたのだった。
「また先生、今度は何に絶望したのですか?」
 日常となった「絶望した!」の叫びとその名前から彼の事を職員と女学生から彼は絶望先生と呼ばれる。
「モータリゼーションだよ!
 モータリゼーション!!」
「もーたりぜーしょん?」
 お茶を持ってきた女学生その一が首をかしげると、帰国子女な女学生その二がその英語の意味を解釈してみせる。
「【motorization】。
 自動車が大衆に広く普及し、生活必需品化することを言う。英語で「動力化」「自動車化」を意味する言葉のことですね。先生」
「説明ありがとう。
 私は、この国のモータリゼーションの可能性に絶望しているのだよ!」
 舞台役者のように大げさな振付けで、目の前に吊るされた縄に手をかけてももう日常なので誰も止めようと要しない。
 そのあまりの騒動ぶりに特高が調査をしていったが、共産主義に染まっているわけでもなく、絶望して騒ぐ理由がまた現実なだけにお咎め無しとなった前科をもっていたりする。
「私は、陸軍の依頼に従って、この国のモータリゼーションの可能性について調べていたのだよ。
 結論から言えば、この国はモータリゼーションなど夢のまた夢だ!!」
 吊るされた縄をまるでマイクの様に持って叫ぶ絶望先生の姿はもの凄く危ないのだが、日常とはおそろしいものでそれが彼女たちにとって当たり前となっている。
「つまり、この国の国民のみんなが車を持てる社会になればいいなって事ですね」
「その通りだ。
 だが、それは不可能なのだよ!!!!」
 見事なまでに断言してみせる絶望先生の隣で女学生その三が書き書きと絶望先生の主張を紙にまとめている。
 依頼主の陸軍向けの書類となるのだろう。
「先生。
 不可能って、その根拠は何なのですか?
 きっちりと説明してください」
 女学生その四が委員長よろしくきっちりとした説明を求め、皆の視線が十分絶望先生に集まった所で彼は口を開いた。
「よろしい。
 説明しましょう。
 まず第一に、車の走れる道がない」
「道って、この帝都にもいっぱい車が走っているじゃないですか」
 女学生その四の反論に頷いて絶望先生は続きを話す。
「実を言うと東京でも走れる所は限られています。
 住宅地とかの区画では車に合わせて作られていないから、道に入れない」
 関東大震災で大規模な区画整理が進んだとは言え、まだまだ小道の方が多いのも事実だった。
 しかも舗装などほとんどされていないから雨が降れば泥で先に進めず。
 坂が急な場合、車が登れない可能性だってある。
「それにまがりなりにも走れる道路があるのは東京での話です。
 モータリゼーションというのは社会の多数の人間が車を持てる社会を指す以上、北海道や東北や九州の人も車を持つという事ですよ。
 今、あげた場所が東京に匹敵するだけの道路整備をしているとは過分にも私は聞いた事がありません」
 なお、この昭和17年時においてまだ河川にかかる木製橋が残っていたという事も忘れてはならない。
 そして、車というのは当然のように重たい。
「簡単じゃないですか!
 道が整備されていないなら整備すればいいんです」
 とっても明るく、女学生その一が解決策を述べるが、その答えを予期していた絶望先生はその名前に相応しい自虐的な笑みを浮かべて彼女に現実を次げた。
「何処にそんなお金があるのですか?
 全国に張り巡らせる道路網の整備など、山あり川ありのこの国において街道整備すら莫大な金がかかるというのに」
 なお、車などがない時代の江戸幕府が整備した街道が5つしかなかったというのは幕藩体制というのを差し引いても、この国の街道整備がどれほど金を喰らうかを端的に示していると言ってもいいだろう。
 国鉄が必死になって鉄道を敷設したのも、車よりも大量に人と物が運べるから、逆に言えばそれだけ多くの物を運ばないと採算が合わないという裏返しでもある。
「先に車そのものを増やせばいかがですか?
 私がいた国は、道の整備より先に車が買える価格帯に来たので道が整備された覚えがありますが」
 女学生その二が彼女の滞在国経験を話す。
「貴方が居たのは米国でしたね。
 あの国は逆に国土が大きすぎるから、道路整備が遅れて先に車が都市部に爆発的に普及したのも分かるのです。
 だが、その方法を取るにもこの国は問題があるのです」
 首に縄をかけたままため息をつく絶望先生。
 なお、後ろで静かに女学生その三は書き書きとため息すら紙に書きこんでいたりする。
 これで清書した報告書にクレームが今まで来なかったのだからある意味凄い。
「我が国の、自動車生産量はご存知ですか?」
 絶望先生の問いかけに、女学生その四が調べたのだろう。手をあげてきっちりと答えた。
「おおよそですが、今年は約25000台の生産が予定されているとか……、さらに大雑把ですがその10倍ぐらいの保有があります。先生」
「ちなみに、米国の自動車保有量は?」
「はい。1939年次でや、約……」
 女学生その四の言葉が詰まる。
「さ、……3000万台です……」
 誰もが口を閉じてその数字の意味をかみ締める。
 桁が違うなんてものじゃない。
 なお、この総力戦研究所では帝国と米国の開戦の模擬戦が行われたがその時の国力差は1:10と言われている。
 1:100以上というのは何をやっても勝てないというか、戦うのが馬鹿馬鹿しく思えてくる。
「米国の自動車普及率がこの時約30%。
 米国人の4人に一人が一台車を持っている計算になります。
 さて、我が国が米国と同じだけの自動車普及率、つまり四人に一人が車を持つのがどれぐらいになるかを計算して見ましょうか」
 そう言って絶望先生は書き書きと『100,000,000』の数字を黒板に書く。
「一億。これが我が大日本帝国の総人口です。
 この内の四人に一人が車を持つという事は、2500万人が車を持つという事です」
 書き書きと『25,000,000』と数字を書く。
 こうやって横に並ぶ0の列がいやでも圧迫感を与えるがそれが狙いなので絶望先生は気にせずに続きを口にする。
「で、最後に我が国の自動車生産台数を書きますか。
 『25,000』と。
 さて皆さん。
 我が国が2500万の自動車を持つに至るまでこのままでかかる年数は1000年。
 さっきの現在保有台数を最大の25万で見積もっても10年の短縮にしかならない。
 つまり、990年もかかってしまうのですよ!
 1942年から990を引けば952。
 952年、つまり日本では平安時代真っ只中ですよ!」  
 だん!と黒板を叩き、チョークの粉を宙に漂わせながら絶望先生は決まり文句を口にした。

「絶望した!
 平安時代から作り続けても現在の米国に追いつけてないこの国のモータリゼーションに絶望した!!」

 息荒く、絶望先生の主張は部屋に響き、静寂が戻ろうとした時に女学生その一がぽんと手を叩いた。
「そうだ!
 もっと工場を増やせば、もっと速く米国に追いつけます!
 がんばれば戦国時代ぐらいにまで縮まるかもしれません」
「……それでもまだ400年ほど残っているけど……」
 ぽそりと呟いた、女学生その三の突っ込みは華麗に無視された。
「いい所に目をつけましたね。
 ですが、それも無理なのです」  
 頭を振って絶望先生はため息をついた。
「車を作るのに約1トンの鉄が必要になります。
 我が国の粗鋼生産、つまり鉄の生産量はご存知ですか?」
 女学生その四が当然のように答えを口に出した。
「たしか、約600万トンだと思い……ます……が……」
 その数字に皆図ったようにため息をついた。
 帝国全ての鉄の生産を自動車に回したとしても、5年もかかってしまうという現実に。
 そして、産業における生命線である鉄はあちこちに必要なだけに全てが車に回るわけがない。
 更に、最近緩和されたとはいえ戦時体制だった帝国は軍需に大半の鉄が回されねばならない宿命にある。
 どどめとばかりに、その製鉄においてさえ日本には銑鉄の生産量は粗鉄生産量の1/3しかなく、残りの2/3は合衆国から輸入されるくず鉄で補ってようやく鋼材の全力生産ができるのであったりする。
「分かりました!
 いきなり自動車というのが無理ならば、レベルを下げてモータリゼーションをすればいいんです!」
 ぽんと手を叩き女学生その一が叫び、彼女に皆の視線が集まる。
「レベルを下げる?」
 復唱した女学生その二にその一は天真爛漫な笑顔で言い放った。
「オート三輪ですよ!
 オート三輪!」
 『おー』という皆の声に彼女は主張する。
「戦時体制で生産が四輪に移行して作れなかったけど、戦時体制は近く更に緩和されるはずです。
 これを機にオート三輪を普及させればいいんです。
 これなら車より必要な資源は少ないし、とりあえず道の拡張について考えなくていいし、車体も軽いから橋も多分大丈夫です。
 十分に普及して、四輪に移行する時間を稼いで、その間に道を整備すればいいんですよ」  
 完璧と思えた彼女の意見を粉砕したのはその主張を書いていた女学生その三の容赦ない一言だった。
「で、これを車の10倍の25万台作っても100年はかかる訳よね」
 しーん。
「さすがに、100年でも我々は生きていないでしょうからね。
 せめて、我々が生きている内に結果を見たいものなのですが……」 
 絶望先生の一言に女学生その一はうーんうーんと考える事小一時間。
「分かりました!
 いきなりオート三輪というのが無理ならば、更にレベルを下げてモータリゼーションをすればいいんです!」
 前と同じようにぽんと手を叩いた女学生その一の叫びに、また彼女に皆の視線が集まる。
「オート三輪からレベルを下げるって……オート二輪?」
「その通りです!
 バイクにリアカーをくっつけて軽オート三輪と呼称……」
「いや、それもはや詐欺だから。
 下手すると二輪の馬力にリアカーが耐えられないし」
 カーブ時の遠心力は馬鹿にならず、遠心力がかかる車体の強度を考えると最初からオート三輪を作った方がましという結果があったりする。
「分かりました!
 二輪というのが無理ならば、もっとレベルを下げてモータリゼーションをすればいいんです!
 オートすらとっぱらって、自転車を普及させるんです!
 自転車にリアカーをくっつける!
 これが帝国のモータリゼーションの正しき姿です!
 自転車とリアカーなら100万台は作れます。
 これならば25年で米国に追いつきますよ!」
「既にモーターが無くなっているあたりで、『モータリゼーション』と言うのはおこがましいのでは……」
 女学生その四の突っ込みは華麗に無視された。
「すばらしい。
 これならば我々の生存中に結果を見ることができます。
 ですが、これ陸軍に報告すると何か色々と不都合があるのでとりあえずオート三輪の案でお茶を濁しましょう」
 一応絶望先生も先生と呼ばれるだけあって、それなりに自分の立場というのは分かっていたらしい。 
「しかし、オート三輪だとしても生産における余力が足りないのが問題なのですよね
 このままでは、生産目標の25万台というのも難しいかも……」
 絶望先生の呟きに答えを出したのは女学生その二だった。
「ならば簡単じゃないですか。
 全てを自動車に回す仕組みを作ればいいのですわ」
 女学生その二が髪をかき上げながらにっこりとその回答を口にした。
「ロサンゼルス市のパシフィック電鉄と同じ事をすればいいのですわ」
 
 後日まとめられた報告書
 −−鉄道を全て廃止し、その資源とリソースを全て自動車にぶち込む−−
という報告書はその情報を知った国鉄と鉄道省の陸軍省ガチコミという騒ぎを引き起こす事になるのだが、それはまた別の話。


 帝国の竜神様 閑話18
2008年10月16日(木) 08:09:47 Modified by nadesikononakanohito




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