帝国の竜神様22

1942年 三月後半 ドイツ

 壁にかけられた地図のロシアの大地に記される、ドイツを源とした大量の矢印にヒトラーは満足していた。
 ソ連軍の冬季反攻の挫折と異常な大寒波はドイツ軍に大打撃を与えはしたが、ソ連軍すら戦闘できない異様な寒さにより戦線は休戦状態を迎え戦線は再編されている。
 モスクワこそ取り逃がしたものの、レニングラードはもはや虫の息、クリミア半島も北部方面軍の大寒波による自然休戦をうけた戦力の増強によってほとんどが占領されており、先ごろセバストポリ要塞降伏の知らせがヒトラーに届いたばかりだった。
 だが、その地図の下を眺めるたびにヒトラーの機嫌が途端に不機嫌になる。
 イタリアの大敗走によってどうしようもないアフリカ戦線はもはや見切りをつけた。
 問題はその結果として東地中海の制海権を確立したイギリスが執拗にクレタを攻めてきている事だった。
 クレタが陥落すれば、ルーマニアのプロエスティ油田が爆撃圏内に入ってしまう。
 そうなったらドイツの戦争遂行能力は大打撃を受けてしまい、東部戦線に重大な影響が出てしまう。
 更に苦々しい事は、ドイツだけではクレタ救援は不可能に近いという点だった。
 あのイタリア海軍はタラントに引きこもり、ヴィシーフランス海軍もツーロンから出る様子も無い。
 かといって、東地中海制海権奪取に向けてイタリアを拠点としたマルタ攻略作戦を発動したら、シチリアを中心に勝手気ままに飛び回っているドラゴンにどんな刺激を与えるか分からない。
 現在、シチリア近辺では昼間に飛び回るドラゴンを刺激しないように、航空機から船舶にいたるまで運行を自粛している有様。
 物資の輸送は夜間に限って細々と続けられていた。
 ドーバー海峡を突破したティルピッツが大西洋で暴れていなければ、イギリスはクレタをもう落としていただろう。
 クレタ救援を行わない場合陥落するのは5月、ルーマニア爆撃開始は6月と予想されていた。
「どうにかならんのか!あのドラゴンは!!!」
 ヒトラーが地図に向かって罵声をあげてもさすがに側近は何もいえない。
 何しろ人間の常識の通用しないドラゴンなんぞ分かる方がおかしい。
 かといって敵に回そうものなら、ハワイを焼き中国人民を脅えさせたという巨大な力が己に襲いかかってくるのは目に見えている。
 今は、派遣したSSにドラゴンとの交渉を任せるしかなかった。
 側近の一人が不機嫌な総統に声をかける。
「総統閣下。率直に申し上げます。
 海軍はもはや時間を稼げません」
 声をかけた海軍総司令官レーダー提督は沈痛な面持ちで率直にヒトラーに告げた。
 レーダーの立てた作戦は簡単かつ効果的だった。
 艦隊には基本的に戦闘を禁じ、荒れて航空機が出せない北大西洋航路の方に留まり続け、やばくなったらブレストに逃げろと。
 ドーバー海峡を突破したティルピッツに、ブレストから出航したシャルンホルスト、グライゼナウ、プリンツ・オイゲンからなる艦隊を出撃させた結果、イギリスは本国艦隊のみならずジブラルタルの艦隊まで動員してこの艦隊を補足・撃滅しようとしていた。
 それは北海およびドーバー海峡の監視の弱体化にも繋がり、監視線を突破したUボートが大寒波で大荒れの北大西洋航路を避けて南よりの航路を通るイギリス船を次々に仕留めていっていた。
 航空機が使えないこの状況で広大な北大西洋を探すのにはイギリスでも手間取っていたが、この一ヶ月の間イギリス海軍もその補足に全力を尽くしその行動範囲は徐々に狭められていった。
 何より問題なのが、この艦隊に安全かつ十分に物資を届ける手段がなく、いずれ立ち枯れてしまうという事だった。
「そんなことは分かっておる!
 余は、海軍に稼げるだけの時間を稼げと命じた。
 その期待に大西洋で応えている海軍に感謝しておる。レーダー提督」
「なればこそです。総統閣下。
 あの艦隊には整備の時間が必要ですし、祖国に大きな貢献をした将兵達にも休養が必要なのです。
 これらがなければ最悪グラーフ・シュペーのようになってしまいますぞ」
 その名前を出されて不機嫌になるヒトラーだが、それは事実を指摘されたからに他ならない。
「……分かった。
 艦隊についてはレーダー提督に任せる」
 何についても口を挟むヒトラーがあっさりと艦隊に対する主導権を放棄してみせたのは、この作戦でのUボートの功績とそれ以上に先のシチリアのドラゴンとクレタの事が頭にあったからに他ならない。
 こうして海軍はヒトラーからささやかな勝利を手に入れた。
「ゲーリング!」
 その海軍勝利の代償は空軍に向かう。
「クレタの空軍はいつまで粘れるのか?」
「アレキサンドリアの英海軍を何とかしないと無理です」
 汗をかきながらゲーリング空軍司令官は答えた。
 バトル・オブ・ブリテン以降権力中枢から外れようとしつつあったゲーリングだが、さすがに海を渡っての救援は不興を買ってでも不可能といわざるをえなかった。
 彼とてバトル・オブ・ブリテンの二の舞を演じたくはない。
「アレキサンドリアに集結している英海軍にはプリンス・オブ・ウェールズを中心とする東洋艦隊が増援に現れ、空母イストラリアスが常時クレタ近辺をうろついて航空支援を与え続けています。
 アレキサンドリアから飛んでくる爆撃機を叩く前にこの空母を何とかしないと」 
 ヒトラーを含め、ドイツ首脳部が始めて認識した空母の有用性だった。
 英国はティルピッツ撃沈の為、荒天の大西洋でも空母をかなりの数大西洋に投入しているのだが、アレキサンドリアに残って自由に動き回り神出鬼没なイラストリアスにマルタのドイツ空軍は翻弄され続けていた。
 アレキサンドリアから飛んでくる爆撃機を迎撃しようとしたらその前に現れてエアカバーをつけ、五月雨式にクレタに来襲して防空隊を悩ませ続け、クレタに近づく輸送船を片っ端から沈めてしまっていた。
 結果、現在のクレタはイギリス東洋艦隊によって封鎖されていた。
「レーダー提督!
 我が国の空母はどうなっておる?」
「潜水艦建造を優先させておりますので工事は中断されたままです」
「シュペーア」
 軍需相に就任したばかりのシュペーアに声をかける。
「潜水艦建造の工期を遅らせる事無く空母建造の資材を回す事はできるか?」
 有能なテクノクラートで総統の信任の下で指導力を発揮し軍需生産を増大させつつあったシュペーアは即答してみせた。
「可能だと思われます。閣下」
「では、レーダー提督と話をして、資材を回すように」
 そのやり取りにうろたえるゲーリング。
「総統閣下。空母の所属は……」
「空軍でも海軍でも構わん!
 余はイギリスが持っている空母が我が祖国に無いという事実が許せないのだ!」
 ゲーリングを一括して黙らせるヒトラー。
 海軍は更なる勝利を手に入れたが、ヒトラーはそんな事など考えてもいないし、知る由も無かった。
「リッペンドロップ」
 今度は外相に声をかける。
「ヴィシー政権とイタリアに圧力をかけよ。
 かの国の艦隊を動かして、クレタを救うのだ」
 リッペンドロップがたまらずに声をあげた、
「し、しかし、シチリアのドラゴンとマルタが……」
「シチリアは夜間に突破すればいいだろうが!
 マルタで補足されるならば、されたで好都合ではないか!
 英国艦隊はこの艦隊を叩くのに戦力を割くだろうからクレタの圧力は軽減される!
 港に逼塞しているだけの海軍など何の意味もないではないか!!」
 ヒトラーは壁の地図にあるクレタの位置を叩いた。
「よいか諸君!
 何としても夏まで、あらゆる努力と犠牲をもってクレタを保持し続けるのだ!
 夏には、」   
 更に壁の地図のクレタから東のある場所が叩かれる。
「四月に始まる『ブラウ』作戦が発動し、バクーの油田が手に入る!」
 側近のどよめく声に気をよくしたヒトラーは『ブラウ』の立案者に声をかけた。
「ハルダー参謀総長」
「我々は東部戦線において敵の冬季反抗を挫折させ、冬将軍による自然休戦期間においてその戦力を再編・抽出してきました」
 地図に書き込まれたソ連領の独軍を順にハルダーは説明する。
「北方軍集団は、この冬将軍の影響をもっとも強く受け、かつ冬の期間も長い事もありレニングラード方面の包囲にとどめ、余剰兵力を中央軍集団に抽出させます。
 中央軍集団はこの北部軍集団転属兵力を予備として、『ブラウ』の陽動作戦としてモスクワ攻略作戦『クレーメル』を発動。
 モスクワ南方より迂回してモスクワを包囲。この行動でソ連軍予備兵力を拘束します。 
 南方軍集団はボック元帥の統括の元でA軍集団とB軍集団に分割。
 A軍集団はマンシュタイン上級大将指揮で中央軍集団の南方迂回の支援に」
 わざとここでハルダーは言葉を区切り、総統を覗き見るが気づいた様子は無い。
「B軍集団、この軍集団が『ブラウ』作戦の主力ですが、彼らにはロストフ攻略を手始めにスターリングラードを落とし、カフカスに侵攻。
 長躯バクー油田を押さえてもらう事になります。
 なお、このB軍集団はロンメル上級大将指揮で彼がアフリカから率いてきた三個機甲師団に武装SSと同盟国軍を中心とした四十五個師団で編成しております」
「すばらしいぞ!ハルダー!
 これでロンメルはバクーに行けるのだな?」
「空軍の支援が常にある限り」
「ゲーリング!」
「はっ!
 空軍は万全の支援を持ってロンメル将軍の進撃を支援いたします!」
 上機嫌になったヒトラーは更に声を張り上げた。
「冬季反攻に挫折し、バクーを失ったモスクワの穴熊など恐れるに足らん!
 この戦争を今年中に我が第三帝国の勝利に終わらせるのだ!!」
「「ハイル・ヒトラー!!!」」
 ヒトラーを除く全員が唱和してこの演説に満足したヒトラーが会議を終了させたのは五分後だった。


 同日 ドイツ陸軍統帥部 

「決まったぞ!」
 部屋に入るなり駆け込んだハルダーは叫び、その声に幕僚達が興奮して集まってきた。
「モスクワ!『クレーメル』が了承された!!」
 そのハルダーの叫びを聞いて幕僚達の歓呼の叫びが部屋にこだました。
「忘れるな。
 あくまで『クレーメル』は陽動作戦だぞ」
 陽気そうにハルダーは言うが、即座に幕僚の一人がちゃかして見せた。
「ですが、総統は気まぐれですからね」
 ヒトラーと陸軍中枢の間で、次の攻撃目標について大きく意見が分かれていた。
 ヒトラーは段々苦しくなる石油資源を確保する為にバクーへ目が行き、陸軍はモスクワを攻略してソ連の政治・軍事指揮中枢を崩壊させる事を目論んでいた。
 その議論に重大な影響を与えたのがアフリカ戦線のイタリアの敗北とソ連冬季反攻の挫折だった。
 英軍のクレタ攻略によってブロエスティ油田が爆撃圏に入るのをヒトラーは何よりも恐れ、その前に新たな石油資源確保の為バクー進撃を強く主張。
 ソ連軍の冬季反攻をスモンスク近郊で挫折させた事により、予備兵力の乏しくなったソ連軍はモスクワ近郊に兵を集中させてしまっていた。
 ここで、ハルダーは一つの手を打った。
 本来国家戦争計画であるカラーコードの名前まで与えられたほどの重要作戦となったバクー油田侵攻計画『ブラウ』。
 ソ連の心臓でもあるバクー油田を押さえるこの計画の為に、南部方面軍を二つに分割。
 その一つを囮に使い中央軍集団と共にモスクワを攻略するふりをしてみせ、ソ連軍を吸引しその隙にバクーを落とすという手だった。
 ヒトラー総統は数字を細かく覚える代わりに数字以上の事を知ろうとはしない。
 主軸となるB軍集団司令官にヒトラーの覚えめでたいロンメルを当て、その貴下に弱体なルーマニア・ハンガリー・イタリアやスペイン義勇兵等の同盟国軍と、陸軍と敵対するSSのヒムラーに頭を下げて武装SSを組み込ませたのだ。
 東部戦線での権力確保を狙っていたヒムラーはこの申し出を快諾。
 かくして書類上約50個師団という大軍団を総統お気に入りのロンメルが指揮して、バクーを狙うという『ブラウ』作戦は承認された。
 だが、この作戦の真の狙いはその支援作戦である『クレーメル』にあった。
 これこそハルダーが、いや陸軍全てが待ち望んでいたモスクワ攻略作戦である。
 この支援作戦にかき集められた兵力は、スモンスクからクルスクにかけて全てドイツ軍で編成された二十個機甲師団を含む130個師団。
 指揮官も中央軍集団を統括するクルーゲ元帥、グデーリアン上級大将、モーデル上級大将、ヘルマン・ホト上級大将、A軍集団のマンシュタイン上級大将と東部戦線で生き残り功績を立ててきた男達ばかりをかき集めた。
 支援作戦と銘打っているが、彼らならば大兵力の元彼らが指揮するというその意味を分かるだろう。
 モスクワ包囲の為に南から迂回した後、ソ連が予備兵力を動かさなかったらロンメルがバクーを落とす。
 逆に、ソ連が予備兵力を動かしてロンメルを叩こうとした場合、この軍団でモスクワを落とす。
 参謀本部の殆どが、囮と認識しているロンメルがスターリングラードに入るあたりでソ連軍予備兵力に補足される事を願っていた。
 そこまでソ連予備兵力が南下すればモスクワ攻略の時間は十分にある。
 歓声に沸きながらも作戦発動に伴う膨大な作業に忙殺される幕僚を見ながら、ハルダーは小さく誰にも聞こえぬように呟いた。
「どっちが勝っても祖国にとって有益なのならば、『砂漠の狐』がロシアの大地で生き残る事も祈ろうではないか」
 と。


 4月1日 ロストフ近郊 南方B軍集団

 ソ連には母なる大地を守護する二人の将軍がいる。
 一人は冬将軍。
 その寒さで敵を凍死させてゆく。
 もう一人は泥将軍。
 その泥濘に軍の足は取られてしまうのだ。
 この二人の将軍がまだ力を振るっている四月初頭に、ドイツ軍は東部戦線の中部と南部の全域で攻勢に出た。
 激しく打ち鳴らされる砲火の音にロンメル上級大将は顔をしかめる。
「桁違いの戦車、桁違いの砲、アフリカとは大違いですね」
「アフリカでの戦争は祖国にとって所詮人事だったという事だろうな」
 バイエルライン少将の軽口にロンメルも皮肉を持って返した。
 激しい砲撃戦で二人がいる場所の近くにも砲弾が飛んできているのだが、ロンメルもバイエルラインも気にしていない。
 去年のトブルク攻防戦はイギリスのクルセイダー作戦によって消耗した為に、一時兵をリビアに下げて改めてトブルクを攻めようとした。
 シチリアにドラゴンが住み着いてイタリア軍が裏崩れさえ起こさなければ、今頃はまたトブルクを攻めていただろう。
 この裏崩れの結果ヒトラーはイタリアを見捨て、ロンメルと指揮下のアフリカ軍団に帰国命令を出し彼らは東部戦線へと送られた。
 だが、彼らがやってきた時には既に大寒波はロシアの大地で吹き荒れており、ソ連軍ですら戦えない状況だった。
「でも悪い話じゃないですね。
 ここでは、定数どおりに戦車がある」
 バイエルラインが笑いながら、弦罍騰況神鐚屬魴で軽く叩いた。
 ロンメルがB軍集団を指揮するにあたって総統に直談判して捻じ込んだのは戦車であり、総統も『ブラウ』作戦の主戦力であるロンメルの為に戦車を用意してくれたのだ。
 彼が率いている機甲師団の全戦車が最新鋭の弦罍瞳燭弦罍騰況拭↓傾J型によって編成され定数を満たしていた。
「だが、我々の仕事は相変わらず脇役らしいな」
「作戦主軸と位置づけられているのですがね」
 ロンメルの皮肉にバイエルラインも苦笑で答えた。
 ロンメル直轄の三個機甲師団は申し分無いのだが、他の師団が悪すぎた。
 特にアフリカから引き上げる原因となったイタリア軍がいるあたりでロンメルの幕僚の一人は「あいつらの顔すら見たくない」と吐き捨てたほどだった。
 他のルーマニア軍や武装SSも狭罎筬傾譱備なので押して知るべし。
 そんな軍を率いて、はるかに優秀なT34を持つソ連軍と死闘をせねばならぬとなればロンメルも皮肉の一つも言いたくなる。
 ロンメルは自分達が囮である事に気づいていた。
 だが囮とはいえ、頼りない同盟軍と武装SSとはいえ、約50個師団を率いる軍集団の司令官という地位は魅力だったし、彼とて勝算が無い訳ではない。
「さて、バイエルライン。
 この戦場で我々はどう戦うべきだと思う?」
 ロンメルはアフリカの砂漠からロシアの大地に来る過程で二つの事を学んだ。
 同盟軍はあてにならない事と、自分の食い扶持(補給)は自分で抑えておかないと、結局自分が泣きを見るという二つを。
 バイエルラインもアフリカ戦の経験からロンメルが何を言わんとしているのか良く分かっていた。
「同盟軍をあてにすると戦闘に負けます。
 それに、中央でドイツの同胞が血を流している時に、あてにならない同盟国にまで補給を与えるほど総統も寛大ではないでしょう。
 我々は総統から与えられたこの三個機甲師団でソ連軍と戦わなければなりません」
 意地悪な笑みを浮べてロンメルが皮肉る。
「参謀本部の連中は我々がソ連軍に補足・包囲される事を望んでいる。
 それを避ける為には?」
 同じようにバイエルラインも意地悪な笑みを浮べた。
「拘束される都市戦闘はさける」
「分かっているじゃないか。バイエルライン」
 愉しそうな声を上げるロンメルにバイエルラインはそのまま話を続けた。
「このロストフをはじめとして、都市戦は血気盛んな武装SSにでも任せてしまいましょう。
 それでどうします?」
 激しい砲撃に黒煙を上げ続けるロストフを眺めながらロンメルは口を開いた。
「我々はドン河を渡らない」
「カフカス方面に進出しないので?」
 ロンメルは視線をドン河に向けた。
「この大河を越えて補給をするのはリビアから砂漠を越えて補給をするのと多分等しいと思うぞ」
「おっしゃるとおりで」
 『ブラウ』作戦の命令書には、「ロストフ攻略を手始めにスターリングラードを落としカフカスに侵攻。最終目標バクー油田」としか書かれていない。
 この作戦が陽動作戦である為のバルダー参謀総長が与えた作戦自由度をロンメルは読み取っていた。
「要するに、モスクワの予備兵力がこっちにくればいいと参謀本部のお歴々は考えているわけだ」
 バイエルラインの皮肉に答えずにロンメルは話を続けた。
「ロストフを落としてドン河沿いに進撃する。
 補給はドン河を使えるし、同盟国軍も川沿いに陣地を構築すればソ連軍でも渡河は難しいだろう」
 ロンメルは総統に直談判をして、ルーマニアから黒海ソ連領にあるありとあらゆる船を徴発させていた。
 クリミアのセバストポリ要塞が落ち、ロストフが落ちれば、ロンメルの補給は海上からドン河を使える事になり大幅に改善される。
 しかもソ連軍が反撃を考えるならばドン河渡河を考えねばならない。
「で、神出鬼没に小規模部隊でドン河を超えてソ連軍を撹乱すると。
 スターリングラードは?」
「命令だからな。行くさ」
 ロンメルはスターリングラードを「落とす」とは言わなかった。
「つまり、トブルクと同じさ」
 やばくなったら総統の死守命令が出される前に一撃を浴びせて逃げるとバイエルラインは理解した。
 この作戦の本質はモスクワから予備部隊を引き離す為であって、スターリングラードやバクー油田を占拠する訳ではないとロンメルは読み取っていた。
 そして、スターリンに食わせる餌がヒトラーお気に入りで「砂漠の狐」と呼ばれたロンメルのスターリングラード侵攻なのだから。
「派手に暴れて、モスクワの耳目を引きつけながら堂々とスターリングラードに入ってしまえば『ブラウ』は成功したも同じさ。
 後は、参謀本部に任せておけばいい」
 二人が話していると、大量のトラックが二人の横を通り過ぎていった。
 トラックが横を通るたびに兵士達が歓呼の声をあげる。
 ロンメルはロシアでもアフリカと同じように、兵士達と共に暮らし、兵士達より前に出る事により兵の信頼を勝ち取っていた。
 さすがに軍集団を率いる身ゆえ「最前線に立ってくれるな」との幕僚達の嘆願によって砲戦陣地にて戦況を見守っているのだが、それでも危険な事にはかわりは無い。
 兵士の歓呼に耳を傾けて敬礼していたロンメルだが、聞きなれない声を聞いてバイエルラインに尋ねた。
「今のトラック、女性の声がしなかったか?」
 吐き捨てるようにバイエルラインが答える。
「SSの女性義勇兵ですよ。
 やつら、陸軍に張り合う為だけにここに出張ってきていますからね。
 これだけ国家に貢献しているというプロパガンダの為に志願して来たそうです」
 ソ連が市民を巻き込んでの防衛戦をしている事もあって女性兵士の比率は高く、この作戦以降ドイツも負けじと、女性兵士を大量に動員してゆく事になり、東部戦線での独ソ両軍の女性兵士への陵辱は後の世にまで残る悲惨な結果となる。
「時代は変わったな」
 ぽつりとロンメルが呟くのにバイエルラインが冗談を言った。
「けど、一つだけいい事があります。
 あのSSの女性義勇兵が来てから、イタ公が逃げなくなりました」
 悲しげな顔のままロンメルも笑った。
「それは嬉しい事だな。
 我々は鉄十字勲章を受け取る資格がある彼女達の多くを祖国に帰さねばならんぞ」
 二人にはロストフからの砲撃が弱くなり、そのイタリア軍と武装SSの兵士達がロストフに突入するのが見えていた。
 その日の夕方、ロストフは陥落した。

 
 「『砂漠の狐』ロンメル、勇敢なるSS将兵を率いてロストフを攻略!」の報告は大々的に宣伝され、以降ロンメルは信じられないスピードでドン河沿いに進撃してゆき、神出鬼没にソ連軍を翻弄するロンメルに「雪原の狐」と新たなあだ名が加わる事になる。
 それはソ連もロンメルの事を無視できない事の現れであり、ハルダー参謀総長の目論見どおりソ連軍予備兵力の南下を誘う事となった。


 帝国の竜神様22
2008年04月09日(水) 16:10:53 Modified by nadesikononakanohito




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