帝国の竜神様26

1942年4月11日 帝都東京 海軍省

 ソ連が動かない事を確認した帝国は、警戒態勢を解除。
 第一機動艦隊を呉に戻すと共に、満州方面での警戒態勢も解除する事となった。
 なお、この間の日ソ間交渉は互いの腹の探りあいだったらしく、『日ソ不可侵条約は健在である』という声明が昨日出るまで、外務省は宣戦布告文書を用意する決意をしていたというからその交渉は押して知るべし。
「まぁ、イギリスさんもやる事が派手だね……」
 この写真が強気の帝国を弱気に、虚勢を張っていたソ連に自身を与えたのだから、英国というのは外交の為に戦争をしているのではと関心してしまう。
 現状報告のため久しぶりに東京に現れた山本長官は各紙の紙面につけられた写真を見てため息をついた。
 記事は色は違えど全て同じ内容となっている。
『英空軍ブレスト大空襲!戦艦三隻撃破!!』
 爆弾が直撃したティルピッツの写真は英本土からスペイン−アフリカ−インド経由の飛行機で持ってきたばかりのもの。
 おそらく、これと同じものが合衆国の紙面を賑わせているのだろう。
 ドラゴンによって動けないアメリカに多額の戦時国債を引き受けてもらって戦争を遂行しているイギリスは、戦時国債を不漁債権としてみられない為にも成果を必要としていた。
「で、実際の損害の方は?」
 山本の言葉に参謀長の宇垣中将が答えた。
「英独それぞれの大使館に確認をとりましたが、ティルピッツが損害を受けたのは間違いがないようです」
 その言葉の持つ意味を考えようと山本は目を閉じて思考の中で大西洋を思い浮かべた。
 北大西洋も春になるにつれ天候が回復してきており、そこに居座って英海軍を引きつけていた独軍戦艦が行動不能となる。
 それは、英海軍がフリーハンドで動ける事を意味していた。
 風雲急を告げる独ソ戦支援のため、ソ連に対する色気を出していた帝国に対する牽制の為にもこの写真は今必要だったのだろう。
「あの国は、どのタイミングでチップを積んでどのタイミングでカードを出すかよく分かっている」
 カード賭博に例えて山本が苦笑する中、宇垣が口を挟んだ。
「しかし、これで帝国は戦争に参加できなくなりました」
 山本の目がギロリと宇垣を睨む。
「対ソ戦で我が国が得るものがあったと思うか?」
「三国同盟を結んだまま、戦争に参加していない臆病者という非難は無くなりますな」
 臆面なく傲岸不遜に『黄金仮面』とあだ名されるだけの言い方で山本も興を削がれた。
「臆病者で結構。
 おれは戦争が怖いな。海軍の敵はアメリカだぞ。
 アレに勝つ事すらおこがましいのに、負けない為にも対ソ戦なんぞで貴重な将兵をすり潰されてたまるか」
 その信じられない生産能力をフルに稼動させて、対ドラゴン戦を計画しているアメリカの矛先が日本に向かったらと思うと考えただけで恐ろしい。
「で、その貴重な将兵ですが、
 海軍予算について水雷屋が騒いでいます」
 顔を変えずに何時の間にか話題が変わっているのもいつもの事なので山本も何も言わない。
「予算は有限。
 しかも船台に乗っているものは作る事は決まっている。
 正直、大和級二隻の予算すら潰したかったぐらいだ」
 まともな対米戦なんかもはや考える事はできないが、せめて負けない為にもと制空権だけは何とか確保しようと、海軍は陸軍にも持ちかけてパイロットの大漁育成に乗り出す事を決めた。
 三月に大西瀧治郎小将を航空本部総務部長に押し込んで航空機とパイロットの整備を命じており、限られた予算の中でできる限りの整備が図られる予定ではあった。
 それでもアメリカを相手に考えると焼け石に水なのだが。
「それで、帝国は欧州大戦には参加するつもりはないと?」
 何時の間にまた戻っている宇垣の話に山本も軽口になる。
「博打で確実に負けずに勝つやり方って知っているか?
 相手の手札がオープンになってて、こちらが手を隠している時さ。
 勝てれば勝負すればいい。負けるなら降りればいい。
 独ソ戦が決まるまで手札を伏せていても問題あるまい」
 言っている事は正しいのだが、この博打にたとえて話をするのは連合艦隊長官としてはどうかと宇垣は思ったが、それを言う為に黄金仮面を外すつもりも毛頭無かった。


1942年4月11日 ソ連 モスクワ クレムリン

 砲声がクレムリンの奥にまで聞こえてくる。
 ドイツの阻止砲撃が激しく降り注いでおり、負け時とこちらの砲撃も独軍に降り注いでいた。
「まだ、極東からの増援は間に合わんのかっ!!」
 その奥の地下大本営にこのクレムリンの王、スターリンが咆えていた。
 居並ぶ将軍達の前にはソ連の地図が置かれたその中央部にモスクワの文字が書かれ、その周囲西部から南部にかけて独軍とソ連軍が集結していた。
 将軍の一人が声をあけた。
「同志書記長。
 現在、極東軍はその先陣が移動を始めております」
 だが、それ以上の言葉をいう事ができない。
 何よりもそれ以上の言葉を言えなくしていたのは、同志スターリンの命令だったのだから。
 そもそも日本は動かないとスターリンがついに我慢できずに、事前通告もなしに極東軍を引き抜いた事が発端だった。
 ソ連の無線封鎖を攻撃準備と勘違いした日本は満州全域から空母まで出す過剰反応を示してしまい、更にそれに恐怖感を持ったスターリンが移動命令の一時中断を指示。
 組織硬直が進んで、スターリンの命令が行き届いていたソ連においてこの命令変更は致命的に痛かった。
 イギリス仲介の元、昨日やっと『日ソ不可侵条約は健在である』という声明が出せた事で再度移動命令を出したばかりだった。
 その間の約10日間の停滞。
 実際、末端まで命令が行き届くまでを考えたら一ヶ月の軍移動のロスはあまりにも痛かった。
 置かれている地図の南部のドイツ軍が信じられないスピードでソ連軍を蹂躙している。
 ロンメルの率いる南方B軍集団である。
 現在、独軍のモスクワに対する攻勢の下でドン河を遡る南方B軍が何処に行くのかがソ連軍の焦点となっていた。
 南方A軍のマンシュタインがヴォロネジ攻略戦に参加してモスクワを西と南から締め付けようという形の中で、ロンメルのB軍だけがドン河から外れてスターリングラードの方に向かう気配を見せていたからだ。
 ロストフ以南に押し込められて遊兵化した南部方面軍に、B軍に押し込められている南西方面軍、更にスターリングラード方面の東南方面軍が切り離される可能性を捨てる事ができなかったのだ。
 だが、それはモスクワ包囲に独軍が向かいつつある中で唯一突出している独軍の弱点にも見えた。
 南方B軍に対して大漁の予備をつけて包囲殲滅できたらモスクワに向かう独軍の後方に大きな穴が開く。
 罠かもしれないとジューコフ上級大将は感じていた。
 南方B軍を包囲殲滅するには南西方面軍と東南方面軍に大漁の増援をつけなければならず、それはモスクワ東方にあるモスクワ防衛の為の最後の予備兵力を動かす事を意味していた。
 西からモスクワを攻めている独軍は砲撃こそ激しいが前進する気配は少ない。幾重に構築されたトーチカを知っているからだろうか攻勢主軸は南のように見えた。
「同志書記長。
 現在の選択肢は三つあります。
 このまま軍を動かさずにモスクワを守る。極東の増援を待ってヴォロネジの独軍を叩く。極東の増援を待って南方B軍のロンメルを叩くです」
 ジューコフが発言を求めるとそれにすかさずスターリンが噛み付いた。
「今、軍を動かさなかったらスターリングラードは?バクーはどうなる?
 ナチどもに蹂躙されるではないか!
 それに、このロンメルはヒトラーのお気に入りらしく、やつを捕虜にすればヒトラーの権威失墜まで狙えるではないか!」
 怒鳴りながら話を続けるスターリンを邪魔する者は誰もいない。
 いたとしても、すぐに反逆罪にかけられて銃殺かシベリア送りにされるだろうからやはりいないという方が正しい。
「バクーは我が祖国の生命線で、スターリングラードはバクーを守る為の絶対に失ってはならぬ場所だ。
 同志ジューコフ。
 モスクワから増援を引き連れて、ロンメルを叩き潰すのだ!」
 このスターリンの命令に逆らう者はこの部屋にいるはずがなかった。
 モスクワの予備兵力を引き抜いて、ロンメルを叩き極東から回される増援を予備にあてるというスターリンの構想は1−2ヶ月の間、モスクワに予備兵力が存在しないという欠陥が存在していた。
 それをスターリンはモスクワ攻撃が南部攻撃の為の阻止攻撃であると誤断し、モスクワに張り巡らせたトーチカ網に絶大の自身を持ってジューコフを送り出す事にしたのだった。
 最強の将が、最大の部隊を引き連れて、モスクワから離れる。
 独軍が待ち望んでいた瞬間が訪れようとしていた。

「同志ジューコフ。
 少しお話が……」
 モスクワからスターリングラードに向かう飛行機の中で話しかけてきたのは、政治委員としてジューコフのお目付けとして付いてきたニキータ・フルシチョフだった。
 こういう時の話は気をつけないと粛清されるというのは過去の経験からジューコフは学んでいた。
「将校に妙な噂が広がっています。
 ご存知ですか?」
「あいにく私は、目の前のナチを祖国から追い払うのに精一杯でね。
 どんな噂を?」
 ジューコフを告発でもするような目つきでフルシチョフはその噂を口にした。
「トロツキーが生きていると」
 ジューコフの時間が止まった。
 この次の言葉で下手をしたらシベリア送りか銃殺の可能性も十分にあった。
 下手な事は言えない。
「馬鹿げている!同志フルシチョフ!!
 ナチの謀略放送に騙されるのはいい加減にしたまえ!!」
 怒鳴られているのにフルシチョフが笑みを浮べた事でジューコフは自分が助かった事を悟った。
「申し訳ございません。同志ジューコフ。
 これも私の仕事でして。
 まったく、こんなナチの謀略放送など我が将兵には何も効かないと安堵しているところです」
 だが、フルシチョフがこの場所でこのような言葉を言うという事は絶対に何か意味がある事だった。
 どうして今頃になってトロツキーがと考えた時に急に、その答えが見つかった。
 トロツキーは海外で殺害されている。多分これが理由だ。
 その軍事的才能なら、トゥハチェフスキー元帥の方が評価が高いはずだが、彼はスターリンが粛清している。
 だが、海外で殺されたトロツキーはその殺害について確認がとれない。
 替え玉だったとしたらという可能性を否定できないのだ。
 そして、この噂が出てきた背景を考えてジューコフは背筋が凍った。
 スターリンの戦争指導批判に他ならない。
 独ソ戦のナチの先制攻撃を許した所に、先の冬季攻勢失敗、そして今回の極東兵力引き抜き時の政治的混乱による、スターリンの指導に将兵が疑念を呈しているのだ。
 この祖国の危機においてモスクワでは政治的闘争が起きようとしていたのだ。
 前線にいける事をジューコフは許されていないが神に感謝した。
 そして、強引とも思えるロンメル撃滅司令もこれで合点がいった。
 スターリン自らが失脚・粛清されない為にも何としても軍事的・政治的評価を欲していたのだった。
「この戦い負ける訳にはいかないな」
「ええ。祖国を蹂躙するナチを何としても倒しましょう」
 そして二人は機内ではそれ以上何も話す事はなかった。

 帝国の竜神様 26
2007年03月24日(土) 19:13:52 Modified by nadesikononakanohito




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