帝国の竜神様40

1942年 5月 10日 帝都東京 内務省

「は?」
 彼は、帝大卒のエリートである。
 激烈な権力闘争を勝ち抜いて省内での予算折衝担当という出世の登竜門にいるのも己の才能の賜物であると自負していた。
 だから、最初に見たこの書類の意味が分からないというか、分かりたくなかった。
「何だこれは?」
 『間違っているんじゃないのか?』という言葉を口に出す事はかろうじて押さえたが、だからこそ、『頼むから間違ってくれ』と神に心の中で祈った。
 けど、現実は非常である。
「間違いじゃない。
 満鉄や各総督府に確認をとってもいいぞ。
 見ろよ!この数字!!」
 神祇院つき官僚が誇らしく宣言する隣で、黒長耳族の女が嬉しそうに微笑んでいた。

 きっかけが彼にあるのは間違いがない。
 何しろ、彼女達黒長耳族や獣耳族の女性達を国内生産に使う事を危惧する米内元首相達のグループに所属していた彼は、予算折衝不足を理由に彼女達を台湾や満州や朝鮮半島に追いやったのだから。
 だが、その事に気づいていない彼女達は持てる力の全てを使って生産力をあげていったのだった。
 大地の力を使い作物を強く実り豊かになるように魔法をかけ、彼女達が操る石人形達が畑の開発から農道や水路整備まで土木工事を行っている。
 圧巻だったのが石人形を作る要領で生み出した堆肥たっぷりの土人形が勝手に畑に歩いていく姿は外国の特派員にまで撮られ『モンスターが畑仕事をする』と東京発で配信される始末。
 作付面積だけで、台湾で1.5倍、朝鮮半島で2倍、満州に至っては4倍という信じられない数字がそこに記載されていた。
「何を考えてやがる!
 これだけの作付面積にどれだけの化学肥料が必要になると思っているんだ!
 ダダでさえ化学肥料が不足しているのに!!」
 書類を机に叩き付け紙が宙に舞う中、黒長耳族の女はにこやかに言ってのけた。
「ご安心を。
 足りない分は我々の魔法で賄います。
 絶対にこの国の民に飢えが無いだけの量の食料を生産して見せますわ」
 彼は黒長耳族の女性が産業革命前の、常時物が不足気味だった中世的な感覚で物事を考えている事を理解した。
 だからこそ『何を言っているのか分かっているのか!』という言葉を必死に彼は飲み込んだ。
 穀物の大量生産。結構。
 国民に真っ白なご飯を。結構。
 それを作っている、本土の小作民が首を吊る事実さえ見なければ。
 植民地から大量に安価な農作物が入って、本国農民が壊滅するなんて事態を誰が認められるか!
 世界に冠たる大日本帝国。その内情は中途半端な農業国家であるという事実を誰もが見ない、いや、忘れたフリをしている。
 戦争を回避できたのに、先がまったく見えない帝国の経済政策は再生に向けてやっと走り出したばかりなのに。
 彼の内心は目の前の二人には理解できないだろうし、事実理解できなかったからこそ、こんな馬鹿げた報告書を出してきたのだから。

 つきつめると、帝国の経済政策は二つ。
 農業と繊維を中心とする軽工業がどれだけ成長するかにかかっていた。
 そのうち、繊維は大陸での戦争によって欧米からの経済制裁で市場から締め出され、大陸での戦争前の輸出量に現在ですら戻っていない。
 帝国の繊維輸出先は米国が四割、欧州が三割、アジアが三割という比率で成り立っている。
 それが欧米の経済制裁によって七割近い市場を失い、大陸占領地での輸出でかろうじて四割にまで戻し、英国との交易で欧州の門戸が開かれた事により輸出量は七割までは回復しつつある。
 だが、やはり経済制裁を続けている米国の制裁解除を要求しないとフル生産しても売れないという事態が待っている。
 事実、商工省サイドから外務省にかけて「対米交渉の再開と経済制裁の解除」を切実に要求する声が高まっていた。
 更に、この繊維産業は労働集約型産業で、この生産拡大はそのまま失業率の低下に直結する。
 大陸から帰ってくる予定の100万の陸軍兵士を食わせるためにも避けては通れない問題だった。
 農業に至っては、更に問題が深刻化する。
 そもそも、畑で食えるだけの農地が無いから兵士になったという人間がかなりおり、陸海軍を敵に回して搾り取った予算で試験的に始められた東北・北陸・山陰地方での農地解放政策も小作農に農地を与えたがいいがそれを管理し、物を売る経営まで理解している農民は圧倒的に少なかったのだった。
 当然の事だが、物は多く作れば価値は下がる。
 それは農家の収入減少につながり、それを補うために更なる生産を目指すという江戸時代からの問題については現在に至るまで解決していなかった。
 その状況下での植民地からの安価な農作物の輸入は農家の失業を招き、まだ供給過剰な軽工業はその失業者を受け入れるだけの市場を持たず、国内の不満をそらす為に対外戦争ってそれで大陸にどれだけ金と血を落として泥沼にはまった事か。
 そんな悪夢二度と繰り返すつもりはない。
 異世界貿易にも問題が内包していた。
 異世界から奪い取った金銀宝石の代償が織物や酒・味噌・醤油に伝統工芸品という江戸時代からの手工業というあたりがとことん泣けるが、数次に渡り派遣された交易船団によってもたらされた大量の金銀宝石は売却すれば帝国の財政再建の一助になると分かってはいた。
 だが、新大陸が発見された後の欧州で新大陸から持ち込まれた金銀によってその価値が大暴落した事を知っている人間がはたしてどれだけ国家官僚の中にいるだろうか。
 幸いかな、米内グループの参加者に大蔵官僚がいた事もあり、異世界交易の金銀は大蔵の一元管理という事でひとまずその売却を含めた使い道については先送りしている。
 現在の貿易慣行で決済に必要な金銀は世界中からロンドンの銀行に、第二次大戦が始まってからはニューヨークの連邦準備銀行に集められている。
 ニューヨーク連邦準備銀行に所属していないこの大量の金銀の存在を知った欧米が黙っているほど国際社会は優しくはない。
 必ず口を出し、なんだかの形で彼らの管理下に置こうとするだろう。
 産業革命に100年遅れたつけの何と重たい事か。
 しかも、現在の帝国の生命線の一つたる異世界交易の金銀を入手しているのが手工業による生産品ときた。
 世界に冠たる大日本帝国という幻想に酔った国民は、この国がまだ産業革命そのものを終えていないという事実をみたくなかったのだった。

「彼女達はこれだけの貢献をしているんだ。
 その功績は評価されてしかるべきだろう」
 神祇院付官僚は乱雑に巻かれた報告書の上に申請書をのせた。
「黒長耳族および獣耳族居住地の開発許可書だ。
 第三次帝国−撫子協定に則って正式に第二次開発を申請する」
 そこには、屋久島、白神山地、知床半島を中心とした第二次黒長耳族および獣耳族居住地開発計画が記載されていた。
 異世界交易で運ばれてきたのは金銀ばかりではない。
 迫害され、撫子に縋って新たなる保護者たる帝国をたよってやってきた美女達が既に一万人近くこの世界にやってきているのだった。
 彼女達に安住の地を。
 森を追われた彼女達に新たなる安らぎの森を。
 その為に彼女たちはこの半年近くがんばったのだから。
 実績と浪花節を交え、神祇院つき官僚は予算折衝官僚を追い込む。 
「大陸の戦争が終わって、軍からも金を奪い取る緊縮予算になる今年度会計の何処にそんな金がある!
 『緑化計画』ですらやっとの思いで金を毟り取って来たんだぞ!
 とにかく、神祇院関連でこれ以上の金は出せん。
 計画の縮小か延期申請を提出しないと大蔵どころか省内の稟議すら通せないぞ」
 彼は官僚組織のルールに則って、必死にこの報告と彼が撒いた計画そのものを闇に葬る決意をした。
 だが、その言葉こそ神祇院つき官僚は欲していたのだった。
「別に内務から金を取るつもりは無い。
 既に資金については満州国および各総督府より供出させる内諾を得ている。
 内務の稟議を通すのは、本国政府の承認と本土での黒長耳族・獣耳族使用による開発の前例としてが狙いだ。
 本土から金を出さなくていいならどうとでも通しようがあるだろう?」
 神祇院つき官僚がついていたのはこの手の省内交渉はまだ黒長耳族にはできないからであった。
 官僚組織のルールを知らない彼女達なら、どうとでも言い逃れができるだろう。
 だが、彼女達にも組する官僚がいる。
 それこそ、彼が属する米内達のグループが一番恐れていた事態に他ならない。
「どうやって出す!!
 本土はおろか満州国および各植民地ですら予算は厳密に決められている!
 そんな金……」
 そこまで言って、彼は黙る。
 あったのだ。彼女たちにとって無尽蔵に匹敵する金が。
 予算折衝官僚が押し黙ったのを見て、神祇院付官僚がニヤリと笑う。
「そうだ。軍票だ。
 今あげた地域は大陸での戦争のおかげもあって軍票がけっこう流通している。
 その償還問題に軍も大蔵も頭を痛めていたのもお前は知っているだろう。
 彼女たちの使用――土木から娼技まで――料金は全て軍票で貰うように神祇院は通達を出している」
 『なんて事をしてくれた!』と予算折衝官僚は口から言いたかった。
 たしかに、帝国の金を使わずに軍票を償還してくれるのなら、病む日本経済改善の一助にはなるだろう。
 確実にインフレ圧力の一つが消滅するからだ。
 だが、金本位ならぬ女本位制度による貨幣制度なんて奇策を考えたやつは、価値と発行者が黒長耳族という同一存在であるという事を、彼女達が彼女自身で価値を決めれる通貨を与えるという怖さをどれだけ真剣に考えていたのか?
 この軍票償還で彼女達の権力は絶対的に増す。
 更に悪い事がある。
 『緑化計画』と呼ばれる黒長耳族使用による植民地開発計画において、最大規模の人員を投入しているのは関東軍のある満州だった。
 その満州は国共内戦に伴う大陸の不安定化による資本逃避と国民党支援物資の横流しによって空前の開発ラッシュに沸いていた。
 しかも北満州には油田が発見され、英国との交易で手に入れた原油精製プラントも建設しつつある。
 100万の兵で治安を固め、横流しで大量に流れ込んだトラックとトラクターによる大規模開発が雇用を生み出し、黒長耳族達による作付面積の飛躍的な拡大は本土移民によって畑を取られた満州農民の生活改善に繋がる。
 そして、軍票償還によるインフレ消滅と大規模開発の資金需要に国共内戦から逃れた資本が飛びつき、更なる開発を促進させる。    
 基本的に金は儲かる方に集まる。
 このままでは本土開発資金すら満州に流れかねない。
 そして、こんな奇策は現場の満鉄――とスポンサーの陸軍――と実際の経済財政に明るい奴――大蔵官僚――が考え出したに違いない。
「わかった。
 金がらみでそこまで問題がないのなら多分稟議は通る」
 その声に喜ぶ二人をみてはっきりと、予算折衝官僚は確信した。
 やつらは潰さないといけないと。 


 帝国の竜神様 40
2007年09月16日(日) 02:18:58 Modified by hrykkbr028




スマートフォン版で見る