帝国の竜神様57

1942年 6月7日 マリアナ諸島 夜 愛国丸ラウンジ 

 からんとグラスの中で氷が揺れた。
 琥珀色の液体を飲み干し、テーブルにグラスが置かれる木材特有の音と共に、遠藤は仕事の結果を述べた。
「いなくなったそうだ」
「それは何より。
 こっちも英米の記者たるダレスとフレミングの二人にかまかけたら素直に答えてくれたよ。
 あれが大西洋に居てくれたらと嫌味も言われたが」
 遠藤のグラスに俺と同じ琥珀色の液体を注ぐ。
 人間、衣食住で生きてゆけるはずなのだが、娯楽というものもないと生きる張り合いが無いのも事実で。
 そういう意味で、つい最近まで米国で施行されていた禁酒法というのは間違いなく天下の悪法に違いない。
 もっとも、独軍潜水艦跳梁激しい大西洋からやってきた、本場アイリッシュモルトをこうして飲めるのも英独双方にいい顔というか曖昧に付き合っている帝国の外交的迷走のおかげというのは喜ぶべきか悲しむべきか。
 先の台詞、の「いなくなった」というのはマリアナ近海に徘徊していた国籍不明の潜水艦の事である。 

 
 きっかけは、六者協議の前にマリアナの疫病神ことセドナからもたらされた「おもしろいもの」の話だった。
「おもしろいものがいるんですよ〜」
 何が楽しいのかというか、こっちは六者協議でみな殺気だっているのにこの人魚まったく気づこうともしない。
 なお、この人魚の主はベッドで夢の中のはずである。
「何がおもしろいのじゃ?」
 俺だけでなく、綾子やメイヴも修羅場で書類と格闘しているのでテーブルの上に頭を乗せて暇そうにしていた撫子が見事に食いついた。
「こっちの世界には鉄の魚がいるんですよ。
 こっちの船は凄い音を出して走っているのでうるさい事この上ないですが、この鉄の魚も煩くて仲間内で話題になっていたんですよ」
「鉄の魚か……焼いても刺身にしても食えんな」
 そんな話じゃないだろうに。
「じゃが、おぬし等魚と話ができるのでは無かったのか?」
「ええ。ですからテレパスで話しかけたんですがまったく返事が無くて。
 近づいて耳を澄ますと人間の声がするんですよ。
 面白い魚ですよね。
 もしかして、こっちの人魚族ってあんな鉄の魚なんですか?」
 たまらず書類から目を離して俺がセドナに突っ込む。
「そんなわけ無いだろう。
 人間が水の中で動けるのは潜水艦……」
 俺の言葉が耳に聞こえてから俺自身が固まる。
 何で、こんな時にこんな場所に潜水艦がいるのだ?
 こうして、俺はセドナを連れて艦橋に報告し、その報告を聞いた木村大佐と西村少将はそのまま南雲・井上両中将に連絡。
 将官が雁首そろえてセドナが言った鉄の魚についての対処に頭を抱える事になった。
「このくそ忙しい時に……」
 書類仕事に忙殺されていただけあって南雲中将の声から殺気が漂っている。
「その忙しい時だからこその潜水艦でしょう。
 タイミング的には信任状捧呈式の前後。最高ですな。
 派手な外交的デモンストレーションの前後に潜水艦で愛国丸を攻撃。
 面子を潰されたわが国は激怒。
 さて、何処の国の潜水艦でしょうな」     
 この事態を予測していた西村少将は淡々と潜水艦を受け入れた。
 とはいえ、狙われるのは間違いなく愛国丸なのだ。
 その視線は潜水艦がいるマリアナ南方の海域を睨みつけたまま。
「ダレス・フレミング両氏とも即否定しましたよ。
 『仮にこの船を沈めるのに、何で潜水艦を使わないといけないのか?我々がその気ならマリアナ近くの策源地から艦隊を動かす』と。
 まぁ、そう言うでしょうな」 
 西村少将は何時の間にか大胆な事をしていた。
 だが、これでこの潜水艦は公式に英米の潜水艦ではなくなったという事になる。
 マリアナは周りを日米英の領域で囲まれている。たしかに愛国丸を沈めるなら艦隊なり航空機を出した方が楽だろう。
 それは、この潜水艦の策源地もこの三つしかないという事なのだが、今の世界「潜水艦=独逸」という認識である。
 まぁ、大穴でソ連太平洋艦隊所属の潜水艦という可能性もあるが、今のご時世で彼らが日本海を出る事ができるとは思えない。 
 かくして、できの悪いシナリオの筋書きはこうだ。
「六者協議が行われる日を狙って、その交渉破綻を狙った独逸潜水艦が愛国丸を攻撃。
 帝国は独逸の卑劣な行為に激怒。英国との交渉を更に深め、三国同盟を脱退。
 まぁ、こちらにずいぶん配慮してくれたシナリオじゃないか。
 問題は、独逸がソ連を打倒しそうで、帝国内部の独逸派が活発に動いている所なのだが」 
 井上中将も人の悪い笑みを浮かべる。
 この時独ソ戦は既にモスクワ外周部にまで独軍が迫っており、陥落は時間の問題と見られていた。
 これにあわせて陸軍を中心とした親独派が「バスに乗り遅れるな」と活発に動き出していたのだった。
 賭けてもいいが、撃沈しようが拿捕しようが証拠は全て独逸の仕業と見せるに十分なものを用意しているに違いない。
 帝国と独逸の関係悪化を狙うのならば、愛国丸だけでなく護衛の駆逐艦も容赦なく攻めるだろう。
 血が流れれば流れるほど独逸との関係修復が難しくなるからだ。
 そして、このニュースが本土に伝わって、こちらに損害が出るようなら間違いなく帝国世論は割れる。
 そこまで狙っているのならば、この手を考えたやつはきっと人間じゃなくて尻に尻尾が生えている外道に違いない。
「ん?
 おぬしらの世界にも尻尾の生えている種族がいるのか?」
 暇なので艦橋にまでついてきた撫子がきょとんと俺に尋ねるが、当然分かってないのは撫子とセドナだけだったりする。
 比喩なのだが、異世界にはそういう種族がいるだけに何と答えるべきが。
「沈めるぞ。
 狙われると分かって、はいそうですかと船を危険に晒すつもりはない」
 南雲中将の声に力がこもる。
 書類仕事で吸い取られた精気が海の戦場の予感で元に戻ったのだろうか。
「どうぞ。
 いっその事再度英米に確認をとって、公式に潜水艦をこの二カ国以外である事を広めてしまうか。
 向こうの組んだ手だ。乗ればちゃんとお膳立てをしてくれるでしょう。
 何の因果か、今のマリアナは乙姫様捜索の為に大量の航空機と艦船が集まっていますからね」
 井上中将もちゃんと外交的リスクを外した上で、この危険な部外者というより格好のストレスのはけ口と化したこの船を見逃すつもりは無いらしい。
「楽しそうなのじゃ!
 わらわも混ぜるのじゃ!」
「却下」
「即答なのじゃ!
 ちっとは考えるそぶりぐらいするのじゃ!」
 いや、考えてもテレパスで筒抜けじゃないか。
「ふむ。たしかにそうじゃ」
 納得しやがった。
「じゃあ、私が参加しまーす」
「却下」
「私もですかぁ!」
 お前ら、事態を把握していないのに軽く参加するなんて言うんじゃねぇ!
「だって、楽しそうじゃないですか。
 みんな顔が笑っていますよ」
 セドナの指摘に慌てて顔を引き締める海軍軍人一同。
 まぁ圧倒的な戦力、攻撃予定艦船、攻撃予想時間までおおよそ把握され、撫子や乙姫なんてインチキまがいなものまである。
 これで沈めなれないのなら、我が帝国海軍は十分無能だろう。
「セドナ。
 遊びじゃないのだから、撫子と一緒におとなしくお菓子でも食べてろ。
 ほら、行った行った」
 手まで振って出て行けと言えば、このお馬鹿人魚はあっかんべーの果てに、
「知りません!
 私は撫子様と一緒に別の鉄の魚で遊びますから!」
 と、言って撫子と出て行こうとするセドナの襟首を慌てて掴む。
「はなして〜。
 私も鉄の魚で遊ぶの〜」
「わかった。わかったから。
 で、別のって、一隻じゃないのか?」
「ちがいます。
 三匹いるんです!
 まさか……全部遊んで私達に遊ばせないつもりじゃないでしょうね?」
 ジト目で睨みつけるセドナ。
 さっき、邪険に追い払おうとしただけに不信感いっぱいの視線はけっこう痛い。
「博之達の負けじゃ。
 だからわらわ達も遊ばせるのじゃ」
 何だか偉そうに笑って胸を揺らしながら撫子が宣言し、かくして哀れな潜水艦三隻は六者協議のその決定的な瞬間に人魚と巨大海洋生物群の「ひれびったん」攻撃によってノイローゼの果てにマリアナ近海から逃げていったのであった。
 
    
「けど、前々からやばいと思っていたがあいつら、本気でやばいな」
 ぽつりと遠藤がアルコール臭と共に本音を漏らす。
 潜水艦は「潜水」できる船であって、常時潜っている訳ではないし、潜水中の速度は極めて遅い。
 それに対して、乙姫を頂点にセドナやレヴィアタンとその眷属どもは常時海中で生活しているだけに遊ぶだけでもこっちは何も出来ない。
 そもそも、「沈めていい?」とセドナがのたまわった挙句に、「水中呼吸の呪文あるし、死なないよ。私ら人間食べないし」とか言い切って艦橋内をドン引きさせていたし。
 殺さなかったのは、竜の眷属が殺っちゃったら後々外交上の問題になりかねないと俺たちが配慮したからで、彼女達が居なければ俺たちも殺る(外交に配慮しつつ)気十分だったのだ。
 なお、おまけなのだが三匹の鉄の魚をたたき出す為にマリアナ近海と曖昧な指示を出した為に、マリアナ近海の全ての潜水艦に「ひれびったん」攻撃をかまして、帝国海軍の潜水艦までたたき出したのはご愛嬌。
「分かっていると思うが、お前の立場はこの世界でたまらなく不安定な位置に居るのは自覚しているよな」
「それぐらいは分かっているつもりだ」
 何を考えていたのか感づいたらしい遠藤が、撫子たちの話に俺を含ませつつ俺のグラスに琥珀色の液体を注ぐ。
 飲み干して、吐く息と共にぼやく。
「大陸に異世界にマリアナか。
 次は何処に飛ばされるんだろうな?」
「竜神様次第じゃないのか?」
 遠藤の的確すぎる突っ込みに俺は力なく笑った。
(ふふ。博之となら何処でも行くぞ。わらわは)
 何か寝室で裸でカモンカモンしている馬鹿竜の思考が聞こえたような気がしたが、酔いのせいにして遠藤と二人で己の身上を嘆いたのであった。


 その次の日、愛国丸は本土に向けて護衛の駆逐艦と共に出発した。
 
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2008年10月12日(日) 00:45:58 Modified by nadesikononakanohito




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