帝国の竜神様閑話14

 物を作る為には資源が必要で、資源は当然ただでは無い。
 そして、資源を加工する工場が必要で、えてして加工というのは知識がないとできないものである。
 それなのに、このたった二行の文章を理解できない人間が無数にいるというのはその国がまだ真の意味で工業国で無い証拠であろう。

 1941年の年の暮れ、大戦にひた走っていた大日本帝国は竜という摩訶不思議な生物の襲来により大戦参加を回避した。
 とはいえ、かれらとてそのまま中立でいられるほど楽観していた訳でもなく、どこかの勢力に参加する事は必然とは考えていたのだった。
 竜がおこなった中国大陸からの足抜け、北満州油田の発見、裏取引による英国との関係改善という国そのものを揺さぶるほどの外交状況の変化がそれを吹き飛ばした。
 そして、この国はかねてからの規定路線と思っていた枢軸側にたっての対連合国宣戦布告がなくなると、その代案がまったく無い事を曝け出し、各部門が勝手に暴走しだすのだった。
 今から話す喜劇はこれとはずいぶん規模が違うが、やはり規定路線の放棄から現場の混乱と奮闘という日本的な、たまらなく日本的な物語である。

 1942年予算が陸軍大削減、海軍も計画そのものの放棄という形での緊縮予算が成立した時、海軍省に怒鳴り込んできた男達は海軍で俗に言う水雷屋と呼ばれる男達であった。
 船台に乗っている船はかろうじて建造が認められたのだが、その中に運悪く巡洋艦予算が無かった事が原因である。
 軽巡洋艦は5500トン級の代替を考えねばならず、阿賀野型はまだ建造が始まったばかり。
 じゃあ、最上級を使おうとするとこれが重巡として完成しており、英米にたいしては重巡改造は機密とされていたから表に出せる訳が無い。
 かくして、水雷屋達は戦う事を決意した。

 まず、金である。
 緊縮予算状況下で何処にそんな金があるかと言われたがある所にはあったりするのも金である。
 英国との裏取引で二個水雷戦隊を第三国であるタイのバンコク商会所属にして船団護衛の為にインド洋に派遣。
 英国から入る船団護衛の料金はバンコク商会が海軍発行の臨時国債(普通に戦時国債を買えば陸軍にも金が入るので)を買う事で海軍に落ちるようにからくりが作られていた。
 もちろん、この金は予算外の資金であり、彼らはこの金に目をつけた。
 海軍中央は緊縮財政下でこの資金を艦隊維持のための切り札にしようと手を出すのを躊躇っていたのだが、彼らとて水雷屋の受難が分からない訳ではない。
 怒り、脅し、最後には泣いて土下座までしての交渉の結果、「安く上げる事を条件にとりあえず二隻」という事でこのヘソクリからの軽巡洋艦建造が認められる事となる。
 かくして金は手に入れた。
 次は資源だったが、これは英国が融通してくれた。
 米国が対竜戦で対独不参戦な以上帝国を味方に引き込む為にかなりの譲歩をしており、この資源支援から始まる取引は旧式駆逐艦および5500トン級のインド・オーストラリアへの売却まで後に拡大する事となる。
 ただし、英国が出した資源融通条件の一つに「早く竣工する事」がつけられた。
 当然この新型艦が竣工すれば対英支援に使われるだろうし、米国が対竜戦で動けない場合はこの同系艦を帝国から買う事を狙っての事である。
 金もある、資源もクリアした。
 そして最大の問題であるドック確保に彼らは奔走する。
 日本で巡洋艦を建造できる場所は少なく、呉・長崎・佐世保・横須賀の四ヶ所しかない。
 そして皆、忘れがちになるのだが、既に就航している艦船も定期的にドックに入ってメンテナンスをしなければならないので、ドックの使用についてはもの凄く時間がかかる。
 これも幸いにも改善される。
 インド洋に派遣されている東洋艦隊が地中海に進出した事で英国了解の下、空のあるシンガポールやコロンボのドックで行う事ができ、本土のドックは新型艦建造計画の凍結の余波で新造艦建造が止まってしまっていたからである。
 短期間で新たに始まる艦隊整備計画の邪魔にならないならという条件で、ドックの使用が黙認された。
 かくしてドックも手に入った。
 あとは作るだけである。
 艦政本部に条件は次の「安く」「早く」の二つ。
 そして、ものの見事に艦政本部はこの要求をはねつけた。
 彼らは建造計画そのものも白紙で全てのスケジュールが狂いまくっているのに、そんな海のものとも山のものとも分からないものに人材を派遣する余力など無かったのだ。
 けれども彼らは諦めなかった。
 艦政本部の平賀派にも藤本派にも属さない、場末もしくは新人造船官の数人に声をかけ、なんとか作ってくれと懇願したのだった。
 もちろん、日の目を見れるのならと場末にいた彼らに異論があるはずもなかった。
 まぁ、この時点で既にこの船が彼ら水雷屋の浪漫と場末の造船官の日の目の舞台と化しているのはどーよという感じなのだが、当然のようにその事に造船官も水雷屋達も、そして秘密になっていたこともあって海軍中央も気づいてなかったりする。

 造船官達は、水雷屋達に具体的な話を求めた。
 条件の「早く」「安く」は何を基準としてなのか?
 水雷屋達に話を聞くと阿賀野級という言葉が出てきた。
 水雷戦隊旗艦として阿賀野級は四隻が建造されているのだが、時代は既に駆逐艦の大型化を見据えて秋月級などの大型駆逐艦を拡張して指揮機能をつける事が不可能では無くなっていた事が事態をややこしくさせる。
 とはいえ、大型化すると、「そのまま重巡作れば?」という声が当然のように各所からあがりかねない。
 あげくに、
「水雷戦隊の指揮取る為にいるなら、これ二隻を作らずに拡大秋月級六隻作った方がよくね?」
 という、根本的否定意見まで出る始末。
 だから水雷屋達は、阿賀野級ほど尖ってなくて、重巡ほど猛々しくもない普通の軽巡洋艦が欲しくなった。
 以上のような話を聞いて造船官は悩む事になる。
 「早く」、「安く」、そして「普通に」という注文である。
 その注文も、帳簿外の金でドックも短期間しか借りれないという作る条件つき。
 造船官達は頭を抱えるしかなかった。
 結果、確実な技術とあるものの再利用で作るしかないと造船官達は決断した。
 基本設計は船殻については最上級後期を基本に利根級の経験をフィードバックさせることにした。
 切り詰めた設計の阿賀野級では弄ることができず、他に適当な設計が無く一回り大きな船体を用意しなければならなかった。
 一応、計画が流れた大淀級の計画図面があるにはあるが、再設計と建造時の不具合を考えたらここに集められた造船官での修正は難しいという裏事情もある。
 建造されて不具合まで出てそれが修正されている最上級後期の船体設計流用はこんな理由である。
 そんな造船官の苦労も知らず水雷屋はとにかく「早く」「早く」と念を押す。
 「早く」が強調されたのは建造途中で横槍を入れられない為である。
 船体構造は最上級後期と利根級の一部を流用して手間を省いただけではなく、ドックから早く追い出す為に使用鋼材のランクを落としてかつ長尺で使用するという方法で工期と予算を圧縮。
 鋼材の質を落としたことで重量は増し、防御力は最上後期級より劣るが元々の船体が重巡であるため敵水雷戦隊(軽巡や駆逐艦)と戦う場合、その船体の大きさが最大の防御力があると割り切っての決断である。
 機関は商船改造空母(戦争回避によって計画が宙に浮いていた)用に用意していた駆逐艦の機関を流用。
 主砲は新造する余裕が無く、旧式戦艦からおろした15.2センチ砲を連装にして前後2基ずつ背負い式に装備。
 艦橋前と元々の水偵スペースにおよび艦の両舷にこれまた商船改造空母に搭載予定だった12.7cm連装高角砲を装備。
 この高角砲を含めて対空火器は12.7cm連装高角砲は6基12門、25mm3連装機銃8基24門という対空防御力強化が図られた。
 ちなみに主砲は両用砲に換装する計画だったのだけど、両用砲そのものが完成しないという裏事情があったと資料は伝えている。
 その為、重量が重たくなる両用砲塔に換装する事を見込んで装甲は日本の巡洋艦にあるまじき200ミリの装甲を張った(バランスを取る為)のものを使用している。
 これが何をもたらしたかというと、給弾機は元の20センチ砲対応なので砲弾だけはカートリッジ化(砲弾と炸薬を分けずに運ぶので砲弾が巨大化する)と機械装填により射速の五割向上を実現し、砲の数を手数で補う事に成功している。
 ただし、15センチ砲では大型艦に適わないので、魚雷も装備。
 なお発射管は重雷装艦の大井・北上から取り外し(大井・北上はそのまま高速輸送船として海軍の少ない補助艦艇をサポート)、四連装四基16門(片舷二基8門)再装填無しとなった。
 他にソナーはつけるが爆雷装備は無し、水上機は艦尾にカタパルトを設置して水偵運用は二機に減少。
 かくして船体のバランス調整以外はほとんど流用によって設計されたこの船は水無瀬級と名付けられ呉のドックで42年7月に着工となる。

 水無瀬級軽巡洋艦

 排水量:12640トン
 全長:187.7m
 全幅:20.3m
 吃水:5.90m
 出力:104,000hp
 最大速力:32.5kt
 航続距離:18ktで8000浬
 舷側装甲:140mm
 甲板装甲:60mm
 乗員定数:904名

 一番艦:水無瀬
 二番館:綾瀬

 工事そのものは「早く」「安く」という原則に基づき、電気溶接やブロック工法の一部導入や長耳族や獣耳族の魔法による支援等最新技術の実験に近い工事が行われ、一番艦の水無瀬は42年8月起工、43年5月進水、43年10月就航という工事期間約一年二ヶ月という異例の速さで完成する。
 出来上がった水無瀬級を見て水雷屋は満足したが、かといって微妙な攻撃力なこの船を何処に使えばいいか連合艦隊は途方にくれさせたのだった。
 とりあえず、軽巡洋艦に分類されているが装甲が重巡対応とひどく硬い事を利用して、夜戦において水雷戦隊の盾として遊軍的立場で縦横無尽に敵を引き付ける役を受け持つ事になる。
 水無瀬級が囮として砲火を一身に浴びている内に阿賀野級に率いられた水雷戦隊が魚雷をぶち込むという算段である。
 なお、この発想を考えた士官は「大和と二水戦の関係を水無瀬と水雷戦隊にも当てはめただけだ」と後に語っている。
 また、この艦より黒長耳族および獣耳族等の女性兵士の運用を考えての設計が行われている。
 彼女たちの居住スペースは取り払われた三番砲塔の下に作られ専属の応急部署となり、応急要員として神祇院の黒長耳族や獣耳族(テレパスでの通信維持と水氷魔法による消化)、ナース(人命救護)達が乗り込む事になる。
 なお、一番艦水無瀬は何故か朝になると機関部で故障が頻発するのだが、その後急回復して高速で想定時間に間に合わせる事から「寝ぼすけ」と関係者をひやひやさせたという。

 帝国の竜神様 閑話14
2007年12月12日(水) 14:08:57 Modified by nadesikononakanohito




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