帝国の竜神様09
大英帝国宰相の朝は葉巻と紅茶で始まる。
たとえ、帝都ロンドンがナチスの空襲に焼かれてもそれは変わらない。
秘書のエドワード・マーシュがいつものように報告を始めるのも戦争下でも変わらないチャーチルの日常だった。
「おはようございます。首相閣下。
今日は悪いニュースと、すごく悪いニュースと、もの凄く悪いニュース、とてもとても悪いニュースがございます」
大英帝国宰相たるチャーチルの秘書などやっていると諧謔と性根が悪くなるというのは本当らしいとチャーチルは思いつつ、葉巻からの紫煙をくべらす。
「いいニュースはないのかねエドワード?」
「ありましたら、今頃私は別の職を探しています。閣下」
チャーチルが戦時下の宰相であるというのはチャーチル自身が良く知っていた。
「私でもそうするな。
では、ニュースを聞いていこうか」
葉巻を灰皿に置いて、ティーカップを手に持ってエドワードに促した。
「まずは、極東の方です。
日本帝国と国民党が水面下で話し合いを始めています。
蒋介石は我々の援助打ち切りを恐れていますから、戦争状態はそのままに偽りの戦闘を続ける事で合意したと」
「ひどい話だ。
日本は兵を大陸から引いただけでなく、国民党は我々の支援物資を手に入れ続けるつもりか」
「香港が無事である事を喜ぶべきでは?」
チャーチルはアッサムティーの優雅な香りが口の中に広がるのを楽しみながら、エドワードの言葉に訂正を入れた。
「ついでにシンガポールも無事なのを喜びたまえ。
アジア経営において、シンガポールこそ要なのだからな」
はき捨てるように言ってのけるチャーチルの言葉にエドワードは何が面白いのかにやりと笑みをうかぺてみせた。
「それなのですが、香港からの報告です」
テーブルの上に広げた航空写真を一枚チャーチルが手に取る。
「これはこれは……ナガト級ではないか……ん?」
写真にはナガト級二隻の隣にはるかに大きい新型戦艦が写っていた。
「日本人め!
我々に隠れてこのような新型戦を作っていたなんて!!
待て、エドワード。香港からの報告と言ったな?」
「はい。首相閣下。
念のため申し上げておきますと、日本人達は現在仏印を占領下に置いていますな」
机に写真を叩きつけてチャーチルが吠えた。
「この新型戦艦でチェックする気かっ!!!」
叩きつけた机の上に置かれたティーカップが鳴って、チャーチルは我に戻った。
そんなチャーチルなどいつもの事なので、エドワードは秘書らしく冷静かつ冷酷に話を続ける。
「我々のクィーンは盤上から落ちたまままだ見つかっておりませんゆえ。
ルークで守りきれますかな?」
「嫌味を言うな。
アメリカはドラゴンで動けず、日本は国民党を講和してその矛先を我らに向けるつもりらしい。
シンガポールに派遣している極東艦隊で支えられんのぐらい分からんほど耄碌していない」
はき捨てるチャーチルに対してエドワードはあくまに冷静に。
この気難しい宰相に勤める時に気をつけるのはこの宰相と同じように感情に任せる事無く、感情を沈めるようにするのが第一の仕事なのだから。
「それでしたら、今わが国に派遣する船など無い事はご存知かと。首相閣下」
不機嫌なままチャーチルは黙り込んだ。
現在、本土はかろうじてドイツの攻撃から逃れてはいるが、ソ連はモスクワ寸前にまで迫られ、北アフリカもロンメルが暴れている。
合衆国参戦の目処がつかぬ今、日本がイギリスにその矛先を向けたなら、アジアだけでなく大英帝国の心臓部たるインドまで危険に晒す事になる。
かつてと状況が違う以上、日本を締め上げてこちらのチップを危険に晒す必要は無い。
「時間を作る。日本大使を呼ぶように」
「かしこまりました。閣下」
「さて、とりあえず二つは聞いたぞ。
後二つはどれぐらい悪いんだ?」
皮肉を言いながら、葉巻を手に取ったチャーチルに、エドワードはもの凄く悪いニュースを告げた。
「あと二つはドラゴンの事でございます」
「ふん。戦車や飛行機で人を殺す時代にドラゴンか?
わしはいつからアーサー王の諸侯になったのだ?」
「円卓の騎士達がいましたら今の現状もどうにかしていましょうて。
いないからこそ、閣下がこうして汗をかく事に」
「世辞はいい。
で、合衆国を政治的泥沼に引きずり込んだドラゴンがどうした?」
「五匹だそうです」
チャーチルが手から葉巻を落とした。
「今、なんと言った?」
「ハワイ、トウキョウを襲ったドラゴンの他にあと三匹、ドラゴンがいると申しているのでございます」
ここにあがって来ている情報だ。裏は取っているはずだとチャーチルが考えていたら、
「ドイツの国防軍の暗号より解読しました。
その元はヒトラーに謁見した日本の大島大使だそうです。
ヒトラーはSSに指令を出してドラゴンを発見せよと。
これが、その全文です」
日本の外交暗号は解読されていたが、軍用暗号はまだ解読されていなかった。
このドラゴンの情報は陸軍暗号で大島大使に送られており、そこからヒトラーに謁見。
大島大使の情報を元にヒトラーが指令を出しSSと国防軍が動いており、その国防軍暗号を解読したらしい。
「ドラゴンは五匹。
ドイツ占領下にある火山を至急調査せよ。
攻撃はするな。
ドラゴンとは意思疎通ができる」
暗号文を置いてチャーチルはため息をついた。
「つまり、合衆国は馬鹿だったと?」
「所詮植民地人という事で。
ですが、我らの中にも勇者は多くいますゆえ笑うのは控えられたらと」
エドワードの言葉にチャーチルは天を仰いでみせた。
「その通りだ。
勇ましく、命じられるがままに死ぬ、頭の足りぬ勇者こそ大英帝国は必要なのだ。
それも大量に」
瞳を閉じて神に祈る。神よ。おろかなる勇者を贄に大英帝国の栄光を守りたまえと。
「場所は?
凄く悪いニュースに持ってくるのならば、場所は掴んでいるのだろう?」
チャーチルの声にエドワードは報告を続ける。
「二匹、場所が分かりました。
アイスランドとシチリアです」
チャーチルの顔が見る見る青くなるのが分かった。
日本がドラゴンを捕獲後、ドラゴンと共に中国各地を飛び、日本軍に協力しているのは香港や上海から報告があがっている。
そんなドラゴンが、シチリアとアイスランドにいるだと?
地中海の要衝シチリアに、現在米軍占領下で北大西洋航路船団護衛の重要基地レイキャビクのあるアイスランドだと?
「で、最後のとてもとても悪いニュースです。
シチリアはドイツが、アイスランドは合衆国が、その存在に気づきました」
額に手をあてて神を呪い出すチャーチル。その口でさっきまでその神に祈っていたのは綺麗に忘れているのだろう。
「ドイツはシチリアにドラゴン専属のSS一個大隊を編成して送り出しています。
合衆国は世論が世論ですから、いずれ戦端を開くのは確実かと」
「で、その二匹のドラゴンは何か吐き出したのか?」
とてもとても悪いニュースらしく、エドワードは浮気を目撃した旦那のような顔でチャーチルの質問に答えた。
「ドラゴンにも個性というものがあるらしいですな。
ハワイのワイバーンやトウキョウのエルフとは違う種をシチリアでは確認しました」
「ふん。このご時世にドラゴンが空を飛ぶのだ。
何が来ても驚かんぞ」
チャーチルのこの言葉は残念ながら数秒しか持たなかった。
「シチリアで血が抜かれた死体が多数発見されたそうです。
襲われたのが全て男性で、全員名も知らぬ美女と付き合っていたと」
伊達に歴史の長い覇権国家の宰相を務めている訳ではない。
チャーチルの貴族としての教養は、エドワードの一言で何を言わんとしていたのかすぐに気付いてしまった。
「ブラム・ストーカーが聞いたら大喜びしそうだな。
一応生物らしく異性が好きだったとはな」
「そのうち伯爵も出てくるのでは?」
二人して皮肉を浮かべるあたり、やはり主人と秘書はにるものらしい。
「ドラゴンは全て女性だそうです」
「それは大変だ。
イタリア人ならば、吸血鬼でもドラゴンでも美人なら口説くからな。
イタリア人がドラゴンを口説き落とした結果、大英帝国が滅んだとなったら後世の歴史家は我らを皮肉るだろうよ」
東京でこの時撫子がくしゃみをした事など、地球の裏側たる彼らに分かる訳がなかった。
「我々も情報局員を派遣すべきかと。口説き落とすために」
このエドワードの皮肉はそのまま英国政府中枢に伝えられて、色男がシチリアに送られる羽目になるのだがそれは別の話。
チャーチルは皮肉を浮かべていたその顔を戻して、全てのニュースの感想を改めて口にした。
「何だ。いつもと同じ日常ではないか」
「はい。いつもと変わらぬ、大英帝国危機の日常でしょう」
チャーチルはこんな男だった。
当然それに付き合うエドワードもこうなるのだろう。
これを日本では「朱に交われば赤くなる」という。
帝国の竜神様 09
たとえ、帝都ロンドンがナチスの空襲に焼かれてもそれは変わらない。
秘書のエドワード・マーシュがいつものように報告を始めるのも戦争下でも変わらないチャーチルの日常だった。
「おはようございます。首相閣下。
今日は悪いニュースと、すごく悪いニュースと、もの凄く悪いニュース、とてもとても悪いニュースがございます」
大英帝国宰相たるチャーチルの秘書などやっていると諧謔と性根が悪くなるというのは本当らしいとチャーチルは思いつつ、葉巻からの紫煙をくべらす。
「いいニュースはないのかねエドワード?」
「ありましたら、今頃私は別の職を探しています。閣下」
チャーチルが戦時下の宰相であるというのはチャーチル自身が良く知っていた。
「私でもそうするな。
では、ニュースを聞いていこうか」
葉巻を灰皿に置いて、ティーカップを手に持ってエドワードに促した。
「まずは、極東の方です。
日本帝国と国民党が水面下で話し合いを始めています。
蒋介石は我々の援助打ち切りを恐れていますから、戦争状態はそのままに偽りの戦闘を続ける事で合意したと」
「ひどい話だ。
日本は兵を大陸から引いただけでなく、国民党は我々の支援物資を手に入れ続けるつもりか」
「香港が無事である事を喜ぶべきでは?」
チャーチルはアッサムティーの優雅な香りが口の中に広がるのを楽しみながら、エドワードの言葉に訂正を入れた。
「ついでにシンガポールも無事なのを喜びたまえ。
アジア経営において、シンガポールこそ要なのだからな」
はき捨てるように言ってのけるチャーチルの言葉にエドワードは何が面白いのかにやりと笑みをうかぺてみせた。
「それなのですが、香港からの報告です」
テーブルの上に広げた航空写真を一枚チャーチルが手に取る。
「これはこれは……ナガト級ではないか……ん?」
写真にはナガト級二隻の隣にはるかに大きい新型戦艦が写っていた。
「日本人め!
我々に隠れてこのような新型戦を作っていたなんて!!
待て、エドワード。香港からの報告と言ったな?」
「はい。首相閣下。
念のため申し上げておきますと、日本人達は現在仏印を占領下に置いていますな」
机に写真を叩きつけてチャーチルが吠えた。
「この新型戦艦でチェックする気かっ!!!」
叩きつけた机の上に置かれたティーカップが鳴って、チャーチルは我に戻った。
そんなチャーチルなどいつもの事なので、エドワードは秘書らしく冷静かつ冷酷に話を続ける。
「我々のクィーンは盤上から落ちたまままだ見つかっておりませんゆえ。
ルークで守りきれますかな?」
「嫌味を言うな。
アメリカはドラゴンで動けず、日本は国民党を講和してその矛先を我らに向けるつもりらしい。
シンガポールに派遣している極東艦隊で支えられんのぐらい分からんほど耄碌していない」
はき捨てるチャーチルに対してエドワードはあくまに冷静に。
この気難しい宰相に勤める時に気をつけるのはこの宰相と同じように感情に任せる事無く、感情を沈めるようにするのが第一の仕事なのだから。
「それでしたら、今わが国に派遣する船など無い事はご存知かと。首相閣下」
不機嫌なままチャーチルは黙り込んだ。
現在、本土はかろうじてドイツの攻撃から逃れてはいるが、ソ連はモスクワ寸前にまで迫られ、北アフリカもロンメルが暴れている。
合衆国参戦の目処がつかぬ今、日本がイギリスにその矛先を向けたなら、アジアだけでなく大英帝国の心臓部たるインドまで危険に晒す事になる。
かつてと状況が違う以上、日本を締め上げてこちらのチップを危険に晒す必要は無い。
「時間を作る。日本大使を呼ぶように」
「かしこまりました。閣下」
「さて、とりあえず二つは聞いたぞ。
後二つはどれぐらい悪いんだ?」
皮肉を言いながら、葉巻を手に取ったチャーチルに、エドワードはもの凄く悪いニュースを告げた。
「あと二つはドラゴンの事でございます」
「ふん。戦車や飛行機で人を殺す時代にドラゴンか?
わしはいつからアーサー王の諸侯になったのだ?」
「円卓の騎士達がいましたら今の現状もどうにかしていましょうて。
いないからこそ、閣下がこうして汗をかく事に」
「世辞はいい。
で、合衆国を政治的泥沼に引きずり込んだドラゴンがどうした?」
「五匹だそうです」
チャーチルが手から葉巻を落とした。
「今、なんと言った?」
「ハワイ、トウキョウを襲ったドラゴンの他にあと三匹、ドラゴンがいると申しているのでございます」
ここにあがって来ている情報だ。裏は取っているはずだとチャーチルが考えていたら、
「ドイツの国防軍の暗号より解読しました。
その元はヒトラーに謁見した日本の大島大使だそうです。
ヒトラーはSSに指令を出してドラゴンを発見せよと。
これが、その全文です」
日本の外交暗号は解読されていたが、軍用暗号はまだ解読されていなかった。
このドラゴンの情報は陸軍暗号で大島大使に送られており、そこからヒトラーに謁見。
大島大使の情報を元にヒトラーが指令を出しSSと国防軍が動いており、その国防軍暗号を解読したらしい。
「ドラゴンは五匹。
ドイツ占領下にある火山を至急調査せよ。
攻撃はするな。
ドラゴンとは意思疎通ができる」
暗号文を置いてチャーチルはため息をついた。
「つまり、合衆国は馬鹿だったと?」
「所詮植民地人という事で。
ですが、我らの中にも勇者は多くいますゆえ笑うのは控えられたらと」
エドワードの言葉にチャーチルは天を仰いでみせた。
「その通りだ。
勇ましく、命じられるがままに死ぬ、頭の足りぬ勇者こそ大英帝国は必要なのだ。
それも大量に」
瞳を閉じて神に祈る。神よ。おろかなる勇者を贄に大英帝国の栄光を守りたまえと。
「場所は?
凄く悪いニュースに持ってくるのならば、場所は掴んでいるのだろう?」
チャーチルの声にエドワードは報告を続ける。
「二匹、場所が分かりました。
アイスランドとシチリアです」
チャーチルの顔が見る見る青くなるのが分かった。
日本がドラゴンを捕獲後、ドラゴンと共に中国各地を飛び、日本軍に協力しているのは香港や上海から報告があがっている。
そんなドラゴンが、シチリアとアイスランドにいるだと?
地中海の要衝シチリアに、現在米軍占領下で北大西洋航路船団護衛の重要基地レイキャビクのあるアイスランドだと?
「で、最後のとてもとても悪いニュースです。
シチリアはドイツが、アイスランドは合衆国が、その存在に気づきました」
額に手をあてて神を呪い出すチャーチル。その口でさっきまでその神に祈っていたのは綺麗に忘れているのだろう。
「ドイツはシチリアにドラゴン専属のSS一個大隊を編成して送り出しています。
合衆国は世論が世論ですから、いずれ戦端を開くのは確実かと」
「で、その二匹のドラゴンは何か吐き出したのか?」
とてもとても悪いニュースらしく、エドワードは浮気を目撃した旦那のような顔でチャーチルの質問に答えた。
「ドラゴンにも個性というものがあるらしいですな。
ハワイのワイバーンやトウキョウのエルフとは違う種をシチリアでは確認しました」
「ふん。このご時世にドラゴンが空を飛ぶのだ。
何が来ても驚かんぞ」
チャーチルのこの言葉は残念ながら数秒しか持たなかった。
「シチリアで血が抜かれた死体が多数発見されたそうです。
襲われたのが全て男性で、全員名も知らぬ美女と付き合っていたと」
伊達に歴史の長い覇権国家の宰相を務めている訳ではない。
チャーチルの貴族としての教養は、エドワードの一言で何を言わんとしていたのかすぐに気付いてしまった。
「ブラム・ストーカーが聞いたら大喜びしそうだな。
一応生物らしく異性が好きだったとはな」
「そのうち伯爵も出てくるのでは?」
二人して皮肉を浮かべるあたり、やはり主人と秘書はにるものらしい。
「ドラゴンは全て女性だそうです」
「それは大変だ。
イタリア人ならば、吸血鬼でもドラゴンでも美人なら口説くからな。
イタリア人がドラゴンを口説き落とした結果、大英帝国が滅んだとなったら後世の歴史家は我らを皮肉るだろうよ」
東京でこの時撫子がくしゃみをした事など、地球の裏側たる彼らに分かる訳がなかった。
「我々も情報局員を派遣すべきかと。口説き落とすために」
このエドワードの皮肉はそのまま英国政府中枢に伝えられて、色男がシチリアに送られる羽目になるのだがそれは別の話。
チャーチルは皮肉を浮かべていたその顔を戻して、全てのニュースの感想を改めて口にした。
「何だ。いつもと同じ日常ではないか」
「はい。いつもと変わらぬ、大英帝国危機の日常でしょう」
チャーチルはこんな男だった。
当然それに付き合うエドワードもこうなるのだろう。
これを日本では「朱に交われば赤くなる」という。
帝国の竜神様 09
2007年12月31日(月) 02:46:17 Modified by nadesikononakanohito