帝国の竜神様30

1942年4月8日 立川 陸軍航空基地

 エンジン音というのはいいものだ。
 特に、空を飛んでいる時のエンジン音は不思議と心が安らぐ。
 何の因果で海軍内でドサ回りをしているのか知らないが、一応俺はパイロットである。
 で、パイロットたる以上日々の訓練は欠かさずというか、欠かさないとすぐ腕が落ちるのでこうして定期的に乗る事になる。
 という訳で霞ヶ浦に乗りに行こうとしたら堀社長が、
「飛行機に乗りに行くのならいい仕事があるんだが」
 怪しく俺達を誘ってきたので、霞ヶ浦ではなく立川の空を俺達は飛んでいたりする。
 山本長官直属なのをいい事に長官専用の帝都の雑用係と化しているんじゃなかろうかと思ったりもするが、
「わらわもいくのじゃっ!」
 と、当然のごとく主張していた馬鹿竜同伴OKという時点で引き受ける事に同意した。
 霞ヶ浦に撫子と当然の様にお供についてくるメイヴを引き連れての霞ヶ浦なんぞ、しっと団に襲撃してくれといわんばかりだったのでおとなしくいい仕事とやらで立川の空をこうして飛んでいる。
「おい、遠藤。
 新型機の調子はどうだ?」
「真田よ。これも悪くないな」
「ああ、まったくだ」
 新しく配備されるかもしれない新型機、仮称二式局地戦(A6M4-J)に乗っているのだから気分が悪いわけが無い。
 陸軍機相手の次期局地戦闘機同士の模擬空戦。それが堀社長のいう「いい仕事」の正体だったりする。
 俺たちの乗っている機体は大陸で使われていた零戦11型に金星のエンジンを載せ、機体強度を上げたり防弾性能をつけたりしたタイプ。
 前方を見ると前に黒点−−今回の相手は対米戦に向けて先行生産されていた陸軍のキ−44−−が同数こちらに向かってくる。
(負けるでないぞ。博之)
(安心しろ。一応こっちは新型機だ。
 手を出すんじゃないぞ)
「行くぞ。遠藤」
「はいはい。んじゃ、はじめますか」
 互いに敵を視認。上を取ろうとするが、上昇能力は若干だが向こうの方が速い気がする。
「向こうの方が上昇能力は上か?」
「いい機体らしい。金星エンジンを換装したこいつでは苦しいか。
 真田よどうする?」
「その代わり、旋回性能は零戦譲りだ。
 遠藤。回り込んで仕留めるぞ」
「了解」
 上を取った二機のキ−44が射線を合わせる前に、旋回してキ−44の後ろを取ろうとする。
 相手もその裏をかく為に旋回しようとして……旋回性能悪いな。こいつ。
 遠藤が相手をしていたキ−44は見事に遠藤に撃墜判定を喰らうが、俺が相手をしていたやつは俺の射点ぎりぎりの所で急降下に入りかろうじてかわす。
「あの急降下凄いな。
 どうする?こいつは元は11型だから急降下についていけないぞ?」
「かといって逃がすわけにはいかんだろう。
 俺が後ろから追うから前から挟んでくれ」
「了解」
 機首を下げてキ−44を追うが、どうやらキ−44は上昇と降下に特化した機体だったらしい。
 高度を下げて逃げ回ろうとしたが、最後は俺が後ろを取ろうとした時に遠藤がすれ違いざまに撃墜と判定された。
 そして立川飛行場にきているであろう陸海軍関係者から、開発メーカーまでいる下の見物客を前に一回り。
「これでこの機体のデモンストレーションは十分に果たした。
 基地に戻るぞ」
「了解。
 飛んでいるときより、開発担当者に捕まっている時の方が長いのだけは勘弁なんだが」
 二人して無線機越しに笑いながら、立川の滑走路に機体を下げていった。
 この模擬空戦が行われているのも竜神様さまさまなのだから撫子の影響力がいかにでかかったかという事だろう。
 対米戦回避、大陸足抜け、アメリカの対竜戦の軍需大生産と米軍のハワイ奪還作戦の失敗は、米軍を仮想敵の一つとしている海軍の航空戦の方針にまで影響を与えていた。
 ハワイ上空の制空権がとれずにそこから先の作戦ができなかった米軍の撤退は、『米軍に失血を強要する為に拠点の制空権を維持し続ける』という方針を打ち出して、
その為にその島および、そのエリアの飛行場をいかにして維持継続させるかという点に力を注ぐ事が求められていた。
 その為に飛行場設営能力の強化、工兵の機械化推進、その工兵部隊を運ぶ為の高速輸送船の生産に焦点がいったのはいいのだが、そこで彼らも途方にくれる。
「誰がそんな金を出すんだ?」
 貧乏国家の悲しい性。
 設営を人手で行っているようでは敵の航空攻撃後の復旧などおぼつかないし、米軍が運用しているブルドーザー等はまだ日本では試作段階でしかないしやっぱり運用に金がかかる。
 と、誰もが貧乏に打ちひしがれた時に、一人がぽんと手を叩く。
「あ、いた。
 簡単に運べて、設営能力が上がるやつらがいた!」
 叫んだ彼は大陸足抜け後に石油の出た満州に駐屯して、黒長耳族の石人形による設営能力の高さを目の当たりにしていた。
 彼女達ならば着の身着のままで運べてしかも短期間で飛行場の修復ができる。
 今、何処もかしこも彼女達を奪い合っていたが、この間異世界から大量に彼女達がやってきて、更に獣耳族とかいう穴掘り大好き民族まで帝国にやってきたという話も彼は知っていた。
 試しにと黒長耳族の工兵隊を作ったらこれが大当たり。
 今までの10倍以上の作業効率をたたき出して陸海軍の工兵関係者を狂喜させる事となった。
 なお、彼女たちの工兵隊編入とその信じられない成果と、米軍が対竜戦でハワイ攻撃の拠点としてミッドウェイ・ジョンストン・フレンチフリゲート環礁等を豪快に埋め立てて飛行場の大拡張工事をしている事を聞いた工兵士官の一人は、
「みんな貧乏が悪いんや……」
 と目から汗を流して人間の機械化土木部隊の予算に奔走していたという。

 話がそれたが機体から俺と遠藤が降りると、わらわらと整備員と共に駆け寄ってくる三菱の営業担当。
「どうでした?
 こいつの乗り心地は?」
 すずいっと顔を近づけてくるのだが、男の顔を近くで見る趣味はない。
「いいな。
 速度、上昇力共に21型よりいい」
 俺の言葉に満足そうに担当は頷く。
「そうでしょう。そうでしょう。
 これまでの不満点をきちんと改良して、新しい機体をお届けするのが我々の仕事ですから。
 海軍さんに満足してもらうのは私達にとっても嬉しい事です」
 なんというか、すごく怪しく持ち上げられているのに怪訝な表情をする俺と遠藤。
「えっと……」
「ああ、皆まで言わないでください。
 今まで、我々がいかに欧米の航空機に遅れを取っていたかといえば、あなた方パイロットの方が良く知っていると思われますから。
 ですがっ!
 我々とて、ただ安直に日々を過ごしていたわけでわないのです。
 同盟国のドイツからエンジンを取り寄せて徹底的に分解してみて、『生産できんわ……』と匙を投げてみたり、
 英国から技術導入をとロールスロイス社と交渉して、『あんたナチと同盟組んでいるんだろうが!』と呆れられてみたり、
 米国の対ドラゴン戦の航空機生産を予測して『うちが一機作る時間でやつら100機作ってやがる』という事実に絶望してみたりと大変だったんです!」
「……」
「……」
 なんとなくだが、この三菱の担当がなんでこんなとこに来ているのかなんとなく察した。
 会社でもこんなのだから、立川くんだりまで飛ばされてきたんだろうな。きっと。
 当然、そんな俺と遠藤以下整備員諸氏の生ぬるい視線などまったく眼中にないこの担当者どのは更に口をまくしたてる。
「こいつは、速度・上昇力に防弾性能をつけて、零戦とおなじく20ミリと7.7mmをつけています。
 その代わりに航続距離が前の機体より若干下がっていますが、OKが出たら即座に生産に取り掛かれますよ」
 一応、腐っていても三菱の営業。きちんと機体の売り込みは忘れてはいないらしい。
 なんでかというとこれも撫子さまさまなのだが、戦争回避の結果としての予算大削減が次期主力戦闘機開発にまで影響を与えていたからである。
 トラブル続きの十四試局地戦闘機(J2M1)に海軍は見切りをつけ、それに関わっていた三菱のチームがならばと「金星搭載の零戦を作りたい」と提案し、それが海軍が了承して仮称二式局地戦を作り、その完成お披露目をかねてデモンストレーションを開いたと。
 あ、なんか向こうのキ−44のブースで中島飛行機らしい営業がこっちを睨んでやがる。
「で、三菱さんは次期戦闘機については何か話を聞いているのかい?」
 と、遠藤がさり気なく言葉を誘うとあっさりと担当氏は釣られる。
「海軍は航空機開発方針については大きな変更はないはずです。
 空母戦や島嶼戦が主体なら航続距離の長い距離の機体が必要ですので」
 待てよ。空母戦や島嶼戦が主体なら、21型より航続距離の落ちたこいつを何処で使うんだと考えたら遠藤が先に口を出していた。
「って、俺らが乗っているこれ何処で使うんだよ?」
「爆撃機の迎撃ですよ。
 隼と平行に、重戦闘機としてこいつを配備する予定です。
 って、これ、陸軍に売り込む機体ですよ」
 あっさりと言ってのけた担当氏の言葉に俺と遠藤は目が点になった。
「聞いてないぞ!」
「言っていませんでしたっけ?
 まぁ、海軍も少しは買うでしょうが、主な顧客は陸軍さんです。
 だから20ミリ乗せているんじゃないですか」
 ケロリと言ってのける担当氏。いい性格してやがる。
 聞くと、相手だったキ−44の上昇性と急降下耐性は魅力だが、その代償としての滞空時間の低下と運動性能の悪さに悩んでいたそうで。
 対戦闘機戦では対戦闘機戦に特化した隼があるとはいえ、航続時間が長く爆撃機も迎撃できる戦闘機を陸軍は欲していたのだが予算大削減の中そんな金は何処にも無かった。
 100万を除隊させたとしてもまだ大陸にいる100万に払う金と、無線封鎖が続いている対ソ戦戦費調達の為に航空機開発に回せないという切実な理由もある。
 何でも、陸軍は早々に独自機開発を諦めて陸海軍共通での航空機開発とパイロット育成に同意し、そこに中島の牙城を切り崩すべく三菱が仮称二式局地戦を出してきたという事らしい。
 何しろ、航空機開発予算も縮小はしており、この流れは国内防衛産業の再編を促す事になる。
 三菱とて再編の波はそのまま明日の飯の食い上げにも繋がりかねない。
 だから、こんな立川までメーカー担当者が出向く事となる。
 しかも今回は初の陸海軍共用。下手すれば今までより遥かに多い数が発注されるかもという狸の皮算用も入っておりこの担当者の口も熱い。
「生産はうちがしてもいいんですが、中島さんの面子も立ててライセンス生産でもしてらもうかと。
 まぁ、エンジンうちの金星ですから。ライセンス料でうちもがっぽがっぽですから笑いが止まりませんわ。
 はっはっはっはっ」
 あ、中島飛行機の営業の視線が殺意に変わってやがる。
 この人。きっと俺と同じく闇夜は出歩けない人なんだろうな。俺の場合は外部環境によって嫉妬を買ってしまっただけだが。
「あと、重戦闘機だから本土防空にもこいつが配備されるとか。  
 本土、いや、帝都防空となると、バトル・オブ・ブリテンの例もそうですが必要なところに必要なだけ戦闘機が送れるかどうかが鍵となります。
英国がドイツを退けたレーダー網の整備の為、陸軍がドイツからの技術交流でレーダーを仕入れて帝都に新規の防空司令部込みで整備するのを対竜戦の切り札にするとか。
 以前帝都に竜が進入してきてあのあたりの将校さんがまとめて首を飛ばされて二度とあんな失態はしたくないとか……ってどうしました?」
「……気にしないでくれ」
 はっはっはと笑う担当氏が俺の顔を見て不思議に思うが自分の関与した事で、何人もの人間が左遷されたと聞くだけでそれなりに良心が痛むという事に気づいていないらしい。
 なお、撫子の皇居寸前まで突っ込んだ帝都侵入のおかげで俺が出た霞ヶ浦を除く帝都近隣の基地司令が軒並み責任を取らされ、二度とこんな事が起きないようにと帝都防空の徹底強化が図られている。
 何しろ昨今は竜がふらりと飛んでくるご時世なので、対竜対策の為に防空基地やドイツの技術導入を得た新設のレーダーサイトに黒長耳族まで置いて対空・対竜防空を図る始末。
 これでも「大臣が腹を切らなかった分、『穏便な』処分だったんじゃないか」との山本長官の突込みを聞いている俺としては何も言いたくはないのをこの担当氏まったく察していない。
 撫子の件も含めても、「防空って大事」という意識が軍内部に広がったのは大きい。
 それに伴い、予算大削減で戦争のできない体となった帝国が攻撃より迎撃において力を入れるのは当然で、その流れに沿っての俺と遠藤が乗ってきたこの仮称二式局地戦が立川にいる訳だ。
 熱く熱弁を振るう担当氏の言葉を適当にあしらっていると、鍾馗の方からパイロットが一人やってくる。
 また日本人にしてはずいぶん体が大きいし、彫りのある顔をしている。
「何だ。向こうのパイロットは外人さんだったか。
 ぐーてんもるげん?」
 片言の遠藤の独語に外人さんから凛とした日本語が返ってきた。
「私は日本人ですよ。母はアメリカ人ですが。
 陸軍の来栖少尉と申します。
 貴方があの真田少佐殿ですか?」
 敬礼した後に差し出された手をこちらも敬礼した後で握って挨拶を返す。
「『あの』がどのあのだかとしらないが、一応真田少佐だ。
 こっちが遠藤大尉」
 遠藤とも握手をする来栖がにこやかに口を開く。
「なお、好きな食べ物は納豆です」
 彼なりのジョークに俺や遠藤、担当氏以外の周りの連中も大爆笑。
 この洗練された会話センスは日本人離れしているなと笑いながら思った。
 控え室に歩きながら模擬戦の話で盛り上がる。
「来栖少尉の方が残ったキ−44に乗っていたのか」
「ええ。空戦のセオリーどおりにやってみたのですが、やられました。
 アメリカでは竜が西海岸までふらふらとやってきているので、対竜戦への戦法確立が急務なんですよ。
 どちらかといえば、お二方の旋回の凄さは米国人が見たら竜の動きに見えるかもしれませんね。
 竜は生き物ですが飛行機にできないトリッキーな動きで米軍機を翻弄するとか。
 そんな中、東京湾で竜神様との一騎打ちは立川でも語り草になっております。
 父も竜神様のおかげで仕事が助かったと」
「仕事?」
「はい。父は外交官をしておりまして、アメリカとの交渉をしています。
 竜のおかげて日米が争わなくてよかったと」
「ああ、なるほど」
 納得する俺と遠藤をよそにそのまま来栖少尉は話を続ける。
「母などはハワイでドラゴンが合衆国市民を食べた事から、『ドラゴンは怖い』と心配しておりますが」
 そういう事か。
 まぁ、帝国にとっては福音でもアメリカにとっては悪夢以外の何者ではないからな。
「アメリカの様子はどんなのかな?」
「海軍中央のほうでは聴いたこと無いのですか?」
 遠藤の質問に質問で返した来栖に俺はわざとらしく肩をすくめて見せた。
「あいにくしばらくドサ周りをしていてね。
 久しぶりの帝都でね」
 この手の仕草は来栖少尉の方が様になるのだろうなとふと思ったが、まぁ仕方ない。
「ドラゴンのハワイ空襲で逃れた日系人がかなり帝国に戻っています。
 彼らはドラゴンについて、あまり好印象を持っておりません。ご注意を」
 ぽつり。
 どうやら、これが堀社長のいうバイトの報酬らしい。
 それに何か返す間もなく来栖少尉は敬礼して陸軍パイロット控え室に入っていった。
 開放されたと休憩室に入ると、メイヴがお茶を入れてくれた。
「お疲れ様でした」
「ありがとう。メイヴ。
 で、撫子は?」
 微笑みながら撫子は窓の外を指差す。
 桜並木のそばで、なんとなく桜吹雪を眺めている撫子を見つけた。
「こちらの四季に興味深々のご様子でしたから」
「そうか。じゃあ、ちょっと行ってくるわ。
 で、何分ほど出てればいい?」
 その一言の冗談に遠藤は怒るかなと思ったと思ったが、遠藤はやっぱり遠藤だった。
「15分もあれば十分だろ。
 最近、考えを変えて、短くてもできるというのは何時でも何処でもできるという事に開眼してな」
「汗と他のものを吹いて服を着替えるのは10分でも十分ですしね」
 付き合いがいいのか、娘が一人牝奴隷となっているので安心でもしているのか、まだメイヴは遠藤の男の意地に付き合っているらしい。
「つーか、お前も薬飲んだらどうだ?」
「馬鹿だな。真田よ。
 人でありながら人を超えるというのに浪漫を感じるのだよ。男としては」
 しかし、陸軍基地でもするのか?こいつら……
 時々思うのだが、こいつイタリアかラテンの血が入っているんじゃなかろうか?
「まぁ、お二人さんも楽しんでくれ。
 陸軍でもしっと団を結成させるなよ」
 そういって部屋を出た後からメイヴの艶っぽい喘ぎ声が聞こえてくるのはいかがなものかと。
 なお、霞ヶ浦基地で発祥し遠藤が首領だったはずのしっと団はめでたくその遠藤があんな事になっているので空中分解しており、俺が知っているだけで四派11流という分家抗争を繰り返しているとか。
 「撫子萌え派」から「遠藤氏ね団」とか集まってナにやっているのだかと呆れもするが、やばり大事になる前にとメイヴにお願いして核となる人物達に黒長耳族の娘さんをあてがったのは俺だったりする。
 メイヴもわかって一流どころの娼技の娘さんを霞ヶ浦に送り込んでいるはずだから……とまで考えてふと気づいた。
「そうか。遠藤の場合、彼女達じゃ返り討ちに合うから本人が出張っているわけだ」
 すさまじく納得。
(自分の事を遠くの棚において、博之は何をほざいているのやら) 
 ほっとけと撫子のテレパスを返して俺は撫子の所に向かう。
 振袖姿、桜並木に佇む撫子は本当に綺麗で。
「綺麗じゃのぉ」
 髪をかき上げながら髪に付いた花びらを落す姿が美しくて。
「何を見とれておるのじゃ?」
 きょとんとしている俺をくすくす微笑む撫子が可愛くて。
「綺麗だなと思っただけだ」
 それを言うのがちょっと癪なのだが。
「博之に褒められると嬉しいのぉ」
 嬉しそうに笑う撫子から視線を逸らせてそのまま空を見上げる。
「お前とこの空で出会って、まだ半年も経ってないんだよなぁ。
 なんだが、長い付き合いのように感じるけどな」
 見上げた視線を今度は丹沢の山の方に向けた。
 遠くの畑に一面に咲き誇る菜の花が風に揺れていた。
「世界ってこんなに綺麗で優しいものだったんだな」
「これも世界の一面じゃ。
 もっとも、残忍で凶悪な所もあるのは博之とて分かっていようが」
 撫子も俺の見ている菜の花畑を眺めながら言葉を風に乗せる。
「というか、世界が凶悪であるのより、人間同士が凶悪すぎてな。
 世界の事なんて忘れているのさ」
 あの12月1日。
 もしこいつがやってこなければ、俺は戦場の空を飛んで誰かを殺すか誰かに殺されていたかのどちらかだったはすだ。
 そうなっていた時に今、ここでこうして穏やかな春を眺めていたなんて可能性はまったくと言っていいほどない。
 完全に戦争行動が不能になった事によって少しずつ当時の大本営が計画していた侵攻計画が漏れてきていたが、戦争になっていれば今頃は空母に乗っていたか、ニューギニアかインドシナの基地かに飛ばされていたのだろうから。
 あの時の俺は、世界に対して斜に構えていたというか、ガキだったというのをいやでも思いださせてくれる。
「このまま、時が止まってくれるといいんだがな」
 偽らざる本音。えてして男の方がロマンチストだなとも心の中で苦笑する。
「そうはいくまいて。
 花達が咲き誇るのは次代に種を残す為だしのぉ。
 時が止まるのはこの花たちも望んではおるまいて。
 ちなみにわらわもこのまま時が止まって欲しくはないのぉ」
 で、えてして女の方が現実的というのも思い出させてくれるわけなのだが。
「わらわはもっと博之を知りたい。
 博之を愛したい。
 そして博之と共に時を生きていきたいのじゃ。
 立ち止まるなんて許すものか。
 だから、博之ももっともっとわらわの事を知って、愛して、
 一緒に時を歩んでいこう。
 それはいやか?」
 まさか。
 いやなはすがはいと実にオーバーに首を振って、優しく撫子を抱きしめる。
「たしかに、時が止まるとこうして撫子を抱けないな」
「そこからさきもできぬしな」
 目を閉じて、口を近づける撫子に優しく口付けしようとして……
   
 どんがらがっしゃがちゃーん!!!

 というけたたましい音で二人とも基地の方を振り向くと、陸軍のえらいさんが軍刀を振りかざして「破廉恥極まる!」とか叫んでいるのが聞こえてきた。
 まぁ、メイヴもあっちにいるから大丈夫だろう。多分。
「一つの教訓を遠藤から教えてもらったな。
 『人の見ている所でいちゃつくと吊るされる』と」
「見られながらするのも感じて良いのじゃが……人間とは短慮よのぉ」
 ころころと笑う撫子を放して基地の方に足を向ける。
「とりあえず、遠藤に恩が売れるいい機会だ。
 助けに行くとするか」
「『お前が元凶だろうが!』と逆恨みされる方にわらわは賭けるがの」
「俺もそっちに賭けるな」
 手を握って、ゆっくりと基地の方に戻る。
 撫子の手は暖かく、もういない姉のように優しかった。
 姿形は同じなのに、撫子が大きくなって、姉を過去のものとして考えている自分に気づいたのはその日の夜の事だった。


 帝国の竜神様 30
2007年06月03日(日) 11:02:24 Modified by nadesikononakanohito




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