帝国の竜神様32
1942年4月18日 帝都東京 海軍省
「ソ連は動かない。東条首相も安堵している事だろうよ」
安堵と嫌悪が混じったなんともいえない堀社長の一言が、この会議の最初の一言だった。
マリアナに向けての会議の席上、西村少将、木村大佐や山田大佐等が見ている中で堂々と話すあたりさすが元提督。
満州で無線封鎖をしていたソ連と帝国のにらみ合いは10日にイギリス仲介の元、「日ソ中立条約の遵守」を双方が確認している。
何よりもソ連が攻め込む事を恐れていた帝国は安堵し、対米戦回避、大陸撤兵に次いでソ連戦回避の英断は東条内閣と陸軍への支持低下となって国民に受け止められていた。
帰還兵達の大陸での戦役が国民に伝わり、10年にも及ぶ戦争で帝国は何も得る事ができなかった責任は陸軍にあるという声を必死に政府は抑えていた。
100万の陸軍兵士の大陸撤兵、女性参政権の拡大、黒長耳族の銀幕登場、英領植民地への交易による景気回復等、打つ手は打っているのだが、誰にでも分かる土地や金という戦果を得る事ができなかった以上、その効果が限定されていた。
「で、困った時の竜神様という訳だ」
「何をするんですか?何を?」
皮肉たっぷりの堀社長の声に俺の声も意地が悪くなるのは否定しない。
「……まぁ、博之が言えば何でもするがのぉ……ぼりぼり……」
とりあえず、煎餅を豪快に噛むな。馬鹿竜。音が響く。
「無茶をいうな。
音を立てて食べるからこそ、煎餅はおいしいのじゃ……ばりばり……」
妙な所で日本人色を出しやがる。こいつ。
まぁ、会議中の手前だから大目に見るが、付け上がる前に一度話をしようと心に決めつつ撫子を無視して堀社長に言葉をむける。
「で、この煎餅を食べている馬鹿竜に何をさせるつもりで?」
俺の言葉に、堀社長も意地悪そうに笑って口を開いた。
「ご利益が目に見えないならば、目に見える祟りという訳さ。
竜のハワイ空襲を派手に宣伝して、それを撃墜した帝国の地位を相対的に上げる」
なお、この提案は大手新聞社経由で提案されていた。
海軍は、黒潮会などの記者クラブを通して新聞記者を厚遇しており、彼らの世論誘導で混沌としつつある国内世論をまとめあけるつもりらしい。
「祟り?
大陸の時のようにお披露目でもさせますか?」
俺の声に堀社長は首を振って答えた。
「英国を仲介して米国から情報をもらい、ハワイの竜の襲撃を広く国民に知らせる。
それと同時に、東京湾での撫子君と君の一騎打ちも新聞や講談で広めるという訳だ。
広報の仕事だから外務省と後は黒潮会に任せるさ」
堀社長は自分の仕事ではないと精々した顔で祟りの内容を言ってのけた。
「子供が怖がるぐらいのものを考えてくれると面白いかもな。
『悪いことすると、竜神様に食われるぞ』って」
遠藤の軽口にぼりぼりと煎餅を噛んでいた撫子がさも当然のように一言。
「食べていいのか?」
凍る会議室。当然煎餅の事ではない。
「博之。
お主、我らが人を食うのが主食と勘違いしておらぬか?
それならば、とうの昔に食ろうておるわ」
煎餅をくわえたまま抗議をする撫子。
素朴な疑問だが、なんで、ハワイの竜は人を食べたのだろうか?
テレパスで伝わったらしい俺の知りたい事を撫子はあっさりと言ってのけた。
「それは、あの体を維持するのにどれだけ食べればいいのかという事じゃ。
今は、人の身ゆえ、それで食える分で十分満足しておるがの。
我ら竜や眷属が人化できるのは、性行為の他に食の確保と体力の消耗を抑えるというちゃんとした理由があるのだぞ」
「撫子ちゃん質問。
人から竜に変わったときにお腹とかすくの?
逆は?」
「わらわもいまいちそのあたりの理屈はよく分からぬが、竜に戻ったときにすぐにお腹がすくというのはないのぉ。
同じく、大陸で竜で飛んで人に戻ったが、その後わらわが竜らしく馬鹿食いしたのを見たか?遠藤よ」
たしかに、撫子は大陸の基地でちゃぶ台を囲んでうまそうに飯を食べてはいたが、茶碗とお椀は普通だった。
なお、異世界交易品の能登漆器の食器類をちゃっかり、『竜権限じゃ!』と徴収しているのは一応秘密の話。
「考えてもみよ。
味付けもしておらぬ生の食材をどうしておいしく食べる事ができようか?
そんなものを食べるぐらいなら、この煎餅の方が美味しいに決まっておろうが」
確かに納得。
「確かに濃い味の方が旨いかもしれんのぉ」
いや、そこで反応してもらっても。西村少将。
ハワイのことは情報が合衆国経由でしか流れてきていないから分からないんだよな。
もっとはっきりとした情報が欲しいと思っていたら、顔にでも書いていたのか、撫子がテレパスを勝手に伝えたのか堀社長が実にわざとらしい冗談を言ってのけた。
「ハワイの事を知りたいのなら、簡単なことだ。
我々がハワイまで出張って、ハワイの竜を攻略すればいい」
会議参加者全員が白々しく堀社長を眺める。
「堀さん。本気でそんな事できると考えているんですか?」
「やれといわれればやる……んぐっ!」
俺が煎餅を咥えていた撫子の口を豪快に押し込んで口を塞いで、木村大佐の質問を邪魔しないようにする。
「無理だろ」
あっさりと言ってのけた堀社長の一言に、皆一様に安堵。
「だが、それができると思わせるのは可能だ」
「堀さん。山本長官みないなはったりを言うのは止めましょうよ」
木村大佐の突っ込みにさも当然といわんばかりに堀社長が口を挟んだ。
「仕方ないだろう。その山本の言葉だ」
あ、納得。
「それでマリアナという訳ですか」
異世界帰還後に概要だけは堀社長からは聞いていたが、何でマリアナくんだりまで行って竜と交渉するのかといえばそこに理由があった。
幸いかな、マリアナの竜はまだ人間に対して何もしていない。
で、交渉して何だかの成果を出す事ができれば、帝国は竜と交渉できるだけの能力があると世界にアピールできる。
それはハワイの竜との交渉の予行演習にもなるだろう。
ハワイに居座られたドラゴンによって政治スケジュールが大幅に狂っている合衆国にとって十分な政治的カードになる。
「で、だ。
そろそろ撫子君の口を離してやりたまえ。
顔が見るからに青くなっているが?」
俺が慌てて手を離すのと、撫子がお茶に手を出すのはほぼ同時だった。
「んぐっ!ごくごくごくごく…………
ぷはぁ〜
博之はわらわを殺す気かっ!!」
帝都を襲いし竜神は、煎餅を喉に詰まらせて窒息死。
うん。凄くシュールだ。
「お前、煎餅ごときで死ぬのか?」
「失礼な!わらわが煎餅ごときで死ぬと思っておるのかっ!!」
いや、言っていること支離滅裂だし。
「うるさいのじゃ!
みんな博之が悪いのじゃっ!!」
あ、開き直った。
「はいはい。俺が悪かった。
で、堀社長。
具体的な話はどのあたりまでつけているんですか?」
「とりあえず、サイパンを拠点にしようかと思っている。
井上君ともそこで話をしなければならんのだが、問題は、何処にその竜がいるかなんだよな……」
机の上に広げられたマリアナの地図を眺めながら堀社長が途方にくれる。
撫子の話によって、マリアナに竜がいるのは分かっていた。
その後、「海面が光った」だの「お化け烏賊が出た」だの「人魚が歌っていた」とかの報告も聞こえてきたんで居るのだろうとは推測できた。
問題なのは、状況証拠だけでまだ誰もマリアナの竜を見ていないという所である。
マリアナは日本の信託統治領であると共に、合衆国領土のグアム島がある。
竜がきてから四ヶ月、帝国が必死にコンタクトを取ろうとマリアナ近辺に艦船や飛行機で捜索しているのと同じように、合衆国もグアム島から飛行機や艦船を出して捜索しているのに見つかってはいなかった。
なお、近隣にはどうしているのか知らない(事になっている)英国貨物船も出没しており、事ここにいたって確実にマリアナの竜を見つける事ができるであろう撫子の出馬を願ったというわけだ。
「しかし、何でこの時期なんでしょうね?」
遠藤の不思議そうな呟きは俺も思っていた事だったりする。
暴れる訳でもなし、大寒波を起こす(今冬の大寒波がアイスランドの竜のせいなのを知っていたのは帝国だけだった)訳でもなし、居るだけで邪魔な訳でもないだろうに。
「いや、居るだけで凄く邪魔になっているらしい。アメリカにとって」
俺と遠藤の疑問に気づいた堀社長が答えをあっさりと言ってのけた。
「大陸投資。その為に安全かつ安い航路をアメリカは求めているのさ」
満州以外から足抜けした大陸は案の定、国民党と共産党の対立が激化しつつあった。
その対立に一石を投じたのが国民党を追い込んだ三峡ダムだった。
長江封鎖の為に築かれた巨大な堤はそのまま国民党が保有し、これに発電施設・利水施設・交易用運河建設などが計画され、その利権を担保に42年3月アメリカは国民党に5億ドルもの貸付をしていた。
これは、帝国が足抜けして空白と化した大陸権限を合衆国が保有する宣言にも取れたのだが、この結果二つの事態が更に合衆国を追い込む事になった。
第一に、三峡ダムの建設資材を何処から持ってくるのか?
発電施設・利水施設・交易用運河建設に水に沈む四川盆地の代替建設まで中国史上空前の建設ラッシュの為にありとあらゆる資材を必要としていた。
だが、大陸の民に多大な恩恵を与えてくれるであろうダム開発の能力を国民党は持っておらず、その開発は欧州大戦に参加していないアメリカ資本が独占する事となる。
ところが、アメリカ本土から大陸まで資材を運ぶのにもハワイのドラゴンが邪魔だった。
現在、パナマ運河からハワイを避けてマーシャル諸島・オーストラリアを通って、長躯運ばれてくる資材の為に大漁の船を必要としていた。
その船はさすがにアメリカ一国では賄いきれず、船を持つ英国は戦争でそれ所では無く、日本を大陸から追い出した手前日本に生産を頼むわけにも行かず、最短距離の北太平洋航路はまだ大寒波の大荒れ状態という八方塞りとなって合衆国政府は産業界からもう猛然と突き上げを食らっていたのだった。
第二に、共産党の勢力の急拡大だった。
この三峡ダム建設で四川盆地のかなりの部分が水に沈み、多くの農民が土地を追われる事になった。
だが、国民党政府はその農民対策で最悪の手を打った。
合衆国から与えられた資金には農民の移転対策費用を賄うだけの大金が与えられていたはずなのに、それを腐敗しきっていた国民党上層部が着服して軍を使って農民達を追い立てたのだった。
彼らは激怒し共産党に助けを求め、農民層の支持の元共産党の勢力が急拡大していっていた。
更に情けない事に国民党内部の権力争いで敗れた有力者も共産党に走り、日々勢力を伸ばしている共産党に国民党は何も手を打つ事ができていなかった。
ここに至って、合衆国は初めて帝国の大陸の苦労を思い知る事になる。
国民党政府に武器貸与という形で更に5億ドルを貸付け、フィリピンのマッカーサー将軍と軍事顧問団を上海に派遣して大陸情勢をコントロールしようとしていたが、人民の海は合衆国の生産を凌駕しようとしていた。
1938年の海軍拡張法が11億ドルという事を見れば、この対中投資がいかに過大かよく分かる。
国共内戦で共産党が勝つような事になれば、その10億ドルが不良債権となり、切り捨てるには大きすぎていた。
手に入れた大陸利権てこ入れの為にも、合衆国は太平洋を文字通り「太平」にしたかったのだ。
合衆国は戦争と大陸投資で多大な利益をあげようとしていたが、それは英国と国民党に金を貸し付ける事によって成り立っている。
逆に言えば、国民党が共産党に負けたり、英国が欧州戦争で負けて膨大に貸し付けていた債務が紙くずとなって不良債権に化けたら大恐慌以上の政治的経済的混乱を招く事を意味していた。
英国が絵を描いたマリアナの竜交渉はハワイの竜対策を見越してこうした背景が背後にあった。
英国は、合衆国に恩を売ることで更なる債務引受と太平洋の安定化による合衆国の対独参戦を。
帝国は、英国に恩を売ることで竜を政治カード化して停滞している合衆国との関係改善を。
合衆国は、英国の案に乗って帝国と交渉する事によって竜の無害化と大陸利権の安定化を。
もはや、竜すら政治カード化している冷徹な国際政治がそこに存在していた。
「人間って……怖いのぉ……ばりばり……」
煎餅を食べながら感慨深く撫子が感想を述べる。
なお、遠藤も撫子と同じくというか、堀社長以外は皆感慨深い顔をしている。多分俺も。
そんな俺たちの顔を見て満足そうにしている堀社長。できの悪い生徒に世界の真理を教える教師の様にも見えなくはない。
コンコンとドアがノックされる。
「メイヴです。
お客様がいらっしゃいました」
ちなみに、この会議にメイヴは別様で席を外していた。
どうせ撫子経由のテレパスで聞いていたとは思うのだが、神祇院副知事としてのお仕事をしていたらしい。
そこでふと疑問が湧く。海軍省で、神祇院副知事のお仕事?
と、俺が思っていた所にドアが開き、二人の外国人がメイヴと共に入ってきて、堀社長が辛抱たまらない笑顔で俺達にお客様を紹介した。
「では、今回の航海の同乗者をご紹介しよう。
ワシントン・ポスト紙特派員のアレン・ウェルシュ・ダレス氏と、ロイター通信社の特派員イアン・フレミング氏だ」
帝国の竜神様 32
「ソ連は動かない。東条首相も安堵している事だろうよ」
安堵と嫌悪が混じったなんともいえない堀社長の一言が、この会議の最初の一言だった。
マリアナに向けての会議の席上、西村少将、木村大佐や山田大佐等が見ている中で堂々と話すあたりさすが元提督。
満州で無線封鎖をしていたソ連と帝国のにらみ合いは10日にイギリス仲介の元、「日ソ中立条約の遵守」を双方が確認している。
何よりもソ連が攻め込む事を恐れていた帝国は安堵し、対米戦回避、大陸撤兵に次いでソ連戦回避の英断は東条内閣と陸軍への支持低下となって国民に受け止められていた。
帰還兵達の大陸での戦役が国民に伝わり、10年にも及ぶ戦争で帝国は何も得る事ができなかった責任は陸軍にあるという声を必死に政府は抑えていた。
100万の陸軍兵士の大陸撤兵、女性参政権の拡大、黒長耳族の銀幕登場、英領植民地への交易による景気回復等、打つ手は打っているのだが、誰にでも分かる土地や金という戦果を得る事ができなかった以上、その効果が限定されていた。
「で、困った時の竜神様という訳だ」
「何をするんですか?何を?」
皮肉たっぷりの堀社長の声に俺の声も意地が悪くなるのは否定しない。
「……まぁ、博之が言えば何でもするがのぉ……ぼりぼり……」
とりあえず、煎餅を豪快に噛むな。馬鹿竜。音が響く。
「無茶をいうな。
音を立てて食べるからこそ、煎餅はおいしいのじゃ……ばりばり……」
妙な所で日本人色を出しやがる。こいつ。
まぁ、会議中の手前だから大目に見るが、付け上がる前に一度話をしようと心に決めつつ撫子を無視して堀社長に言葉をむける。
「で、この煎餅を食べている馬鹿竜に何をさせるつもりで?」
俺の言葉に、堀社長も意地悪そうに笑って口を開いた。
「ご利益が目に見えないならば、目に見える祟りという訳さ。
竜のハワイ空襲を派手に宣伝して、それを撃墜した帝国の地位を相対的に上げる」
なお、この提案は大手新聞社経由で提案されていた。
海軍は、黒潮会などの記者クラブを通して新聞記者を厚遇しており、彼らの世論誘導で混沌としつつある国内世論をまとめあけるつもりらしい。
「祟り?
大陸の時のようにお披露目でもさせますか?」
俺の声に堀社長は首を振って答えた。
「英国を仲介して米国から情報をもらい、ハワイの竜の襲撃を広く国民に知らせる。
それと同時に、東京湾での撫子君と君の一騎打ちも新聞や講談で広めるという訳だ。
広報の仕事だから外務省と後は黒潮会に任せるさ」
堀社長は自分の仕事ではないと精々した顔で祟りの内容を言ってのけた。
「子供が怖がるぐらいのものを考えてくれると面白いかもな。
『悪いことすると、竜神様に食われるぞ』って」
遠藤の軽口にぼりぼりと煎餅を噛んでいた撫子がさも当然のように一言。
「食べていいのか?」
凍る会議室。当然煎餅の事ではない。
「博之。
お主、我らが人を食うのが主食と勘違いしておらぬか?
それならば、とうの昔に食ろうておるわ」
煎餅をくわえたまま抗議をする撫子。
素朴な疑問だが、なんで、ハワイの竜は人を食べたのだろうか?
テレパスで伝わったらしい俺の知りたい事を撫子はあっさりと言ってのけた。
「それは、あの体を維持するのにどれだけ食べればいいのかという事じゃ。
今は、人の身ゆえ、それで食える分で十分満足しておるがの。
我ら竜や眷属が人化できるのは、性行為の他に食の確保と体力の消耗を抑えるというちゃんとした理由があるのだぞ」
「撫子ちゃん質問。
人から竜に変わったときにお腹とかすくの?
逆は?」
「わらわもいまいちそのあたりの理屈はよく分からぬが、竜に戻ったときにすぐにお腹がすくというのはないのぉ。
同じく、大陸で竜で飛んで人に戻ったが、その後わらわが竜らしく馬鹿食いしたのを見たか?遠藤よ」
たしかに、撫子は大陸の基地でちゃぶ台を囲んでうまそうに飯を食べてはいたが、茶碗とお椀は普通だった。
なお、異世界交易品の能登漆器の食器類をちゃっかり、『竜権限じゃ!』と徴収しているのは一応秘密の話。
「考えてもみよ。
味付けもしておらぬ生の食材をどうしておいしく食べる事ができようか?
そんなものを食べるぐらいなら、この煎餅の方が美味しいに決まっておろうが」
確かに納得。
「確かに濃い味の方が旨いかもしれんのぉ」
いや、そこで反応してもらっても。西村少将。
ハワイのことは情報が合衆国経由でしか流れてきていないから分からないんだよな。
もっとはっきりとした情報が欲しいと思っていたら、顔にでも書いていたのか、撫子がテレパスを勝手に伝えたのか堀社長が実にわざとらしい冗談を言ってのけた。
「ハワイの事を知りたいのなら、簡単なことだ。
我々がハワイまで出張って、ハワイの竜を攻略すればいい」
会議参加者全員が白々しく堀社長を眺める。
「堀さん。本気でそんな事できると考えているんですか?」
「やれといわれればやる……んぐっ!」
俺が煎餅を咥えていた撫子の口を豪快に押し込んで口を塞いで、木村大佐の質問を邪魔しないようにする。
「無理だろ」
あっさりと言ってのけた堀社長の一言に、皆一様に安堵。
「だが、それができると思わせるのは可能だ」
「堀さん。山本長官みないなはったりを言うのは止めましょうよ」
木村大佐の突っ込みにさも当然といわんばかりに堀社長が口を挟んだ。
「仕方ないだろう。その山本の言葉だ」
あ、納得。
「それでマリアナという訳ですか」
異世界帰還後に概要だけは堀社長からは聞いていたが、何でマリアナくんだりまで行って竜と交渉するのかといえばそこに理由があった。
幸いかな、マリアナの竜はまだ人間に対して何もしていない。
で、交渉して何だかの成果を出す事ができれば、帝国は竜と交渉できるだけの能力があると世界にアピールできる。
それはハワイの竜との交渉の予行演習にもなるだろう。
ハワイに居座られたドラゴンによって政治スケジュールが大幅に狂っている合衆国にとって十分な政治的カードになる。
「で、だ。
そろそろ撫子君の口を離してやりたまえ。
顔が見るからに青くなっているが?」
俺が慌てて手を離すのと、撫子がお茶に手を出すのはほぼ同時だった。
「んぐっ!ごくごくごくごく…………
ぷはぁ〜
博之はわらわを殺す気かっ!!」
帝都を襲いし竜神は、煎餅を喉に詰まらせて窒息死。
うん。凄くシュールだ。
「お前、煎餅ごときで死ぬのか?」
「失礼な!わらわが煎餅ごときで死ぬと思っておるのかっ!!」
いや、言っていること支離滅裂だし。
「うるさいのじゃ!
みんな博之が悪いのじゃっ!!」
あ、開き直った。
「はいはい。俺が悪かった。
で、堀社長。
具体的な話はどのあたりまでつけているんですか?」
「とりあえず、サイパンを拠点にしようかと思っている。
井上君ともそこで話をしなければならんのだが、問題は、何処にその竜がいるかなんだよな……」
机の上に広げられたマリアナの地図を眺めながら堀社長が途方にくれる。
撫子の話によって、マリアナに竜がいるのは分かっていた。
その後、「海面が光った」だの「お化け烏賊が出た」だの「人魚が歌っていた」とかの報告も聞こえてきたんで居るのだろうとは推測できた。
問題なのは、状況証拠だけでまだ誰もマリアナの竜を見ていないという所である。
マリアナは日本の信託統治領であると共に、合衆国領土のグアム島がある。
竜がきてから四ヶ月、帝国が必死にコンタクトを取ろうとマリアナ近辺に艦船や飛行機で捜索しているのと同じように、合衆国もグアム島から飛行機や艦船を出して捜索しているのに見つかってはいなかった。
なお、近隣にはどうしているのか知らない(事になっている)英国貨物船も出没しており、事ここにいたって確実にマリアナの竜を見つける事ができるであろう撫子の出馬を願ったというわけだ。
「しかし、何でこの時期なんでしょうね?」
遠藤の不思議そうな呟きは俺も思っていた事だったりする。
暴れる訳でもなし、大寒波を起こす(今冬の大寒波がアイスランドの竜のせいなのを知っていたのは帝国だけだった)訳でもなし、居るだけで邪魔な訳でもないだろうに。
「いや、居るだけで凄く邪魔になっているらしい。アメリカにとって」
俺と遠藤の疑問に気づいた堀社長が答えをあっさりと言ってのけた。
「大陸投資。その為に安全かつ安い航路をアメリカは求めているのさ」
満州以外から足抜けした大陸は案の定、国民党と共産党の対立が激化しつつあった。
その対立に一石を投じたのが国民党を追い込んだ三峡ダムだった。
長江封鎖の為に築かれた巨大な堤はそのまま国民党が保有し、これに発電施設・利水施設・交易用運河建設などが計画され、その利権を担保に42年3月アメリカは国民党に5億ドルもの貸付をしていた。
これは、帝国が足抜けして空白と化した大陸権限を合衆国が保有する宣言にも取れたのだが、この結果二つの事態が更に合衆国を追い込む事になった。
第一に、三峡ダムの建設資材を何処から持ってくるのか?
発電施設・利水施設・交易用運河建設に水に沈む四川盆地の代替建設まで中国史上空前の建設ラッシュの為にありとあらゆる資材を必要としていた。
だが、大陸の民に多大な恩恵を与えてくれるであろうダム開発の能力を国民党は持っておらず、その開発は欧州大戦に参加していないアメリカ資本が独占する事となる。
ところが、アメリカ本土から大陸まで資材を運ぶのにもハワイのドラゴンが邪魔だった。
現在、パナマ運河からハワイを避けてマーシャル諸島・オーストラリアを通って、長躯運ばれてくる資材の為に大漁の船を必要としていた。
その船はさすがにアメリカ一国では賄いきれず、船を持つ英国は戦争でそれ所では無く、日本を大陸から追い出した手前日本に生産を頼むわけにも行かず、最短距離の北太平洋航路はまだ大寒波の大荒れ状態という八方塞りとなって合衆国政府は産業界からもう猛然と突き上げを食らっていたのだった。
第二に、共産党の勢力の急拡大だった。
この三峡ダム建設で四川盆地のかなりの部分が水に沈み、多くの農民が土地を追われる事になった。
だが、国民党政府はその農民対策で最悪の手を打った。
合衆国から与えられた資金には農民の移転対策費用を賄うだけの大金が与えられていたはずなのに、それを腐敗しきっていた国民党上層部が着服して軍を使って農民達を追い立てたのだった。
彼らは激怒し共産党に助けを求め、農民層の支持の元共産党の勢力が急拡大していっていた。
更に情けない事に国民党内部の権力争いで敗れた有力者も共産党に走り、日々勢力を伸ばしている共産党に国民党は何も手を打つ事ができていなかった。
ここに至って、合衆国は初めて帝国の大陸の苦労を思い知る事になる。
国民党政府に武器貸与という形で更に5億ドルを貸付け、フィリピンのマッカーサー将軍と軍事顧問団を上海に派遣して大陸情勢をコントロールしようとしていたが、人民の海は合衆国の生産を凌駕しようとしていた。
1938年の海軍拡張法が11億ドルという事を見れば、この対中投資がいかに過大かよく分かる。
国共内戦で共産党が勝つような事になれば、その10億ドルが不良債権となり、切り捨てるには大きすぎていた。
手に入れた大陸利権てこ入れの為にも、合衆国は太平洋を文字通り「太平」にしたかったのだ。
合衆国は戦争と大陸投資で多大な利益をあげようとしていたが、それは英国と国民党に金を貸し付ける事によって成り立っている。
逆に言えば、国民党が共産党に負けたり、英国が欧州戦争で負けて膨大に貸し付けていた債務が紙くずとなって不良債権に化けたら大恐慌以上の政治的経済的混乱を招く事を意味していた。
英国が絵を描いたマリアナの竜交渉はハワイの竜対策を見越してこうした背景が背後にあった。
英国は、合衆国に恩を売ることで更なる債務引受と太平洋の安定化による合衆国の対独参戦を。
帝国は、英国に恩を売ることで竜を政治カード化して停滞している合衆国との関係改善を。
合衆国は、英国の案に乗って帝国と交渉する事によって竜の無害化と大陸利権の安定化を。
もはや、竜すら政治カード化している冷徹な国際政治がそこに存在していた。
「人間って……怖いのぉ……ばりばり……」
煎餅を食べながら感慨深く撫子が感想を述べる。
なお、遠藤も撫子と同じくというか、堀社長以外は皆感慨深い顔をしている。多分俺も。
そんな俺たちの顔を見て満足そうにしている堀社長。できの悪い生徒に世界の真理を教える教師の様にも見えなくはない。
コンコンとドアがノックされる。
「メイヴです。
お客様がいらっしゃいました」
ちなみに、この会議にメイヴは別様で席を外していた。
どうせ撫子経由のテレパスで聞いていたとは思うのだが、神祇院副知事としてのお仕事をしていたらしい。
そこでふと疑問が湧く。海軍省で、神祇院副知事のお仕事?
と、俺が思っていた所にドアが開き、二人の外国人がメイヴと共に入ってきて、堀社長が辛抱たまらない笑顔で俺達にお客様を紹介した。
「では、今回の航海の同乗者をご紹介しよう。
ワシントン・ポスト紙特派員のアレン・ウェルシュ・ダレス氏と、ロイター通信社の特派員イアン・フレミング氏だ」
帝国の竜神様 32
2007年06月07日(木) 12:11:56 Modified by nadesikononakanohito