帝国の竜神様46

1942年 5月16日 朝 東京 陸軍参謀本部

 ここ数日、参謀本部の誰もが新聞を片手にベルリン発とロンドン発とモスクワ発のニュースを朝の話題にした。
 中には、このニュースによって仕事が変更になった者もいる。
「ドイツ大使館と英国大使館に確認は?」
「外務省筋からも、駐留武官筋からも確認がとれました」
「ソ連大使館への確認は?」
「外務省筋では取れています。
 さすがに、向こうの武官筋との確認はまだ……」
「急いで確認を取らせろ」
「関東軍にこのニュースは?」
「知らせている。万一の準備に備えよとの命令も出す。
 侵攻準備に最低三ヶ月はかかる以上、いまから準備をしておかないと対ソ参戦ができなくなるからな」
 彼らはスターリングラードでついに起こった独ソ両軍の大激突とクレタへの英軍上陸に合わせて、自らの行く末を決めようとしていたのだった。

 ベルリン発のニュースは、
「包囲しているスターリングラードに猛爆撃を加え、かの街を灰燼に帰した。
 クレタで独軍航空隊とイタリア艦隊が英艦隊と交戦。戦艦二隻と空母一隻を撃破した」
 と勇ましい音楽と共に全世界に発信していた。
 ロンドン発のニュースは、
「英軍はクレタに上陸。イタリア艦隊を撃退しつつ猛爆撃と共をクレタの独軍に行いつつ上陸を続行中」
 とクレタに上陸する写真と共に記事を公表していた。
 モスクワ発のニュースは、
「スターリングラードを包囲している独軍に逆襲をかけ、独軍は壊走。
 さらにドン河まで独軍を追い詰めつつある」
 とまったく逆の事を言っていた。
 こういう場合、大概自分に都合のいい事しか言わない。
 だからこそ、どちらが正しいのかどちらも間違っているのかを見極める必要がある。
 この手の情報分析は大陸での戦争の結果、帝国陸軍にとってもの凄く苦手になっていた。
 だが、神祇院より出向している黒長耳族の巫女が中心となって情報分析とその情報の活用について再構築を行っている途中だったりする。
 ちなみに、満州における関東軍の危険分子(対ソ先制攻撃論者)の排除は彼女達黒長耳族がいなければできなかった。
 彼女たちの手によって直接・間接的に関東軍を追われた士官は100人を超え、彼らを含め規模を急拡大しつつある満州国軍に移籍した士官は300人に達しようとしていた。
 この結果、関東軍は中央の統制がほぼ完全に行き届くようになる。
 大陸での戦争によって図体のでかくなった陸軍は兵の除隊と同時に、中央の統制による現場の暴走の封じ込めを行う為に来月発令される人事で関東軍の梅津大将を参謀本部に戻して陸軍全体の綱紀粛正を図ろうとしていた。
 その梅津の手足として動いた黒長耳族の娘達も一緒に参謀本部に来る事になっており、今回の情報分析はそんな彼女達の先行お披露目も兼ねている。
「まず、第一にこの独ソの報告から確実に分かる事は、『独ソ両軍がスターリングラードという街で大規模な衝突に至った』という事です」
 大会議室に広げられた欧州の地図には集められるだけ集められた英独ソ三軍の兵の配置が記載されていた。
 彼女の話に耳を傾ける参謀達は、地図の上にあるスターリングラードという街とそこを取り囲む赤と黒の駒をじっと見つめる。
 まず、独ソ戦がなければ聞くこともなかったであろうスターリングラードという街がソ連でも有数の街であり、戦車工場があるぐらいの知識は先に仕入れてある。
 ユーラシア大陸を分断するかのように延々と続く赤と黒の駒の線。
 その交差点にスターリングラードがある。
「皆様は既に知っておられるとは思いますが、確認の意味をこめて独軍の作戦計画を再度説明いたします。
 ドイツ大使館および、駐留武官からの情報で今回の作戦名は『ブラウ』。
 かの国の国家戦争計画であるカラーコードの名前まで与えられたほどの重要作戦であるこの作戦は現在東部戦線全域において攻勢をしかけております。
 この作戦における最終目標はこのスターリングラードの独軍突出部より推測して、おそらく……」
 黒長耳族の巫女の視線がスターリングラードの更に南、カフカスとカスピ海に挟まれた井戸のマークの街でとまる。
「…バクー油田でしょう。
 ここを独軍に押さえられると、油を失ったソ連軍はいずれ動けなくなります。
 ソ連軍を広い意味での兵糧攻めにしよういうのが独軍の目的と推測します。
 当然、この意図はソ連軍も察知しており、このスターリングラードで独軍を待ち受けたと」
 参謀達の視線がスターリングラードとバクーを交差する。
「独軍の司令官は、フランス戦での電撃戦で功績をあげ『雪原の狐』の呼び名を持つヒトラー総統のお気に入りの名将ロンメル上級大将。
 彼を司令官とする南方B軍約50個師団がスターリングラードを包囲したまでは裏が取れています。
 対するソ連軍は逆襲したというニュースが本当ならば、南方B軍と同等かそれ以上。
 近隣の兵力をかき集め、場合によっては予備兵力まで使っているかもしれません。
 指揮するのはこれも名将の誉れ高いジューコフ上級大将。
 ノモンハンで帝国陸軍に敗北を味合わせた名将であります」
 何名かの参謀の顔が露骨に歪み、一人の参謀が声を荒げた。
「貴様、我々帝国将兵の屍を築いた敵将を名将を褒め上げるとは何事かっ!」
 もし、彼が怒るのならばそこでは無く、『何で来て半年ばかりの黒長耳族がノモンハンを知っている』方を怒るべきだった。
 だが、そんな事に気づく頭もない彼はただ帝国のプライドのみに目がいって怒り、そしてかわされた。
「戦争とは人の殺し合いであり、死体で図るのならば陛下の赤子も独軍の将兵も同じはずです。
 それに、敵将を名将と称える事と、敵将に復仇を誓う事は矛盾しないはすです」
 巫女服の黒長耳族の女が表情を消して能面のような笑みを浮べたまま、怒鳴った参謀に静かに尋ねた。
「それに、かの敵将ジューコフ将軍を無能と貶めるのならば、その無能にしてやられた我ら帝国陸軍はどのような扱いになるのか、教えていただきたいのですが?」
 場の空気が氷点下まで下がる。
「すまない。話が逸れたようなので続きをお願いしたい」
 怒鳴った参謀の上官らしい男が間に入って場を流し、その流れに乗った黒長耳族の女は何事も無かったかのように話を続けた。
「失礼しました。
 では、続きです。
 独ソ双方の情報からスターリングラードが包囲され爆撃を受け、それにソ連軍が逆襲をかけたと見るべきで、主な戦線はドン河からスターリングラードにかけての突出部にかけてと想定されています」
 一度、黒長耳族の娘が口を閉じ、それと変わって参謀達が地図上の独ソ両軍を立場から活発に意見を出し合った。
「冬将軍に阻まれたが、モスクワまで迫った独軍の事だ。
 スターリングラードすら占拠してバクーを押さえるのではないか?」
「だとしたら、ソ連軍の逆襲によって後退した事が解せない。
 我が皇軍なら引くなんて事はありえないから独軍は後退するだけの打撃を受けたのではないか?」
 戦場は遥か遠く、しかも人の戦争である。
 話にすらならない気楽な楽観論が会議室を支配する。
 たとえば、スターリングラードまで独軍がどれぐらいの苦労をかけて兵と物資をロンメルの所に運び込んでいるのとか。
 その運び込まれた兵と物資を受け取る為に、ロンメルが慎重にかつソ連軍の耳目を集めつつ攻撃をしているとか。
 スターリングラードに耳目が集まりすぎて、地図に記載されていた独軍編成の中で中央軍集団から南方A軍の担当地域の境目であるヴォロネジ攻防戦に機甲師団とその将官が集まりつつある事とか。
 現在逆襲に出ているソ連軍の兵力が極東からではないとしたら何処から出ているとか。
 そんな黒長耳族同士の情報交換で用意していた事前応答はついに会議室で使う事はなかった。
 黒長耳族とてこの世界にきてまだ半年も経っていないが、「機甲師団=騎兵」と陸軍参謀の説明を信じるのならば、この地図の独ソ戦線の見方が色々と変わってくるはずである。
 黒長耳族も異世界で戦争の洗礼は受けているし、技術への追随と理解はまだまだだが、人間が行う戦術・戦略なんぞさして変わらない。
 特に、ソ連軍の逆襲を受けて後退しているロンメル率いる南方B軍の北西部に手間のかかる騎兵集団(機甲師団)が集められている意味を考えるなら、彼女達が主戦場と想定していたスターリングラードからドン川流域の意味が恐ろしいほど見えてくる。
 彼女達はロンメルがわざと死地に入りソ連軍を引き付ける囮と考え、ドン川に追い詰められて包囲される寸前にその後方を機甲師団で突破、ソ連軍を包囲殲滅するのでしないかと考えていたのだった。 
 更に英国が行っているクレタ上陸戦を独ソ戦に絡めると独軍もかなり危ない橋を渡っている事が分かる。
 ロンメルの南方B軍の補給路はドン川とその終着たる黒海であり、中立国トルコへ帝国が独逸に送っている資源交易路の要衝にクレタがあり、この世界で必要な資源である石油産出地のルーマニアを牽制できる位置にクレタがある事を参謀達はだれも口にしなかった。
 かわりに彼らが口にしたのはまったく別の事だったりする。
「で、だ。
 我が帝国は何時頃ソ連に宣戦布告をすればいいのだ?」
 独逸が勝とうが、ソ連が勝とうが彼らは近く満ソ国境で行う対ソ戦の事で頭がいっぱいだったのである。
「関東軍の梅津閣下からの報告では、先の無線封鎖はソ連極東軍を対独戦線に回す為と判断しており、我々も同じ考えです。
 軍の移動に一ヶ月、対独戦投入までに一ヶ月かかると考えるならば、七月後半までにはソ連極東軍の戦力が弱体化します。
 現在スターリングラードからドン川で行われている独ソの決戦もそれまでには決着がついているでしょうから、その結果を見て判断しても十分間に合うと判断します」
 誰もが二ヶ月先の対ソ戦とその勝利に心躍らせているのに懐疑心を抱きながら、今度は満州に展開している兵力を説明する。
「現在満州に展開しているのは、陸軍および満州国軍を含め100万。
 満州に展開している三個戦車連隊を再編、それぞれを母体とした機甲師団を三個作る事を考えていますが、大陸での戦争終結に伴う予算縮小で実行できるか……」
 扉が開き、巫女姿の黒長耳族の女が駆け込んで、解説をしていた女に耳打ちする。
 彼女達黒長耳族は神祇院嘱託として管理されている為に、神祇院経由の情報は全て末端にまで行き渡る様に各省庁に要請していた。
 これも異世界で迫害され情報に鋭く、しかも固体ではなく組織で情報に向かっていかねば滅亡しかねない黒長耳族の名残ともいえよう。
 解説をしていた女の滑らかに動いていた口が言葉を発せずに固まる。
 それに不審の視線を向けていた参謀連中は飛び込んできた参謀の大声によって彼女が固まった理由を知った。
「大変です!
 下田からの報告で……」
 その第一声に誰もが言葉を失う。
「下田からの報告は本当なのか!」
「間違いありません!
 既に報告は内務省および海軍にも行っています」
「信じられない……本当なのか……」
 信じたくなかったというのが本音だろう。
 魔法があるとはいえ、まだ刀や槍、弓で戦争をしている連中に負けるはすがないと過信していた。
 第一報が参謀本部内を駆け巡ったのだろう。
 誰もがあわただしく動いているのに、誰もが有効的な手が分からない。
 そして、誰もが信じられない表情でその言葉を口にした。

「異世界に送った一個連隊が化け物に……大損害を受けただと……」

 帝国の竜神様 46
2007年11月21日(水) 20:41:33 Modified by nadesikononakanohito




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