帝国の竜神様53 その2

六者協議 前段階 休憩中 随行員室

「大西洋憲章というのを英国と米国はだしています」
 そう口を開いたのは吉田副代表。綾子の質問の回答としてだ。
「大西洋憲章は以下によって構成されています。
 1.合衆国と英国の領土拡大意図の否定
 2.領土変更における関係国の人民の意思の尊重
 3.政府形態を選択する人民の権利
 4.自由貿易の拡大
 5.経済協力の発展
 6.恐怖と欠乏からの自由の必要性
 7.航海の自由の必要性
 8.一般的安全保障のための仕組みの必要性
 彼らは戦後の世界構想をこういう風に作ろうとしているのです」
 さすがは外務省で駐英大使まで勤めた逸材。英国のビジョンを簡単に説明してくれる。
「ふむ。
 だが、おかしいのではないか?
 かつて博之は英国の事を『ここ100年世界を支配している巨大帝国』と言うたが、その巨大帝国が行う戦で領土を取らぬのはどういう事じゃ?
 しかも人民の権利という言葉がでておる。
 これは奴隷を取らぬという事であろう?
 領土を取らず、奴隷もいらぬというのであれば、英国とやらはどうやって戦争にて儲けをだすのじゃ?」
 撫子はこういう時に持っている知性の鋭さを醸し出すのだが、頭を撫でられて上機嫌で俺の後ろから抱き付いて胸を押し付けながらその知性を醸すのをやめてくれれば素直に感動するのだが。
「い・や・な・の・じゃ〜」
 楽しそうに拒否する撫子をひとまず置いといて、撫子が指摘した英国の意図に皆が考え込むが、吉田副代表が正解を知った顔でそれを楽しそうに眺めている。
 一から十まで教えずに考えろときたか。この人も井上中将と同じく教師あたり似合うかもしれない。
 英国流に優秀かつ歪んだ人材がきっと育つだろう。
「どうも英国の利害とこの大西洋宣言が一致しないんだよなぁ」
 遠藤が頭をひねる横で綾子も大西洋憲章が書かれた英文を前にぶつぶつと呟いたまま。
 こんな時に正解を出すのは長く生きて人の裏表に弄ばれ続けたメイヴだった。
「もしかしてですが、英国は儲けを出さなくてもいいと考えているのでは?」
 その言葉に吉田副代表は人を食ったような笑みを浮かべてメイヴを誉めた。
「まぁ、この面子で一番正解に近いのは貴方だ。
 これからもその見識をわが国の為に使ってくれる事を祈っていますよ。
 正解は、『儲けを出せないほど、この戦争に負けている』です」
 吉田副代表以外皆、きょとんとしたまま目をぱちくりぱちくり。
 何を言っているのだこのじいさん的空気を読んでいたらしく、吉田副代表はにこやかな笑みを浮かべて言ってのけたのだった。
「そう。この戦争は英国にとって、ダンケルクから、欧州から蹴落とされた時点で負けていたのです」
 吉田副代表の講義は続く。
「若者たちの為に歴史から語るとしましょう。
 大英帝国――太陽の沈まぬ――と称されたほど世界各地に領土を持つこの国は裏を返せば、本国のある欧州において驚くほど領土が少ない。
 それは、仏国をはじめとして欧州各国が英国のライバルとなって領土を欧州内に持たせなかったからに他なりません。
 結果、英国の外交方針は本土安全保障の為にも欧州内に統一勢力ができる事を邪魔する為だけに力が注がれたのです。
 ハプスブルグ、スペイン、ブルボン、ナポレオン……欧州統一勢力の出現に対してその全てに英国は妨害をし、欧州各国が争っている内に欧州外に領土を広げ、ついに太陽の沈まぬ国を作り上げた。   
 だが、それは裏を返せば常に本土が危険に晒され、欧州の戦争にいやでも介入せざるをえない事を意味します。
 事実、第一次大戦では英本土は爆撃のほか、潜水艦による封鎖を食らい国民が餓死寸前にまで追い込まれました」
 吉田副代表はすらすらと説明をするが、考えると英国の現状は進行中の欧州大戦でも変わっていない事に気づく。
「本国が常に危険に晒されている。
 これは英国の唯一無二の弱点でもあります。
 そのたびに英国は欧州内の英国と同調する勢力と協力して本国侵攻を防いでいたのです。
 ですが、今回の敵である独逸は瞬く間に欧州を統一する強大な勢力となってしまった。
 結果、英国は欧州外から味方を集めなければならなかったのです」
「それが米国という事じゃな」
 撫子の呟きに吉田副代表はただ頷いて続きを口にする。
「米国はその強大な生産力を満たす市場を求めていた。
 それは戦争継続によってありとあらゆる物が不足する英国にとって利害が一致した。
 かくしてこの二国は手を組んだのです。
 だが、永遠に戦争が継続するはずもなく、戦争が終わる時に英国を待っているのは何か?
 戦争に使った多大な戦費です。
 それを返済する為には今ある殖民地を米国に手渡す事は破産を意味します」
 国際政治のあまりのどきつい裏舞台に誰もが声を出さない。
 恐る恐る、俺は声を出すために口を開いた。
「つまり、大西洋宣言ってのは……」
「はい。英国が米国に対してしかけた足枷です。
 米国に殖民地を渡さないための。
 もちろん、米国とてそれを遵守するつもりはまったくない。
 名前だけの独立でしかないフィリピンと言う前例もありますからな」
 なんというか、誰も何も言わない。
「聞けば聞くほど英国と米国というのは仲が良い様に聞こえないのじゃ」
 あきれ果てた撫子の一言がこの場の空気の全てを物語っていた。
「国家に真の友人などおりませんぞ。
 竜神様も、大陸を沈めたと豪語するぐらいなら、これぐらい人を食ってもらわねば」
「腹を壊しそうじゃし、食べ続けると邪竜になりそうじゃ」
 呆れ声の撫子に対して莞爾に笑いながら皮肉で返すのが英国紳士の嗜みらしい。
「邪竜結構!
 英国宰相は『悪魔と手を組む』と豪語しておりましたな」
 ああ、なるほど。
 だから英国は太陽の沈まぬ国となったわけだ。
 悪魔と手を組むためにどれほどの魂を捧げたのやら。
「英国と米国の関係は分かりました。
 それをこのマリアナに当てはめるとするならば?」
 空気を変えようとメイヴが吉田副代表にこの場の解決策を求めると、待っていたかのように吉田は口を開いた。
「ハワイの竜は米国にとって目の上のこぶです。
 これを取り除かないと何も出来ないほど、彼らの政治的束縛は強くなっている。
 それは、米国の介入なくして勝てぬ英国にとって真綿で首を絞められるに等しい。
 だからこそ、帝国が竜をどうにかするというのは英米に対する最高の売り物になります」
 真顔で吉田副代表は撫子に言い放つ。
「撫子さまを含めた、竜全てと帝国が手を切る。
 この場における最善の回答でしょうな」
 しんと誰も何を言わない。いや、言えない。
 最初に、笑い声をあげたのはその撫子だった。
「ほんに食えぬやつじゃ。
 当人を目の前にして、わらわを切るともうしたか。
 いやがったらどうするつもりなのじゃ」
「真田少佐を殺します」
 はっきりとした殺意が撫子から湧き上がるのが分かる。
 にも拘らず、吉田副代表は平然としたまま続きを話す。
「そして、貴方には大暴れしてもらって帝国、いや全世界を滅ぼしてもらいましょう。
 国家の再建に50年、100年かかるかもしれませんが、みな0からスタートなら我々日本人にも勝ち目はあるでしょうな」
「日本人一人すら残さず、日本列島ごと沈めるかも知れんぞ?」
「構いますまい。
 このまま英米と戦となれば戦火で本土は焼け、日本人も奴隷となるだけの事」
 吉田副代表の言い放ちにきょとんとしたまま、撫子の殺気が散ってゆく。
「不思議なものじゃ。
 博之もそうじゃが、何でおぬしも『英米を滅ぼせと』言わぬのじゃ?」  
 その撫子の問いに、吉田副代表は答えずに、撫子用にと英米のくれたチョコレートを一つ摘んだ。
 それをそのまま撫子の口の前に持ってゆくとぱくりと躊躇わずに撫子は咥えた。魚か。お前は。
「これが答えです」
「んぐ…このちょこれーとがが???」
「我が国は恥ずかしながら、このような甘いものを食べるどころか、その日の飯にすら困る人民は多い。
 そんな、人民の日々の糧は何か?
 こんな甘いチョコレートを大量に作れるほど豊かな国である、米国・英国向けの輸出品なのです。
 貴方を使って英米を滅ぼしても、帝国人民の貧窮は救われますまい」
 ぺろりと舌を出して唇を舐めた撫子はそのまま口を開けて次をねだる。雛かお前は。
「真田少佐におねだりしたらどうですか?」
「では、おぬしには博之を殺さずにかつ世話になっているこの国対して恩を返せる策でも提示してもらおうかの」
 俺はチョコを撫子の口にほうばらせつつ、吉田副代表の言葉を待った。
「行き着くのは竜の扱いなのです。
 帝国と竜神様の関係から、マリアナ、ハワイの竜も国家と同じ扱いで話をしようとするから無理があるのです。
 さすがに我が国よろしく神様で祭り上げるわけにはいかないでしょうからな」
 吉田副代表が苦笑する。
 神であればそれは別存在である。
 何しろご利益があれば祟るのも神様で、我が国はそれが八百万といるのだからいまさら竜神が五柱増えた所でさしたる問題も無い。
「ハワイについては別のロジックを作る必要があります。
 とりあえずマリアナだけは先に片付けないと、交渉が流産したら打撃を受けるのは我々も同じです」
 英国という一番の貧乏くじを引きかねない所よりもましだが、我々帝国もこの話が流れるとろくな事にはならないのはこの場の人間は皆分かっている。
「あまり良く分からないが分かった事にするのじゃ」
 とりあえず人外の神様はこの際置いておく。
「こういう場合、前例を踏襲するのが一番楽でしょう。
 幸いにも似たような前例が英国外交にあるのでそれを使いましょう」
 全員の視線が吉田副代表に注がれる中、あっさりとその前例を言ってのけた。
「“フセイン=マクマホン書簡”、“サイクス=ピコ協定”、“バルフォア宣言”。
 全てこれで解決です」
 とてもあっさりと提示された吉田副代表のキーワードに全員が首をかしげ、彼の了解の下意味を調べ、それをマリアナに当てはめる事約十五分。
 不思議に出た第一声が揃っていたのはきっと偶然ではない。
「「「ち ょ っ と 待 て(ってください by綾子) ! ! !」」」 
「どうしました?何か問題でも?」
 というか問題ありまくりだ。
「何ですか!この二枚舌、いや三枚舌外交は!」
 綾子が声を荒げるのも無理は無い。
 “フセイン=マクマホン書簡”は第一次大戦時にオスマン・トルコに対する蜂起の代わりに、ダマスカス、ホムス、ダマ、アレッポを結ぶ領域内の独立を認めるという書簡。
 “サイクス=ピコ協定”は同じく第一次大戦時英仏露で結ばれたオスマン・トルコ分割協定で、大事なのはシリア、アナトリア南部、イラクのモスル地区を仏国の勢力範囲、シリア南部と南メソポタミア(現在のイラクの大半)を英国の勢力範囲と決めた協定。 
 “バルフォア宣言”はやはり第一次大戦時の英国政府の公式方針として、パレスチナにおけるユダヤ人国家の建設に賛意を示し、その支援を約束しているという宣言。
 1942年現在でも大揉めに揉めているパレスチナ問題の発端を解決策にあげるとはどういう神経だ。
「時間稼ぎですよ。時間稼ぎ」
 あっさりと紳士口調で言ってのける吉田に何も動揺の色は無い。
「現状で解決できない問題なら、棚上げするのが一番でしょう。
 それに、この問題とて英国は解決の努力をしなかったわけではないのですよ。
 例えば……」
 声を小さくした吉田副代表の姿が俺には紳士服を着た悪魔に見えた。
「帝国が帰った後の仏領インドシナの様に、1941年7月に自由フランス軍と共に仏領シリアを占領したのはどうしてか今の話の後なら推測できるでしょう」
 亡命政権である自由フランスにシリア統治などできる訳も無い。
 その深慮遠謀ぶりに皆は何も言わずに吉田副代表をただ見つめていた。
「後の面倒は後で考えればよろしい。
 現在の問題を処理しなければ、我々にはあまりよろしくない未来が待っているのならなおさらです」
「それで、わらわは何を提案すればよいのじゃ?」
 あまり良く分かっていない撫子の問いかけに、吉田副代表はゆっくりと指を折ってゆく。
「第一。
 日本が竜をどう扱うにせよ、それにおいて英国・米国は異議を唱えない。
 ただし、今回マリアナで交渉する竜について、米国・英国の竜の扱いを尊重する。
 第二。
 英国が竜をどう扱うにせよ、それにおいて日本・米国は異議を唱えない。 
 ただし、今回マリアナで交渉する竜について、日本・米国の竜の扱いを尊重する。
 第三。
 米国が竜をどう扱うにせよ、それにおいて日本・英国は異議を唱えない。
 ただし、今回マリアナで交渉する竜について、日本・英国の竜の扱いを尊重する」
 四本目の指が折れた時、吉田副代表の声が低く、角と尻尾が生えたかのように錯覚させるほど耳に残る言葉が出てきた。
「第四。
 それ以外の竜について、随時協議。
 ただし、それ以外の竜と日・英・米の三国が結んだ協定や条約は三国とも尊重する」
 しばらく誰も口を開けなかったが、 
「悪党」
 ぽつりと聞こえた先にメイヴがいた。
 その言葉を了解と捉えた吉田副代表はうやうやしく一礼して見せたのだった。
「最高の褒め言葉ですな。それは。
 各国の補佐と代表にこの提案を伝える事にしましょう。
 それと……」
 ふと思い出したかのように、吉田副代表はは撫子に注文をつけた。
「会議で政治的に悪役が必要になります。
 竜神様。貴方にそれができますか?」
 撫子の回答はとてもあっさりしていた。
「わらわをなめるでない。
 邪竜なわらわを見て脅えない事じゃ」


 六者協議前段階 再開

 再開はお茶の時間と重なって、代表及び補佐の前にかぐわしい紅茶の香りが漂うが手をつける者はいなかった。
「さて、協議再開なのじゃが、日本政府より興味深い提案があるそうじゃ」
 撫子の第一声と共に再開された六者協議は野村代表の英語によって始まった。
「わが国は以下の提案を……」
 内容は先の吉田副代表の提案にちゃんと豪と新を入れた五カ国案を提示している。
 提示後の各部屋に乱れ飛んだ紙の協議の結果、各国とも了承という紙をよこしてきているから安心してみていられる。
「よろしいかな?」
 声がしたのはニュージーランド代表。
 了承したあとは撫子と乙姫のしゃんしゃんで終わりのはずなのだが?
「わが国は先の日本政府の提案に反対する意思はない。
 ただ、一つ気になった事があるのでそれを問いただしたいのです」
 円卓に座っている者以外の発言は禁じられているのに撫子の耳にはざわめき声が聞こえてくる。
 目を英国席に向けると英国側も紳士の仮面をつけ忘れたらしく、このニュージーランドの質問は想定外だったらしい。
「我々は以下の取り決めによってマリアナの竜を定義したが、肝心の彼女の意思というものが見えないのだが」
 あ……
 いっちゃったよ。よりにもよってその言葉を。
 周りの各国席が一斉に「空気読めよ」と顔で語っている。
 この会議の席で、眠そうに首を縦に振った以外に夢の国に目を開けたままお散歩しているような乙姫様の意思をどう確認しろというのだ。
 そして、真っ青になる乙姫様補佐のレヴィアタン。
 彼女は補佐だから、紙を乙姫様にあげる事はできるが彼女自身に発言権はない。
 そもそも、完全お飾りという設定での六者協議だけにたとえそれが意思の表明とはいえ、乙姫様自身が行う必要がある。
 ぽややんとした乙姫様はゆっくりと皆が見守る中、口を開いた。
「わたしはね、みんなやおさかなといっしょにゆったりとうみをおよげたらそれでいいの〜」
 乙姫様はニュージーランド以上に空気を読めてなかった。というか、読めというのが無理だった。
 つまり、白鯨(ちょっとした島並の大きさ)のレヴィアタンに巻きついて、起きる時に駄々をこねて海域を大荒れにするという事だな。
 それでも太平洋は広いからこの二人の所在を把握して事前に警報を往来船舶に発信できるのならタイタニックのような悲劇も起こるまい。
 紙にそんな事を書いて遠藤に渡すと、メイヴと何か話して了解をとった後に野村代表に渡すために部屋を出てゆく。
 しかし、天気予報ならぬ乙姫様予報か。
(『今日の乙姫様は寝起きな為、とても機嫌が悪いでしょう』とかいうのじゃろうな)
 その機嫌の悪さで何度も太平洋に殴り飛ばされた撫子ゆえ、テレパスにも苦笑的な気持ちがこもっていた。 
 意識を会議室に戻すと、遠藤の助け舟が来るまで皆の視線の集中放火に晒されているニュージーランド代表が返答に詰まっているのが見える。
 ハンカチで額の汗をふきながら必死に場をごまかす。
「そ、そうですか。
 我が国は、先の提案に反対する意思はないのです。
 よって、わが国も日本帝国と同じく国家元首扱いとし、領海を自由に泳いで……
 亡命滞在地が欲しいのでしたら、委任統治領の西サモアを提供しましょう」
 取り繕いのニュージーランド代表の一言がまた場の空気を急激に冷やした。
「ニュージーランド代表。
 それは貴国および英連邦が竜を庇護下に取り込むという話と理解してよろしいか?」 
 はっきりとドスの利いた声で米国ケネディ代表が質問する。
「いや、あくまで英国および英連邦諸国の認識であり、我が国に亡命しているオランダ王室や自由フランス政府と同じ扱いをするという認識を示しただけにすぎません。
 ただ、彼女が彼女の意思で亡命を望む場合、英国および英連邦は彼女を受け入れるとこの場で表明しているだけです。
 もちろん、先の日本帝国の提案を尊重するので、マリアナの竜が合衆国に亡命を希望した場合でも我が国はそれを尊重しますよ」
 即応して切り返したのは今まで黙っていた英国イーデン代表。
 ニュージーランドの失言をフォローしつつさり気にマリアナの竜を勧誘するあたりさすが大英帝国だが、場の空気が何だか変な方向に動いているぞ。
「つまり、あやつは海で好きなだけ泳ぎたいだけなのじゃから、それを尊重すべきであろう」
 ああ、撫子さん。
 貴方まで口を出さないでください。
(心配性じゃな。博之は。
 安心せい。吉田副代表に言われた悪役とやらをちゃんと演じて見せるのじゃ)
 分かっているのか?本当に?
 この場合の『悪役』ってのは議長権限でちょっと強引にでも場をまとめるという言い回しなのだからな。
(分かっているのじゃ。
 博之は本当に心配症よの)
 イーデン代表が撫子をたしなめる。
「ミス・撫子。
 好き勝手に泳ぐと言われても、国家には領海というものがあり、それを勝手に入られるのは……」
「だから、あやつにあやつの『領海』とやらをやればいいのであろうが」
 誰もが絶句した会議室で撫子は乙姫様と同じ様にきょとんとし、
「どうしたのじゃ?皆黙って?」
 …………やっぱり分かってねーじゃねえか…………
 その後、言いだしっぺである帝国は乙姫様の領海提供――信託統治領である南洋諸島――をマリアナの竜を君主とする独立国家設立の言質を与えざるを得なくなった上で六者協議はまとめられた。
 後に『太平洋宣言』と呼ばれるようになるこの宣言は以下の条項から成り立つ。

1. 南洋諸島にマリアナの竜を君主とする独立国家を設立し、その領海内を相互不可侵とする。
2. その竜国家(仮称)について日米英豪新はその独立を尊重する。
3. マリアナ以外の竜について各国がどういう扱いをしても異議を唱えない。 
4. ただし、宣言参加国が他の竜と結んだ協定・条約については各国とも尊重する。 
5. 太平洋上で起こる竜に関するトラブルを出来うる限りこの参加国の協議によって解決する努力をする。


 六者協議 前段階終了後 帝国随行員室

「この弩級馬鹿竜がっっっ!!」
「馬鹿じゃないのじゃっっっっ!!!」
 帰ってきた馬鹿竜にお決まりの罵声を浴びせ、撫子もいつものお返しを言うのだが、そこから先が続かない。
「どうしたのじゃ?博之。
 何だか疲れているのじゃ?」
 お前のせいだ。
「うっ……
 わらわは悪くないぞ!!
 ちゃんと悪役をやって話をまとめたではないか!
 どうじゃ!
 見たかの?
 四カ国がびっくりした顔を!!」
 胸を張って威張って言ってくれるな。撫子よ。
「お疲れ様でした。竜神様。見事な悪役でしたよ」
 一部始終の後、随行員控え室に戻ってただ一人大爆笑をかましていた吉田副代表が撫子の手を握る。
「日露戦争でポーツマス条約を結んだ小村寿太郎全権大使以上のご活躍でしたよ。
 私もあまりの悪役ぶりに感銘した次第」
「おぅ。
 おぬしだけなのじゃ。わらわの悪役ぶりを理解してくれるのは」
 皮肉だと気づけよ。
 小村全権大使はポーツマス条約結んだ後に家に石投げられたんだぞ。
 この太平洋宣言が通ったら、帝国内でもどうなるかわからんと言うのに。
「安心せい。
 何があっても博之はわらわが守るのじゃ」 
 ああそうですか。
「まったく信じておらぬようじゃな。
 ひどいのじゃ」
 はいはい。信じますとも。ええ。
 だからわざとらしく嘘泣きなんてするんじゃない。
「ばれたのじゃ」
 舌をだして可愛く笑ってもごまかされませんから。ええ。
「英国と米国の部屋が凄い事になっているぞ」
 英米の部屋の偵察から帰った遠藤が呆れたように状況を伝えてくれる。
「紙をもった随行員の往来が激しい事。
 あと、両者の部屋の前のバルコニーから煙がもくもくと。
 そりゃ、機密になった紙の焼却も大変だろうな」
 今日一日でどれだけの紙が灰となってマリアナの海に撒かれるのやら。
「なぁ、博之。
 気になったのじゃが、弩級馬鹿の弩級とは何なのじゃ?」
「ああ、あれか。
 英国戦艦にドレッドノートって戦艦があって……」
 説明するほど、撫子の顔が険しくなってゆく。
「つまり何なのじゃ。
 大馬鹿者とか、そういう意味で使こうた訳じゃな。
 ひどいのじゃ!!!」 
 ええい。叩くな。髪を引っ張るな。泣くな。わめくな。
 泣きたいのはこっちだ。 
「お兄様。
 まだ、六者協議は終わっておりませんが」
 って、太平洋宣言の文面もまとめられたし……ぁ!
「まぁ、いいや。
 どうせすぐ終わる」
 結果そのとおりになった。


六者協議 後段階

「と、いう事なのじゃ」
「いいよ〜」

 美しい月夜の晩餐後。
 竜以外、誰もが疲れきった顔で座ったままの後段階は、わずか五秒だった。


 帝国の竜神様53




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2008年06月06日(金) 05:38:32 Modified by nadesikononakanohito




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