帝国の竜神様58

東京 海軍省

 現役復帰して軍事参議官に就任した堀悌吉中将は悪く言えば暇だった。
 そもそも、復帰はしたものの東京は東条内閣の総辞職を受けての政争の真っ只中。
 次期内閣にあわせての海軍人事の移動が発表されるので仕事のある職につけるとも彼自身思っていなかったし、彼自身社長としての残務整理も残っていたのだった。
 とはいえ、予算削減で阿鼻叫喚の喘ぎをあげ続けている海軍省内部において暇である事は間違いがない。
「まぁ、暇な方が私とすれば嬉しいのだがな……」
 書類の束を持って右往左往する海軍省官僚達に聞こえないように目的の部屋のドアをノックする。
「開いているぞ」
 空き部屋の一室を占拠して、書類の束に埋もれながら山本五十六次期海軍軍令部総長は堀を出迎えたのだった。
 人事異動というのは公表されてからが一番大変だったりする。
 次の人間への引継ぎ、新しいポストの就任と共に円滑に組織が動く為の準備などやる事がいくらでもある。
 海軍内部では豊田副武大将(現呉鎮守府司令長官)が連合艦隊司令長官就任、山本五十六大将(現連合艦隊司令長官)が軍令部総長就任という規定路線で固まっていた。
 海軍大臣が誰になるかについてはまだ具体的な名前があがっておらず、東条内閣後継と絡んで各勢力が蠢いているがGF長官と軍令部総長の二つが決まっていたので山本は呉を豊田に任せて東京に戻っていたのだった。
「総長就任おめでとうと言うべきかな?」
「本当なら、GF長官就任おめでとうと返したかったのだがね。
 大臣もどうなることやら」
 堀の復帰に露骨に拒否反応を示したのはやはり艦隊派だった。
 ただでさえ、米内・山本・井上の海軍左派トリオの跳梁著しいと不満を持っていた矢先の堀の復帰は感情的にも賛成されるはずがなかった。
 だが、陸軍の石原復帰という陸軍側からの政治要求に合わせて復帰を考える人材を探すと、米内が復帰してしまう事を恐れた艦隊派がいやいやながら認め、軍事参議官という閑職に堀を押し込めたのだった。
 その苦労だろう。苦虫を噛み潰した山本の顔を見て堀も苦笑する。
「で、我ら海軍が押す人間は?」
 もちろん、東条内閣の次の首相の事だが、山本は更に露骨に顔をしかめる。
「近衛さんがこけたおかげで誰を担ぐか派手に揉めている。
 陸軍ですら次の首班を誰にするか決まっていない始末だ。
 本気で米内さんを担ごうかとさっきまで考えていた所だ」
 山本の吐き捨てるような物言いに堀が頭に手を押さえて嘆息する。
「総理のなり手がないというのは末期だな。この国も」
「人間失ってはじめて分かるものだ。
 僕は今、東条首相がいかに偉大だったか思い知ったよ。
 もっとも、二度と彼の下で仕事はしたくないがね」 
 山本が英国流諧謔で皮肉を漏らし、その言い回しに耐えかねて堀も失笑する。
「何、こちらの思うとおりに敵が動いてくれるのなら負け戦なんてなくなるものさ。
 で、だ。
 その次期総長殿に少しお願いがありまして」
 苦虫顔の山本もこういう時のお願いがろくでもないのが良く分かっているだけに、露骨に警戒しつつ話を聞く事にした。
「そういうのはちゃんと就任してからが筋だろうに。
 で、そのお願いってのは?」
「戦時標準船の話だ」
 山本とて英米と交易によって国を富ませる事をこの国の方針にしようと考えているあたり、船、特に交易船とその護衛の事が無い訳ではなかった。
 ただ、GF長官として正面から米海軍と戦う上に海上護衛に割く戦力をGFから持ってゆくのは困るという立場だったが、軍令部総長となると話は別である。
「戦争をしなかったので、皆忘れているのだろうが産業設備営団が国内各地に六ヶ所も造船所を作っている。
 しかもあの造船所、その後の運営を民間企業に任せているだろ。
 仕事を与えないと投げ出すぞ」
 堀が持ってきた産業設備営団が作っている造船所関連書類を山本が眺めながらぼやく。
「そんな事言われても、おそらく海軍省の艦政本部ですら把握しているのやら。
 対米戦非戦を決断しても、走り出した公共事業は止まらん……」
 山本の口が止まったのはその建造中の造船所の中に浦賀船渠四日市造船所の名前があったからに他ならない。
「そういう事か」
「そういう事だ。
 前社長としてあとしまつはつけてもらわんと。
 幸いにも帝国の参加しない戦争はまだ続くので仕事はあるだろうが、開いた空ドックができるのだから宙に浮いた戦時標準船を片付けてしまおうとな。
 バンコク商会が米国からリバティ船を買う羽目になったのも、空いている帝国の商船がないのも大きいのだ。
 帝国の工業力を上げて金を稼ぐならば、戦時標準船の計画はやっといて損はないはずだ」
 読んでいた書類を机に置いて山本が天井を見上げる。
「分かってはいるが、問題は金だよな。
 一隻二隻作ってはいおしまいにはならんだろ。
 十隻、いや二十隻か。
 それを作る金に、その船を使っての金儲け。
 考えてあるのだろうな?」
 物を運ぶという事は目的地と搭載物があって始めて成立する。
 自由に七つの海を渡り人と物を運ぶ世界は既に遠く、今の世界は列強勢力圏におけるブロック経済の下でその勢力が小さい帝国は大きな制約を受けていたのだった。
 もちろん、それを知っている堀はさもあっさりと解決手段を口に出した。
「だから来たのだろうが。
 異世界で使う」
 異世界の言葉に一瞬我を忘れる山本。
 異世界交易は大黒字ではあるがそれは規模が小さいからこそ成り立つのは山本も堀も分かっているはずなのだ。
 訝しげに山本が口を開く。
「異世界って……もうけが出るだけのからくりがあって言うのだろうな?」
「何、イッソスでの奴隷交易をさらに拡大するだけの話だ。
 神祇院の開発公社の話は聞いたか?」
 神祇院開発公社。
 そこで行われようとしている国家規模の手形詐欺に山本は不快な顔を示した。 
「あの手形詐欺の話だろ。
 次期内閣後に実際に貸付が行われるらしいが、あんな詐欺がまかり通るなら予算削減なんぞしなくてよかっただろうに」 
 山本が愚痴をもらすのも無理はない。
 山本も好きな将棋でいえば帝国内外で打てる手を全て考えた上での最適手としての予算削減を選んだ。
 まさか、隣にもう一つ将棋版を繋げてその駒で将棋を指すなどもはや将棋ではない。
 だが、山本達が向き合っているのは将棋ではなく何でもありの軍事であり政治である。
「あの手形詐欺だが、その結果として担保を常に供給しないと破綻する。
 だからこそ更なる奴隷交易という訳だ。
 まぁ、鉄鉱石や石炭に銅とかはあるみたいだし、向こうの資源を掻っ攫うのも目的ではあるがね」
「元は取れるのか?」
 不信感一杯の山本に対して堀は当然のように言ってのけた。
「取れるさ。
 あちらの世界はまだ帆船やガレー船が主体だ。
 そこにこのクラスの貨客船を大量投入するという事は、異世界の物流を牛耳るという事だ。
 そこから上がる莫大な情報、定時に物が届くという信用、簿記や手形の概念、全ての商取引慣行を帝国式に変える事ができる。
 我々が求めるさまざまな物資、特に黒長耳族や獣耳族は勝手に向こうから差し出してくるだろうな」
 野に下り、商人に揉まれた堀と軍人であり政治家だった米内の差だろうかと山本は堀の話を聞きながらふと思った。
「米内さんが言ったかぐや姫に頼るという事か?」
「頼れるうちに頼れという事だ。
 100年の債務。異世界に帰って踏み倒される可能性があるのなら、踏み倒されないように担保を作らねばならん。
 確実なのは本土開発だ。
 土地資本は動かないから、国土を開発して土地に価値をつけその土地の価値の値上がり分を持って利益とする。
 彼女達が帰っても、本土の土地まで持っていかれる事はないだろうからな。多分」
 この多分とつけて苦笑する堀の姿が撫子という化け物の力の尋常じゃない所なのだが。
 堀の多分の意味を的確に理解して山本も苦笑する。
「けど、何で軍令部なのだ?
 スジ的には海軍省だろうに」
 漏らした疑問に、堀はわざとらしく手をあけでおどけて答えた。
「官僚のすばらしい所は、前例がある限り前例通りにやってくれるが、前例の無い事に対しては徹底的に拒否するからな。
 そして海軍省はお役所だ。
 まず通らないだろうな」
 断言した堀は社長時代に多くの法律や政令をたてにとった官僚達の前例の前に、悪戦苦闘の果てに罵詈雑言と恨み真髄の記憶を思い出して苦笑する。
「で、通らないだろうから君のところに来た。
 持つべきものは同期の友達という事さ」
 堀の白々しい棒読みの「友達」という台詞に山本も皮肉で答える。
「世間じゃ、それを職権乱用というのだが知っているか?」
「ああ、知っているとも。
 かつてのGF長官がそれを使って、ハワイ奇襲なんて馬鹿げた手を認めさせたからな」
 見事なまでにやり込められた山本は手をあげて降参する。
「やっぱり、頭も口も君には勝てないな。
 で、それだけじゃないのだろ?」
 そう。山本自身が良く知っている。
 こんな横紙破りは何時までも続けられるものではない以上、その一手には二手先、三手先の意味が付随している事を。
 堀もそれを分かっているので手を出して口を開きながら指を二つ折った。
「君が就くのが分かっているというのが一つ。
 もう一つが商船及び商船護衛を大本営直轄にするという理由が一つ。
 まぁ、こっちの方が本命だけどな」
 大本営直轄の商船および商船護衛勢力。
 海軍と同権の第二海軍の設立とも受け取れる堀の爆弾発言に流石の山本も度肝を抜かれる。
「ちょっ…おまっ……」
 手で山本の発言を封じて掘は続きを話す。
「バンコク商会でリバティ船団と共にコルベット数隻を買ったそうだが、その船員を海軍から提供してもらおうとして拒否された話。
 しっかりと届いているぞ」
「……」
 船というのは大勢の人間によって動かされるものである。
 たとえ小さいとはいえ船長に各部の長も当然のように士官で構成されねばならない。
 更にそれが船団を組むというのは組織的行動を行わねばならない為に、司令部が必要であり、司令官と補佐する参謀達も必要になる。
 バンコク商会がどうやって買ったか知らないリバティ船とコルベット艦達は運用する人間だけで1000人を超える人間――一朝一夕にできない技術職でもある――を必要としていたのだった。
 合衆国東海岸からシンガポールまでは、政治的理由(独逸が攻撃されるのを期待して)で合衆国や英国船員が運用していたがそこから先は日本人の運用となる。
 そして、船員はともかくコルベット艦の船員がいまだ不足している、海軍が提供を拒んだのはこれ以上の人材供出に海軍が耐えられないからである。
 さらに、海軍の存在意義は太平洋を押し渡る米国海軍との一大決戦であり、それ以外の些事に艦も人もかけたくは無いというのが偽らざる本音だった。
「既に軽空母二隻に二個水雷戦隊をGFは出しているのだ。
 マリアナの竜捜索とかにも艦を出しているからこれ以上出すと、呉にいるのは戦艦だけという笑えない現実を見るはめになる。
 これ以上、出すどころかすぐにでも引き上げたいぐらいだ。
 ……私がGF長官だったらの話だが」
 ため息をついて山本はその事実を認めた。
「どうせ大蔵から予算を削れと言ってきているのだろうが。
 削るとしたら戦艦だろう。
 戦艦を予備役に回して、その人員をコルベットに回す。
 で、海軍には金がないから、大本営直轄の海上護衛総司令部を作る」
 堀の悪辣極まりない提案に、山本も目を閉じて考える。
「扶桑、山城、伊勢、日向の人間を移せば大雑把に5000人の人間が確保できるな。
 それだけあれば護衛艦隊が編成できるか。
 足りはしないが、組織とすれば機能する人員ではあるな。
 何よりも……」
 山本は勝ちを確信した顔で言ってのけた。
「大本営直轄だから大蔵が手を出せないのがすばらしい」
 そんな山本の顔を見て堀は商売人としての笑みを見せながら、商談成立とばかりに山本に手を差し出したのだった。
「我が帝国にとって有効なこの提案を是非ご検討してください。
 次期、海軍軍令部総長殿」
 山本も堀の手を握り商談は成立した。
「考慮しましょう。
 だが、一万トン船20隻作ったとしても最大20万トンか。
 ところで、大西洋でUボートが去年沈めた船のトン数って幾らだったか分かっているか?」
 その数字を分かって振るあたり、山本も十分人が悪い。
「分かっているだけで1000隻以上、トン数に直せば300万トン以上。
 我が帝国の商船団が600万トン。
 何もしなければ二年で帝国商船は一隻も海に浮いていない計算になる。
 で、この戦時標準船でがんばって年300万トン以上船を作るなんて今の帝国にできるわけがない」
 その事実は、大国・一等国と世間でもてはやされる大日本帝国の真の姿を曝け出していた。
「単独なら、商船という商船を沈められて独逸にも負けるかも知れんな。我が国は」
 手を握ったままの山本の呟きに掘は何も言えなかった。 

 
 帝国の竜神様 58
2008年10月12日(日) 00:44:04 Modified by nadesikononakanohito




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