帝国の竜神様60
1942年 6月21日 所沢 北崎製作所
綾子から見たある日の日常
田園というより山村と表す方が正しい景色の中、汽車が黒煙を撒き散らしつつ駅から離れるのと同時に降りた客が改札口に向かって続々と歩き出す姿は帝都と比べて違和感を覚えますが、冷静に考えるならそれも当然のことです。
「うむっ。なんか色々いっぱい飛んでいるのじゃ!」
撫子さんが空を見上げると、上空を飛行機が飛んでいるのが見えます。
それはそうでしょうに。
そういう場所に来ているのですから。
所沢。日本で始めて飛行場が作られた飛行機の聖地の一つ。
だからこそここは軍関係者、特に陸軍の軍人と軍属が多いのは当然のこと。
今は陸軍が飛行場を管理し、陸軍飛行学校が置かれていた場所でもありました。
飛行学校は熊谷の方に移ってもここは重要拠点であり続け、こうして私達が出向く羽目になるのですが。
「それで、迎えの方というのはどちらにいるのでしょう?」
「あれじゃないのか?」
お義兄さまが指をさすと、それに気づいたスーツ姿の男が悠然と歩いてくる。
「ようこそおいで下さいました。大原様。真田様。撫子様。メイヴ様。
本社工場にて北崎がお待ちしております」
頭を下げて出迎えるのを無視して撫子さんはその後ろにある車に駆け寄ってゆきます。
「これも車というものか?
何度か見たが今でも馬がついていなくて走るのが不思議なのじゃ」
無邪気にはしゃいでいる撫子さんとは対照的に、さすがにお義兄さまは眼が点になっていますね。
メルセデス・ベンツ770ですか。
総統特別車に改造されたこともある車で出迎えというのもずいぶん力の入っている事で。
私の白々しい視線に気づいたのだろう。
「これは某国より今回の為に撫子様用にと送られたものです。
向こうのVIP仕様でお届けしろと」
こともある、では無くて特別仕様そのものですか。力入りまくりですね。第三帝国の皆様。
かの国ががんばれば私達にも利益が入りますからあまり言いませんが。
「こんな所で呆然としていないで早く参りましょう」
あの北崎さんの招きなのだ。
これぐらいで驚いていたら身が持ちませんわよ。
我が大原家と北崎望氏との付き合いはかれこれ10年ぐらいになるとか。
大陸で富を成した北崎氏が本土で事業を始める時に、やはり大陸で知り合った私の父を頼ったのが始まりだそうで。
この国にも行政があり官僚が紙という神を奉っている以上、色々な横槍が入るのは当然の事です。
その介入を避ける為に華族であった父を頼り、父の紹介で陸軍の下請けの仕事をし、大陸での戦争によった更なる富を築いた財界の新星。
彼を日に影に支援した事で公家系華族の大原家が豪華な生活を送れる訳で。
口さがなく言うなら、我々大原家はこの戦争でもっとも富を得た一族の一つとなりおおせたのです。
振り返ってみるに、1941年12月、もしも戦争が起こっていたなら、その記述は『戦争で全て得、すべてを失った』と書かれる事になったでしょうけど。
「ん?
わらわの顔に何かついているのか?」
「いえ。何も」
ただ、私達の運命をここまで変えてくれた人にお礼を言うべきか、恨みを言うべきか迷っている所です。
「しかし、車ってのは凄いのぉ。
これだけ速く走っているのに、体が揺れないのじゃ」
舗装されていない道を走っているのに喋れるのが確かに凄いとは思いますが。
そんなことを思っていたら不意打ちで撫子さんが口を開いた。
「綾子は色々溜め込みすぎなのじゃ。
もっと大らかにならぬと目が釣りあがったままになるぞ」
「……それは余計なお世話というものです」
それともマリアナの乙姫様並におおらかになれとおっしゃるので?
「…………想像できんのじゃ」
言ってもないのにどうして伝わるのか考えるのもやめました。
「お義兄さま、助手席で笑うのはやめてください」
「あ、それはだな。……お、見えてきたぞ。
北崎製作所。所沢工場だ」
明らかに話をそらす為なのでしょうが、赤煉瓦の建物群が見えてきたので私はこれ以上の追求をやめることにしました。
「ようこそいらっしゃいました。
よろしければこの工場をご案内したいのですが。もっとも、ここでの出来事は他言に無用ですが」
出迎えてくださった北崎望氏はスーツの似合う紳士という印象でした。
鋭すぎる視線さえなければ。
そのあたり、財界の新星という肩書きは伊達ではないのでしょう。
ヘルメットを受け取って、敷地内を進みますとそこは別世界でした。
「良くここまで形にしましたね」
敷地内の様子にお義兄さまが感嘆の声を上げています。
それについては私も同感です。
遙かに広がる舗装された地面と大量のトタン屋根の建物群、更に建てられ続けている工場の柱となる大量の鉄骨達。
まだ工事の続いている場所はトラクターが黒煙を吐きながら整地をしています。
日本の風景ではありません。たとえるなら、太平洋の向こうにあるようなスタイルです。
何せそこで交わされている言葉は英語です。
どうやら建設機械のオペレータが遙かになまった日本語とよく通る英語で怒鳴っているらしく、それを聞きながら作業員が働いているようです。
見た目は確かに日本人以外に見えませんが、この違和感は何とも。
「日本人でない方もおられるようですが?」
試しにそう聞いてみることにします。
「そんなことはありません。彼らはれっきとした日本国籍を持った人間です。まあ、特殊な経験をしてはいますが」
そういった北崎社長の顔には深い悲しみが浮かんでいました。
日本人であるにもかかわらず英語に堪能で建設機械の取り扱う能力がある……。そのような人がそんな何人もいるはずが。
不意に気がつき周囲を見回します。
「……他言無用とはこのことでしょうか」
「何のことでしょう? それよりもそろそろ工場に向かいませんと。すべてを見て回れませんよ」
私に対し、北崎氏はそう言って先に立って歩き出しました。
「……どうしたんだ?」
その場に立ち止まっていた私を不審に思ったお義兄さまがそうおっしゃいました。
「いえ、何でもありません」
そういって私は足早にその場を去りました。
竜神さまによって救われた大原。
竜によってすべてを失った彼ら。
私には、あの人達に顔向けできるような身ではないのです。
あの方達は日系人。それも、おそらくは元ハワイ在住の人間であろうから。
「こういう使い方をしますか……」
工場の中に入った途端にメイヴさんが固まっています。
中央に置かれた線路に台車が置かれ、零式輸送機の機体がその上に置かれています。
台車の前に石人形がゆっくりと台車を動かし、それを米国人技術者が図面を見ながら組み立てを指導しています。
翼など大きな部品を慎重に持って機体につなげる作業で、石人形が翼を持ち翼と機体の接合部には工員が取り付いて作業を行っています。
石人形はある程度の事はできるのですが、やはり細部は人の手に頼らざるを得ないという事だそうです。
それでも、人間では数十人かかる仕事を数体の石人形でこなすあたり巨人の国に迷い込んだかのようです。
「彼女たちの石人形のおかげで生産が大きく助かっていますよ」
「しかし、魔法に頼っている訳ではないようですね」
工場中にはあらゆる手段を用いてかき集められたであろう大量の工作機械が唸るような音を立て続けています。
「バンコク商会経由で入手した工作機械で私が使える分は全てここに集めて使用するつもりです。
戦力の集中こそ効率よい生産の第一歩ですからな」
ベルトコンベアーが置かれ、工員がずらりと並んで部品を作っています。
それを監督しているのは日本人ではなく、米国人だそうです。
「米国のノースロップ社と提携して生産管理や品質管理の指導をしてもらっています」
日米関係改善の影響もあるのでしょうが、元々北崎社長は米国に友人がいらっしゃるとかで。
色々な諸事情を解決してこうして技術者を派遣してもらったとの事。
敷地内から延びる幅広の舗装道路の先は陸軍所沢飛行場とそのまま繋がっている一方で、私鉄道の引込み線がすべての工場とその建設予定地をつないでいるあたりそつがありません。
運搬について全面的に鉄道を採用しているから貨物ターミナルのように線路が広がっています。
このあたりの設計も彼ら米国人技術者の指摘を受けて作られたとか。
なお、メイヴさんに後で聞いたのですが、政府の介入とかで内地の黒長耳族・獣耳族の労働について規制がしかれかけた時に、北崎社長が父に相談し大原家の女中として彼女達を30人ほど雇いそのままこの工場に送ったとか。
更に北崎社長がこっそり教えてくれたのですが、ノースロップ社の技術指導を米国が黙認したのは彼女達黒長耳・獣耳族と一緒に働く事が条件、つまり彼女たちの情報を渡すことだったとか。
この提案をした北崎社長のご学友はその功績で米国でもかなりの地位にいるそうで。
さて、この話を聞いて悪辣な提案をした北崎社長のご学友を褒めるべきか。
それを分かった上で彼女達を派遣したメイヴさんの狡猾さを褒めるべきか。
とりあえず、絵図面を書いた北崎社長のえげつなさは富を得る大原家にとっては絶賛に値するのですが。
「対英米戦の開戦に合わせて工場を拡張していた時、撫子様の光臨によって戦争が終わり途方にくれていたのですが、飛行場の拡張と工場の拡張はそのまま進めました。
正直な話、本当に戦争が終わるとは思っていなかったのですが」
戦争すら利益追求の機会としか捉えていない北崎社長は、撫子さんがいらした以降の帝国の迷走ぶりを困った顔でお笑いになります。
ですが、他社が拡張を見合わせる中での工事続行の決断はその後のバンコク商会を通じた取引によって花開き、主力の零式輸送機生産では昭和飛行機工業に次ぐ生産量を誇るそうです。
「現在のところどれだけの生産が可能で?」
「エンジンだけは三菱から持ってこないといけませんので、エンジン生産量によって機体の完成数に制限がかかるのが問題なのですが……現状で月30機は作れる能力はあります」
「それは多いのか?
少ないのか?」
撫子さんがお義兄さまに尋ねられ、お義兄さまもそれに答えます。
「一企業でこれだけ作れるのは十分だろう」
工場を出て、今度はがらんどうの建物に足を運びます。
「ここは何をおくので?」
私の質問に北崎社長が答えます。
「ここは海軍向け対潜哨戒機を作る予定です。そのために新しい機械を運び込む算段をしているところですね」
「対潜哨戒機……」
「なんじゃそれは?」
聞いたことないようなお義兄さまの顔など知ったことかと撫子さんが対潜哨戒機の事を尋ねます。
「潜水艦を見つける飛行機の事だ」
「あのマリアナであいつの眷属の人魚にひれでぶったたかれた船のことか?」
その通りなのですが、その言い方だとなんだか潜水艦の脅威が伝わらないのですが。
ちなみに、そのひれでぶったたかれた潜水艦という船は大寒波と独逸水上艦隊出撃の結果、大西洋で暴れまわって英国を青色吐息に追い込んでいるのですが。
「それでも新規に設計するとなれば大変では?」
「それにつきましては今ある機体をベースに四発化をと。幸い哨戒機ですからそれほど高速である必要もありませんし、技術的にまだまだの我々でも何とかなるのではないかと考えています。
できれば航続距離6000キロを目指し、海軍向けに納入できたらと計画を作っていたのです。
まあ、個人的に欲しがっている方があればそれにそう形で販売したいと考えておりまして。
一応、その場合には提携しているノースロップ社製として販売する予定です」
「おかしいな。
そんな話まったく聞いていないが……」
航空機に関する話ならばお義兄さまの耳に入ってもおかしくはないはずなのでずが。
けど、個人的とはどういうことでしょう?
そのようなものを買える人間がどこに。国であるならばいざ知らず。
それらの言葉が思考に形を取っていきます。
……対潜哨戒機、潜水艦に脅える国。
英国!
私のびっくりした顔に満足したらしい北崎社長は誇らしげに口を開きます。
「さて、工場の見学はこのぐらいで。
事務所でお昼はいかがですか?」
ふと気づくと太陽がずいぶん高い所に昇っており、北崎社長の提案に誰も反対はしませんでした。
「やはりご飯は美味いのじゃ!」
おにぎりに漬物、味噌汁という質素な食事を撫子さんは実においしそうに食べます。
何でも、こちらに来た時に最初に食べたのがそれだとか。
そのくせ、洋菓子や洋食にも抵抗なく食いまくり……あの胃と変わらない体重だけは羨ましいと思う今日この頃。
「いかがでしたか?
わが社の工場は?
急場で作り続けているにしては良く出来ているでしょう」
北崎社長の声にも張りがあります。
出資者としては利益がみこまれる事業だけに何も文句をつけるつもりはありません。
「某国向けで潤っているのは理解できます。
新たに某国とも取引をする以上勝っても負けても儲けるおつもりなのでしょう。
私は、北崎社長の経営方針を全面的に支持いたしますわ」
現在帝国の国論は真っ二つに割れています。
モスクワ・レニングラードというソ連の大都市陥落に伴う、同盟国である独逸第三帝国の華々しい勝利で世論は対英米戦も辞さずと鼻息荒いのですが、対英米関係は改善方向でしかも戦時動員を解除しつつある現在また戦争をしたいとは思っていないのは誰もが同じで。
ましてや、東条内閣の総辞職に伴う次期首班指名はまだ行われておらず、現在の帝国は意思決定ができない状況に陥っています。
「商売の基本は顧客のニーズに常に答える。
お客様に喜んでもらって、そこそこ儲かるならば御の字かと」
広大な東部戦線維持の為必須である輸送機を作りながら、その反対の陣営には生命線である北大西洋航路維持に必須である対潜哨戒機を売りつけようとするとは、まぁなんと言いましょうか。
お茶を一口飲んで、別の話に切り替えます。
「北崎社長。
たしか、ここの他に宇都宮の方にも工場を作っているはすですがあちらでは何を作る予定なのですか?」
新興企業である北崎はここの本社工場以外は持っていなかったのですが、出資家である大原家に送られていた事業計画書には宇都宮に工場を建設している事が書かれていました。
「宇都宮の方に、東京瓦斯電と共同でエンジン工場を建設中です。そこで作られるエンジンを使って自動車が作れたらと思いまして」
用意していたのでしょう。
宇都宮工場の完成図と生産される予定のトラックの図面を出して説明してくれます。
書類の眺めていると、ちらりと書かれている中島飛行機の文字が。
「なるほど……」
その文字でおおよそこの工場の目的が分かりました。
最初は自動車、次にハーフトラックあたりに手を出して、目指すは航空機エンジンの自前での開発、供給というところでしょうか。
お義兄さまは気づいていらっしゃるのでしょうか?
「……何か俺の顔についているのか?」
「……いえ、ご飯粒が口元についているのを見ているだけです」
深いため息をついてしまいました。この人はまったく気づいていらっしゃいません。
「取ってやるのじゃ。
ちゅ♪」
ぼきっ!
何をしてやがりますか!
あの発情竜は!!!
「あ、綾子……
割り箸を折るというのは淑女としてどうかなと兄は思うのだが……
うん。いいんだ。なんでもない」
「わらわは淑女ではないので気にしないのじゃ♪」
「淑女になってくださいませ!お願いでございますから!!」
ああ、茶を飲みながら茶番を演じるなど誰が上手い事をしろと。
ちょっと自己嫌悪に陥りそうになりますが、白々しく笑いを堪える北崎社長の顔を見て我に返ります。
我が帝国は道路舗装などされていない道が多く、悪路でも進めるこの手の輸送車両は必需品となる事が予想されています。……平時なら。
欧州大戦真っ只中である現状でこんな悪路を走破できるものを作れば、喉から手が出るほど欲しい国があるのでしょう。
例えば、ロシアの泥濘を踏み越え進まねばならない第三帝国とか。
あるいは、アラブの砂漠で敵を迎え撃たねばならない英国とか。
「けど、実際問題としてその輸送機械が完成した時に戦争が続いているのか?」
お義兄さまの当然の疑問は言われて見ればその通りで。
英国であるならいざ知らず、工場が完成して、この輸送機械を生産して、第三帝国勢力圏に運ぶまでどんなに急いでも一年以上。
そして、帝国と独逸の間には英国が支配するインド洋が横たわっており、それまでに戦争が終わっていたらどうしようもありません。
だからこそ、見たくもないいやな現実をついつい口に出してしまいます。
「まだまだ戦争は続くのですね」
大きくため息をついた私の嘆きを聞いたのでしょう。
北崎社長も同じようなため息をついてくれたのです。
「続いてもらわねば困ります。
最低でも2年、できれば5年は欧州で戦争をしてもらわないと投資が回収できません。
戦争が終結したら竜州にでも投資を振り向けるつもりですので、その間に竜州が殖民できる程度に開拓が進んでいると嬉しいのですが。
大陸や満州は既に財閥の庭なので新世界に賭けねばならぬ新興企業の悲しい性ですな」
苦労している演技をして見せながら北崎社長は言ってのけたのでした。
帰りの汽車の中、ぼんやりと流れゆく窓の外の景色を眺めながらガラスに映るお義兄さまと撫子さんを見て考えてしまいます。
竜によって得た者がいる。
竜によって失った者がいる。
全てを失って北崎の工場で働いていた元ハワイ在住日系人と、奴隷として迫害され逃れてきた黒長耳族・獣耳族が同じ工場で働くという現実は竜がこの世界に現れたからに他なりません。
彼らと彼女らどちらが幸せなのでしょうか?
そこで作られるのは同じく竜に振り回される英国向けと独逸向けの航空機。皮肉以外の何者でもありません。
「博之ぃ〜またこんな遠出をするのじゃ!
わらわは十分楽しかったのじゃ♪」
「はいはい。って、もうすぐ異世界に行くじゃないか。俺ら」
「だから向こうでもこんな事をするのじゃ!」
「俺、あっちは何も知らんのだが……」
「その時はわらわが案内するのじゃ!」
お義兄さまの隣にいる撫子さん。
それを見る私。
私はこの人の為に何を得て何を失ったのでしょうね。
(綾子は少し溜め込みすぎなのじゃ。
どうせ分かるのじゃから、言いたい事は口にしたほうがよいぞ)
不意に聞こえてきた意思に私は撫子さんの方を睨みつけます。
分かっているつもりです。撫子さんの心遣いは。
それでも、撫子さんが竜であるがゆえに。
全ての元凶でかつ一切の責任など考えないからこそ。
振り回される人として女として、譲れない一線の為に窓の方を向いて聞いているであろう撫子さんに宣戦布告したのでした。
(余計なお世話です)
と。
帝国の竜神様 60
綾子から見たある日の日常
田園というより山村と表す方が正しい景色の中、汽車が黒煙を撒き散らしつつ駅から離れるのと同時に降りた客が改札口に向かって続々と歩き出す姿は帝都と比べて違和感を覚えますが、冷静に考えるならそれも当然のことです。
「うむっ。なんか色々いっぱい飛んでいるのじゃ!」
撫子さんが空を見上げると、上空を飛行機が飛んでいるのが見えます。
それはそうでしょうに。
そういう場所に来ているのですから。
所沢。日本で始めて飛行場が作られた飛行機の聖地の一つ。
だからこそここは軍関係者、特に陸軍の軍人と軍属が多いのは当然のこと。
今は陸軍が飛行場を管理し、陸軍飛行学校が置かれていた場所でもありました。
飛行学校は熊谷の方に移ってもここは重要拠点であり続け、こうして私達が出向く羽目になるのですが。
「それで、迎えの方というのはどちらにいるのでしょう?」
「あれじゃないのか?」
お義兄さまが指をさすと、それに気づいたスーツ姿の男が悠然と歩いてくる。
「ようこそおいで下さいました。大原様。真田様。撫子様。メイヴ様。
本社工場にて北崎がお待ちしております」
頭を下げて出迎えるのを無視して撫子さんはその後ろにある車に駆け寄ってゆきます。
「これも車というものか?
何度か見たが今でも馬がついていなくて走るのが不思議なのじゃ」
無邪気にはしゃいでいる撫子さんとは対照的に、さすがにお義兄さまは眼が点になっていますね。
メルセデス・ベンツ770ですか。
総統特別車に改造されたこともある車で出迎えというのもずいぶん力の入っている事で。
私の白々しい視線に気づいたのだろう。
「これは某国より今回の為に撫子様用にと送られたものです。
向こうのVIP仕様でお届けしろと」
こともある、では無くて特別仕様そのものですか。力入りまくりですね。第三帝国の皆様。
かの国ががんばれば私達にも利益が入りますからあまり言いませんが。
「こんな所で呆然としていないで早く参りましょう」
あの北崎さんの招きなのだ。
これぐらいで驚いていたら身が持ちませんわよ。
我が大原家と北崎望氏との付き合いはかれこれ10年ぐらいになるとか。
大陸で富を成した北崎氏が本土で事業を始める時に、やはり大陸で知り合った私の父を頼ったのが始まりだそうで。
この国にも行政があり官僚が紙という神を奉っている以上、色々な横槍が入るのは当然の事です。
その介入を避ける為に華族であった父を頼り、父の紹介で陸軍の下請けの仕事をし、大陸での戦争によった更なる富を築いた財界の新星。
彼を日に影に支援した事で公家系華族の大原家が豪華な生活を送れる訳で。
口さがなく言うなら、我々大原家はこの戦争でもっとも富を得た一族の一つとなりおおせたのです。
振り返ってみるに、1941年12月、もしも戦争が起こっていたなら、その記述は『戦争で全て得、すべてを失った』と書かれる事になったでしょうけど。
「ん?
わらわの顔に何かついているのか?」
「いえ。何も」
ただ、私達の運命をここまで変えてくれた人にお礼を言うべきか、恨みを言うべきか迷っている所です。
「しかし、車ってのは凄いのぉ。
これだけ速く走っているのに、体が揺れないのじゃ」
舗装されていない道を走っているのに喋れるのが確かに凄いとは思いますが。
そんなことを思っていたら不意打ちで撫子さんが口を開いた。
「綾子は色々溜め込みすぎなのじゃ。
もっと大らかにならぬと目が釣りあがったままになるぞ」
「……それは余計なお世話というものです」
それともマリアナの乙姫様並におおらかになれとおっしゃるので?
「…………想像できんのじゃ」
言ってもないのにどうして伝わるのか考えるのもやめました。
「お義兄さま、助手席で笑うのはやめてください」
「あ、それはだな。……お、見えてきたぞ。
北崎製作所。所沢工場だ」
明らかに話をそらす為なのでしょうが、赤煉瓦の建物群が見えてきたので私はこれ以上の追求をやめることにしました。
「ようこそいらっしゃいました。
よろしければこの工場をご案内したいのですが。もっとも、ここでの出来事は他言に無用ですが」
出迎えてくださった北崎望氏はスーツの似合う紳士という印象でした。
鋭すぎる視線さえなければ。
そのあたり、財界の新星という肩書きは伊達ではないのでしょう。
ヘルメットを受け取って、敷地内を進みますとそこは別世界でした。
「良くここまで形にしましたね」
敷地内の様子にお義兄さまが感嘆の声を上げています。
それについては私も同感です。
遙かに広がる舗装された地面と大量のトタン屋根の建物群、更に建てられ続けている工場の柱となる大量の鉄骨達。
まだ工事の続いている場所はトラクターが黒煙を吐きながら整地をしています。
日本の風景ではありません。たとえるなら、太平洋の向こうにあるようなスタイルです。
何せそこで交わされている言葉は英語です。
どうやら建設機械のオペレータが遙かになまった日本語とよく通る英語で怒鳴っているらしく、それを聞きながら作業員が働いているようです。
見た目は確かに日本人以外に見えませんが、この違和感は何とも。
「日本人でない方もおられるようですが?」
試しにそう聞いてみることにします。
「そんなことはありません。彼らはれっきとした日本国籍を持った人間です。まあ、特殊な経験をしてはいますが」
そういった北崎社長の顔には深い悲しみが浮かんでいました。
日本人であるにもかかわらず英語に堪能で建設機械の取り扱う能力がある……。そのような人がそんな何人もいるはずが。
不意に気がつき周囲を見回します。
「……他言無用とはこのことでしょうか」
「何のことでしょう? それよりもそろそろ工場に向かいませんと。すべてを見て回れませんよ」
私に対し、北崎氏はそう言って先に立って歩き出しました。
「……どうしたんだ?」
その場に立ち止まっていた私を不審に思ったお義兄さまがそうおっしゃいました。
「いえ、何でもありません」
そういって私は足早にその場を去りました。
竜神さまによって救われた大原。
竜によってすべてを失った彼ら。
私には、あの人達に顔向けできるような身ではないのです。
あの方達は日系人。それも、おそらくは元ハワイ在住の人間であろうから。
「こういう使い方をしますか……」
工場の中に入った途端にメイヴさんが固まっています。
中央に置かれた線路に台車が置かれ、零式輸送機の機体がその上に置かれています。
台車の前に石人形がゆっくりと台車を動かし、それを米国人技術者が図面を見ながら組み立てを指導しています。
翼など大きな部品を慎重に持って機体につなげる作業で、石人形が翼を持ち翼と機体の接合部には工員が取り付いて作業を行っています。
石人形はある程度の事はできるのですが、やはり細部は人の手に頼らざるを得ないという事だそうです。
それでも、人間では数十人かかる仕事を数体の石人形でこなすあたり巨人の国に迷い込んだかのようです。
「彼女たちの石人形のおかげで生産が大きく助かっていますよ」
「しかし、魔法に頼っている訳ではないようですね」
工場中にはあらゆる手段を用いてかき集められたであろう大量の工作機械が唸るような音を立て続けています。
「バンコク商会経由で入手した工作機械で私が使える分は全てここに集めて使用するつもりです。
戦力の集中こそ効率よい生産の第一歩ですからな」
ベルトコンベアーが置かれ、工員がずらりと並んで部品を作っています。
それを監督しているのは日本人ではなく、米国人だそうです。
「米国のノースロップ社と提携して生産管理や品質管理の指導をしてもらっています」
日米関係改善の影響もあるのでしょうが、元々北崎社長は米国に友人がいらっしゃるとかで。
色々な諸事情を解決してこうして技術者を派遣してもらったとの事。
敷地内から延びる幅広の舗装道路の先は陸軍所沢飛行場とそのまま繋がっている一方で、私鉄道の引込み線がすべての工場とその建設予定地をつないでいるあたりそつがありません。
運搬について全面的に鉄道を採用しているから貨物ターミナルのように線路が広がっています。
このあたりの設計も彼ら米国人技術者の指摘を受けて作られたとか。
なお、メイヴさんに後で聞いたのですが、政府の介入とかで内地の黒長耳族・獣耳族の労働について規制がしかれかけた時に、北崎社長が父に相談し大原家の女中として彼女達を30人ほど雇いそのままこの工場に送ったとか。
更に北崎社長がこっそり教えてくれたのですが、ノースロップ社の技術指導を米国が黙認したのは彼女達黒長耳・獣耳族と一緒に働く事が条件、つまり彼女たちの情報を渡すことだったとか。
この提案をした北崎社長のご学友はその功績で米国でもかなりの地位にいるそうで。
さて、この話を聞いて悪辣な提案をした北崎社長のご学友を褒めるべきか。
それを分かった上で彼女達を派遣したメイヴさんの狡猾さを褒めるべきか。
とりあえず、絵図面を書いた北崎社長のえげつなさは富を得る大原家にとっては絶賛に値するのですが。
「対英米戦の開戦に合わせて工場を拡張していた時、撫子様の光臨によって戦争が終わり途方にくれていたのですが、飛行場の拡張と工場の拡張はそのまま進めました。
正直な話、本当に戦争が終わるとは思っていなかったのですが」
戦争すら利益追求の機会としか捉えていない北崎社長は、撫子さんがいらした以降の帝国の迷走ぶりを困った顔でお笑いになります。
ですが、他社が拡張を見合わせる中での工事続行の決断はその後のバンコク商会を通じた取引によって花開き、主力の零式輸送機生産では昭和飛行機工業に次ぐ生産量を誇るそうです。
「現在のところどれだけの生産が可能で?」
「エンジンだけは三菱から持ってこないといけませんので、エンジン生産量によって機体の完成数に制限がかかるのが問題なのですが……現状で月30機は作れる能力はあります」
「それは多いのか?
少ないのか?」
撫子さんがお義兄さまに尋ねられ、お義兄さまもそれに答えます。
「一企業でこれだけ作れるのは十分だろう」
工場を出て、今度はがらんどうの建物に足を運びます。
「ここは何をおくので?」
私の質問に北崎社長が答えます。
「ここは海軍向け対潜哨戒機を作る予定です。そのために新しい機械を運び込む算段をしているところですね」
「対潜哨戒機……」
「なんじゃそれは?」
聞いたことないようなお義兄さまの顔など知ったことかと撫子さんが対潜哨戒機の事を尋ねます。
「潜水艦を見つける飛行機の事だ」
「あのマリアナであいつの眷属の人魚にひれでぶったたかれた船のことか?」
その通りなのですが、その言い方だとなんだか潜水艦の脅威が伝わらないのですが。
ちなみに、そのひれでぶったたかれた潜水艦という船は大寒波と独逸水上艦隊出撃の結果、大西洋で暴れまわって英国を青色吐息に追い込んでいるのですが。
「それでも新規に設計するとなれば大変では?」
「それにつきましては今ある機体をベースに四発化をと。幸い哨戒機ですからそれほど高速である必要もありませんし、技術的にまだまだの我々でも何とかなるのではないかと考えています。
できれば航続距離6000キロを目指し、海軍向けに納入できたらと計画を作っていたのです。
まあ、個人的に欲しがっている方があればそれにそう形で販売したいと考えておりまして。
一応、その場合には提携しているノースロップ社製として販売する予定です」
「おかしいな。
そんな話まったく聞いていないが……」
航空機に関する話ならばお義兄さまの耳に入ってもおかしくはないはずなのでずが。
けど、個人的とはどういうことでしょう?
そのようなものを買える人間がどこに。国であるならばいざ知らず。
それらの言葉が思考に形を取っていきます。
……対潜哨戒機、潜水艦に脅える国。
英国!
私のびっくりした顔に満足したらしい北崎社長は誇らしげに口を開きます。
「さて、工場の見学はこのぐらいで。
事務所でお昼はいかがですか?」
ふと気づくと太陽がずいぶん高い所に昇っており、北崎社長の提案に誰も反対はしませんでした。
「やはりご飯は美味いのじゃ!」
おにぎりに漬物、味噌汁という質素な食事を撫子さんは実においしそうに食べます。
何でも、こちらに来た時に最初に食べたのがそれだとか。
そのくせ、洋菓子や洋食にも抵抗なく食いまくり……あの胃と変わらない体重だけは羨ましいと思う今日この頃。
「いかがでしたか?
わが社の工場は?
急場で作り続けているにしては良く出来ているでしょう」
北崎社長の声にも張りがあります。
出資者としては利益がみこまれる事業だけに何も文句をつけるつもりはありません。
「某国向けで潤っているのは理解できます。
新たに某国とも取引をする以上勝っても負けても儲けるおつもりなのでしょう。
私は、北崎社長の経営方針を全面的に支持いたしますわ」
現在帝国の国論は真っ二つに割れています。
モスクワ・レニングラードというソ連の大都市陥落に伴う、同盟国である独逸第三帝国の華々しい勝利で世論は対英米戦も辞さずと鼻息荒いのですが、対英米関係は改善方向でしかも戦時動員を解除しつつある現在また戦争をしたいとは思っていないのは誰もが同じで。
ましてや、東条内閣の総辞職に伴う次期首班指名はまだ行われておらず、現在の帝国は意思決定ができない状況に陥っています。
「商売の基本は顧客のニーズに常に答える。
お客様に喜んでもらって、そこそこ儲かるならば御の字かと」
広大な東部戦線維持の為必須である輸送機を作りながら、その反対の陣営には生命線である北大西洋航路維持に必須である対潜哨戒機を売りつけようとするとは、まぁなんと言いましょうか。
お茶を一口飲んで、別の話に切り替えます。
「北崎社長。
たしか、ここの他に宇都宮の方にも工場を作っているはすですがあちらでは何を作る予定なのですか?」
新興企業である北崎はここの本社工場以外は持っていなかったのですが、出資家である大原家に送られていた事業計画書には宇都宮に工場を建設している事が書かれていました。
「宇都宮の方に、東京瓦斯電と共同でエンジン工場を建設中です。そこで作られるエンジンを使って自動車が作れたらと思いまして」
用意していたのでしょう。
宇都宮工場の完成図と生産される予定のトラックの図面を出して説明してくれます。
書類の眺めていると、ちらりと書かれている中島飛行機の文字が。
「なるほど……」
その文字でおおよそこの工場の目的が分かりました。
最初は自動車、次にハーフトラックあたりに手を出して、目指すは航空機エンジンの自前での開発、供給というところでしょうか。
お義兄さまは気づいていらっしゃるのでしょうか?
「……何か俺の顔についているのか?」
「……いえ、ご飯粒が口元についているのを見ているだけです」
深いため息をついてしまいました。この人はまったく気づいていらっしゃいません。
「取ってやるのじゃ。
ちゅ♪」
ぼきっ!
何をしてやがりますか!
あの発情竜は!!!
「あ、綾子……
割り箸を折るというのは淑女としてどうかなと兄は思うのだが……
うん。いいんだ。なんでもない」
「わらわは淑女ではないので気にしないのじゃ♪」
「淑女になってくださいませ!お願いでございますから!!」
ああ、茶を飲みながら茶番を演じるなど誰が上手い事をしろと。
ちょっと自己嫌悪に陥りそうになりますが、白々しく笑いを堪える北崎社長の顔を見て我に返ります。
我が帝国は道路舗装などされていない道が多く、悪路でも進めるこの手の輸送車両は必需品となる事が予想されています。……平時なら。
欧州大戦真っ只中である現状でこんな悪路を走破できるものを作れば、喉から手が出るほど欲しい国があるのでしょう。
例えば、ロシアの泥濘を踏み越え進まねばならない第三帝国とか。
あるいは、アラブの砂漠で敵を迎え撃たねばならない英国とか。
「けど、実際問題としてその輸送機械が完成した時に戦争が続いているのか?」
お義兄さまの当然の疑問は言われて見ればその通りで。
英国であるならいざ知らず、工場が完成して、この輸送機械を生産して、第三帝国勢力圏に運ぶまでどんなに急いでも一年以上。
そして、帝国と独逸の間には英国が支配するインド洋が横たわっており、それまでに戦争が終わっていたらどうしようもありません。
だからこそ、見たくもないいやな現実をついつい口に出してしまいます。
「まだまだ戦争は続くのですね」
大きくため息をついた私の嘆きを聞いたのでしょう。
北崎社長も同じようなため息をついてくれたのです。
「続いてもらわねば困ります。
最低でも2年、できれば5年は欧州で戦争をしてもらわないと投資が回収できません。
戦争が終結したら竜州にでも投資を振り向けるつもりですので、その間に竜州が殖民できる程度に開拓が進んでいると嬉しいのですが。
大陸や満州は既に財閥の庭なので新世界に賭けねばならぬ新興企業の悲しい性ですな」
苦労している演技をして見せながら北崎社長は言ってのけたのでした。
帰りの汽車の中、ぼんやりと流れゆく窓の外の景色を眺めながらガラスに映るお義兄さまと撫子さんを見て考えてしまいます。
竜によって得た者がいる。
竜によって失った者がいる。
全てを失って北崎の工場で働いていた元ハワイ在住日系人と、奴隷として迫害され逃れてきた黒長耳族・獣耳族が同じ工場で働くという現実は竜がこの世界に現れたからに他なりません。
彼らと彼女らどちらが幸せなのでしょうか?
そこで作られるのは同じく竜に振り回される英国向けと独逸向けの航空機。皮肉以外の何者でもありません。
「博之ぃ〜またこんな遠出をするのじゃ!
わらわは十分楽しかったのじゃ♪」
「はいはい。って、もうすぐ異世界に行くじゃないか。俺ら」
「だから向こうでもこんな事をするのじゃ!」
「俺、あっちは何も知らんのだが……」
「その時はわらわが案内するのじゃ!」
お義兄さまの隣にいる撫子さん。
それを見る私。
私はこの人の為に何を得て何を失ったのでしょうね。
(綾子は少し溜め込みすぎなのじゃ。
どうせ分かるのじゃから、言いたい事は口にしたほうがよいぞ)
不意に聞こえてきた意思に私は撫子さんの方を睨みつけます。
分かっているつもりです。撫子さんの心遣いは。
それでも、撫子さんが竜であるがゆえに。
全ての元凶でかつ一切の責任など考えないからこそ。
振り回される人として女として、譲れない一線の為に窓の方を向いて聞いているであろう撫子さんに宣戦布告したのでした。
(余計なお世話です)
と。
帝国の竜神様 60
2010年03月18日(木) 17:02:01 Modified by nadesikononakanohito