帝国の竜神様61

1942年 6月30日 下田港

 ぽん ぽん ぽん
 梅雨ももうすぐ終わるのだろう。
 青空は夏を告げており、カゴメが泳ぐ空には花火の白い花が散発的に散っていた。
 夏祭り。
 そんな光景が頭をよぎる。
 たしかにお祭りにしようと企画者は考えていたらしいが、的屋まで呼んだ覚えは無い。
 既に地元警察では対処に追いつかず、陸軍と神祇院が人員を出して祭りを取り仕切っている始末。
 後で分かった事だが、この時集まった人員は延べ人数で30万を超えていたらしい。暇人どもめ。
 まぁ、戦争も遠ざかり、梅雨も終わろうとするこの時期にこんなイベントを考えれば祭りになるわなといまさらにして思う。

「むっ…おりゃ……このっ……むきー!!
 博之!あの張子の虎に輪が入らんのじゃ!!!!
 なんとかするのじゃ!!」

 そして、竜神様はこのお祭りにどっぷり使っていたのだった。
 

 下田港はここに異世界転移の装置が置かれた結果、かつての賑わいを取り戻していた。
 週一ベースで船が異世界へ出入りし、多くの人・物がこの下田から散らばってゆくのだった。
 そんな活気ある港に錨を下ろしている船は我らの乗船である愛国丸を含めて合計で九隻。
 その全てが万国旗をつけて見物客を入れている力の入れようである。
 この船達は何だというと、異世界のカッパドキア共和国と条約を結ぶ為の全権大使を乗せた外交団だったりする。
 カッパドキア共和国(略称渇国)は俺達が行ったイッソスの港を首都とする人口300万程度の都市国家群の連合体であり、今までは売買だけの私的な関係しかなかった関係を国と国の正式な付き合いにしようという目的の為に派遣されるのである。
 中でも目玉はこの中で一番の巨船で一番の高さを誇る戦艦扶桑だろう。
 「カッパドキア共和国派遣艦隊」(渇国派遣艦隊)と命名されたこの艦隊の陣容は以下の通り。


「カッパドキア共和国派遣艦隊」(遣渇大使 近衛文麿公爵  司令長官 近藤信竹中将 旗艦 戦艦扶桑)

戦艦    扶桑
 特設巡洋艦 報国丸、愛国丸
 駆逐艦   浦風、磯風、谷風、浜風

 これに補給用輸送船二隻が追随し計九隻が今回異世界に派遣される事になる。
 この九隻は万国旗で飾って港に錨を下ろしている。
 そして岸壁には旗を持った見物客の皆様がいっぱい。
 愛国丸からそれを眺めると後ろに同系艦の報国丸が、そして前方には駆逐艦四隻にかこまれた扶桑がその特徴的な艦橋を見物客に見せ付けていた。
 竜州への大規模派兵は国内の政治事情の為に精一杯の演出によって見世物とされたのだった。
 ちなみに、竜州軍については既に展開が始まっており、竜州艦隊は規模も小さいので全艦撫子三角州に展開し終わっていた。 
 全権大使は首相をも務めた大物近衛文麿公爵。
 彼と彼が率いる大外交団はその為だけに用意された報国丸に乗り込んでいるのだった。
 最初は愛国丸にご一緒しようという方向だったのだが、「娼艦に乗せてお手がついたらどうする!」という近衛家家中の声に何も返せなかったのでもう一隻したてる事に。
 はったりを効かせる為に皇統も入る最古の貴族の血筋を持ってくるあたり、いかにこの条約締結に力を入れているかというのが分かるだろう。
 ……表向きは。
 けど、この大げさな出港風景がどれだけ帝国の政治的妥協の産物であるかという事を考えると色々とため息が出てくる。
 まずため息その1。
 この時点で帝国の宰相たる内閣総理大臣はまだ決まっていない。
 右往左往の果てに近く次期首班は小磯國昭予備役大将に決まる予定になってはいる。
 だが、ここまでの迷走ぶりがまた尋常ではなかった。
 非戦方針による東条内閣総辞職の結果、戦時体制の緩和を求める民意はそのリベラル風を纏う近衛公待望論を巻き起こしたのだった。
 それを一時海軍も押していたのだが、ゾルゲ事件で近衛公側近の尾崎秀実の逮捕という大スキャンダルを抱えており到底近衛公に組閣の大命が降りるはすもなく。
 そのため、公を合法的に帝国政局から外す必要性ができ、渇国への条約締結の為の大使派遣という仕事をでっちあげたという方が正しい。
 撫子と同じ理屈で姿をくらませるというか、撫子が異世界に戻るからという理由のついでというあたり、帝国は異世界を倉庫というかゴミ捨て場として有効に使っているらしい。
 なお、予備役に早く編入された事で陸軍内に影響力がほとんどない小磯予備役大将では陸軍を抑えられるのか不安で、天皇が懸念を伝える一幕があり次期内閣での東条前首相の内相留任を確約せざるをえなかった。
 陸相も東条前首相の留任を小磯は望んでいたが、陸軍内が反発。小磯予備役大将は現役復帰と陸相兼任をも考えたが、陸軍内部に賛同者は少なく挫折。
 結局、東条前首相の仲介で杉山元参謀総長が陸相に、関東軍から本土に戻った梅津美治郎大将が参謀総長につく事が内定。
 更に海相では予算削減に伴う海軍内部の紛糾が勃発。
 主導権を握ろうとして堀悌吉中将の現役復帰で復活著しい条約派と艦隊派の激しい鞘当の結果、及川古志郎大将が再度の海相就任、井上成美中将の海軍次官就任という形で落ち着くことになる。
 外相は重光葵。これも東条前首相の推薦という事で、大命が降りる前から既にこの内閣の事は重臣間で『第二次東条内閣』と呼ばれていたりする。
 で、この派遣艦隊が異世界に飛んだ次の日には小磯内閣成立という号外ができる事になるのだが、その時の内外の反応は「小磯?誰?」となるのが目に見えている。
 大丈夫なんだろうか?この内閣は?

 で、ため息その2。
 条約。
 これの持つ言葉の重みはもの凄く大きい。
 何しろ、我が大日本帝国が米国の黒船にたたき起こされたのがつい100年ほど前なのだ。
 今度は、我々が黒船を仕立てる立場となる。
 で、帝国は欧米列強にたたき起こされた時に不平等条約を結ばされ、その回復にどれだけの労力を要したか考えれば分かるだろう。
 とはいえ、中国大陸の戦争が終わって間もない上に、今後の帝国の行く末に大きく作用を及ぼす欧州大戦は佳境という状況で異世界に戦争をふっかけるつもりはさらさら無い。
 異世界派遣船団での交易によってイッソスを基点に西方世界で「大日本帝国」という名前が広がりだしたので挨拶をしようという程度の発想である。
 「引っ越したので挨拶と引越し蕎麦を持ってゆく」と言っても差しさわりが無い程度の外交交渉である。
 もちろん、挨拶は最初が肝心なので条約を結ぶ時に舐められないようにと砲艦外交と、予備役編入必死な扶桑がお供の駆逐艦四隻を連れて最後の仕事として異世界に出向く事になった。
 ……表向きは。
 真相は逆で、予備役必死な戦艦の活躍の場を与える為に条約という概念を引きずり出したというのが正しい。
 先に言ったとおり、挨拶に行くのであって戦争をするつもりは無い。
 ぶっちゃけて言えば最初の派遣船団と同じ愛国丸+駆逐艦四隻でもガレー船や帆船が主力の相手は十分ビビル。
 そして、一番重要なことは、条約における拘束力を期待するほど向こうの政治形態が発達していない。
 だいいち盗賊ギルドなんてものが公認されているような国での公的権力の法の執行力など求めても無意味だ。
 流れの冒険者の犯行で片付けられたら、国家内の人口移動を把握できないこちらの世界においてどうにもできない。
 メイヴ達の情報提供にもたらされた異世界の法の執行と裏社会の公認に内務外務の治安関係者が呆れたというのは裏話の一つ。
 とはいえ、それゆえに国家の治安維持機構よりも盗賊ギルドの持つ強制力が強く、国家を相手にしない犯罪組織に交渉を持ちかけるかどうかで大いに悩んだという笑い話ができてしまう始末。

「大陸の方がましだったかもしれん。あれは一応国家だ」

 とはこの外交団の外務官僚の嘆きだそうな。なんだか、大陸で似たような事をやらかした国があったような。あれも当時の頭は近衛公だったな。うん。気のせいにしよう。
 現在の異世界交易は順調そのもの。
 帝国の嗜好品が馬鹿売れし、奴隷市場での黒長耳や獣耳族の買取も順調な状況が続き、派遣団に付随して来ている商工省官僚の言葉を借りるなら、逆に異世界経済の崩壊を心配してこちらがある種の貿易規制を考えないといけない状況に近づきつつあったりする。
 大体、派遣艦隊の司令長官が近藤中将なあたり察しろという所で。
 大削減が行われる海軍予算において、金食い虫の戦艦四隻(扶桑、山城、伊勢、日向)を予備役にするのはほぼ確定路線。
 強硬派は、

「戦艦全部予備役に入れてしまえ」

 と過激な意見が飛び出る昨今、「戦艦はまだまだ働ける!」と必死の主張をした結果、この派遣が決まったというかでっちあげられたとか。
 で、帝国は本土や満州開発が最優先でその開発資材として異世界から逃れてくる黒長耳族や獣耳族が入り続けるのならば何も問題はないのだ。
 わざわざ向こうまで喧嘩を売りに行くなど愚の骨頂に等しい。
 で、その喧嘩売りについて彼ら鉄砲屋の総意をまとめると、

「それは政治(この場合近衛公)がなんとかするだろう」

 というすばらしいぐらいまでに何も考えてないのだから、聞いた堀中将も山本長官も頭を抱えたとか。
 手段と目的が見事なまでに逆になっているあたりどうしてくれようかと頭を抱えながら、堀中将が漏らした愚痴をまとめるとこうなる。
 さすがに、山本長官も近衛公に何か話したらしいので、そんなに心配はしていないのだが。

 そして、ため息その3。
 この祭りに大量に招待されている、外国人報道関係者と名前のついた各国情報員へのお披露目である。
 情報というものに対して、特に外に向けて発信される情報というものを鎖国していた為に理解していなかった帝国は、国内事情での竜州公表という大暴挙をやらかし、

「世界大戦真っ只中に一人だけ大航海時代ですか?」

 という各国政府の不信感と怨嗟を見事なまでに買ってしまい、その応対にてんてこ舞いに追われていたのだった。
 英国などは、

「羨ましいですな。
 大航海時代は風と勇気されあれば財宝は撮り放題でしたからねぇ。
 帆船が主役ならば石油は使わないのですね?」

 と、駐日大使がわざとらしくあてこすりを言って、外務省を真っ青にしてみたり。
 この騒動を、

「さして目立たない男が、学校のマドンナを射止めて学校中の男達から嫉妬されている」

 と撫子に意訳してやったら大爆笑していたが、これが笑い事ですまないのも事実で、メイヴが政府と協議して出せる情報を出してしまおうという事になった。
 結果、この下田には黒長耳族・獣耳族大集合。そして、女というのは自分以外の他の女が目立つのを本能的に嫌う。
 かくして神祇院黒長耳局で立案されたこのお披露目は、看護局の介入の果てにそのまま「帝国のデモクラシーの宣伝」と名を変えて、ナースやメイド達も飛び入り参加。
 己を美しく見せた女達が、外国報道関係者に写真を撮られ続けるという謎な祭りへと変質してしまったりする。
 そのあまりの無軌道ぶりと、「少し早いが夏だしお祭りだし」で地元は地元で神輿を出しやがるし。

「にょ…くっ……にぉ…むきー!!!
 博之!この網すぐ破れるのじゃ!!!
 なんとかするのじゃ!!!」

 で、ため息その4。
 こんなお祭り騒ぎを指を咥えておとなしくするほどこの竜神様は大人ではなかった。

「あ そ ぶ の じ ゃ ー !」

 なお、異世界への転移魔法を唱えられる人間は、この帝国に撫子・メイヴ・ダーナの三人しかいない。
 ダーナは帝都で増える異世界人達の為に留まらざるを得ず、メイヴは撫子の側に居る為にわざわざ主の機嫌を損ねるような行為をするわけが無い。
 かくして、出港以前にお祭り堪能という些事でスケジュール狂いまくり。
 撫子は本人が飽きるまでお祭りを堪能するのだった。
 当然のように浴衣姿で下駄をからんころんと鳴らして、出店に突貫する姿は子供とさして変わらない。
 とはいえ、

「わたあめというのは美味しいのじゃ!
 博之も一緒に食べるのじゃ!」

 といってわたあめを店ごと買い占める暴挙をやらかそうとして、俺達が慌てて止めに入ったり。

「狐のお面を買ったのじゃ!
 ところでこのふくれた女の面は何なのじゃ?
 うむっ…な…博之!外れなくなったのじゃ!!」

 お面を全部同時にかぶろうとして見事にこんがらがったり。

「お神輿を担ぐのじゃ!」

 とほざいてお神輿に近づこうとする一応神様というのは、色々間違っていると思う。うん。
 その一部始終をぱしゃぱしゃと写真を撮る、報道関係者という名の各国諜報員の皆様。
 色々間違っている。
 その間違いに輪をかけて加速させているのが、撫子の護衛に付いた寝返った英独メイドのアンナとナタリーの二人。

「こうやって、公然と外に出してしまうとかえって狙われないものです」

 という巫女姿のメイヴの言なのだが、政治的あてこすりを兼ねて二人をメイド姿のままにさせるのは如何な物か。
 なお、この二人が入った事で撫子の警備は、銃器が使える俺とメイド二人に、メイウとその配下の黒長耳族巫女四人、撫子突っ込み役の綾子(浴衣姿)の計九人と物々しい事はなばなしい。   
 自分で言うのもなんだが、本当に色々間違っている。
 ……もっとも、撫子に接した誰もが思う『護衛いらないんじゃね?』の問いにメイヴはこう返した。

「護衛じゃあ語弊がありますね。お守です」

 その一言に誰もが納得し、「子供じゃないのじゃ!」と撫子がむくれたりしたが余談だったりする。
 なお、恐ろしい化け物を想像していた各国の諜報員の皆様は、発育(特に胸)の良いお子ちゃまが祭りに供している姿を見て、「これ囮じゃね?」と疑心暗鬼になっていたというのを後でアンナとナタリーから聞いた。
 さもありなん……
 だが、やっぱり人とは違うと思い知らされるのもこの撫子だったりする。
 異世界転移装置を起動させる呪文の高速詠唱時、この浴衣姿で祭りに供していた撫子が神の姿に戻る。
 空気が震え、あれだけ賑わっていた音が途絶え、一隻、また一隻と存在しなかったのように船が消えてゆく。
 その瞬間、撫子は空気にすらその威厳を漂わせ、まるで獲物を狙うような目で異世界に飛ばす船を睨みつけ、何を言っているか理解できない速さの呪文の詠唱を続けていた。
 この姿を各国諜報員が見たら間違いなく竜の偉大さを感じただろうに。

「ひ ろ ゆ きぃ す る の じゃ♪」

 呪文を終え、全てを飛ばした撫子が俺にしなだれかかって娼婦よろしく逢瀬をねだらなければの話だが。


 帝国の竜神様 61
2010年03月19日(金) 20:08:39 Modified by nadesikononakanohito




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