ソロ・シングル「最後の世界」(1970.4/1)が実売300枚という低セールスに終わった南高節は、悲嘆にくれる間もなく1970年6月に上京してきた大島三平(ベース担当、こうせつの隣家で幼なじみ)・森進一郎(こうせつと同窓)の両名と「南高節とかぐや姫」(第一期かぐや姫)を結成。
全日本歌謡選手権への出演で知名度を得た彼らは、デビュー・シングル「酔いどれかぐや姫」をオリコン79位にランクインさせる。約1年間の活動ののち解散し、南こうせつは第二期かぐや姫を結成する。
全日本歌謡選手権への出演で知名度を得た彼らは、デビュー・シングル「酔いどれかぐや姫」をオリコン79位にランクインさせる。約1年間の活動ののち解散し、南こうせつは第二期かぐや姫を結成する。
- 酔いどれかぐや姫/あわれジャクソン(1970年10月25日)
- 変調田原坂/マキシーのために(1971年2月5日)
- ひとり寝のかぐや姫/旅情(1971年6月25日)
コメントをかく