第二十四計 仮道伐鯱「道を仮りて鯱を伐つ(みちをかりて、かくをうつ)」
※「かく」の字は「鯱」ではないのですが、便宜上、似たような字を替わりにつかいました
晋の国の横に、虞と鯱という小国があったそうです。
晋の献公は虞の道を借りて鯱を討つことになりましたが、虞とてただでは道を貸してはくれません。
配下の荀息は、「先君から伝えられている垂棘の璧と、屈という駿馬を贈物として送り道を貸してもらうことです」と進言しました。
献公はかけがえのない国宝ともいえる宝を手放すことを渋ったものの、荀息に説得されてその通りにすることにしたのです。
虞の臣下である宮之奇は、鯱は小国虞の支えであり、鯱が滅べば虞もやがて攻められると諌めたのですが、宝石に目が眩んだ虞公は聞き入れませんでした。
数年後、鯱が滅んで支援する国が無くなった虞は、晋に攻め滅ぼされてしまったのです。
仮道伐鯱は、他に行くように見せかけて、目的の国を撃つという、小国の窮地を利用して併呑する策略です。
ただし、併呑するには、それなりの大義名分が必要になります。
なぜなら、大国に挟まれている小国が敵の脅威に、怯えているなら救援として出かけて、支援する言うだけでは、信じてもらえないからです。
なにごとも、行動に出なければ、いくら言葉を発しても信じてもらえません。
ですから、大義名分は、小国にとって何らかの利益があったり、近隣の小国が、他国の侵略を受けて救援を求めてきたような時などです。
そうした時は、まさに仮道伐鯱が適用できます。
そして、これを助ける動きを見せて兵を起し、影響力を拡大しつつ機をみて併呑するのです。
このとき、如何に、大義名分の根拠となる正義を掲げるか?
大義名分は、巧みな言葉で、相手と世間をたぶらかそうと思ってもできません。
大義名分に説得力を帯びさせるのは、言動の一致が必要不可欠だからです。
如何に、世論の非難をかわすかが、仮道伐鯱の要であり、相手と世間が納得するだけのコスト(あるいはリスク)そして、正しさが必要だとだといえるでしょう。
もっともセオリーなのは、敵と自軍の間に小勢力がいる場合、敵がそこに手を出したり、武力によって脅しをかけてきたら、すかさずこちらも協力する、あるいは、国を害さないからなどと申し出て、救援を大義名分にしたのち、小国を併呑するというものです。
古今東西、国家が行動を起こす場合には大義名分が必要です。
なぜなら、国家というものは、国内の国民のより多くの同意がなければ、国家としての行動は、うまく行かないことがあります。
また、大義名分が説得力を帯びない場合、逆に、仮道伐鯱を使われてしまうという、付け入る隙を見せてしまうことになります。
仮道伐鯱のポイントは、得た大義名分は絶対に逃さず、コストを惜しまず行動し、利用するということです。
逆に小国は、大国に呑み込まれないよう、武力よりも大義名分を相手の国にあたえないような、外交力を磨かなければなりません。
さて、現代において、仮道伐鯱は、どのような活用ができるでしょうか?
それは、偽善であっても「情け」をもった、日常を送るということです。
情けは人のためならずという故事があります。
意味は、情けを人にかけておけば、巡り巡って自分によい報いが来るということです。
とりあえず、最初は、心からの情けでなくても、情けは人のためならずと思い、情けをもった日常を送ることです。
本心からの情けでないということは、偽善であるかもしれませんが、偽善も繰り返し行い、情けをかけるという大義名分を逃さず、コストを惜しまず行動すれば、めぐりめぐって、信頼を得て、いざというとき、周りの人に頼みごとし、協力を得やすくなります。
情けをかけ続けることで、仮道伐鯱が小国を併呑するかのように、いつの間にか協力者が増えるわけです。
----------
目次 >
呟き尾形の孫子の兵法自転