呟き尾形の自転 - 無中生有
孫子の兵法 7 無中生有

第七計 無中生有「無中に有を生ず(むちゅうに、ゆうをしょうず)」

 後漢の時代、孫堅は劉表が治める江夏城を攻めたそうです。
 しかし城の守りが強かった為、わざと、射る矢を減らしたそうです。
 そして、夜、沢山の小船にかがり火をたかせ無人の小船を、毎夜毎夜、城に近づけそうです。
 江夏城の城主黄祖は、その度に火矢をあびせましたが、7夜目にして誰も乗っていない事に気付いたそうです。
 悔しがりはしたものの、次の日にその手はくわぬと、やってきた小船を黙って見物したそうです。
 すると、その日にかぎって多数の兵が乗っていたそうです。
 城が落とされてしまった事は言うまでもありません。

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 本当はないのにあるように見せ掛けておいて、最終的にはやはり実体となすことです。虚々実々、虚を示して敵の判断を狂わせ、虚から実へ転換して敵を撃つものです。ずーっと虚のまま騙し続けるのではなくて、密かに虚から実へってことがミソです。

虚が窮まると、実に変わり、
実が極まるとき、虚に変わる。
虚と実は、互いに、入れ替わり、
虚と実には、その実、実体がない。
実は有る事なく、虚は無い事がない。

ないものをあるように見せるのがあざむきである。あざむきは久しからずして悟られやすいから、無をそのまま無にしておいてはならない。無の中に有を生じさせること、これがあざむきから真実にし、虚から実にするということだ。無をもって敵を破ることはできないが、有を生ずれば敵を破ることができる。

あると見せかけてない、無いと思わせてある。虚々実々の駆け引きの計です。
虚構というものは、いつかはばれます。しかし虚構と思わせて実体を持たせれば敵の油断を引き出せます。
相手の行動がはったりなのか、実は本当なのか。油断は禁物です。

 さて、この無中生有ですが、兵法として自覚されているかどうかは別として、案外、争いを回避する方法で、利用されています。
 いわゆる「はったり」というやつです。
 「いいか、俺は空手有段者だ」
 というはったりをかまされると、相手は、本当だったときのリスクを考えると、争いをやめます。
 また、何かを通信販売や、ネットショップでのトラブルで、相手がわけのわからない法律をたてに、強気にでたら、自分の知り合い(親友や親戚というのが効果的)には、弁護士がいるけどいいか?
 というはったりもつかえます。
 もっとも、そーゆーときは、はったりをつかうまでもなく、「消費者センターに相談します」という方法もあります。
http://www.kokusen.go.jp/map/


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