呟き尾形の自転 - 呟き尾形語録自転
呟き尾形語録自転 目次

 『仁とは、相手の立場に立つ気持ちである』

 『義とは、人が人間らしくある為の筋である』

 『礼とは人間が意思疎通させるための形式』

 『智とは、現実を見つめることである』

 『信とは、動じぬ心である』

 ルールを守るメリット

 義務を果たす覚悟のない権利の主張

 幸せになるコツは、謙虚になることである

 不幸を避けるためには

 私の普通、あなたの普通

 人の心はお金で買えるだろうか?

 金を持っている奴が偉いのだろうか?


 女性は金でついてくるだろうか?

 普通は根拠にはならない

 正義は必ず勝つ

 不屈とは、困難に屈せず意志を貫くことです

 人権は誰もが持つ権利である


----  他者を批判するとき、批判の言葉を自分に当てはめてから批判せよ!

 真の正義とは、他者にではなく、自分自身に適用される。

 結果につながらない努力はある。
 すべての努力は自信の根拠になる。
 ゆえに、無駄な努力などない

 人は、他者が疑えば、自分も疑ってしまいます。しかし、逆に他者が信じれば自分も信じられるものです。

信念は持ち続ける限り、失われません。

 戦争が政治であり、政治は人によって行われているならば、人の意識によって戦争はなくなります。

 民主主義の理念とは少数の意見もきちんと検討する事にあります。

自分に不利益をおよぼさない戦争は、やむなし。
 と考える事は可能です。しかし、世界中の人は、自分が戦争の被害者になることを嫌がります。
 つまり、戦争はキライだということです。

自分が戦争の被害者になった立場で考えるというこです。

 戦争のない平和な世界は、誰もが望んでいる。
 つまり、戦争のない平和な世界は、理想の世界であるということだ。
 それだけに、戦争のない世界にふさわしい困難があるだろう。
 しかし、困難だからといってあきらめてはいけない。
 それだけの価値があるとということだからだ。

 たまに、世界から戦争をなくす事は不可能であると主張する人がいる。
 ナンセンスである。
 全世界の圧倒的多数の人々は戦争には反対だからだ。
 これは、揺るがしがたい世論であり、戦争を追放する大きな可能性だ。
 この可能性を否定できる根拠など存在し得ない。
 ゆえに、
 世界から戦争をなくす事は不可能であるという主張はナンセンスなのだ。

 戦争に参加した国民において、戦争に責任の無い者は、存在しません。
 しかし、その責任の取り方は、戦争の被害者になっていいということではなく、戦争を起こさないようにするという責任です。


 人間なら、ミスもするし、失敗もする。欠点もある。
 情に流されて、道徳に反することもあるし、ついつい、欲張ってしまうこともある。
 調子に乗って傲慢になったりするし、弱者をいじめることもある。不条理な暴力を振るう事だってある。
 それを責めるんじゃなくて、許しましょうよ。
 自分だってそういうことすることだってあるし。
 許すというのは、お互い様。

 罪で苦しむのは、罪人本人なんです。
 亡くなった人は、残った人に復讐を託すとは限らない。
 むしろ、残った人の無事を祈っているに違いない。

 世の中、なんでも比較したがるご時勢ですが、
 「重さ」と「長さ」は比較したくても比較できないものです。

 現代社会は、病的なまでに、言語化と意識化を図り、その結果、争いを生じさせます。
 その連鎖を断ち切る一つのアプローチが相対化の価値判断の地位を下げることです。

 謝罪は、罪の終わりではない。自ら課す、罰の始まりなのだ。

 殺人が悪い理由はいたって、シンプルです。
 自分が他者から、殺されたくないからです。

 人間の本質は、悪です。
 悪の本質は利己です。
 だからこそ、人は、善に向かうべく努力せねばなりません。

 プロフェッショナルである以上、失敗は許されない。
 だからこそ、万が一の失敗のときの準備は万全にする。
 それがプロ意識というものである。

 相手が幼いという理由で、今、理解できることだけが教育ではないのだ。
 今、理解できなくても、いつか理解してくれるもの。
 それが教育でもある。

 戦争が世の中になくならないからといって、戦争が発生していることがいい事だとはいえない。
 まさに、既成事実があったからといって、それが正しいということではないということだ。
 
 権力は、権力者が持っているものではありません。
 被権力者が、権力に従うことで、権力者に権力を与えるのです。

 武器を手に取る前に、考えてほしい。
 武器を手に取る理由が、妄想によって作り出された恐怖でないかということを。
イデオロギーというのは、それ自体矛盾をふくんでいる。ということです

 民主主義という政治体制は、すべての国民を為政者であることを要請する政治体制です。

 資本主義と共産主義は、経済体制におけるイデオロギーに過ぎない。
 民主主義と社会主義は、政治体制におけるイデオロギーに過ぎない。
 別に、民主主義的な共産主義があっても矛盾はないし、社会主義的な資本主義があっても矛盾はしない。
 実際、後者は、歴史上存在した。
 高度成長期の日本である。

 勉強や経験が直接役立つことは少ない。
 しかし、直接は関係ないにしろ、知らないうちに、間接的に知識や経験というのは役立っているものだ。

もっとも、自分が得をするものの見たは、相手の美点を見つけ出すことだ。

物事に悩んだら、即座に目的を思い出すべきだ。
そうすれば、必要な悩み事か、無用な悩み事か即座に判別できる。

自分の言葉遣いすらコントロールできないのであれば、自分自身をコントロールできないものです。

評価には大きく分けて二つある。
一つ目は、結果、すなわち実績への評価。
二つ目は、過程、すなわち可能性への評価。

自分についてわからないときは、考えても無駄だ。
しかし、わからないなりに、行動することは有益である。

自分のきたるべき将来について夢や理想を見出せない若者がいる。
その多くは、頭の中だけで、実際に行動していないものだ。

 遠い未来というのは、ある日突然やってくるのではなく、今この瞬間からホン
ノちょっと進んだ時間があるからこそです。

仕事は娯楽ではありません。
だから、面白い事よりも、大変な事が多くあるものです。
となれば、娯楽の面白さとは質が異なるのは必然です。

自分がどのように人生を歩むべきか?
この問いの回答は単純です。
実際に行動すればいいのです。

暴論かもしれませんが、哲学に答えなど不要です

大きな幸せとは、小さな幸せの積み重ねです。

都合の悪い事実を認めない。これが思考停止の兆候です。

 尊厳を守るというのはエンジンブレーキみたいなもので、自己主張のアクセルをゆるめるだけでいいんだと思います。

理論や論理は、大人にとって重要なだけであって、生物の肉体として完成していない子供には、適切なものではありません。

 人がさびしいと感じるのは、愛すること、愛されることが不足している、心の信号なのです。

ホンネとタテマエのホンネの部分を聞き出すのがジャーナリズムである。

テマエもホンネ全部ひっくるめてその人だし、自分なんだとは思います。

流行に個性があってたまるか

成功の実は、心配ではなく行動よって得られる

罰というものは、神仏が下せるものであって、人間が罰を下すということは、人間の傲慢なのかもしれません

罪の本質とは、すなわち、道徳や宗教の教えなどに反する悪いおこないであり、自らに課すルールを破るということです

人生において、行き止まりは存在しません。自らが立ち止まっているだけです。

 もっともついてはいけない嘘は歴史の嘘です。
 歴史の解釈は様々ですが、事実を捻じ曲げてはいけません。

有能な経営者とは、有能でない人材を使いこなす経営者である。
無能な経営者とは、有能な人材しか使いこなせない経営者である。

人は幸せであることを望む
幸せであるためには平和でなければいけない。
ゆえに、人は平和を望む。

何度失敗しようとも、一度の成功で目的は達成できる

与えられた環境を利用するのが有能な人材。
与えられた環境を嘆くのが能力のない人材。

もし、あなたを指差して笑う人がいたら、同情してあげてください。
あなたを指差す人は、あなたを鏡にして、自分を笑っていることに気がつかないからです。

年齢とは実績です

幸せでありたければ騙されやすくなることである。

道徳とは、人類の英知である。

感謝する心を失うことは、人生の大きな損失である。

すべての失敗は、1度の成功で洗い流されます。

「なぜ、他人の幸せを考えるべきなのか?
 他人が幸せになれば、自分も幸せになれるからです。

 人は幸せであれば、他人を受け入れる余裕ができます。
 他人もまた、幸せであれば自分を受け入れてくれやすくなります。

 受け入れる幸せ、受け入れられる幸せは、幸せの条件の中でもかなり重要だからです」

 本当の信奉とは、裏切られようが信じ続けるらることである。

 すべての人が、最低一人の人を幸せにしてあげれば、すべての人は幸せになります。

器を大きくする方法は、簡単とは言いませんが、単純です。
執着を捨てることです。
執着を捨てるというのは、愛着やこだわりを無くすことです。

 第三者の立場、つまり、客観的な立場というものは、客観的に分析
される側にとって、傲慢不遜な存在になるときがあります。
客観的に「人」を分析するとき、最大限の配慮と思いやりが必要とされるはずなのです。

 自分を変えようとも、自分自身であり続ける

 気をつけろ! 黙っているからといって、考えがないとはかぎらない。

 資本主義が、最悪なのは、自分に実際損をしなくとも、他人が得をすると、自分が損をしたような錯覚にとらわれることだ。


政治屋さんは、沈黙は賛成だと判断します。

 多数決は数の暴力です。
 なぜなら、多数決は、得(利益)が基準になり、徳(品性や人格)が無視されるからです。

苦労しない楽な仕事はありませんが、苦労してでも、やっていて、楽しい仕事というものはあります。

教育とは、教育する側の態度の宣言なのだ

医者を尊敬しなさい。
それが回復の早道です。

失敗は何かの手違いかもしれません。
同じ失敗を繰り返すのは、やり方が悪いのか、やる気がないのかのどちらかです。
三度同じ失敗をするということは、構造上の問題であり、個人の問題というより組織の問題だといえるでしょう。

お金を信じると、人間関係が信じられなくなります

ネガティブだからこそ、ポジティブに対応しなければ、悪くなる一方です。

戦争撲滅は人類の夢

現実を理由にわざわざ理想を低くする必要はない。
なぜなら、理想を低くすれば実現できる結果も悪くなるからだ。

不可能であることは、大きく分けて3つあります。
一つ目は、既に終わった事を変えようとする事。
二つ目は、原理的ないし構造上に不可能な事。
三つ目は、あきらめてやらないから不可能な事。

教育とは、大人がお手本を見せることである。

科学が真とするべきは、自然です。

道徳を軽んじる人は、自分のことを自分で決められない、
動物みたいに、本能に従い、自分の欲望の奴隷になった、幼稚
でかわいそうな人のような気がします。

 公共のもの、借りたものを大切にしない人に限って利己的な場合が多くて、自分の物は大切に扱うような気がします。

 たとえ、裏切られても信じる。
 それが本当の信頼というものです。

 プロというのは、顧客の笑顔が最大の報酬であることを
知っている人のことです。

自信には2種類あります。
 根拠のない自信と根拠のある自信です。
 前者は、ある種、才能が必要ですが、後者は、努力が必要です。
 で、後者の自信は、どんな努力でも自信につながりますので、どんな結果であろうとも、無駄な努力なんてないんですよね。

実際に中庸にできなくとも、常に中庸を意識するべきだ。

もっとも恐れるべきは、妄想だ。
妄想は、どんな悪逆なことも、無根拠に正当化させてしまう。

 妥協しなくよいコツは、欲張らないことです。

 欲張らないコツは、求めるものがあれば、それに見合ったものを与えようとすることじゃないかとは思います。

 恋は、相手の良いところを好きになる。
 恋愛は、相手の悪いところを含めて好きになる。

 多くの場合、他人の言葉は、他人事として述べられる
プライドって捨てれば、捨てるほど高尚にレベルアップしますよね。

 愛とは意識して行うものではありません。
妄想が固まれば理想になり、行動がともなえば理念になるかと思います。
 高い理想は、より高い結果を生み出すと思っています。

 希望は、稀に望むと書くように、絶望から這い上がるときにこそ、もっとも光り輝くものです。

 語った理屈を実行せよ。

 過去を振り返ると、しばしば、若い頃の時間は貴重だと思うでしょう。
 しかし、それ以上に、今の時間も貴重だと数年後思うのかもしれません。

  重要なものほど当たり前

 愛は与えるもの、恋は求める気持ち。
 恋愛は与えも止めるもの。

 覆水盆に返らずとはいいますが、昔とまったく同じにならないだけで、諦めない限りなんどだってやり直せる

 恋愛も友情も、理不尽が当たり前。
 理屈じゃなくて、気持ちが大事

 よくも悪くも恋愛は感情的な物。
 理性的な恋愛なんてありえない。
 冷静に恋愛なんて出来るはずが無い。


 できるけどやらない。
 それを守り通すのが本当の意味でのプライドです。

 愚痴というのは、頑張るからこそこぼれるもの

 夢を語ると、10倍大変かもしれませんが、100倍、充実した人生を送れます。

失敗は、終わりではなく、むしろ出発点です

 最初から上手に表現しようとするとそうですが、失敗は成功の元。
 という精神で、表現していくことが術を得る術のような気はします。

 庶民が政治屋さんに求めるもの。
 それは、良識です。

 遊びの本質。
 それは、楽しむことを与えられるのではなく、楽しむことを創り出すこと。 

 楽しめるということが、人生にとっての利益

 世の中の殆どの人は善良な人です。
 なぜなら、犯罪や事件がニュースになるくらいですから。

 不運な中にも、人は幸福を見出せる。
 幸運な中にも、人は不幸を見出せる。
 人は、探したいものを見つけ出すから。 

 自信とかプライドとかは自己評価です。

 うまく行ったら行ったで、失うものが出てしまう

 努力することと無理をすることは違う。

 運がいいかどうかというのは、後からの評価だ

 責任の取り方というのは、教わるものではなく、自ら見出してこそ責任なんだ。

 どうせ苦しむなら、楽に苦しめ

 心と言う現象と風という現象は良く似ている。

 本物のプライドには羞恥心が存在する。

 楽観がいいわけじゃないけど、悲観するだけ損をする。

 痛い?
 よかったな、生きている証拠だ。

 他人の悪口ということは、自分の心の醜さの表現だ。

 若さとは、人生の可能性だ。
 若さに対する老いは、人生の実績だ。
 
 宗教とは、道徳そのものである。

 信念のない人は、宗教の信仰もできない。
 宗教を信仰していない人は、なかなか強い信念をもてない。
 信仰のない信念は、独善になりやすい。

 ネガティブでいるより、ポジティブになった方が楽。
 
 見返りを求めるのが、恋で、相手が喜んでくれることだけで満足できるのが愛ですね。

学問は、過去の先人の行動のまとめなんですよね。
 だから、学問に敬意を払うのなら、学問を学びながら実行することが大切なんだと思います。

 結婚生活を円満にし続けるには、3つ魔法の言葉が効果的です。
 「おはよう」
 「ありがとう」
 そして、「ごめんなさい」
 挨拶の言葉、感謝の言葉、謝罪の言葉、すべて魔法の言葉です。


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