【定義】
文字や経論に依らずに、師資が相面して、心から心に仏法の義を伝えること。
【内容】
釈尊が霊鷲山にあって、八万の大衆に向かって拈華したところ、迦葉のみその意を悟り微笑したという故事(拈華微笑話)から、禅宗の歴代の祖師は、言葉や文字に依らずに大法を伝授してきたと主張し、それを以心伝心とした。また、教えの外に、仏心を伝授してきたとも主張して、それは教外別伝や上乗一心などの言葉を生んだ。
文字や経論に依らずに、師資が相面して、心から心に仏法の義を伝えること。
【内容】
釈尊が霊鷲山にあって、八万の大衆に向かって拈華したところ、迦葉のみその意を悟り微笑したという故事(拈華微笑話)から、禅宗の歴代の祖師は、言葉や文字に依らずに大法を伝授してきたと主張し、それを以心伝心とした。また、教えの外に、仏心を伝授してきたとも主張して、それは教外別伝や上乗一心などの言葉を生んだ。
先師古仏云、葫蘆藤種纏葫蘆。 この示衆、かつて古今の諸方に見聞せざるところなり、はじめて先師ひとり道示せり。葫蘆藤の葫蘆藤をまつふは、仏祖の仏祖を参究し、仏祖の仏祖を証契するなり。たとへば、これ以心伝心なり。 『正法眼蔵』「葛藤」巻
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