【定義】
「依主」「隣近」ともに、法相宗で用いる註釈のこと。
道元禅師は以上のように、一切の事象を心に還元して理解することを、「依主隣近の論師の釈」としつつ、「仏道の玄学」では無いと批判した。道元禅師の直弟子達は、その解釈を法相宗であるとしている。
「依主」「隣近」ともに、法相宗で用いる註釈のこと。
伽耶舎多の道取する、風のなるにあらず、鈴のなるにあらず、心のなるなり、といふは、能聞の恁麼時の正当に念起あり、この念起を心といふ。この心念、もしなくば、いかでか鳴響を縁ぜん。この念によりて聞を成ずるによりて、聞の根本といひぬべきによりて、心のなる、といふなり。これは邪解なり、正師のちからをえざるによりてかくのごとし。たとへば、依主隣近の論師の釈のごとし。かくのごとくなるは、仏道の玄学にあらず。 『正法眼蔵』「恁麼」巻
道元禅師は以上のように、一切の事象を心に還元して理解することを、「依主隣近の論師の釈」としつつ、「仏道の玄学」では無いと批判した。道元禅師の直弟子達は、その解釈を法相宗であるとしている。
依主隣近と云は、法相宗の名目也、喩ば山ちかければ山家と云ひ、水ちかければ水郷と云はむが如し、心が主なれば鈴をも風をも心とこそ云はめと云ふ、法相の心なるべし、不可然。 『正法眼蔵抄』「恁麼」篇
タグ
コメントをかく