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【定義】

号は峨山、名は韶碩(または紹碩とも)。瑩山禅師法嗣であり、後に大本山となる總持寺を受け継いで、大いに発展させる事となった。弟子に峨山五哲などを輩出し、五哲が五院制度を構築して、教線を全国に展開することとなった。その門派を、峨山派という。現在の日本曹洞宗寺院の多く(9割以上)が、伽藍法の系統からすれば峨山派になる。

俗 姓:源氏
生没年:建治2年(1276)〜貞治5年(1366)
出身地:能登国(現在の石川県)羽咋郡瓜生田

【内容】

11歳には、郡にある教宗寺院に入ったが、16歳になると比叡山に登って出家した。主に天台宗の教学を学んでいる。しかし、永仁5年(1297)に瑩山禅師が京都に来た際に、禅要を問うたことから、後に瑩山禅師に参じることとなった。

正安元年(1299)春に、大乗寺にて瑩山禅師に参じ、徹通義介禅師にも参問したという。瑩山禅師から、「両箇の月」の公案をもらって参学を続けた峨山禅師は、或る晩に月に向かって坐禅をしていた時、瑩山禅師の絶妙なる方便によって正安3年(1301)12月23日の夜半に大悟して、その後には全国の叢林を遊訪した(一説には、朝鮮半島から中国[元]にまで入ったとも)。元亨元年(1321)に、能登に帰ると衣法を受けて、元亨4年(1324、同年12月に正中へ改元)には瑩山禅師が開いた總持寺を受け継いだ。

また、瑩山禅師が弟子達で守るように遺言した永光寺には暦応3年(1340)に輪住しており、また兄弟弟子になる明峰素哲禅師の本葬儀の際には、対真小参師として随喜している。

晩年になると、總持寺を太源?宗真に譲って、養寿院を開創して退居した。貞治5年(一説には、貞治4年)10月20日に遷化した。世寿91歳。諡号は大現宗猷国師。一般的に、總持寺二祖と称される。弟子は、峨山五哲を始めとして、『峨山禅師法嗣帳』に依れば、峨山二十五哲を数えることもある。諸説あるが、『山雲海月』という文献などが伝わる。

【僧名の表記】

「韶碩」と「紹碩」、両方伝わっているが、自筆の文書を詳しく見ると、韶碩が正しく、紹碩は後人のものである可能性が高いという。

【伝記等】

佐藤悦成著『總持二祖峨山禅師』(大本山總持寺出版部、1996年)

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