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【定義】

永平寺住持であった道元禅師が、鎌倉にいた「檀那俗弟子」のために行化したこと。

【内容】

道元禅師は『永平広録』の上堂で、以下のように述べている。
宝治二年〈戊申〉三月十四日の上堂に、云く、山僧昨年の八月初三日、山を出でて相州鎌倉郡に赴き、檀那俗弟子の為に説法し、今年今月の昨日帰寺し、今朝陞座す。 『永平広録』巻3-251上堂

ここから、宝治元年(1247)の8月3日に永平寺を出て、翌年3月13日に帰山したことが記され、いわば夏安居を避けて鎌倉に赴いたことが分かる。この「檀那俗弟子」だが、永平寺の大檀那であった波多野家の縁者や、当時の鎌倉幕府の執権・北条時頼が相手であったともされる。なお、時頼については、『道元禅師和歌集』に道歌を与えたことが示されるなどし、根拠となっている。なお、この期間の行化について、疑問に思った弟子もいたようで、先に挙げた上堂で、通常説いていた教えと異なることは無かったと弁解している。

この行化の結果、時頼が道元禅師と永平寺に所領を与えようとしたともされ、併せて「玄明首座」の一件も取り沙汰されるようになった。所領の件は、『永平寺三祖行業記』など最古の伝記に出ることであるから事実(なお、道元禅師は受け取りを断った)であったかもしれないが、玄明の件は古伝には確認することが出来ない。

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