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【定義】

古規とは、古い時代の清規を意味し、本来であれば『百丈清規』或いは『禅苑清規』などを指すが、特に日本曹洞宗であれば、道元禅師の『永平大清規』或いは、瑩山禅師の『瑩山清規』などを指している。江戸時代、様々な変容を見せた叢林運営に於いて、古い時代の清規を再び活用させようとする復古運動を、古規復古運動という。

【内容】

江戸時代を概観してみると、古規復古運動には大きく2つの時代があったことがわかる。

_嘆大乗寺26世月舟宗胡にはじまる古規復興の運動。特に月舟は、『永平大清規』を講じて、道元禅師の古儀に帰すべき事を主張し、授戒会を再興するなどした。さらに、延宝5年(1677)には、法嗣卍山道白と共に、『瑩山清規』を刊行し、永平寺の僧堂を古規に習って再建している。また、月舟自身、大乗寺にて行うための『雲堂常規』を著すなどした、これは後に、卍山が編集する『椙樹林清規』冒頭に収められている。

なお、卍山は月舟の意を受けて、古規に依拠した『椙樹林清規』を編集し、大乗寺にて修行したことから、「規矩大乗」の名を天下に轟かせ、また月舟・卍山の師弟が、明峰素哲禅師法系だったことから「法は明峰」などの言葉も生み出している。

面山瑞方、永平寺50世玄透即中によって展開された古規復興の運動のこと。面山は『僧堂清規』『考訂別録』を著し、玄透は『永平小清規』『祖規復古雑稿』を著すなどして、真の復古を目指した。この期の運動の特徴としては、やや先駆的に行われた,鳳いて、黄檗宗の影響から、中国の元や明の時代の清規や作法威儀が取り入れられたことを批判し、曹洞宗独自の方法を模索したことが挙げられる。ただし、面山の場合は兎も角も、玄透のそれは、永平寺一山の復古という限定的なものに止まった感があるともされる。

江戸時代は通じてこれらの清規が、各地・各寺で修行されていたが、その後明治時代に入り『洞上行持軌範』が編集されて、統一された行法が模索されるようになった。

【著作・論文】

古規復古運動に関しては、上記に挙げた諸清規以外に、以下の著作・論文が役に立つ。

大本山永平寺『永平寺史(下)』「第七章 古規復古と玄透即中禅師」
・鏡島元隆「玄透即中と古規復興」『印度学仏教学研究6-1』S33
・鏡島元隆「古規復古運動と其思想的背景」『駒沢大学研究紀要16』S33.3
・横山秀哉「古規僧堂について」『宗学研究2』S35.1
・川口高風「曹洞宗古規復古運動の主張と反論」『印度学仏教学研究35-1』S61.12
・川口高風「曹洞宗古規復古運動推進者の著作と禅規略述の翻刻」『禅学研究61』花園大学禅学研究会・S57.8

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