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【定義】

總持寺2世である峨山韶碩禅師には、特に勝れた法嗣が25名いたとされているが、この中でも太源宗真・通幻寂霊・無端祖環・大徹宗令・実峰良秀の5人が主導的な立場となって、その後の總持寺運営に尽力した。そのために峨山五哲と称された。また、峨山五哲はそれぞれ總持寺の境内地に観応2年(1351)に普蔵院妙高庵洞川庵伝法庵如意庵という支院を建てて「五院」となした。

その後、總持寺住持は、この五院の住持が輪番で登る(輪住制)こととなり、全国各地に作られたこれら五院の末寺、及びその系統の寺院は輪番地として、五院に入る資格を得た。

なお、五院は明治8年(1875)に廃寺となり、その末寺は總持寺直末に組み入れられるなどした。詳細は以下の布達を参照のこと。
能州本山地中五院之儀従来全国末派輪番を以て住職相勤一歳を五分し本山現董の名義を補し来候処本山既に独住確定に相成爾来五院は全く無住にして伽藍のみ有之然るに昨明治七年五月教部省布達第四号之趣に付ては五院各々本住職可取極筈に候得共固より無檀無禄にして勢ひ存立す可らず且本山非常改革之際に付五院とも本山へ合併之様其筋へ相願候処則御允許之上寺号取消被仰付候就ては五院末寺之分今後総て本山總持寺直末に被列候條末派一同為心得此旨布達候事 『〈明治8年〉曹洞宗務局布達全書』「第三号 八年一月十三日 全国末派寺院」

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