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【定義】

修証義』第五章の題名であり、それを元に構築されている日本曹洞宗の四大綱領の1つ。意味は、日々の行持がそのまま仏祖への報恩であるということ。日常の様々な動作が仏法にかなえば、それがそのまま仏祖への報恩になるとされている。なお、道元禅師の『正法眼蔵』「行持(下)」巻(七十五巻本系統では上下には分けないが便宜的に分ける)では、以下のような定義がされている。
今日われら正法を見聞するたぐひとなれり。祖の恩かならず報謝すべし。その報謝は余外の法はあたるべからず。身命も不足なるべし、国城もおもきにあらず。国城は、佗人にもうばはる、親子にもゆづる。身命は無常にもまかす、主君にもまかす、邪道にもまかす。しかあれば、これを挙して、報謝に擬するに、不道なるべし。ただまさに日日の行持、その報謝の正道なるべし。いはゆるの道理は、日日の生命を等閑にせず、わたくしに、つひやさざらんと、行持するなり。そのゆえはいかん。この生命は、前来の行持の余慶なり、行持の大恩なり、いそぎ報謝すべし。(傍線は管理人)

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