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【定義】

初願忌から大練忌までの七つを一つにまとめた塔婆中陰塔婆。いわゆる中陰の七七日に対応する塔婆で、右から順に左に行くにしたがって、初七日・二七日……七七日と数字が増える。使い方は、七本塔婆の形などで様々である。最近では七本全てを一緒にした略式の七本塔婆もあるが、本来は30〜40センチ程度の長さの短い塔婆を七本並べ、一々の忌日が過ぎると裏返す、等の利用法がされた。

【書式】

現行の『行持軌範』では、ただ初願忌から始まり、大練忌で終わることと、短いため文章を簡単にすることのみを指示しており、具体的な文面は省略されている。以下は中陰塔婆の書式を参考に、一部地域で用いられているものを参照した一例である。

初願忌 南無宝勝如来 供養塔
以芳忌 南無多宝如来 回向塔
洒水忌 南無妙色身如来 荘厳塔
阿経忌 南無広博身如来 追福塔
小練忌 南無離怖畏如来 伸供養
檀弘忌 南無甘露王如来 報徳塔
大練忌 南無阿弥陀如来 菩提塔

そして、長さに余裕があれば、仏名の後に「某居士・大姉」等の戒名を入れる。

【歴史】

歴史的な経緯についてだが、中世に成立した長野県大安寺蔵『回向并式法』の「四十九院」の説明で、「中央ニ石塔并七本塔婆可有之」とあるため、中世の曹洞宗で導入されていたことが分かるが、書式は不明。

近世では鈴木正三が集め、弟子達が刊行した『因果物語?』に「七本卒塔婆」という字句が見える(上巻「二 幽霊夢中に僧に告て塔婆を書直す事」)。しかし、書式等までは伝わらない。なお、『無縁双紙』に書式が記載されているとの指摘もあるが(原大泉編『改正施餓鬼作法』)、現行のものとは異なる書式かと思われる。また、天台宗の『浅学教導集』(万治3年[1660]刊)巻5・10や、真言宗の『福田殖種纂要』(貞享3年[1686]刊)巻6に「七本塔婆」の書式が出ている。やはり、七七日の中陰に因んだ塔婆だが、順番は「不動明王・釈迦如来・文殊菩薩・普賢菩薩・地蔵菩薩・弥勒菩薩・薬師如来」の通りで、いわゆる「十三仏」の前半七仏に相当しており、現行の曹洞宗の書式とは違っている。

宗門では、昭和27年に改訂された『昭和改訂 曹洞宗行持軌範』には塔婆の書式が示され、中陰塔婆・七本塔婆ともに掲載されている。両者を比べると、おそらくは中陰塔婆が先に成立し、その略式として七本塔婆が出来たものか。

それから、書式の中身については、忌日七如来とを並べている。忌日と仏名が並ぶものについて、詳しいことは「年忌」項を参照願いたいが、その場合は「十三仏」信仰の影響があり、初七日が不動明王から始まり、大練忌が薬師如来であるため、上記書式とは全く合わない。しかも、こちらは15世紀まで遡れる歴史を持つ。曹洞宗では七本塔婆よりも古かった可能性がある。

よって、「中陰塔婆」「七本塔婆」は曹洞宗における「七如来」信仰の痕跡を見出せるものとして、理解すべきなのだろう。

なお、時代は遡るが明治時代の学僧・高田道見(1858〜1923)は、明治27年(1894)に刊行した『追善之心得』(国母社)にて七本塔婆に言及し、それが七人の僧となって人を救った話を挙げる(38頁)が、詳細は不明。また、同じく明治44年(1911)に刊行した『追善之鑑』(仏教館)に「七本の塔婆」の一項を挙げ、次のような話をしている。
元来塔婆は本地法身法界塔婆とも申しまして、あれは仏体に擬らへたもので、七本塔婆は七如来を表したもので、七如来の為に亡者の助けらるることを意味したものです。(17頁)

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