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【定義】

總持寺2世峨山韶碩禅師の法嗣で、總持寺9世の実峰良秀禅師のこと。

生没年:文保2年(1318)〜応永12年(1405)
出身地:京都あるいは能登(石川県北部)

【内容】

日域洞上諸祖伝?』巻上によれば、「洛陽官族」の出身(『日本洞上聯灯録』巻2では「本州(能州)人」)で、幼い頃から優れ、経典などの書籍を飽きること無く読んでいたという。或る日、『十牛図?』を見て、宗門事を信じて出家すると、峨山韶碩禅師に謁して、参じるようになった。ついに大事を明らかにすると、峨山禅師は拄杖?払子を授け、能登養寿寺を譲った。後に總持寺9世として入ると、開堂を行って峨山禅師に対して嗣承香を焚いている。

また、他に能登定光寺・備中永祥寺など開いた。また、峨山禅師の法嗣の1人として、「峨山二十五哲」及び、總持寺山内に五院の一となる如意庵を開いて總持寺の運営に尽力されたため「峨山五哲」に数えられている。

応永12年(1405)6月12日に門弟に遺誡を示し、遺偈を詠まれて遷化された。『実峰秀禅師語録?』が残るが、内容からは本師である峨山禅師に続いて、法兄の通幻寂霊禅師を強く敬愛していた様子が分かる。

法嗣は、悦道常喜禅師、貝林侑籍禅師、明窓妙光禅師、綱庵性宗禅師、中明見方禅師、金龍謙柔禅師、大沢慈恩禅師など12名。

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