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【定義】

本来は、悟りへと向かう修行と、修行の結果得られるはずの悟りとが一つであるという考え方。曹洞宗の修証観の基本とされる。修証不二修証一如とも。

【内容】

日本曹洞宗の開祖である道元禅師が主張した考え方で、修行それ自体が証悟(悟り)であることから、修行僧は日常の全てを仏行として怠ることなく生きることを述べたものである。この考え方が開示されたのは、道元禅師にとって最初期の著作にあたる『弁道話』に於いてであり、具体的な内容は以下の通りである。
それ修証はひとつにあらずとおもへる、すなはち外道の見なり。仏法には、修証これ一等なり。

この考え方は「本証妙修」等にも拡大されて、日本曹洞宗独自の修行体系を構築していくことになり、道元禅師以降も瑩山禅師が「平常心是道」を強調するなどして、その教えを受け継いでいくことになる。

【近代教学における「修証不二」】

明治20年代初頭に、曹洞扶宗会?の組織化を主導した大内青巒居士は、同会の教典として編集された『洞上在家修証義』の「序」において、以下のように記した。
高祖大師曰く、夫れ修証は一つに非ずと思へる、即ち外道の見なり。仏道には、修証これ一等なり。今も証上の修なるが故に、初心の弁道即ち本証の全体なり。故に、修行の用心を授るにも、修の外に証を待つ思ひ無れと教ふ。直指の本証なるが故なりと。今夫れ懺悔は宿業を浄除し、受戒は覚位に同入す、直指の本証現前せざらんや。発願して衆生を利益し、日々の行持報恩に回向す、通身の妙修現前せざらんや。此修の外に証を求めず以て在家男女の弁道となす。 『洞上在家修証義』「序」

つまり、道元禅師弁道話』の見解を敷衍しつつ、「四大原則」を「本証」と「妙修」として配置し、その両者の一等を主張したのである。近代教学そして後の宗学の展開時に「修証一等」や「本証妙修」が強調されたのは、この流れと無縁ではない。

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