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【定義】

雲堂とは僧堂のこと。特定の叢林に修行僧が増えすぎて、元の雲堂で収まらなくなったとき、別に雲堂を建てることがあり、それを重雲堂といい、そのための規則を重雲堂式という。
述して云う、雲堂は僧堂の別名、僧堂の衆多く容れ難きが故に重建有り。真俗混雑し、時に応じて規を立する。乃ち是の式なり。 面山瑞方師『正法眼蔵品目述賛?』「拾遺第二重雲堂式」

道元禅師には「重雲堂式」という著作がある。延応元年(1239)4月25日に、興聖寺にて書かれたものである。本来は『正法眼蔵』に収録されるべきものではなかったが、95巻本では第5巻として収録された。なお、写本によっては堂主宗信が書写したものがある。また、暦仁2年とするものもあるが、1239年は2月7日で改元したようであるので、熊本県広福寺に伝わる写本の「延応元年」とするのが適切であろう。

【内容】

道元禅師の「重雲堂式」については、興聖寺で新しく作られた重雲堂について書かれたものだとする見解や、「雲堂を尊重すべき規式」であると解釈されることもある。後者については、興聖寺で重雲堂を建てたという記述が全くないことがその理由であり、初期の道元僧団が重雲堂を必要とするほど修行者が集まったかが不明だからである。また、古い時期の写本が熊本県広福寺に伝わるなどしているため、多分に道元禅師が書かれたものなのだろう。

また、この内容については幾つか問題点もあり、たとえば表題は「観音導利興聖護国寺 重雲堂式」とされている。「興聖護国寺」の表現は『真字正法眼蔵』の写本や、他の仮字『正法眼蔵』にこの名を冠するものもあって、この点は疑問ではない。また、「坐禅僧堂のごとくすべし」という一文があり、別にあった僧堂を想起させ、「重雲堂」のためのものかという推測もできるが、その判断はしばらく置く。

内容については、雲堂での修行を簡潔に示したものであり、堂内での作法や、堂主を中心とした運営法などが事細かに示されている。さらには、以下のような、道元禅師の修証観に関する重大な指摘も確認できる。
堂中の衆は、乳水のごとくに和合して、たがひに道業を一興すべし。いまは、しばらく賓主なりといえども、のちには、ながく仏祖なるべし。しかあればすなはち、おのおのともにあひがたきにあひて、おこなひがたきをおこなふ、まことのおもひを、わすることなかれ。これを仏祖の身心といふ、かならず仏となり祖となる。すでに、いえをはなれ、さとをはなる。くもをたのみ、みづをたのむ。みをたすけ、道をたすけむこと、この衆の恩は、父母にもすぐるべし。父母は、しばらく生死のなかの親なり、この衆は、ながく仏道のともにてあるべし。

そして、他の道元禅師の著作と矛盾するものでもないため、一概に偽作であるとすることは出来ない。また、後に成立した『弁道法』との関連も注意したい。

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