【定義】
女性が女性の身体のままで成仏するという考え方。道元禅師は否定されるが、それは女性の身体のままという性別の問題を基本に述べられたわけでは無い。
以上の通り、在家成仏と女身成仏とを「正伝にあらず」と否定されたように見えるが、肯定されたのが「出家成仏」であったため、いわゆる性別の問題では無く、出家・在家という仏教教団内における「属性」の問題であったことが分かる。つまり、出家すれば成仏出来るという基本線を示された。そして、道元禅師は、『釈迦如来五百大願経?』の第百三十七願を根拠に、「しるべし、いま出家する善男子・善女人、みな世尊の往昔の大願力?にたすけられて、さはりなく出家・受戒することをえたり」(「出家功徳」巻)とされて、女性の出家を「さはりなく」認められるため、結果として女性の出家、成仏、救済を主張したと考えるべきである。
【内容】
道元禅師は、先の通り「女身成仏」を「聖教のなか」の説だとするが、具体的な典拠を示されてはいない。江戸時代の『正法眼蔵』研究の中では「女身成仏は法華の五巻なり」(『正法眼蔵渉典和語鈔』)とされる。その場合は鳩摩羅什訳『妙法蓮華経』巻5に入る「提婆達多品第十二」における「龍女成仏」を指していると思われるが、道元禅師の参照箇所が同箇所であったかどうかは不明。
女性が女性の身体のままで成仏するという考え方。道元禅師は否定されるが、それは女性の身体のままという性別の問題を基本に述べられたわけでは無い。
三世十方諸仏、みな一仏としても、在家成仏の諸仏ましまさず。過去有仏のゆえに、出家・受戒の功徳あり。衆生の得道、かならず出家・受戒によるなり。おほよそ出家・受戒の功徳、すなはち諸仏の常法なるがゆえに、その功徳、無量なり。聖教のなかに、在家成仏の説あれど、正伝にあらず、女身成仏の説あれど、またこれ正伝にあらず、仏祖正伝するは、出家成仏なり。 『正法眼蔵』「出家功徳」巻
以上の通り、在家成仏と女身成仏とを「正伝にあらず」と否定されたように見えるが、肯定されたのが「出家成仏」であったため、いわゆる性別の問題では無く、出家・在家という仏教教団内における「属性」の問題であったことが分かる。つまり、出家すれば成仏出来るという基本線を示された。そして、道元禅師は、『釈迦如来五百大願経?』の第百三十七願を根拠に、「しるべし、いま出家する善男子・善女人、みな世尊の往昔の大願力?にたすけられて、さはりなく出家・受戒することをえたり」(「出家功徳」巻)とされて、女性の出家を「さはりなく」認められるため、結果として女性の出家、成仏、救済を主張したと考えるべきである。
【内容】
道元禅師は、先の通り「女身成仏」を「聖教のなか」の説だとするが、具体的な典拠を示されてはいない。江戸時代の『正法眼蔵』研究の中では「女身成仏は法華の五巻なり」(『正法眼蔵渉典和語鈔』)とされる。その場合は鳩摩羅什訳『妙法蓮華経』巻5に入る「提婆達多品第十二」における「龍女成仏」を指していると思われるが、道元禅師の参照箇所が同箇所であったかどうかは不明。
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