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【定義】

聖徳太子は敬称の1つである。父は第31代・用明天皇で、母は穴穂部間人皇后(蘇我稲目の孫)で、幼名は厩戸(厩戸豊聡耳)皇子であり、後代には上宮王などとも呼ばれた。叔母であった第33代・推古天皇の摂政として内政・外交に尽力した。内政であれば603年に冠位十二階、その翌年に憲法十七条を制定して集権的な官僚国家の基礎を作り、また、外交であれば607年に小野妹子を隋の煬帝に遣わす遣隋使を派遣するなどし、大陸文化の導入にも努めた。仏教を篤く信仰し、保護したことが知られ、『三経義疏(『維摩経』『勝鬘経』『法華経』への註釈)』を著し、法隆寺(奈良県斑鳩町)・四天王寺(大阪市天王寺区)なども建立したとされる。

生没年:敏達天皇3年(574)〜推古天皇30年(622)

【内容】

曹洞宗に於ける聖徳太子信仰については、道元禅師による讃歎が知られる。
在家人天なれども、袈裟受持することは、大乗最極の秘訣なり。〈中略〉日本国には、聖徳太子、袈裟を受持し、法華・勝鬘等の諸経講説のとき、天雨宝華の奇瑞を感得す。それよりこのかた、仏法、わがくにに流通?せり。天下の摂籙?なりといへども、すなはち人天の導師なり、ほとけのつかひとして、衆生の父母なり。いまわがくに、袈裟の体・色・量ともに訛謬せりといへども、袈裟の名字を見聞する、ただこれ聖徳太子の御ちからなり。そのとき、邪をくだき正をたてずば、今日、かなしむべし。 『正法眼蔵』「袈裟功徳」巻

このように、道元禅師は『日本書紀』などに由来した聖徳太子伝を参照しており、その上で、太子自ら袈裟を着け、経典を講説したことを讃えている。また、江戸時代の清規には、「聖徳太子諷経」(『洞上僧堂清規行法鈔』巻2「月分行法」の「廿二日」項、太子は推古天皇30年2月22日に薨去したとされるため)を行った事例も知られている。
聖徳太子 敬礼す救世観世音、伝灯す東方粟散王、西方より来たりて誕生し、妙法を演説して衆生を度したまふ。仰ぎ冀はくは昭鑑、俯して慈愍を垂れたまへ、山門斯の辰に遇う毎に、合山清衆、〈経号〉を諷誦す、集むる所の功徳は、上宮太子・救世観世音菩薩摩訶薩の為にし奉り、聖徳を増崇せんことを、専ら祈る、仏運久長して、正法の天朗かに、神風強盛して、邪見の雲除き、四民?悉く信じ、玄果玄因、三有斉しく了じ、妙修妙証せんことを。 『洞上僧堂清規行法鈔』巻2「月分諷経回向文」、原漢文

この一節を見る限り、『僧堂清規』の著者である面山瑞方禅師は、聖徳太子について、その本地を観世音菩薩だと見ていることが分かる。

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