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【定義】

〜機禅那・dhyana)という梵語の音訳と、定という意を合した語句。真理を観ずるために、坐禅を修し、心を一処に住して散乱しないこと、習禅六波羅蜜の一。
色界の四禅と、無色界の四定とを合わせて、四禅八定という。
坐禅と同じ意で用いる。

【内容】

に関連して、道元禅師は坐禅と禅定とを混同してはならないとしている。それは、坐禅が仏行であり、智慧を得る手段に堕する禅定とは一線を画するからである。
六度および三学の禅定にならつていふべきにあらず。 『弁道話

ただし、『正法眼蔵』までも具に見ていくと、見仏のために用いられる禅定への提唱なども見える。
深入は、長長出不得なり、見十方仏は、只見臥如来なり、禅定は、入来出頭不得なり。真龍をあやしみ恐怖せずは、見仏而今、さらに疑著抛捨すべからず。見仏より見仏するゆえに、禅定より禅定に深入す。この禅定・見仏・深入等の道理、さきより閑功夫漢ありて造作しおきて、いまの漢に伝受するにあらず。 『正法眼蔵』「見仏」巻

ただし、これも、本証妙修の観点から提唱されていることが明らかで、いわゆる手段としての禅定というわけではない。

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