【定義】
日本曹洞宗の祖師の系譜を網羅して、一冊の本にまとめたもの。最初は故・大久保道舟博士が来馬琢道老師などの援助を受けて仏教社から昭和5年(1930)に刊行したものであり、昭和51年には『曹洞宗全書』の「大系譜」として増補し収録されている。
【内容】
江戸期の嶺南?秀恕は、『日本洞上聯灯録?』という、日本曹洞宗の燈史を刊行したが、同じように『日本洞上宗派図』を作成した。大久保博士は、その成果を承けて、全国から『嗣書』を収集し、これを宗派図の形にして、曹洞宗の系譜を一目瞭然の形にしようと発願された。
日本曹洞宗では、中世から江戸初期にかけて人法と伽藍法とが混淆し、法系については不明な点が多かったが、大久保博士はそのような問題点をも解決せられんとして、本著を刊行した。
なお、『嗣書』だけでは、当時まで伝わらない系統もあることと、内容を吟味するには様々な史料にあたる必要があるため、大久保博士は、諸師の伝記や語録、或いは諸山の寺誌?・旧記などを探り、さらには全国の曹洞宗寺院の協力を得て完成させたといわれる。
ただし、大久保博士は個人的な努力である限界を知っており、自ら不備を認めておられたともされる。然るに、その発願を叶えるには、曹洞宗宗務庁?はその行政機関たる性格を遺憾なく発揮する必要があった。そこで、改めて昭和46年に全国寺院に協力を依頼、そして僧籍簿等の資料を縦横無尽に使用して、『曹洞宗全書』所収の「大系譜」が完成した。昭和51年当時の宗務総長・田邊哲崖老師は、その経緯を本著の「序言」にて高らかに宣言している。
本著があれば、曹洞宗侶は自らの法系を調べることが可能であり、或いは法系の祖師たちが住した寺院の世代なども調べることが可能であるため、ルーツを辿るには格好の資料である。室中にて秘伝される『三物』を書く際などにも利用されたい。
日本曹洞宗の祖師の系譜を網羅して、一冊の本にまとめたもの。最初は故・大久保道舟博士が来馬琢道老師などの援助を受けて仏教社から昭和5年(1930)に刊行したものであり、昭和51年には『曹洞宗全書』の「大系譜」として増補し収録されている。
【内容】
江戸期の嶺南?秀恕は、『日本洞上聯灯録?』という、日本曹洞宗の燈史を刊行したが、同じように『日本洞上宗派図』を作成した。大久保博士は、その成果を承けて、全国から『嗣書』を収集し、これを宗派図の形にして、曹洞宗の系譜を一目瞭然の形にしようと発願された。
日本曹洞宗では、中世から江戸初期にかけて人法と伽藍法とが混淆し、法系については不明な点が多かったが、大久保博士はそのような問題点をも解決せられんとして、本著を刊行した。
なお、『嗣書』だけでは、当時まで伝わらない系統もあることと、内容を吟味するには様々な史料にあたる必要があるため、大久保博士は、諸師の伝記や語録、或いは諸山の寺誌?・旧記などを探り、さらには全国の曹洞宗寺院の協力を得て完成させたといわれる。
ただし、大久保博士は個人的な努力である限界を知っており、自ら不備を認めておられたともされる。然るに、その発願を叶えるには、曹洞宗宗務庁?はその行政機関たる性格を遺憾なく発揮する必要があった。そこで、改めて昭和46年に全国寺院に協力を依頼、そして僧籍簿等の資料を縦横無尽に使用して、『曹洞宗全書』所収の「大系譜」が完成した。昭和51年当時の宗務総長・田邊哲崖老師は、その経緯を本著の「序言」にて高らかに宣言している。
本著があれば、曹洞宗侶は自らの法系を調べることが可能であり、或いは法系の祖師たちが住した寺院の世代なども調べることが可能であるため、ルーツを辿るには格好の資料である。室中にて秘伝される『三物』を書く際などにも利用されたい。
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