曹洞禅・仏教に関するwikiです。人名・書名・寺院名・思想・行持等々について管理人が研究した結果を簡潔に示しています。曹洞禅・仏教に関する情報をお求めの方は、まず当wikiからどうぞ。

【定義】

曹洞宗宗務庁教育部が戦後、僧侶の再教育を目的に行った通信教育のこと。テキスト(曹洞宗「教学研究所」が作成)の刊行状況から、1950年(昭和25)10月より行われたものと思われる。「月報」を見る限り、当初は第12回までの配本を予定していたようだが、結局第13回配本までは確認しているので、要望が寄せられた結果、当初の予定より規模が大きくなったのであろう。当項目では、通信講座の具体的な運用方法が分からないため、用いられたテキストのみ紹介する。テキストの書籍名は『曹洞宗通信講座』である。

受講資格は、当初こそ僧侶及び寺族のみを対象としていたようだが、「月報」(第4号、1951年1月)を見ると、開始数ヶ月後には檀信徒、或いは世間一般にも広く開放したようで、知識欲旺盛な人々に喝采をもって受け容れられた旨報告がされている。また、同じく「月報」に投稿された「読者の声」を見る限りに於いては、当時の僧侶達からは、「凡僧救済」という意味でもって受け止められたようである。要するに、教育不十分なまま僧侶になってしまった人たちへの事後教育ということである。

「月報」(第8号、1951年5月)を始め、それ以前にも「葬式と宗意安心」という内容での掲載を求める声が大きかったようだが、編集部では、第一次計画では掲載は無理との回答をしている。第二次計画だが、「月報」(第11号、1951年7月)では、継続のための会議が宗門碩学を請して開催されていたと報告されている。ただ、「月報」(第12号、1951年9月)では、当時の宗務総長・佐々木泰翁老師から、当講座の打ち切りが発表されている。また、途中からは、講座テキスト代の未払い問題も酷くなったようで、内容の良さは誰しも認めるものだったようだが、経営面から断念がされたものか。

また、同じく「月報」(第8号)には、当講座の文章については、「新制中学卒業者程度」に分かるものを届けるという意図があったらしい。ただ、それも『正法眼蔵』講座の掲載となったときには、やや断念されたようである。『正法眼蔵』講座は、第9号(1951年6月)から掲載になるが、担当の衛藤即応先生・榑林皓堂先生、それぞれに腐心されたようである。

テキスト印刷は青雲社が担当した。

なお、内容が良質だったため、1955年(昭和30)1月に本書を再編集し、新規に書き下ろした原稿を加え、曹洞宗教育部編『曹洞宗教育叢書』(全7巻)が刊行された。また、昭和54年(1979)に「三宝書院」が『曹洞宗通信講座』全13巻を複製し、全4巻に再編集して再刊している。

【内容】

同テキストに付録されていた「月報」を見てみると、その第1号に当時の教育部長・朽木正巳老師の「通信講座刊行に際して」の一文が掲載されている。それを見ると、「不立文字」の宗旨を信奉する禅宗で、文字を以て教育することに矛盾を感じつつの刊行であったことが分かる。また、通信講座を始めた理由も分かる。
御釈迦様や道元様の行持をその儘に実行し得る者は誠に結構であるが半僧半俗の私共には到底さうした行持を行取し得ない。せめても、御精神だけもしっかり自分の心身に生かして行き度いものと只管念願しているものである。そこで、教化などと大それた事を云う、前に先ず持って自分と云う代物をもう一回再吟味し、自分の頭の中をもう一回調べ直し、自分の心をもう一回自分の手で押して見ようとする事が今回の通信講座と云う事になったので、宗令で出たからどうの、年令がどうの、又教師補任がどうのという事は全く枝葉末節で、そんなものはどうでも良い。 (読みやすさを考慮し一部表現を改める)

同文末には、「一人残らず購読せらるる事を切望して止まない」とも書いてあることからして、この「通信講座」とは、現在の一部大学等教育機関で行われているものと違って、ただテキストを購読して、内容を理解するといったものだった可能性が高い。ただ、戦後すぐの状況で、僧侶達の間でも教育格差が拡大し、更に世代間での学びにも大きな違いが出た可能性がある。よって、一つの「宗団」として、その僧侶の能力均一化を図るべく、事業が推進されたのであろう(他にも、書籍刊行による本庁の収入増強の目的もあったとは思うが、中盤以降、その目的は果たされなかったことが分かる)。

そこで、以下にはこの通信講座に収録された論文・提唱などの書名・筆者名(敬称略記、2人の名が併記されている場合には、著者が2人で分担した場合を意味する。カッコに入らない方が当該担当者)、「月報」に収録された随筆名・著者名(敬称略記)を挙げておきたい。なお、著者名を見ていただければ分かるが、この著者は、それぞれ駒澤大学を始めとする宗門系大学の学長経験者や学監といった、所謂当時の大御所が、その求められる題のままに文章を綴ったものであり、当時の研究の第一線を伺えるものとなっている。

●第1巻(1950年10月20日発行)

・立花俊道「釈尊伝」
・榑林皓堂「永平大清規講義(一)― 衆寮箴規」
・山田霊林「修証義講解(一)」
・宇井伯寿「インド仏教史」
・水野弘元(保坂玉泉)「日用経典解説(一)― 総説」
・児玉達童「現代思想批判(一)」
・「月報第1号」朽木正巳「通信講座刊行に際して」

●第2巻(1950年11月20日発行)

・増永霊鳳「承陽大師伝」
・榑林皓堂「永平大清規講義(二)― 対大己五夏闍黎」
・山田霊林「修証義講解(二)―」
・宇井伯寿「中国仏教史」
・水野弘元(保坂玉泉)「日用経典解説(二)― 総説」
・児玉達童「現代思想批判(二)」
・「月報第2号」岡田宜法「時代に処して往く」

●第3巻(1950年12月20日発行)

・立花俊道「常済大師伝」
・榑林皓堂「永平大清規講義(三)― 赴粥飯法」
・山田霊林「修証義講解(三)」
・宇井伯寿「日本仏教史」
・水野弘元(保坂玉泉)「日用経典解説(三)― 総説」
・児玉達童「現代思想批判(三)」
・「月報第3号」立花俊道「宗門人の再教育について」

●第4巻(1951年1月20日発行)

・榑林皓堂「永平大清規講義(四)― 典座教訓」
・山田霊林「修証義講解(四)」
・岡田宜法「曹洞宗教理史概説(一)」
・宇井伯寿「日本仏教史(二)」
・水野弘元(保坂玉泉)「日用経典解説(四)― 総説」
・「月報第4号」児玉達童「細心な病状診断と親切な治療」

●第5巻(1951年2月25日発行)

・榑林皓堂「永平大清規講義(五)― 弁道法」
・山田霊林「修証義講解(五)」
・岡田宜法「曹洞宗教理史概説(二)」
・宇井伯寿「日本仏教史(三)」
・(水野弘元)保坂玉泉「日用経典解説(五)― 各説(般若経系経典)」
・「月報第5号」保坂玉泉「秘密真言の公開」

●第6巻(1951年3月25日)

・榑林皓堂「永平大清規講義(六)― 知事清規」
・山田霊林「修証義講解(六)」
・岡田宜法「曹洞宗教理史概説(三)」
・増永霊鳳「禅宗史(一)― 日本」
・(水野弘元)保坂玉泉「日用経典解説(六)― 各説(法華経・遺教経・陀羅尼)」
・「月報第6号」宇井伯寿「仏教研究の態度」

●第7巻(1951年4月25日)

・榑林皓堂「永平大清規講義(七)― 知事清規」
・山田霊林「修証義講解(七)」
・増永霊鳳「禅宗史(二)― 日本」
・(水野弘元)保坂玉泉「日用経典解説(七)― 各説(陀羅尼・舎利礼文)」
・内山憲尚「社会教化事業概説(一)」
・「月報第7号」増永霊鳳「仏教の生き方」

●第8巻(1951年5月25日)

・榑林皓堂「永平大清規講義(八)― 知事清規」
・山田霊林「修証義講解(八)」
・増永霊鳳「禅宗史(三)― 日本」
・保坂玉泉(衛藤即応)「現代各宗綱要(一)― 総説」
・内山憲尚「社会教化事業概説(二)」
・「月報第8号」榑林皓堂「禅教育の特殊性」

●第9巻(1951年6月25日)

・衛藤即応(榑林皓堂)「正法眼蔵講義(一)― 弁道話」
・安藤文英「坐禅用心記講義(一)」
・保坂玉泉(衛藤即応)「現代各宗綱要(三)― 総説」
・山田霊林「曹洞宗教化学(一)」
・内山憲尚「社会教化事業概説(二)」
・「月報第9号」水野弘元「黄巻赤軸」

●第10巻(1951年7月25日)

・衛藤即応(榑林皓堂)「正法眼蔵講義(二)― 弁道話」
・安藤文英「坐禅用心記講義(二)」
・(保坂玉泉)衛藤即応「現代各宗綱要(四)― 各説(天台宗)」
・山田霊林「曹洞宗教化学(二)」
・古坂明詮「社会学(一)」
・「月報第10号」安藤文英「達意と講義」

●第11巻(1951年8月25日)

・(衛藤即応)榑林皓堂「正法眼蔵講義(三)― 道心」
・安藤文英「坐禅用心記講義(三)」
・(保坂玉泉)衛藤即応「現代各宗綱要(五)― 各説(真言宗)」
・山田霊林「曹洞宗教化学(三)」
・古坂明詮「社会学(二)」
・「月報第11号」山田霊林「反省のかがみ」

●第12巻(1951年9月25日)

・川瀬臥牛「普勧坐禅儀講義」
・佐藤泰舜「参同契講義」
・保坂玉泉(衛藤即応)「現代各宗綱要(六)― 各説(浄土宗・真宗・時宗・禅宗)」
・「月報第12号」佐々木泰翁「新時代の要望」

●第13巻(1951年10月25日)

・榑林皓堂「伝光録講義」
・佐藤泰舜「宝鏡三昧講義」
・保坂玉泉(衛藤即応)「現代各宗綱要(七)― 各説(臨済宗・黄檗宗・日蓮宗)」

コメントをかく


「http://」を含む投稿は禁止されています。

利用規約をご確認のうえご記入下さい

管理人/副管理人のみ編集できます