【定義】
中国・日本の禅宗関係の文献に登場する経典。ただし、偽経だとされる。元々は中国宋代の『人天眼目』などに名前が見え、いわゆる「拈華微笑」話を説く経典として位置付けられている。
【内容】
禅宗の内外で、「拈華微笑」話の典拠ともされた『大梵天王問仏決疑経（以下、「本経」とも）』であるが、曹洞宗の場合、道元禅師が同話を繰り返し示されるけれども、典拠は本経とは認められない。
以上の通り、道元禅師は非常にシンプルな同話を示される。この場合、典拠は『聯灯会要?』巻1と思われる。そして、同箇所は圜悟克勤・大慧宗杲等の語録や、『無門関』第6則などにも引用された。また、道元禅師は以下のようにも示される。
このように、世尊は「優曇華」を拈じているのだが、これは道元禅師以前には溯らない見解だと思われる。だが、道元禅師の直弟子達は、以下のような註釈を行っている。
道元禅師の「拈華微笑」話の典拠を本経にする問題点として、本経で世尊が拈じたのは「金波羅華」となっている。よって、「優曇華」とする道元禅師との違いは明白である。よって、元々、何の華を拈じていたか定めていない『聯灯会要』の方が適切だといえる。
【書誌学上の問題点】
『人天眼目』では3巻本としているが、『大日本続蔵経』に収録する2系統は2巻24品の本文と、1巻7品の本文を持つ場合とある。いずれも、世尊の拈華は「金波羅華」で共通しているが、先に挙げた『人天眼目』に部分的に収録された内容とは相違している。このことから、江戸時代の曹洞宗では、以下のような見解が提示された。
以上の通り、面山禅師は日本に存在する本経は、日本曹洞宗の僧侶が偽作したものだと判断している。この判断の根拠について、詳細は知られないが、本経について面山禅師が以下の見解を記録している。
この発言は、当時の大本山永平寺貫首・大虚喝玄禅師によるもので、大虚禅師は自身がまだ下総総寧寺の住持だったときに、本経を見て、書写させたとしている。
以上の通り、当時本経を印刷し、流通しようとする動きがあったが、大虚禅師から依頼を受けて、面山禅師が内容を点検した話が示されている。更に、尾張八事興正寺の諦忍妙竜律師も、本経について批判的見解を述べていることなどが知られる。
道元禅師に仮託された『伊呂波歌』にも、上記のように本経の題名が見られる。
【他宗派への影響】
日蓮聖人は『蓮盛鈔』『聖愚問答鈔』（両方とも真蹟は残らず）で本経と禅宗の「拈華微笑」話を批判していくけれども、偽経をその理由としている。また、本経は14世紀に成立した『太平記』や、真言宗・杲宝（1306〜62）の『開心抄』巻上「禅密摂属門」に名前が見える。よって、日本国内で他宗派でも広く関心が持たれたのは、14世紀に入ってからだろうか。特に杲宝の見解によれば、大慧宗杲・圭堂居士『仏法大明録』の影響がある。同録は大慧宗杲が記した本文に対し、圭堂居士が解説したものだが、解説する際の典拠として本経を挙げるためである。同録は、東福円爾が宋版を将来したとされ、よって時代的には13世紀中頃以降から入ってきたと見るべきか。
【先行研究】
・忽滑谷快天先生「大梵天王問仏決疑経に就て」『禅宗』第99号・明治36年6月
中国・日本の禅宗関係の文献に登場する経典。ただし、偽経だとされる。元々は中国宋代の『人天眼目』などに名前が見え、いわゆる「拈華微笑」話を説く経典として位置付けられている。
王荊公、仏慧泉禅師に問うて云く、禅家のいわゆる世尊の拈花の出るは、何れの典に在るや。泉云く、蔵経、亦た載らず。公曰く、余、翰苑に在りし頃、偶たま大梵天王問仏決疑経三巻を見る。因みに之を閲するに、経文、載する所、甚だ詳しし。梵王、霊山に至りて、金色波羅花を以て仏に献ず。舎身、床座と為し、仏を請して衆生の為に説法せしむ。世尊、登座して拈花して示衆す。人天百万、悉く皆、措くこと罔し。独り、金色頭陀有りて、破顏微笑す。世尊云く、吾に正法眼蔵涅槃妙心実相無相有り。摩訶大迦葉に分附す。此の経、多く帝王の事を談じ、仏に請問す。所以に秘蔵して、世に聞く者無し。 『人天眼目』巻5「宗門雑録・拈花」項
【内容】
禅宗の内外で、「拈華微笑」話の典拠ともされた『大梵天王問仏決疑経（以下、「本経」とも）』であるが、曹洞宗の場合、道元禅師が同話を繰り返し示されるけれども、典拠は本経とは認められない。
昔日、霊山の百万衆前に、世尊、拈花瞬目す。時に迦葉一人、破顔微笑す。世尊云く、我に正法眼蔵有り、摩訶大迦葉に付属す。 『真字正法眼蔵』巻下253則
以上の通り、道元禅師は非常にシンプルな同話を示される。この場合、典拠は『聯灯会要?』巻1と思われる。そして、同箇所は圜悟克勤・大慧宗杲等の語録や、『無門関』第6則などにも引用された。また、道元禅師は以下のようにも示される。
霊山の百万衆前、世尊、優曇華を拈じて瞬目す。時に摩訶迦葉、破顔微笑す。世尊云く、我に正法眼蔵涅槃妙心有り、摩訶迦葉に附属す。 『正法眼蔵』「優曇華」巻
このように、世尊は「優曇華」を拈じているのだが、これは道元禅師以前には溯らない見解だと思われる。だが、道元禅師の直弟子達は、以下のような註釈を行っている。
是、大梵天王問仏決疑経の文也、此経未渡経と云説あり、又渡りたりと云説有之、追可勘決、 『正法眼蔵抄』「優曇華」篇
道元禅師の「拈華微笑」話の典拠を本経にする問題点として、本経で世尊が拈じたのは「金波羅華」となっている。よって、「優曇華」とする道元禅師との違いは明白である。よって、元々、何の華を拈じていたか定めていない『聯灯会要』の方が適切だといえる。
【書誌学上の問題点】
『人天眼目』では3巻本としているが、『大日本続蔵経』に収録する2系統は2巻24品の本文と、1巻7品の本文を持つ場合とある。いずれも、世尊の拈華は「金波羅華」で共通しているが、先に挙げた『人天眼目』に部分的に収録された内容とは相違している。このことから、江戸時代の曹洞宗では、以下のような見解が提示された。
大梵天王問仏決疑経も、支那に風説ばかり、題号はありて経はなし、王荊公が見たと宗門雑録にあるも、禅林の妄説よ、日本にこの経あるは、洞家の僧の偽作なり、 面山瑞方禅師『大智禅師偈頌聞解』巻上
以上の通り、面山禅師は日本に存在する本経は、日本曹洞宗の僧侶が偽作したものだと判断している。この判断の根拠について、詳細は知られないが、本経について面山禅師が以下の見解を記録している。
薬石茶話に云く、山僧、総寧に在りし時、奥州の老宿無著、大梵天王問仏決疑経を持ち来たりて、印板流通を願訴す。然るに其の出自、拠無く、経文の起尽、怪しむべき惟ら多し。即ち手づから経の品数・文義連続して一巻を出して視る。余、之を熟覧するに、支那の好事者の偽作なり。即ち、随徒道�匹鬚靴銅未掘�嚢に入らしむ。 『傘松日記』
この発言は、当時の大本山永平寺貫首・大虚喝玄禅師によるもので、大虚禅師は自身がまだ下総総寧寺の住持だったときに、本経を見て、書写させたとしている。
大梵天王問仏決疑経、則ち前年始めて永平円成実性禅師従り、一本を贈り、以て考正を乞うを見る。此は是れ偽経なり。其の後、摂州浪華居士従りも来たる。前と大同小異、以て信ずるに足らず。侍者、仮に写して、今二本持つ。〈中略〉大梵天王問仏決疑経と題するの二冊上下、老衲、披閲し、以て真偽を弁白するを乞うを見る。因みに案ずるに、二十年前、此の経、永平寺円成実性禅師従り、寄りて以て諭して見るに謂わく、頃に、海東に、之を三僧司に告げて、印刻流布せんと欲するの僧有り。者回、僧司、之を本山に寄せて、允否を質す。乞う、貴庵、吾に代わりて之を撿せ。余、命を蒙りて、乃ち経文の起尽を考撿するに、蓋し日本洞下の好事僧、未だ布字顛倒を知らざる底の掠虚、只、題号の支那禅冊に在るを知りて、叨りに頭頭物物、或いは一言十方を尽くす、或いは独り一崑崙底、或いは本地の風光、或いは生也全機現死也全機現等の禅語を雑して、之を偽作し、以て無智の雛僧を惑乱するなり。 「上州桐生鳳仙寂曜和尚に復す」、『面山広録』巻23所収
以上の通り、当時本経を印刷し、流通しようとする動きがあったが、大虚禅師から依頼を受けて、面山禅師が内容を点検した話が示されている。更に、尾張八事興正寺の諦忍妙竜律師も、本経について批判的見解を述べていることなどが知られる。
禅定の根源拈華微笑也、大梵天王問仏決疑経に詳か也、正法眼蔵涅槃妙心を仏けより迦葉に伝へ、迦葉より阿難に伝へて従り以来た、断絶すること無し 『道元禅師伊呂波歌』
道元禅師に仮託された『伊呂波歌』にも、上記のように本経の題名が見られる。
【他宗派への影響】
日蓮聖人は『蓮盛鈔』『聖愚問答鈔』（両方とも真蹟は残らず）で本経と禅宗の「拈華微笑」話を批判していくけれども、偽経をその理由としている。また、本経は14世紀に成立した『太平記』や、真言宗・杲宝（1306〜62）の『開心抄』巻上「禅密摂属門」に名前が見える。よって、日本国内で他宗派でも広く関心が持たれたのは、14世紀に入ってからだろうか。特に杲宝の見解によれば、大慧宗杲・圭堂居士『仏法大明録』の影響がある。同録は大慧宗杲が記した本文に対し、圭堂居士が解説したものだが、解説する際の典拠として本経を挙げるためである。同録は、東福円爾が宋版を将来したとされ、よって時代的には13世紀中頃以降から入ってきたと見るべきか。
【先行研究】
・忽滑谷快天先生「大梵天王問仏決疑経に就て」『禅宗』第99号・明治36年6月
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