【定義】
江戸時代に曹洞宗が輩出した学僧。智灯を号とし、照玄を名とする。卍山道白禅師の法嗣で、加賀大乗寺33世。
生没年:寛元5年(1665)9月25日〜元文4年(1739)11月28日
出身地:山城国宇治県
俗姓:父・下司氏、母・大西氏
【略歴】
『鷹峯聯芳系譜?』巻中によれば、山城国宇治県出身の智灯照玄禅師は、17歳で禅定寺・月舟宗胡禅師の下で出家すると、4年学んだ後に関東地方へ遊学し、徳翁良高禅師に参じた。その後、大乗寺で卍山道白禅師に参じてからは、当時の曹洞宗・黄檗宗の諸師にも学んだ。そして、31歳の時、禅定堂内(禅定寺の堂内の意味か?)で『金剛経』を読んでいると、突然に大悟した。宝永元年(1704)に河内国摩尼峰東福寺で卍山禅師に謁したところ、その境涯を認められた。
その後は、伊勢洞源寺、加賀玉龍寺などで住持を勤め、享保元年(1716)には加賀大乗寺33世として晋山した。享保17年(1732)に、三河龍源寺(現在の愛知県豊川市内に所在)の万光?道輝禅師が三河渭信寺(現在の愛知県岡崎市内に所在)を開いて智灯禅師を招いたため、同寺へと退き、開山となった。智灯禅師の後、渭信寺はその門下の僧が歴住を勤めている。万光禅師は参学時、大乗寺で智灯禅師から大乗寺蔵『仏祖正伝菩薩戒作法』古写本の閲覧などの便宜を図ってもらっている。
元文元年(1736)11月に疾を示すと、自ら筆を執って遺偈「生死海に遊ぶ、七十五年、化縁尽きる処、水碧潭に帰す」と詠まれた。そして、筆を置くと「従来生死無し、何れの処にか去来有らん、各々須く領会すべし、直下に遅疑すること莫れ」と遺言して、11月28日巳刻(午前9〜11時頃)に遷化された。世寿75歳、法臘59年であり、法嗣は大龍黒音・照道春光・大円宝鑑・寂巌浄惺・逆水?洞流・一入覚門など50人以上であった。
【余話】
・智灯禅師本人の著作や語録は残っていないが、大乗寺住山中に瑩山禅師『洞谷記』を重輯したことで知られる。
・指月慧印禅師が智灯禅師に参じたことでも知られる。
・最後の住職地となった三河渭信寺には開山塔が残され、更にその脇に建つ「血脈授与供養塔」には、智灯禅師が生涯の間に『血脈』を授与した戒弟の人数を「真俗都一万百三十九」と伝える。
・遺偈は「七十五年楷下の夢、秋風夢を破す没蹤の由、七通八達王三昧、遊戯縦横にして去留に任す」と伝える記録(管理人所持写本)もあるが、字句の内容から【略歴】で記した偈が正しいか。
江戸時代に曹洞宗が輩出した学僧。智灯を号とし、照玄を名とする。卍山道白禅師の法嗣で、加賀大乗寺33世。
生没年:寛元5年(1665)9月25日〜元文4年(1739)11月28日
出身地:山城国宇治県
俗姓:父・下司氏、母・大西氏
【略歴】
『鷹峯聯芳系譜?』巻中によれば、山城国宇治県出身の智灯照玄禅師は、17歳で禅定寺・月舟宗胡禅師の下で出家すると、4年学んだ後に関東地方へ遊学し、徳翁良高禅師に参じた。その後、大乗寺で卍山道白禅師に参じてからは、当時の曹洞宗・黄檗宗の諸師にも学んだ。そして、31歳の時、禅定堂内(禅定寺の堂内の意味か?)で『金剛経』を読んでいると、突然に大悟した。宝永元年(1704)に河内国摩尼峰東福寺で卍山禅師に謁したところ、その境涯を認められた。
その後は、伊勢洞源寺、加賀玉龍寺などで住持を勤め、享保元年(1716)には加賀大乗寺33世として晋山した。享保17年(1732)に、三河龍源寺(現在の愛知県豊川市内に所在)の万光?道輝禅師が三河渭信寺(現在の愛知県岡崎市内に所在)を開いて智灯禅師を招いたため、同寺へと退き、開山となった。智灯禅師の後、渭信寺はその門下の僧が歴住を勤めている。万光禅師は参学時、大乗寺で智灯禅師から大乗寺蔵『仏祖正伝菩薩戒作法』古写本の閲覧などの便宜を図ってもらっている。
元文元年(1736)11月に疾を示すと、自ら筆を執って遺偈「生死海に遊ぶ、七十五年、化縁尽きる処、水碧潭に帰す」と詠まれた。そして、筆を置くと「従来生死無し、何れの処にか去来有らん、各々須く領会すべし、直下に遅疑すること莫れ」と遺言して、11月28日巳刻(午前9〜11時頃)に遷化された。世寿75歳、法臘59年であり、法嗣は大龍黒音・照道春光・大円宝鑑・寂巌浄惺・逆水?洞流・一入覚門など50人以上であった。
【余話】
・智灯禅師本人の著作や語録は残っていないが、大乗寺住山中に瑩山禅師『洞谷記』を重輯したことで知られる。
・指月慧印禅師が智灯禅師に参じたことでも知られる。
・最後の住職地となった三河渭信寺には開山塔が残され、更にその脇に建つ「血脈授与供養塔」には、智灯禅師が生涯の間に『血脈』を授与した戒弟の人数を「真俗都一万百三十九」と伝える。
・遺偈は「七十五年楷下の夢、秋風夢を破す没蹤の由、七通八達王三昧、遊戯縦横にして去留に任す」と伝える記録(管理人所持写本)もあるが、字句の内容から【略歴】で記した偈が正しいか。
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