【定義】
江戸時代の比較的早い時代に刊行された道元禅師伝で、詳しくは『永平開山道元和尚行録』という。延宝元年(1673、寛文13年)に肥前慧日寺徒探牛首座の勧募で、京都・西村又左衛門板行の一巻本。全体は漢文で著されており、文明4年(1472)頃成立の『建撕記』から、面山瑞方禅師『永平実録?』(宝永7年[1710]刊行)までの間で、唯一の道元禅師伝との評価がある。また、伝記本文に続いて、4篇の文章が附録され、「永平勝境?」「永平字弁」が含まれることから、永平寺を宣揚する目的があったと推定されている。
なお、史伝の実証については曖昧な点を残し、例えば、「血脈度霊」や「賜紫衣謝偈」が初めて掲載されるなどの問題が残る(この項目は、河村孝道先生『諸本対校永平開山道元禅師行状建撕記』213〜214頁を参照した)。
江戸時代の比較的早い時代に刊行された道元禅師伝で、詳しくは『永平開山道元和尚行録』という。延宝元年(1673、寛文13年)に肥前慧日寺徒探牛首座の勧募で、京都・西村又左衛門板行の一巻本。全体は漢文で著されており、文明4年(1472)頃成立の『建撕記』から、面山瑞方禅師『永平実録?』(宝永7年[1710]刊行)までの間で、唯一の道元禅師伝との評価がある。また、伝記本文に続いて、4篇の文章が附録され、「永平勝境?」「永平字弁」が含まれることから、永平寺を宣揚する目的があったと推定されている。
なお、史伝の実証については曖昧な点を残し、例えば、「血脈度霊」や「賜紫衣謝偈」が初めて掲載されるなどの問題が残る(この項目は、河村孝道先生『諸本対校永平開山道元禅師行状建撕記』213〜214頁を参照した)。
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