【定義】
江戸時代日本曹洞宗が輩出した学僧。独菴は号であり、名は玄光。卍山とともに「宗統復古運動」を行った。
生没年:寛永7年(1630)〜元禄11年(1698)
出身地:肥前国
【略歴】
幼くして出家し、地元の高伝寺天国に就いて得度し、諸方に遊学すると、中国から長崎に来ていた道者超元の道誉を聞き、その会下に投じた。なお、この頃の同参には、臨済宗の盤珪永琢禅師もいて、晩年まで交流が続いている。道者に師事すること8年を経たが、道者が帰国するや、晧台寺の月舟宗林に参じてその法を嗣いだ。後には自ら晧台寺にも住したが、病のために退き、河内の竜光寺や、摂津の大道寺を再興している。
また、この頃、卍山道白とともに、宗統復古運動を行っているが、中途の元禄11年に遷化した、世寿69。
【著作】
・『護法集?』『続護法集』
・『拾遺三宝感応伝』
・『続孝感篇』
・『善悪現験報恩篇』
・『擬山海経』など、11部40余巻ある。
江戸時代日本曹洞宗が輩出した学僧。独菴は号であり、名は玄光。卍山とともに「宗統復古運動」を行った。
生没年:寛永7年(1630)〜元禄11年(1698)
出身地:肥前国
【略歴】
幼くして出家し、地元の高伝寺天国に就いて得度し、諸方に遊学すると、中国から長崎に来ていた道者超元の道誉を聞き、その会下に投じた。なお、この頃の同参には、臨済宗の盤珪永琢禅師もいて、晩年まで交流が続いている。道者に師事すること8年を経たが、道者が帰国するや、晧台寺の月舟宗林に参じてその法を嗣いだ。後には自ら晧台寺にも住したが、病のために退き、河内の竜光寺や、摂津の大道寺を再興している。
また、この頃、卍山道白とともに、宗統復古運動を行っているが、中途の元禄11年に遷化した、世寿69。
【著作】
・『護法集?』『続護法集』
・『拾遺三宝感応伝』
・『続孝感篇』
・『善悪現験報恩篇』
・『擬山海経』など、11部40余巻ある。
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