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【定義】

(を憶念すること、仏の功徳や相を心に思い浮かべること。観念の念仏。
特に、現行の浄土教の場合は、口で「南無阿弥陀仏」と唱えることから、「口称念仏」という。なお、道元禅師は阿弥陀念仏や他土往生には批判的であった。
K楝詐名のこと。現在の曹洞宗では、本尊釈迦牟尼仏と定め、「南無釈迦牟尼仏」とお唱えする。

【内容】

道元禅師は『弁道話』『学道用心集』などで当時流行していた阿弥陀念仏への批判を行う。
又、読経・念仏等のつとめにうるところの功徳を、なんぢ、しるやいなや。ただ、したをうごかし、こえをあぐるを、仏事功徳とおもへる、いとはかなし。仏法に擬するに、うたたとほく、いよいよはるかなり。又、経書をひらくことは、ほとけ、頓・漸修行儀則ををしへおけるを、あきらめしり、教のごとく修行すれば、かならず証をとらしめむ、となり。いたづらに思量念度をつひやして、菩提をうる功徳に擬せん、とにはあらぬなり。おろかに千万誦の口業をしきりにして、仏道にいたらむとするは、なほこれ、ながえをきたにして、越にむかはむ、とおもはんがごとし。又、円孔に方木をいれんとせん、とおなじ。文をみながら、修するみちにくらき、それ、医方をみる人の、合薬をわすれん、なにの益かあらん。口声をひまなくせる、春の田のかへるの、昼夜になくがごとし、つひに又、益なし。 『弁道話

しかし一方で、晩年に近付くと、釈尊に対する口称念仏は肯定されるようになる。只管打坐で余行として批判されたことを思うと、非常に興味深い。
他のすすめによりて片善?を修し、魔に嬈せられて礼仏する、また発菩提心なり。しかのみにあらず、知家非家捨家出家、入山・修道、信行・法行するなり、造仏?造塔するなり、読経・念仏するなり、為衆説法?するなり、尋師訪道するなり、跏趺坐するなり、一礼三宝するなり、一称南無仏するなり。 『正法眼蔵』「発無上心」巻

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