日本曹洞宗に関するwikiです。人名・書名・寺院名・思想・行持等々を簡潔に示しています。日本曹洞宗に関する情報をお求めの方は、まず当wikiからどうぞ。

【定義】

曹洞宗では最も多くの機会で読誦されるといって良い経典。「本尊上供」「応供諷経」などで読誦される。詳しくは『(摩訶)般若波羅蜜多心経』という。一般的には中国の小説『西遊記』の主人公になったことで有名な、玄奘三蔵の訳が読まれる。

【『般若心経』諸本】

『般若心経』は、幾度も中国語訳されている。理由は、短い字数で「般若思想」の精髄を伝えるためである。漢訳の主なものとして、以下の諸本が知られている。

“桂猴綵彩『摩訶般若波羅蜜大明呪経』(402〜413年訳出)
玄奘訳『般若波羅蜜多心経』(649年訳出)
K〃醋『普遍智蔵般若波羅蜜多心経』(737年訳出)
と娘磧ν言等訳『般若波羅蜜多心経』(790年訳出)
ッ匏杜慳『般若波羅蜜多経』(859年以前訳出)
λ\訳『般若波羅蜜多心経』(847〜859年訳出)
Щ楔醋『仏説聖仏母般若波羅蜜多心経』(982年以降訳出)

『般若心経』というタイトルだが、「般若波羅蜜多(=仏陀の智慧の完成状態)の心を説いた経典」という意味とされる。ところで、今はタイトルの頭に「摩訶(=大きい)」の二字を付すが、当初の玄奘訳には無い。また、最も大部の般若経典である玄奘訳『摩訶般若波羅蜜多経』600巻(通称・大般若経。「大般若会」で転読)には、『般若心経』は含まれていない。

【『般若心経』の「広本」と「小本」】

先に挙げた七種類の訳本の内、比較すると「広本」と「小本」に分かれている。なお、玄奘訳は、「小本」であり、急に「観自在菩薩、行深般若・・・」と入る。だが、「広本」では、どのような場所で説かれて、聴衆は誰であったか、というような経緯や、最後にこの観自在菩薩による説教を、世尊がどう証明したか、という場面も描かれている。その頭(序分)・尾(流通分)は以下の通りである。

 是の如く、我、聞けり。一時、仏、王舍城の耆闍崛山の中に在して、大比丘衆、及び菩薩衆と倶なりき。時に仏世尊、即ち三昧に入る、広大甚深と名づく。
 爾の時、衆中に菩薩摩訶薩有り、観自在と名づく。深般若波羅蜜多を行じし時、五蘊は皆、空なりと照見して、諸の苦厄を離れたもう。即ち時に舎利弗、仏の威力を承って、合掌恭敬して観自在菩薩摩訶薩に白して言わく、「善男子よ、若し甚深般若波羅蜜多の行を学ばんと欲する者有れば、云何が修行せん」と、是の如く問い已んぬ。
 爾の時、観自在菩薩摩訶薩、具寿舎利弗に告げて言わく、「舍利子よ、若し善男子・善女人、甚深般若波羅蜜多の行を行ずる時、応に、五蘊の性は空なりと観ずべし。舍利子よ、色は空に異ならず、空は色に異ならず。色は即ち是れ空なり、空は即ち是れ色なり・・・〈以下、「小本」と同じため略〉

このように、「如是我聞」から始まっている。しかも、「小本」では分からなかったが、『般若心経』は『法華経』「序品」と同じように「耆闍崛山」、いわゆる「霊鷲山」にて示された教えである。しかし世尊は、「広大甚深」と名付けられた三昧に入られていて、倶なる菩薩衆の中の観自在菩薩が、「深般若波羅蜜多」を行じていた。結局、この観音と舎利弗の問答として『般若心経』は進む。

 〈小本末尾の陀羅尼〉『掲諦 掲諦 波羅掲諦 波羅僧掲諦 菩提 娑婆訶』。
 是の如し。
 舍利弗よ、諸の菩薩摩訶薩は、甚深般若波羅蜜多の行に於いて、応に是の如く行ずべし」と。是の如く説き已んぬ。
 即ち時に世尊、広大甚深三摩地より起ち、観自在菩薩摩訶薩を讃えて言わく、「善き哉、善き哉、善男子よ。是の如し、是の如し。汝の説く所の如し。甚深般若波羅蜜多の行は、応に是の如く行ずべし。是の如く行じし時、一切の如来、皆、悉く随喜す」と。
 爾の時、世尊、是の語を説き已んぬ。具寿舍利弗、大喜充遍す。観自在菩薩摩訶薩も亦た、大歓喜す。時に彼の衆会の天、人、阿修羅、乾闥婆等、仏の説く所を聞いて、皆、大歓喜し、信受奉行す。 〈完〉

こちらが終わりの場面である。観自在菩薩の説教が終わると、世尊は「広大甚深三摩地」から起って、観音とその説教を讃えたのであった。

【『般若心経』正宗分・訓読】

『般若心経』広本の場合、序分・正宗分・流通分という三部構成であるが、ここでは一般的に読まれている「正宗分」を訓読してみる。なお、この「正宗分」については、弘法大師空海(774〜835)が内容を五段に分けている(『般若心経秘鍵』)。その五段とは、「人法総通分・分別諸乗分・行人得益分・総帰持明分・秘蔵真言分」とされるのだが、空海は、仏陀の教えが阿含経典・大乗経典・密教経典などに分かれるとし、その全てが『般若心経』に入るという。興味のある方は、要参照(宮坂宥勝監修『空海コレクション2』ちくま学芸文庫、等に所収)。

以下の訓読文だが、作る際には、平井俊榮先生『般若経』(ちくま学芸文庫・2009年)を参考にした。

般若波羅蜜多心経
  唐三蔵法師 玄奘訳
 観自在菩薩、深般若波羅蜜多を行じし時、五蘊は皆な空なりと照見して、一切の苦厄を度したまえり。
 「舍利子よ、色は空に異ならず、空は色に異ならず、色は即ち是れ空なり、空は即ち是れ色なり。受・想・行・識も亦復、是の如し。
 舍利子よ、是の諸法は空相にして、不生にして不滅、不垢にして不浄、不増にして不減なり。是の故に、空の中には、色も無く、受・想・行・識も無く、眼・耳・鼻・舌・身・意も無く、色・声・香・味・触・法も無し。眼界も無く、乃至、意識界も無し。無明も無く、亦た無明の尽くることも無し。乃至、老死も無く、亦た老死の尽くることも無し。苦・集・滅・道も無く、智も無く、亦た得も無し。得る所無きを以ての故に。
 菩提薩埵は、般若波羅蜜多に依るが故に、心に罣礙無し、罣礙無きが故に、恐怖有ること無く、顛倒夢想を遠離して、涅槃を究竟す。三世の諸仏も般若波羅蜜多に依るが故に、阿耨多羅三藐三菩提を得たまえり」。
 故に知るべし、般若波羅蜜多は、是れ大神呪なり、是れ大明呪なり、是れ無上呪なり、是れ無等等呪なり。能く一切の苦を除く。真実にして虚ならず。故に般若波羅蜜多の呪を説く。
 即ち、呪を説いて曰く、
 掲帝 掲帝 般羅掲帝 般羅僧掲帝 
 菩提僧莎訶
般若波羅蜜多心経

【『般若心経』に親しむために】

現在、『般若心経』は日本曹洞宗でももっとも多くの機会で読まれ、また写経にも使われるなど、非常にポピュラーである。そうなった原因は、一つは小本で300字弱の文字数という短さであるのに、多くの教えが詰まり、多くの功徳があると信じられたためである。日本では、奈良において759年から「心経会」という、同経を読む法要が執り行われていた(江戸時代まで続いたという)。とにかく多くの機会で親しまれた。例えば、以下のような実例もある。
うへもなきおもひを仏ときたまふ 鈴木棠三編『中世なぞなぞ集』(岩波文庫・1985年)

これは、江戸時代初期に編まれた「なぞなぞ集」に見える一問である。この「うへもなきおもひ」とは、「思」という漢字の「上の部分が無い」ことを意味し、要するに「心」を指している。「仏ときたまふ」とは「経」のことであるから、このなぞなぞは「心経」、つまりは『般若心経』を答えとする。これほどに親しまれた。

更には「註釈書」も多い。中国(唐代のみならず明代・清代も多い)にも多く存在するが、日本の代表的なものでも、以下の通りである。道元禅師と天桂禅師の註釈書は曹洞宗のものである。

・弘法大師空海『般若心経秘鍵』1巻
・恵心僧都源信『講演心経義』1巻
永平道元正法眼蔵』「摩訶般若波羅蜜」巻
・蘭渓道隆『般若心経注』1巻
・一休宗純『般若心経解』1巻
・盤珪永琢『心経鈔』1巻
天桂伝尊『般若心経止啼銭?』1巻
面山瑞方『般若心経聞解』1巻
・白隠慧鶴『般若心経毒語註』1巻

他にも、一般的な書籍から学びたいという時には、先に挙げた平井先生『般若経』や、中村・紀野訳註『般若心経・金剛般若経』(岩波文庫・1960年)などを参照されたい。 

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