【定義】
皮と肉と骨と、その髄のこと。祖師が正伝する仏法の喩えのこと。なお、達磨大師は自分の弟子達を試して、慧可を始めとする4人の弟子に、それぞれ法を伝えた(達磨皮肉骨髄?)が、髄と評された慧可が最も優れているという見解がある一方で、道元禅師はそれぞれが人間の身体を作り、更にその全体であるという観点から、この四者について優劣を付けるべきではないという見解を持つ。
皮と肉と骨と、その髄のこと。祖師が正伝する仏法の喩えのこと。なお、達磨大師は自分の弟子達を試して、慧可を始めとする4人の弟子に、それぞれ法を伝えた(達磨皮肉骨髄?)が、髄と評された慧可が最も優れているという見解がある一方で、道元禅師はそれぞれが人間の身体を作り、更にその全体であるという観点から、この四者について優劣を付けるべきではないという見解を持つ。
いま参学すべし、初祖道の汝得吾皮肉骨髄は祖道なり。門人四員、ともに得処あり、聞著あり。その聞著ならびに得処、ともに跳出身心の皮肉骨髄なり、脱落身心の皮肉骨髄なり。知見解会の一著子をもて、祖師を見聞すべきにあらざるなり。能所彼此の十現成にあらず。しかあるを、正伝なきともがらおもはく、四子おのおの所解に親疎あるによりて、祖道また皮肉骨髄の浅深不同なり。皮肉は骨髄よりも疎なり、とおもひ、二祖の見解すぐれたるによりて、得髄の印をえたり、といふ。かくのごとくいふいひは、いまだかつて仏祖の参学なく、祖道の正伝あらざるなり。しるべし、祖道の皮肉骨髄は、浅深にあらざるなり。たとひ見解に殊劣ありとも、祖道は得吾なるのみなり。その宗旨は、得吾髄の為示、ならびに得吾骨の為示、ともに為人接人、拈草落草に足不足あらず。たとへば拈華のごとし、たとへば伝衣のごとし。四員のために道著するところ、はじめより一等なり。祖道は一等なりといへども、四解かならずしも一等なるべきにあらず。四解たとひ片片なりとも、祖道はただ祖道なり。 『正法眼蔵』「葛藤」巻
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