日本曹洞宗に関するwikiです。人名・書名・寺院名・思想・行持等々を簡潔に示しています。日本曹洞宗に関する情報をお求めの方は、まず当wikiからどうぞ。

【定義】

(とは、仏教の修行を通して至る理想者であるが、本来の修行とはこの結果にとらわれず、どこまでも継続していくことによって、仏の境涯をも超えることを仏向上という。
道元禅師の『正法眼蔵』の巻名の一。95巻本では28巻、75巻本では26巻。仁治3年(1242)3月23日、興聖寺学人に示された。
道元禅師の『正法眼蔵』の巻名の一。28巻本では1巻であり、他の編集形式には収録されない。28巻本に因んで「秘本仏向上事」と通称される。説示時期や場所は不明であり、内容を見れば「仏向上事」「身心学道」「行仏威儀」「古仏心」「観音」といった各巻に連なるもの、もしくはその草稿原案であるとされている。興聖寺かその前から、道元禅師が言葉のイメージを、その発想のままに書きつづった一種の構想メモであろうとされてきたが、内容の精査から、75巻本『正法眼蔵』の要約という位置付けも可能との指摘もなされている。

【内容】

|羚饒欺,任蓮△海諒向上事に関する問答が多く見えるが、洞山良价禅師の問答などが広く知られている。
大師ある時、示衆に云く「仏向上事を体得して、方に些子の語話分有り」と。僧便ち問う「如何なるか、是、語話」と。大師云く「語話の時、闍黎聞かず」と。僧曰く「和尚、還、聞くや否や」と。大師云く「我の不語話の時を待って、即ち聞かん」と。 『正法眼蔵』「仏向上事」巻

ここでは、仏向上という行為遂行態にあっては、それを何かしらの概念として把握しようとする努力が届かないことを端的に示している。

道元禅師は,寮睿辰鰺僂い覆ら、まさに仏を超えた事態である仏向上を体得するには、仏向上せざるを得ないとされる。
仏向上にいたらざれば、仏向上を体得することなし。語話にあらざれば、仏向上事を体得せず。

そして、身心や面目を脱落した非仏こそが仏向上事とされる。この場合の「非仏」とは、仏ではないというよりも、仏にとらわれがないことを意味しており、仏の超越ということでもある。
その仏向上人、これ非仏なり。いかならんか非仏と疑著せられんとき、思量すべし。仏より以前なるゆえに非仏といはず、仏よりのちなるゆえに非仏といはず、仏をこゆるゆえに非仏なるにあらず。ただひとへに仏向上なるゆえに非仏なり。その非仏といふは、脱落仏面目なるゆえにいふ、脱落仏身心なるゆえにいふ。

また、向上というのは、何か特定の事態から、更に上に昇ることではなくて、常に無階級の修行を現成することであり、その無階級であるということが、仏であるということになるため、まさに仏を超越することが、仏そのものに他ならないのである。
いはゆる仏向上事といふは、仏にいたりてすすみてさらに仏をみるなり。衆生の仏をみるにおなじきなり。しかあればすなはち見仏もし衆生の見仏とひとしきは見仏にあらず。見仏もし衆生の見仏のごとくなるは見仏錯なり、いはんや仏向上事ならんや。

コメントをかく


「http://」を含む投稿は禁止されています。

利用規約をご確認のうえご記入下さい

角川書店『ねこ禅』



かわいい猫の写真とやさしく解説された禅語のコラボ本。【『ねこ禅』角川書店】からどうぞ。

管理人/副管理人のみ編集できます