日本曹洞宗に関するwikiです。人名・書名・寺院名・思想・行持等々を簡潔に示しています。日本曹洞宗に関する情報をお求めの方は、まず当wikiからどうぞ。

【定義】

(への道。つまり、正しい方法によって悟りへと至る修行のこと。或いは「道」を「言葉」と解釈して、「仏の言葉」という意味にもなる。
道元禅師の『正法眼蔵』の巻名の一。95巻本では49巻、75巻本では44巻。寛元元年(1243)9月16日、吉峰寺にて学人に示された。
F燦義技佞痢慇桔ヾ秣◆戮隆名の一。説示された場所・時期等は不明。△箸亙未法28巻本にも7巻に同名の巻が収録されているが、内容的には全く関係がなく、後の95巻本では便宜的に「道心」巻と呼ばれた。

【内容】

道元禅師は、歴代の仏祖正伝してきた「正法眼蔵涅槃妙心」とは大道そのものであるとされている。
釈迦牟尼仏の迦葉仏に参学しましますがごとく、師資ともに于今有在なり。このゆゑに、正法眼蔵まのあたり嫡々相承しきたれり。仏法正命、ただこの正伝のみなり

そこで、さらにこの「正伝」とは、正統―異端という限定の中で論じられることではなく、まさに世界そのものの現成として存在している事実を、各仏祖が確認することであるとしている。
しかあれば、仏道の功徳要機、もらさずそなはれり、西天より東地につたはれて十万八千里なり。在世より今日につたはれて二千余載。

空間・時間を超越して、まさに普遍の事実として承け嗣がれてきている正法眼蔵は、どこでもくらますことが出来ないにもかかわらず、個別的限定的に見る者が「禅宗」といった宗派性を主張したため、道元禅師は宗派性を否定されている。
この道理を参学せざるともがら、みだりにあやまりていはく、仏祖正伝の正法眼蔵涅槃妙心、みだりにこれを禅宗と称す、祖師禅祖と称す、学者禅子と号す、あるひは禅和子と称し、あるひは禅家流の自称あり。これみな僻見を根本とせる枝葉なり。西天東地、従古至今、いまだ禅宗の称あらざるを、みだりに自称するは、仏道をやぶる魔なり、仏祖のまねかざる怨家なり。

なお、道元禅師が中国に渡ったときには、臨済宗が中国禅宗の中心にあって、他にも様々な雲門宗・法眼宗・潙仰宗、そして曹洞宗などがあった。このように、禅宗の中にある「五家」が盛んにいわれていたが、道元禅師は禅宗という名称とともに、五家も否定した。また、五位思想などの機関禅?も否定している。そして、本師である天童如浄禅師もまた、機関禅や「禅宗」の称を嫌ったという(『宝慶記』)。
いま五宗の称を立するは、世俗の混乱なり。

後半では、これら五家の区分を行った『人天眼目』を記述した智聰上座に対しても批判を行っており、道元禅師がどれほどまでに宗派性を嫌っていたかが知られる。一方で、「仏法の全道」や「祖道の全靠」という言葉を用いているということは、一種の全体性をもって仏教の様子だとしたことが窺われる。

書かれた時期などが一切分からず、内容的にも非常に特異なものであるため、道元禅師真撰が疑われることもあるが、幾つか着目すべき説示もある。そもそも、同巻は28巻本に「仏道」巻として収録され、その後95巻本では「道心」巻として収録されているが、その経緯は以下の通りである。
このまき仏道とあざなしたまへども、仏道の名あるめるゆへに、いまはかりに道心となづけまいらせぬること、もののまぎらはしき後人のなやみならんかも。はじめのごとくよしとあらん人は、そのこころにまかせんかもし。 玉潭龍定書写95巻本

したがって、あくまでも混乱を避けるためであったことが理解できるかと思う。なお、この巻の名前が変更された理由は冒頭の一文にある。
仏道をもとむるには、まづ道心をさきとすべし。道心のありやう、しる人まれなり。あきらかにしれらん人にとふべし。

ここから、本来の巻名が「仏道」であった理由と同時に便宜的に「道心」と名づけられたことが分かるであろう。なお、この巻の内容は、あくまでも仏道修行についての内容である。

道元禅師は道心を発し、そして三宝帰依して供養することが重要であるとされ、その帰依はこの世だけではなくて、死して中有にあっても行われるべきだとされる。
生をかへ身をかへても、三宝供養し、うやまひたてまつらんことをねがふべし。ねても、さめても、三宝の功徳をおもひたてまつるべし。ねても、さめても、三宝をとなへたてまつるべし。たとひこの生をすてて、いまだのちの生にうまれざらんそのあひだ、中有といふことあり。そのいのち七日なるそのあひだも、つねにこゑもやまず、三宝をとなへたてまつらんとおもふべし。七日をへぬれば、中有にて死して、また中有の身をうけて、七日あり。いかにひさしといへども、七日をばすぎず。このとき、なにことをみ、きくも、さはりなきこと天眼?のごとし、かからんとき、心をはげまして三宝をとなへたてまつり、南無帰依仏、南無帰依法、南無帰依僧と、となへたてまつらんことわすれず、ひまなくとなへたてまつるべし。すでに中有をすぎて、父母のほとりにちかづかんときも、あひかまひて正知ありて託胎せん。処胎蔵?にありても、三宝をとなへたてまつるべし。

なお、結論部分では、生まれ変わり死に変わりして行われる仏道修行とは、まさに袈裟を着けて坐禅することであり、『法華経』を信じることであるとされた。

コメントをかく


「http://」を含む投稿は禁止されています。

利用規約をご確認のうえご記入下さい

角川書店『ねこ禅』



かわいい猫の写真とやさしく解説された禅語のコラボ本。【『ねこ禅』角川書店】からどうぞ。

管理人/副管理人のみ編集できます