曹洞禅・仏教に関するwikiです。人名・書名・寺院名・思想・行持等々について管理人が研究した結果を簡潔に示しています。曹洞禅・仏教に関する情報をお求めの方は、まず当wikiからどうぞ。

【定義】

〆本の主尊の意味で、寺院の内陣仏壇に主尊として安置される尊像のこと。或いはその存在そのもの。日本曹洞宗では、現在基本的には釈迦牟尼仏をもって本尊とするが、各寺院で本尊を釈尊にしなくてはならないということはない。
∀道や眷属に対して中心に置かれる尊像を本尊という。

【内容】

[磴┐弌⊂土教系の教団であれば阿弥陀仏、或いは『法華経』系教団であれば久遠の釈迦、或いは密教であれば大日如来というように、各宗派によってそれぞれに「本尊」を定めているが、現在の曹洞宗では基本的に釈尊をもって本尊に定めている。その典拠は、以下のような道元禅師の言葉があるためである。
涅槃会の上堂。今日、此の娑婆世界の教主釈迦牟尼如来大和尚、倶尸那城、娑羅林間に在りて入般涅槃す。今に至るに、已に二千二百載を得。 『永平広録』巻6-418上堂

ここから、この世界の教主=本尊に釈尊を捉えており曹洞宗の教主論は釈尊を中心に推移することになる。また、初期の著作では以下のような指摘も見られる。
問日、法華・真言・華厳教等は、其の教主勝れたり、樹下の応身にあらず、説く所の法も亦すぐれたり。今云所は、釈尊・迦葉に対せり。是応身の仏け、声聞に蒙らしむる処、先きの大乗教の宗に及ぶべきにあらず、如何。 示曰、一翳眼に有れば、空花乱れ墜つ、委く顧るべし。況汝が云処の顕密の大乗教に、釈迦の外に教主ありと知れる、己れが教主をも未だ知ざるなり。此外に覓ば、捨父逃逝の初めなるべし。迦葉は偏に声聞と思へる、村人愚なるが、王宮の臣位の列排を定んが如し。仏法の大道を錯るのみにあらず、教家の旨にも暗し。汝は外道か、天魔か。暫く帰て己が宗師に語れ、再ぴ来らば汝が為に説ん、我れ法を惜むべからず。 草案本系統『弁道話

つまり、外具体的な師資相承をしてきたインド以来の仏祖こそが実際の教主であり本尊であるとして、外に教主を求めようとする態度を否定されている。

∩冦咾鳳ける礼拝の対象として、各伽藍にはそれぞれ本尊が安置されている。それは以下の通りである。

仏殿(本尊・釈迦牟尼仏、左右・迦葉と阿難[ただし、文殊と普賢の場合もある])
法堂(未定)
僧堂聖僧・文殊菩薩を基本とし、観世音菩薩或いは賓頭盧尊者など)
衆寮(観世音菩薩)
本堂(基本は釈尊だが様々である)

なお、『梵網経略抄』には、詮慧が開いた永興寺にて木製の釈尊をもって本尊をしていた旨が示されている。
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