【定義】
比叡山の僧侶で、仏樹房明全和尚の本師とされる。名前は、『正法眼蔵随聞記』であれば「明融阿闍梨」だが、『明全戒牒奥書』では「明瑤阿闍梨」と表記される。
俗 姓:不詳
生没年:不詳だが、貞応2年(1223)頃の示寂か。
【内容】
道元禅師が『正法眼蔵随聞記』及び『明全戒牒奥書』などで示したところによれば、明全和尚の本師であったとされる。
以上の記述から、明融は椙井房(杉井房)の住僧だったと考えられ、同房は比叡山横川般若谷下に所在した。なお、明全和尚と道元禅師が入宋(貞応2年[1223]に日本から出発)の準備をしていた頃に重篤な病になったようで、明全和尚に入宋を遅らせて、看病し、示寂後の弔いまでしてくれるように懇願したことが知られる。
この後、明全和尚は道元禅師を含めた周囲の僧達に相談したが、明融阿闍梨の願いを断って入宋したという一話が伝わっている。
比叡山の僧侶で、仏樹房明全和尚の本師とされる。名前は、『正法眼蔵随聞記』であれば「明融阿闍梨」だが、『明全戒牒奥書』では「明瑤阿闍梨」と表記される。
俗 姓:不詳
生没年:不詳だが、貞応2年(1223)頃の示寂か。
【内容】
道元禅師が『正法眼蔵随聞記』及び『明全戒牒奥書』などで示したところによれば、明全和尚の本師であったとされる。
本房椙井房なり。本師明瑤阿闍梨なり。 『明全戒牒奥書』
以上の記述から、明融は椙井房(杉井房)の住僧だったと考えられ、同房は比叡山横川般若谷下に所在した。なお、明全和尚と道元禅師が入宋(貞応2年[1223]に日本から出発)の準備をしていた頃に重篤な病になったようで、明全和尚に入宋を遅らせて、看病し、示寂後の弔いまでしてくれるように懇願したことが知られる。
先師全和尚入宋せんとせし時、本師叡山の明融阿闍梨、重病に沈み、すでに死なんとす。其時この師云、我既に老病に沈み、死去せんとする事近にあり。汝一人老病をたすけて、冥路をとぶらふべし。今度の入唐暫く止て、死去の後其本意をとげらるべし。 『正法眼蔵随聞記』
この後、明全和尚は道元禅師を含めた周囲の僧達に相談したが、明融阿闍梨の願いを断って入宋したという一話が伝わっている。
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